約束の。
水曜日。
朝から。
私は。
落ち着かなかった。
『その日、俺に少し時間ちょうだい』
陽向から。
送られてきた。
あのメッセージ。
ただの。
デート。
そう。
言っていたけれど。
絶対。
何かある。
最近。
陽向と星が。
何か。
隠している。
左手を。
見られる。
好きな花を。
聞かれる。
夜景と海。
どちらが好きか。
聞かれる。
そして。
今日。
「……まさかね」
楽屋の鏡を。
見ながら。
私は。
首を振った。
期待して。
違ったら。
恥ずかしい。
そもそも。
この前。
結婚について。
話したばかり。
『もし結婚するなら』
そんな。
仮定の話。
陽向だって。
『今のはプロポーズじゃない!』
って。
あんなに。
慌てていた。
「……うん」
今日は。
普通のデート。
そう。
思おう。
「紗良さん」
スタッフから。
声をかけられる。
「次、お願いします」
「はい!」
私は。
立ち上がった。
なのに。
頭の片隅では。
ずっと。
陽向のことを。
考えていた。
◇◇◇
仕事が。
終わったのは。
十九時すぎ。
予定より。
少しだけ。
遅くなった。
スマートフォンを見る。
陽向。
『下いる』
「……また?」
駐車場へ。
急ぐ。
車を見つける。
助手席へ。
乗る。
「ごめん!」
「全然」
陽向が。
笑う。
「お疲れ」
「お疲れ」
シートベルトを。
締める。
そして。
私は。
陽向を見る。
「……何?」
「いや」
「何?」
「今日」
いつもより。
少し。
きちんとした服。
でも。
派手じゃない。
私が。
好きな感じ。
「陽向」
「何?」
「緊張してる?」
陽向の肩が。
ぴくっと。
動いた。
「してない」
「嘘」
「してない」
「声」
「普通」
「手」
「……」
ハンドルを。
強く握っている。
「汗かいてる」
「暑いから!」
「今日そんな暑くないよ」
「美月!」
「何?」
「今日は」
赤信号。
陽向が。
私を見る。
「何も聞かないで」
「……」
その顔。
本気で。
緊張している。
私は。
少し笑った。
「分かった」
「……え?」
「聞かない」
「いいの?」
「うん」
私は。
シートに。
身体を預ける。
「陽向が」
「話したくなったときに」
「話して」
一瞬。
陽向の目が。
柔らかくなる。
「……うん」
「ありがと」
◇◇◇
車が。
着いた場所。
私は。
見覚えのある建物を見て。
目を丸くした。
「ここ……」
「覚えてる?」
「覚えてるよ」
私たちが。
初めて。
二人で。
カラオケに来た場所。
まだ。
付き合っていなかった頃。
私は。
陽向を。
『最推し』
としてしか。
見られなくて。
それでも。
少しずつ。
ただの。
天城陽向を。
知り始めた。
そして。
陽向も。
高瀬美月の。
好きなものを。
一つずつ。
知ろうとしてくれた。
「どうしてここ?」
「行こ」
陽向が。
笑う。
でも。
答えない。
「怪しい」
「いいから」
個室へ。
入る。
あの日と。
同じような。
小さな部屋。
ソファ。
モニター。
マイク。
テーブル。
派手な。
飾り付けは。
何もない。
「……普通だ」
思わず。
呟く。
陽向が。
振り返る。
「何期待してたの?」
「何も!」
「今」
「絶対何か期待してた」
「してない!」
「ふーん」
少し。
笑った。
でも。
何故だろう。
ここへ来ただけで。
昔の気持ちが。
蘇ってくる。
あの日。
マイクを。
握る手が。
震えた。
推しの前で。
歌うなんて。
無理。
そう。
思っていた。
なのに。
最後には。
楽しくて。
もっと。
歌いたくなっていた。
あの頃の私は。
まだ。
自分が。
幸せになることに。
慣れていなかった。
◇◇◇
「歌う?」
陽向が。
マイクを。
差し出す。
「今から?」
「カラオケ来たんだから」
「それはそうだけど」
私は。
受け取る。
「陽向から」
「え?」
「私」
「この前」
「いっぱい歌った」
「じゃあ」
「今日は陽向」
「俺?」
「うん」
「何歌う?」
「何でもいいよ」
陽向が。
少し。
考える。
そして。
曲を。
入れた。
聞き覚えのある。
ASTERの。
バラード。
私が。
昔から。
好きだった曲。
「……これ」
「美月」
「好きでしょ」
「うん」
「知ってた?」
「ファン歴」
少し。
得意そうに。
笑う。
「なめんな」
「私のほうが」
「陽向ファン歴長いけど」
「それはそう」
イントロ。
陽向が。
歌い始める。
いつも。
テレビで。
ステージで。
聴いていた声。
でも。
今。
目の前。
私一人のために。
歌っている。
それだけで。
胸が。
苦しいくらい。
満たされる。
歌詞は。
大切な人と。
未来を。
歩きたい。
そんな。
ラブソング。
「……」
まさか。
いや。
まだ。
決めつけちゃ。
ダメ。
でも。
心臓が。
どんどん。
速くなる。
曲が。
終わる。
私は。
拍手した。
「やっぱり」
「上手い」
「そりゃ」
陽向が。
得意そうに。
笑う。
「プロなんで」
「ふふっ」
「でも」
陽向が。
マイクを。
置く。
「今日」
「歌いたかったの」
「美月に」
「だけ」
「……」
胸が。
鳴った。
◇◇◇
「美月」
「うん」
陽向が。
私の隣へ。
座る。
近い。
でも。
いつもなら。
すぐ。
手を。
握ってくるのに。
今日は。
膝の上。
自分の手を。
何度も。
組み直している。
「ねえ」
「何?」
「本当に」
私は。
笑いそうになる。
「緊張してるでしょ」
「……してる」
とうとう。
認めた。
「めちゃくちゃ」
「ライブより?」
「比べものにならない」
「そんなに?」
「うん」
陽向が。
大きく。
息を吸った。
そして。
私を見る。
「美月」
「うん」
「俺さ」
少し。
笑う。
「最初」
「お前のこと」
「紗良だと思ってた」
胸が。
静かに。
揺れる。
「うん」
「病院で」
「目覚ましたとき」
「紗良が戻ってきたって」
「思った」
「うん」
「でも」
陽向の目が。
少し。
寂しくなる。
「違った」
「……」
「俺」
「それ」
「受け入れられなくて」
「美月のこと」
「傷つけた」
あの日。
『紗良を返してくれ』
言われた。
今でも。
覚えている。
でも。
今は。
もう。
痛いだけの。
記憶じゃない。
「うん」
「ごめん」
「陽向」
「何?」
「もう」
私は。
少し笑う。
「謝らなくていいよ」
「……」
「今」
「ちゃんと」
「私を見てくれてるから」
陽向の目が。
少し。
潤む。
「うん」
「見てる」
「……」
「美月を」
まっすぐ。
言われる。
胸が。
熱くなる。
「それから」
陽向は。
続けた。
「美月のこと」
「知った」
「ラーメン好きで」
「うん」
「ブラックコーヒーで」
「うん」
「チーズケーキ好き」
「うん」
「ピンク好き」
「うん」
「歌うの好き」
「うん」
「子ども五人」
「めちゃくちゃ大事」
涙が。
滲んだ。
「うん」
「自分のこと」
「すぐ後回しにする」
「……」
「でも」
陽向が。
笑う。
「最近は」
「やりたいって」
「言えるようになった」
「うん」
「怖いって」
「言える」
「うん」
「疲れたって」
「言える」
「うん」
「俺のことも」
少し。
照れる。
「好きって」
「ちゃんと」
「言ってくれる」
「……うん」
「俺」
陽向が。
ゆっくり。
言う。
「その全部が」
「好き」
涙が。
頬を。
流れた。
◇◇◇
「美月」
「うん」
陽向は。
少し。
震える手で。
ポケットへ。
手を入れた。
その瞬間。
息が。
止まる。
まさか。
小さな。
箱。
それを。
見た瞬間。
頭が。
真っ白になった。
「……陽向」
「まだ」
陽向も。
もう。
泣きそう。
「まだ言わないで」
「……」
「俺」
「ちゃんと言いたい」
私は。
口元を。
両手で。
覆った。
陽向が。
ソファから。
立ち上がる。
そして。
私の前へ。
片膝を。
ついた。
「……っ」
本当に。
本当に。
プロポーズ。
だった。
「陽向……」
「美月」
陽向が。
箱を。
開く。
中には。
上品な。
細いリング。
中央の石が。
部屋の光を受けて。
小さく。
輝いている。
派手じゃない。
でも。
すごく。
綺麗。
私が。
好きそうな。
指輪。
「これ」
陽向が。
少し笑う。
「星ちゃんに」
「相談した」
「……やっぱり!」
涙の中で。
思わず。
声が出る。
陽向が。
吹き出しそうになった。
「今そこ!?」
「だって!」
「あとで!」
「はい」
また。
涙が。
溢れる。
陽向が。
一度。
深呼吸。
そして。
今度こそ。
真っ直ぐ。
私を見る。
「俺が」
「一緒に生きたいのは」
「一ノ瀬紗良じゃない」
「……」
「紗良の人生を」
「否定したいわけでもない」
「うん」
「紗良がいたから」
「今」
「美月がここにいる」
「……うん」
「だから」
「それも」
「全部」
「大事にしたい」
涙が。
止まらない。
「でも」
陽向の声が。
少し。
震える。
「俺が」
「好きになったのは」
「高瀬美月」
「……」
「五人の子どもの」
「ママで」
「……」
「一回目の人生も」
「ちゃんと大切で」
「……」
「今」
「女優として」
「自分の人生も」
「生きようとしてる」
「……」
「美月」
陽向の目にも。
涙。
「俺」
「美月に」
「何かを」
「捨ててほしくない」
「……」
「子どもたちも」
「仕事も」
「過去も」
「全部」
「大事にしたまま」
声が。
少し。
掠れる。
「俺を」
「その中に」
「入れてほしい」
「……っ」
胸が。
いっぱいで。
呼吸が。
うまくできない。
「俺」
「美月の」
「一番になりたいとか」
「そういうことじゃなくて」
「……」
「美月の人生に」
「ずっと」
「いたい」
その言葉。
私が。
欲しかったもの。
誰かのために。
自分を。
消す愛じゃない。
何かと。
交換する愛でもない。
私の人生に。
一緒に。
いてくれる人。
「だから」
陽向が。
箱を。
少し。
私へ。
差し出した。
そして。
はっきり。
私の名前を。
呼ぶ。
「高瀬美月さん」
涙が。
ぼろぼろ。
落ちる。
「俺と」
少し。
笑う。
でも。
声は。
震えている。
「結婚してください」
◇◇◇
言われた。
本当に。
高瀬美月に。
言ってくれた。
一ノ瀬紗良さん。
じゃない。
戸籍の。
名前でもない。
私。
高瀬美月。
妻だった。
母だった。
自分を。
後回しにして。
誰かのために。
生きることが。
当たり前に。
なっていた。
私。
そして。
事故で。
一度。
人生を。
終えた。
私。
二度目の人生で。
最推しの。
腕の中。
目を覚ました。
あの日。
こんな未来。
想像できなかった。
「……美月?」
陽向が。
不安そうに。
私を見る。
「あの」
「返事」
「待って」
「はい!」
思わず。
笑ってしまう。
泣きながら。
笑う。
私は。
胸に。
手を当てた。
考える。
結婚。
怖くない。
と言ったら。
嘘になる。
一度。
経験したから。
家族になることが。
簡単じゃないって。
知っている。
恋人のときとは。
違う。
生活。
責任。
仕事。
子どもたち。
陽向の。
アイドルとしての人生。
私の。
女優としての人生。
きっと。
問題は。
いっぱい。
ある。
でも。
昔の私は。
問題があるから。
やめようとした。
誰かに。
迷惑がかかるから。
諦めようとした。
今は。
違う。
問題があるなら。
一緒に。
考えたい。
「陽向」
「うん」
「私」
一度。
息を吸う。
「結婚」
「怖いところもある」
陽向が。
頷く。
「うん」
「一回したから」
「うん」
「幸せなことだけじゃないって」
「知ってる」
「うん」
「子どもたちのことも」
「仕事も」
「陽向の仕事も」
「うん」
「きっと」
「大変なこと」
「いっぱいある」
「うん」
陽向は。
一度も。
大丈夫だよ。
とは。
言わなかった。
ただ。
聞いてくれる。
だから。
私は。
言える。
「でも」
陽向を見る。
「大変だから」
「やめたいとは」
「思わない」
陽向の目が。
揺れる。
「何かあったら」
「二人で」
「考えたい」
「……うん」
「私」
涙を。
拭う。
でも。
また。
すぐに。
出てくる。
「陽向と」
「これからも」
「生きたい」
「……」
「だから」
私は。
笑った。
「はい」
陽向が。
固まる。
「……え?」
「はい」
もう一度。
言う。
「結婚」
「してください」
数秒。
陽向。
完全に。
止まっている。
「……マジ?」
「マジ」
「本当に?」
「うん」
「後悔しない?」
「今聞く?」
「だって!」
陽向の目から。
涙が。
落ちた。
「うそ」
私が。
驚く。
「陽向」
「泣いてる」
「泣いてない!」
「泣いてる!」
「美月が!」
声が。
崩れる。
「美月が」
「はいって……」
「言ったから……」
「うん」
陽向が。
立ち上がって。
私を。
ぎゅっと。
抱きしめた。
「うわ」
「美月!」
「苦しい!」
「ごめん!」
でも。
離れない。
私も。
背中へ。
腕を。
回した。
「……陽向」
「うん」
「ありがとう」
「俺が」
陽向が。
少し。
笑う。
「ありがとう」
◇◇◇
少し。
落ち着いて。
陽向が。
また。
指輪の箱を。
持つ。
「……つけてもいい?」
「うん」
私は。
左手を。
差し出した。
陽向の。
手。
まだ。
少し。
震えている。
「サイズ」
「合わなかったら」
「後で直せるから」
「そこ現実的」
「星ちゃんが」
「サイズ分かんなかったから!」
「やっぱり星と」
「買いに行ったの?」
「……はい」
「いつ?」
「言わない」
「何で?」
「恥ずいから」
「ふふっ」
リングが。
薬指に。
通される。
少しだけ。
大きい。
でも。
ちゃんと。
そこに。
ある。
私は。
左手を。
光へ。
かざした。
「……綺麗」
「似合う?」
陽向が。
ものすごく。
不安そう。
「うん」
私は。
笑った。
「すごく好き」
陽向の顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「よかった!」
「星が選んだ?」
「一緒に」
「……そっか」
胸が。
また。
いっぱいになる。
「星ちゃんが」
陽向が。
言う。
「派手なのより」
「美月っぽいって」
「……」
「一見」
「そんなに目立とうとしないけど」
「ちゃんと見ると」
「すごく綺麗って」
涙が。
また。
滲んだ。
「……星」
「いいこと言うよな」
「うん」
◇◇◇
「でも」
私は。
陽向を見る。
「星には」
「もう」
「返事したって」
「伝えるの?」
「いや」
陽向が。
にやっと。
笑う。
「美月から」
「言って」
「え?」
「そのほうが」
「絶対喜ぶ」
「……」
私は。
スマートフォンを。
取り出した。
星との。
トーク画面。
でも。
少し。
止まる。
「どうした?」
「なんて」
「言おう」
「そのままでいいじゃん」
「そのままって?」
「プロポーズされたって」
「無理!」
「何で!」
「恥ずかしい!」
陽向が。
笑う。
結局。
私は。
左手の。
指輪の写真だけ。
撮った。
そして。
星へ。
送る。
文章。
『ありがとう』
それだけ。
数秒後。
既読。
そして。
電話。
「早!」
出る。
「もしもし」
『ママぁぁぁぁ!!』
スマートフォンを。
耳から。
離す。
「声大きい!」
『言ったの!?』
「何が?」
『陽向くん!』
「……うん」
『で!?』
「……」
『返事!』
「はいって」
言った瞬間。
『きゃあああああ!』
また。
大声。
「星!」
陽向が。
横で。
大笑いしている。
『おめでとう!』
「……ありがとう」
『ママ』
星の声が。
少し。
震える。
『幸せ?』
その質問。
何度目だろう。
でも。
今日は。
答えが。
いつも以上に。
はっきりしていた。
「うん」
私は。
陽向を見る。
陽向も。
私を。
見ている。
「幸せ」
『そっか』
星が。
小さく。
笑った。
『よかった』
◇◇◇
電話を。
切ったあと。
私は。
指輪を。
見つめた。
「陽向」
「何?」
「これ」
「今は」
「外では」
「つけられないよね」
「……うん」
熱愛報道。
まだ。
完全には。
落ち着いていない。
陽向は。
トップアイドル。
私も。
人気女優。
いきなり。
左手の薬指に。
指輪。
それだけで。
また。
ニュースになる。
「ごめん」
陽向が。
言った。
私は。
首を振る。
「謝らないで」
「でも」
「今」
私は。
リングに。
触れる。
「つけられないことと」
「嬉しくないことは」
「別」
「……」
「仕事のときは」
「外す」
「うん」
「でも」
少し。
笑う。
「家では」
「つける」
陽向の。
目が。
嬉しそうに。
細くなる。
「うん」
「それでいい」
「それに」
私は。
陽向の手を。
握る。
「公表するかどうかも」
「いつ結婚するかも」
「まだ」
「決めること」
「いっぱいある」
「うん」
「一緒に」
「決めよう」
陽向が。
笑った。
「うん」
「一人で」
「決めない」
「うん」
「約束」
指切り。
でも。
陽向は。
私の手を。
そのまま。
握った。
「指切りより」
「こっち」
「何それ」
「婚約者なんで」
「……」
婚約者。
その言葉。
破壊力。
すごい。
「美月?」
「何?」
「顔赤い」
「うるさい」
陽向が。
嬉しそうに。
笑う。
◇◇◇
帰り。
陽向が。
私を。
送ってくれた。
車を。
降りる前。
「美月」
「ん?」
「今日」
「忘れない?」
「忘れるわけないでしょ」
「そっか」
「うん」
少し。
笑う。
「最推しに」
「プロポーズされた日」
陽向が。
口を尖らせる。
「また最推し」
「じゃあ」
私は。
少し考える。
「大好きな人に」
「プロポーズされた日」
陽向が。
一瞬で。
嬉しそうになる。
「それ」
「採用」
「単純」
「美月相手だけ」
「知ってる」
そして。
私は。
車を降りる。
でも。
ドアを。
閉める前。
振り返った。
「陽向」
「何?」
「私も」
「……」
「陽向に」
「プロポーズされて」
「よかった」
陽向が。
固まる。
「……」
「じゃあ」
「おやすみ」
「待って!」
「何?」
「今の」
「もう一回!」
「言わない」
「美月!」
笑いながら。
ドアを閉めた。
◇◇◇
部屋に。
戻って。
私は。
鏡の前に。
立った。
左手。
薬指。
小さく。
輝くリング。
鏡の中には。
一ノ瀬紗良の。
顔。
でも。
私は。
その姿へ。
迷わず。
笑いかける。
「高瀬美月」
自分の名前を。
呼ぶ。
「三十四歳」
「五人の子どものママ」
「女優」
そして。
少し。
恥ずかしい。
でも。
言ってみる。
「天城陽向の」
一度。
息を吸う。
「婚約者」
顔が。
一気に。
熱くなった。
「……無理」
自分で。
言ったのに。
恥ずかしい。
でも。
笑ってしまう。
私は。
幸せ。
そう。
はっきり。
言える。
一度目の人生を。
消したからじゃない。
夫だった人を。
否定したからでもない。
子どもたちを。
置いてきたからでもない。
全部。
大切にしたまま。
新しい未来を。
選んだ。
私は。
ようやく。
理解した。
幸せになるって。
誰かを。
捨てることじゃない。
何かを。
諦めることでもない。
自分の人生に。
大切なものを。
一つずつ。
増やしていくことなのかもしれない。
スマートフォンが。
震えた。
陽向。
『婚約者さん』
「……」
もう。
絶対。
調子に乗ってる。
『何ですか』
すぐ。
返信。
『好き』
私は。
笑った。
『私も』
送信。
そして。
左手のリングを。
そっと。
撫でた。
二度目の人生で。
私は。
初めて。
未来を。
誰かに。
任せるのではなく。
自分で。
選んだ。
この人と。
生きていきたい。
そう。
自分の意思で。
選んだ。
だから。
次は。
二人で。
考えていく。
結婚のこと。
仕事のこと。
子どもたちのこと。
そして。
まだ。
世間には。
言えない。
私たちの未来を。
どう。
堂々と。
生きていくのか。
――これは。
プロポーズで。
終わる物語じゃない。
ここから。
高瀬美月として。
本当に。
未来を作っていく。
私たちの。
新しい始まりだった。
水曜日。
朝から。
私は。
落ち着かなかった。
『その日、俺に少し時間ちょうだい』
陽向から。
送られてきた。
あのメッセージ。
ただの。
デート。
そう。
言っていたけれど。
絶対。
何かある。
最近。
陽向と星が。
何か。
隠している。
左手を。
見られる。
好きな花を。
聞かれる。
夜景と海。
どちらが好きか。
聞かれる。
そして。
今日。
「……まさかね」
楽屋の鏡を。
見ながら。
私は。
首を振った。
期待して。
違ったら。
恥ずかしい。
そもそも。
この前。
結婚について。
話したばかり。
『もし結婚するなら』
そんな。
仮定の話。
陽向だって。
『今のはプロポーズじゃない!』
って。
あんなに。
慌てていた。
「……うん」
今日は。
普通のデート。
そう。
思おう。
「紗良さん」
スタッフから。
声をかけられる。
「次、お願いします」
「はい!」
私は。
立ち上がった。
なのに。
頭の片隅では。
ずっと。
陽向のことを。
考えていた。
◇◇◇
仕事が。
終わったのは。
十九時すぎ。
予定より。
少しだけ。
遅くなった。
スマートフォンを見る。
陽向。
『下いる』
「……また?」
駐車場へ。
急ぐ。
車を見つける。
助手席へ。
乗る。
「ごめん!」
「全然」
陽向が。
笑う。
「お疲れ」
「お疲れ」
シートベルトを。
締める。
そして。
私は。
陽向を見る。
「……何?」
「いや」
「何?」
「今日」
いつもより。
少し。
きちんとした服。
でも。
派手じゃない。
私が。
好きな感じ。
「陽向」
「何?」
「緊張してる?」
陽向の肩が。
ぴくっと。
動いた。
「してない」
「嘘」
「してない」
「声」
「普通」
「手」
「……」
ハンドルを。
強く握っている。
「汗かいてる」
「暑いから!」
「今日そんな暑くないよ」
「美月!」
「何?」
「今日は」
赤信号。
陽向が。
私を見る。
「何も聞かないで」
「……」
その顔。
本気で。
緊張している。
私は。
少し笑った。
「分かった」
「……え?」
「聞かない」
「いいの?」
「うん」
私は。
シートに。
身体を預ける。
「陽向が」
「話したくなったときに」
「話して」
一瞬。
陽向の目が。
柔らかくなる。
「……うん」
「ありがと」
◇◇◇
車が。
着いた場所。
私は。
見覚えのある建物を見て。
目を丸くした。
「ここ……」
「覚えてる?」
「覚えてるよ」
私たちが。
初めて。
二人で。
カラオケに来た場所。
まだ。
付き合っていなかった頃。
私は。
陽向を。
『最推し』
としてしか。
見られなくて。
それでも。
少しずつ。
ただの。
天城陽向を。
知り始めた。
そして。
陽向も。
高瀬美月の。
好きなものを。
一つずつ。
知ろうとしてくれた。
「どうしてここ?」
「行こ」
陽向が。
笑う。
でも。
答えない。
「怪しい」
「いいから」
個室へ。
入る。
あの日と。
同じような。
小さな部屋。
ソファ。
モニター。
マイク。
テーブル。
派手な。
飾り付けは。
何もない。
「……普通だ」
思わず。
呟く。
陽向が。
振り返る。
「何期待してたの?」
「何も!」
「今」
「絶対何か期待してた」
「してない!」
「ふーん」
少し。
笑った。
でも。
何故だろう。
ここへ来ただけで。
昔の気持ちが。
蘇ってくる。
あの日。
マイクを。
握る手が。
震えた。
推しの前で。
歌うなんて。
無理。
そう。
思っていた。
なのに。
最後には。
楽しくて。
もっと。
歌いたくなっていた。
あの頃の私は。
まだ。
自分が。
幸せになることに。
慣れていなかった。
◇◇◇
「歌う?」
陽向が。
マイクを。
差し出す。
「今から?」
「カラオケ来たんだから」
「それはそうだけど」
私は。
受け取る。
「陽向から」
「え?」
「私」
「この前」
「いっぱい歌った」
「じゃあ」
「今日は陽向」
「俺?」
「うん」
「何歌う?」
「何でもいいよ」
陽向が。
少し。
考える。
そして。
曲を。
入れた。
聞き覚えのある。
ASTERの。
バラード。
私が。
昔から。
好きだった曲。
「……これ」
「美月」
「好きでしょ」
「うん」
「知ってた?」
「ファン歴」
少し。
得意そうに。
笑う。
「なめんな」
「私のほうが」
「陽向ファン歴長いけど」
「それはそう」
イントロ。
陽向が。
歌い始める。
いつも。
テレビで。
ステージで。
聴いていた声。
でも。
今。
目の前。
私一人のために。
歌っている。
それだけで。
胸が。
苦しいくらい。
満たされる。
歌詞は。
大切な人と。
未来を。
歩きたい。
そんな。
ラブソング。
「……」
まさか。
いや。
まだ。
決めつけちゃ。
ダメ。
でも。
心臓が。
どんどん。
速くなる。
曲が。
終わる。
私は。
拍手した。
「やっぱり」
「上手い」
「そりゃ」
陽向が。
得意そうに。
笑う。
「プロなんで」
「ふふっ」
「でも」
陽向が。
マイクを。
置く。
「今日」
「歌いたかったの」
「美月に」
「だけ」
「……」
胸が。
鳴った。
◇◇◇
「美月」
「うん」
陽向が。
私の隣へ。
座る。
近い。
でも。
いつもなら。
すぐ。
手を。
握ってくるのに。
今日は。
膝の上。
自分の手を。
何度も。
組み直している。
「ねえ」
「何?」
「本当に」
私は。
笑いそうになる。
「緊張してるでしょ」
「……してる」
とうとう。
認めた。
「めちゃくちゃ」
「ライブより?」
「比べものにならない」
「そんなに?」
「うん」
陽向が。
大きく。
息を吸った。
そして。
私を見る。
「美月」
「うん」
「俺さ」
少し。
笑う。
「最初」
「お前のこと」
「紗良だと思ってた」
胸が。
静かに。
揺れる。
「うん」
「病院で」
「目覚ましたとき」
「紗良が戻ってきたって」
「思った」
「うん」
「でも」
陽向の目が。
少し。
寂しくなる。
「違った」
「……」
「俺」
「それ」
「受け入れられなくて」
「美月のこと」
「傷つけた」
あの日。
『紗良を返してくれ』
言われた。
今でも。
覚えている。
でも。
今は。
もう。
痛いだけの。
記憶じゃない。
「うん」
「ごめん」
「陽向」
「何?」
「もう」
私は。
少し笑う。
「謝らなくていいよ」
「……」
「今」
「ちゃんと」
「私を見てくれてるから」
陽向の目が。
少し。
潤む。
「うん」
「見てる」
「……」
「美月を」
まっすぐ。
言われる。
胸が。
熱くなる。
「それから」
陽向は。
続けた。
「美月のこと」
「知った」
「ラーメン好きで」
「うん」
「ブラックコーヒーで」
「うん」
「チーズケーキ好き」
「うん」
「ピンク好き」
「うん」
「歌うの好き」
「うん」
「子ども五人」
「めちゃくちゃ大事」
涙が。
滲んだ。
「うん」
「自分のこと」
「すぐ後回しにする」
「……」
「でも」
陽向が。
笑う。
「最近は」
「やりたいって」
「言えるようになった」
「うん」
「怖いって」
「言える」
「うん」
「疲れたって」
「言える」
「うん」
「俺のことも」
少し。
照れる。
「好きって」
「ちゃんと」
「言ってくれる」
「……うん」
「俺」
陽向が。
ゆっくり。
言う。
「その全部が」
「好き」
涙が。
頬を。
流れた。
◇◇◇
「美月」
「うん」
陽向は。
少し。
震える手で。
ポケットへ。
手を入れた。
その瞬間。
息が。
止まる。
まさか。
小さな。
箱。
それを。
見た瞬間。
頭が。
真っ白になった。
「……陽向」
「まだ」
陽向も。
もう。
泣きそう。
「まだ言わないで」
「……」
「俺」
「ちゃんと言いたい」
私は。
口元を。
両手で。
覆った。
陽向が。
ソファから。
立ち上がる。
そして。
私の前へ。
片膝を。
ついた。
「……っ」
本当に。
本当に。
プロポーズ。
だった。
「陽向……」
「美月」
陽向が。
箱を。
開く。
中には。
上品な。
細いリング。
中央の石が。
部屋の光を受けて。
小さく。
輝いている。
派手じゃない。
でも。
すごく。
綺麗。
私が。
好きそうな。
指輪。
「これ」
陽向が。
少し笑う。
「星ちゃんに」
「相談した」
「……やっぱり!」
涙の中で。
思わず。
声が出る。
陽向が。
吹き出しそうになった。
「今そこ!?」
「だって!」
「あとで!」
「はい」
また。
涙が。
溢れる。
陽向が。
一度。
深呼吸。
そして。
今度こそ。
真っ直ぐ。
私を見る。
「俺が」
「一緒に生きたいのは」
「一ノ瀬紗良じゃない」
「……」
「紗良の人生を」
「否定したいわけでもない」
「うん」
「紗良がいたから」
「今」
「美月がここにいる」
「……うん」
「だから」
「それも」
「全部」
「大事にしたい」
涙が。
止まらない。
「でも」
陽向の声が。
少し。
震える。
「俺が」
「好きになったのは」
「高瀬美月」
「……」
「五人の子どもの」
「ママで」
「……」
「一回目の人生も」
「ちゃんと大切で」
「……」
「今」
「女優として」
「自分の人生も」
「生きようとしてる」
「……」
「美月」
陽向の目にも。
涙。
「俺」
「美月に」
「何かを」
「捨ててほしくない」
「……」
「子どもたちも」
「仕事も」
「過去も」
「全部」
「大事にしたまま」
声が。
少し。
掠れる。
「俺を」
「その中に」
「入れてほしい」
「……っ」
胸が。
いっぱいで。
呼吸が。
うまくできない。
「俺」
「美月の」
「一番になりたいとか」
「そういうことじゃなくて」
「……」
「美月の人生に」
「ずっと」
「いたい」
その言葉。
私が。
欲しかったもの。
誰かのために。
自分を。
消す愛じゃない。
何かと。
交換する愛でもない。
私の人生に。
一緒に。
いてくれる人。
「だから」
陽向が。
箱を。
少し。
私へ。
差し出した。
そして。
はっきり。
私の名前を。
呼ぶ。
「高瀬美月さん」
涙が。
ぼろぼろ。
落ちる。
「俺と」
少し。
笑う。
でも。
声は。
震えている。
「結婚してください」
◇◇◇
言われた。
本当に。
高瀬美月に。
言ってくれた。
一ノ瀬紗良さん。
じゃない。
戸籍の。
名前でもない。
私。
高瀬美月。
妻だった。
母だった。
自分を。
後回しにして。
誰かのために。
生きることが。
当たり前に。
なっていた。
私。
そして。
事故で。
一度。
人生を。
終えた。
私。
二度目の人生で。
最推しの。
腕の中。
目を覚ました。
あの日。
こんな未来。
想像できなかった。
「……美月?」
陽向が。
不安そうに。
私を見る。
「あの」
「返事」
「待って」
「はい!」
思わず。
笑ってしまう。
泣きながら。
笑う。
私は。
胸に。
手を当てた。
考える。
結婚。
怖くない。
と言ったら。
嘘になる。
一度。
経験したから。
家族になることが。
簡単じゃないって。
知っている。
恋人のときとは。
違う。
生活。
責任。
仕事。
子どもたち。
陽向の。
アイドルとしての人生。
私の。
女優としての人生。
きっと。
問題は。
いっぱい。
ある。
でも。
昔の私は。
問題があるから。
やめようとした。
誰かに。
迷惑がかかるから。
諦めようとした。
今は。
違う。
問題があるなら。
一緒に。
考えたい。
「陽向」
「うん」
「私」
一度。
息を吸う。
「結婚」
「怖いところもある」
陽向が。
頷く。
「うん」
「一回したから」
「うん」
「幸せなことだけじゃないって」
「知ってる」
「うん」
「子どもたちのことも」
「仕事も」
「陽向の仕事も」
「うん」
「きっと」
「大変なこと」
「いっぱいある」
「うん」
陽向は。
一度も。
大丈夫だよ。
とは。
言わなかった。
ただ。
聞いてくれる。
だから。
私は。
言える。
「でも」
陽向を見る。
「大変だから」
「やめたいとは」
「思わない」
陽向の目が。
揺れる。
「何かあったら」
「二人で」
「考えたい」
「……うん」
「私」
涙を。
拭う。
でも。
また。
すぐに。
出てくる。
「陽向と」
「これからも」
「生きたい」
「……」
「だから」
私は。
笑った。
「はい」
陽向が。
固まる。
「……え?」
「はい」
もう一度。
言う。
「結婚」
「してください」
数秒。
陽向。
完全に。
止まっている。
「……マジ?」
「マジ」
「本当に?」
「うん」
「後悔しない?」
「今聞く?」
「だって!」
陽向の目から。
涙が。
落ちた。
「うそ」
私が。
驚く。
「陽向」
「泣いてる」
「泣いてない!」
「泣いてる!」
「美月が!」
声が。
崩れる。
「美月が」
「はいって……」
「言ったから……」
「うん」
陽向が。
立ち上がって。
私を。
ぎゅっと。
抱きしめた。
「うわ」
「美月!」
「苦しい!」
「ごめん!」
でも。
離れない。
私も。
背中へ。
腕を。
回した。
「……陽向」
「うん」
「ありがとう」
「俺が」
陽向が。
少し。
笑う。
「ありがとう」
◇◇◇
少し。
落ち着いて。
陽向が。
また。
指輪の箱を。
持つ。
「……つけてもいい?」
「うん」
私は。
左手を。
差し出した。
陽向の。
手。
まだ。
少し。
震えている。
「サイズ」
「合わなかったら」
「後で直せるから」
「そこ現実的」
「星ちゃんが」
「サイズ分かんなかったから!」
「やっぱり星と」
「買いに行ったの?」
「……はい」
「いつ?」
「言わない」
「何で?」
「恥ずいから」
「ふふっ」
リングが。
薬指に。
通される。
少しだけ。
大きい。
でも。
ちゃんと。
そこに。
ある。
私は。
左手を。
光へ。
かざした。
「……綺麗」
「似合う?」
陽向が。
ものすごく。
不安そう。
「うん」
私は。
笑った。
「すごく好き」
陽向の顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「よかった!」
「星が選んだ?」
「一緒に」
「……そっか」
胸が。
また。
いっぱいになる。
「星ちゃんが」
陽向が。
言う。
「派手なのより」
「美月っぽいって」
「……」
「一見」
「そんなに目立とうとしないけど」
「ちゃんと見ると」
「すごく綺麗って」
涙が。
また。
滲んだ。
「……星」
「いいこと言うよな」
「うん」
◇◇◇
「でも」
私は。
陽向を見る。
「星には」
「もう」
「返事したって」
「伝えるの?」
「いや」
陽向が。
にやっと。
笑う。
「美月から」
「言って」
「え?」
「そのほうが」
「絶対喜ぶ」
「……」
私は。
スマートフォンを。
取り出した。
星との。
トーク画面。
でも。
少し。
止まる。
「どうした?」
「なんて」
「言おう」
「そのままでいいじゃん」
「そのままって?」
「プロポーズされたって」
「無理!」
「何で!」
「恥ずかしい!」
陽向が。
笑う。
結局。
私は。
左手の。
指輪の写真だけ。
撮った。
そして。
星へ。
送る。
文章。
『ありがとう』
それだけ。
数秒後。
既読。
そして。
電話。
「早!」
出る。
「もしもし」
『ママぁぁぁぁ!!』
スマートフォンを。
耳から。
離す。
「声大きい!」
『言ったの!?』
「何が?」
『陽向くん!』
「……うん」
『で!?』
「……」
『返事!』
「はいって」
言った瞬間。
『きゃあああああ!』
また。
大声。
「星!」
陽向が。
横で。
大笑いしている。
『おめでとう!』
「……ありがとう」
『ママ』
星の声が。
少し。
震える。
『幸せ?』
その質問。
何度目だろう。
でも。
今日は。
答えが。
いつも以上に。
はっきりしていた。
「うん」
私は。
陽向を見る。
陽向も。
私を。
見ている。
「幸せ」
『そっか』
星が。
小さく。
笑った。
『よかった』
◇◇◇
電話を。
切ったあと。
私は。
指輪を。
見つめた。
「陽向」
「何?」
「これ」
「今は」
「外では」
「つけられないよね」
「……うん」
熱愛報道。
まだ。
完全には。
落ち着いていない。
陽向は。
トップアイドル。
私も。
人気女優。
いきなり。
左手の薬指に。
指輪。
それだけで。
また。
ニュースになる。
「ごめん」
陽向が。
言った。
私は。
首を振る。
「謝らないで」
「でも」
「今」
私は。
リングに。
触れる。
「つけられないことと」
「嬉しくないことは」
「別」
「……」
「仕事のときは」
「外す」
「うん」
「でも」
少し。
笑う。
「家では」
「つける」
陽向の。
目が。
嬉しそうに。
細くなる。
「うん」
「それでいい」
「それに」
私は。
陽向の手を。
握る。
「公表するかどうかも」
「いつ結婚するかも」
「まだ」
「決めること」
「いっぱいある」
「うん」
「一緒に」
「決めよう」
陽向が。
笑った。
「うん」
「一人で」
「決めない」
「うん」
「約束」
指切り。
でも。
陽向は。
私の手を。
そのまま。
握った。
「指切りより」
「こっち」
「何それ」
「婚約者なんで」
「……」
婚約者。
その言葉。
破壊力。
すごい。
「美月?」
「何?」
「顔赤い」
「うるさい」
陽向が。
嬉しそうに。
笑う。
◇◇◇
帰り。
陽向が。
私を。
送ってくれた。
車を。
降りる前。
「美月」
「ん?」
「今日」
「忘れない?」
「忘れるわけないでしょ」
「そっか」
「うん」
少し。
笑う。
「最推しに」
「プロポーズされた日」
陽向が。
口を尖らせる。
「また最推し」
「じゃあ」
私は。
少し考える。
「大好きな人に」
「プロポーズされた日」
陽向が。
一瞬で。
嬉しそうになる。
「それ」
「採用」
「単純」
「美月相手だけ」
「知ってる」
そして。
私は。
車を降りる。
でも。
ドアを。
閉める前。
振り返った。
「陽向」
「何?」
「私も」
「……」
「陽向に」
「プロポーズされて」
「よかった」
陽向が。
固まる。
「……」
「じゃあ」
「おやすみ」
「待って!」
「何?」
「今の」
「もう一回!」
「言わない」
「美月!」
笑いながら。
ドアを閉めた。
◇◇◇
部屋に。
戻って。
私は。
鏡の前に。
立った。
左手。
薬指。
小さく。
輝くリング。
鏡の中には。
一ノ瀬紗良の。
顔。
でも。
私は。
その姿へ。
迷わず。
笑いかける。
「高瀬美月」
自分の名前を。
呼ぶ。
「三十四歳」
「五人の子どものママ」
「女優」
そして。
少し。
恥ずかしい。
でも。
言ってみる。
「天城陽向の」
一度。
息を吸う。
「婚約者」
顔が。
一気に。
熱くなった。
「……無理」
自分で。
言ったのに。
恥ずかしい。
でも。
笑ってしまう。
私は。
幸せ。
そう。
はっきり。
言える。
一度目の人生を。
消したからじゃない。
夫だった人を。
否定したからでもない。
子どもたちを。
置いてきたからでもない。
全部。
大切にしたまま。
新しい未来を。
選んだ。
私は。
ようやく。
理解した。
幸せになるって。
誰かを。
捨てることじゃない。
何かを。
諦めることでもない。
自分の人生に。
大切なものを。
一つずつ。
増やしていくことなのかもしれない。
スマートフォンが。
震えた。
陽向。
『婚約者さん』
「……」
もう。
絶対。
調子に乗ってる。
『何ですか』
すぐ。
返信。
『好き』
私は。
笑った。
『私も』
送信。
そして。
左手のリングを。
そっと。
撫でた。
二度目の人生で。
私は。
初めて。
未来を。
誰かに。
任せるのではなく。
自分で。
選んだ。
この人と。
生きていきたい。
そう。
自分の意思で。
選んだ。
だから。
次は。
二人で。
考えていく。
結婚のこと。
仕事のこと。
子どもたちのこと。
そして。
まだ。
世間には。
言えない。
私たちの未来を。
どう。
堂々と。
生きていくのか。
――これは。
プロポーズで。
終わる物語じゃない。
ここから。
高瀬美月として。
本当に。
未来を作っていく。
私たちの。
新しい始まりだった。



