主演ドラマが。
正式に決まってから。
私の毎日は。
一気に。
忙しくなった。
台本。
衣装合わせ。
監督との打ち合わせ。
番宣の予定。
撮影スケジュール。
そして。
子どもたちと会う日。
陽向と過ごす時間。
全部。
大切。
だからこそ。
最近。
手帳が。
すごいことになっている。
「……ここ撮影」
私は。
テーブルの上に。
手帳を広げる。
「ここ取材」
その次。
「ここ、子どもたち」
そして。
少し。
間を空けて。
ピンクのペンで。
小さく書く。
『陽向』
「……」
書いたあとで。
なんとなく。
恥ずかしくなる。
「何やってるんだろ、私」
でも。
消さない。
だって。
会いたいから。
そのとき。
スマートフォンが。
震えた。
陽向。
『今日何時終わる?』
『たぶん20時くらい』
すぐに。
返事。
『じゃあ会える?』
私は。
思わず。
笑った。
『明日朝早くないの?』
『早い』
『じゃあ寝なよ』
『美月に会ってから寝る』
「……」
可愛い。
いや。
三十四歳の男性に。
可愛いって。
どうなんだろう。
でも。
可愛い。
『少しだけなら』
送る。
すぐ。
『やった!』
本当に。
分かりやすい。
◇◇◇
そのころ。
私の知らないところで。
陽向は。
とんでもなく。
真剣な顔で。
ジュエリーショップの。
ショーケースを。
見つめていた。
「……分からん」
隣で。
星が。
ため息をつく。
「何がですか?」
「全部」
「全部?」
「指輪って」
陽向が。
小声で言う。
「種類多すぎない?」
「まあ」
「これとこれ」
「何が違うの?」
「デザイン」
「それは見れば分かる!」
「じゃあ聞かないでください」
「冷たい!」
星は。
笑いを。
堪えていた。
トップアイドル。
天城陽向。
テレビでは。
何でも器用に。
こなして。
ファッション誌では。
ジュエリーも。
何度も身につけている。
なのに。
今。
人生で一番。
困っている。
「ママ」
星が。
ショーケースを見ながら。
言う。
「こういうの」
「派手なのより」
「シンプルなのが好きだと思います」
「やっぱ?」
「うん」
「でも」
陽向が。
眉を寄せる。
「せっかくなら」
「美月に似合うやつ」
「ちゃんと選びたい」
「それはそうだけど」
「俺」
真剣。
「一生つけてほしいし」
星が。
ぴたりと。
止まる。
そして。
陽向を見る。
「……本気ですね」
「何が?」
「ママとの結婚」
「……」
陽向の顔が。
少し。
赤くなる。
「本気じゃなきゃ」
「こんなことしないでしょ」
「ですよね」
星は。
少しだけ。
嬉しそうに。
笑った。
◇◇◇
「サイズ」
店員から。
聞かれて。
陽向は。
完全に。
固まった。
「……サイズ?」
星も。
固まる。
「知らないんですか?」
「知らないよ!」
「彼氏なのに?」
「普通」
「彼女の薬指のサイズ」
「知ってる!?」
「知らないかも」
「だろ!?」
二人。
小声で。
揉める。
店員が。
柔らかく。
笑っている。
「後からサイズ調整が可能なものもございますよ」
「それ!」
陽向が。
勢いよく。
振り返る。
「それがいいです!」
星が。
顔を覆う。
「陽向くん」
「何?」
「もうちょっと」
「落ち着いてください」
「無理」
「ライブ前より?」
「緊張してる」
「まだ買うだけなのに」
「買うだけじゃない!」
陽向が。
真剣に言う。
「これ」
「美月に渡すんだぞ?」
「……」
星の表情が。
少し。
柔らかくなる。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
星が。
一つのリングを。
指差した。
「これ」
「ん?」
細い。
上品なデザイン。
中央に。
小さく。
輝く石。
派手すぎない。
でも。
光が当たると。
ちゃんと。
存在感がある。
「ママっぽい」
陽向が。
じっと。
見る。
「どこが?」
「一見」
星が。
少し笑う。
「そんなに目立とうとしないけど」
「……」
「ちゃんと見ると」
リングを見る。
「すごく綺麗」
陽向が。
黙った。
その言葉。
まるで。
自分が。
美月に。
感じていること。
そのものだった。
「……これ」
「うん?」
「好き」
星が。
笑った。
「じゃあ」
「候補ですね」
◇◇◇
私は。
そんなこと。
何も知らず。
撮影現場で。
神崎悠人と。
向かい合っていた。
「じゃあ」
監督の声。
「本番いきます」
「はい」
今回のドラマで。
神崎は。
私の相手役。
偶然。
また。
一緒になった。
台本の中。
私が演じる女性は。
長い結婚生活を経て。
自分を。
見失っている。
神崎が演じるのは。
その女性に。
もう一度。
自分の人生を。
考えるきっかけを。
与える人物。
恋愛。
だけではない。
自分は。
何が好きなのか。
何をしたいのか。
そう。
問いかける人。
「……あなたは」
神崎が。
役として。
私を見る。
「誰のために」
「生きてるんですか」
そのセリフ。
胸の奥に。
刺さった。
一瞬。
昔の自分が。
浮かぶ。
子ども。
夫。
家族。
みんなのため。
その言葉を。
何度。
使っただろう。
でも。
今なら。
答えられる。
私は。
役の女性として。
少し。
震えながら。
言った。
「……私も」
「その中に」
「入れていいですか」
静かになった。
監督が。
カットを。
言わない。
私は。
続ける。
「誰かのために」
「生きることを」
「やめたいわけじゃない」
「……」
「でも」
涙が。
頬を伝う。
「その誰かの中に」
胸へ。
手を当てる。
「自分も」
「入れてあげたいんです」
「……」
しばらく。
静寂。
そして。
「カット!」
監督が。
声を上げる。
「いい!」
現場の空気が。
ほどける。
私は。
息を吐いた。
神崎が。
少し笑う。
「今の」
「紗良さんじゃないでしょ」
心臓が。
一瞬。
跳ねた。
「……え?」
神崎は。
すぐに。
続ける。
「台本より」
「ずっと」
「本音っぽかったから」
「あ……」
そういう意味。
私は。
少し。
安心する。
「そうかも」
「最近」
神崎が。
私を見る。
「本当に」
「変わったよね」
「……」
「事故前より」
少し。
考える。
「自分のこと」
「好きになった?」
私は。
驚いた。
そして。
少しだけ。
笑う。
「前よりは」
「いいことだ」
神崎が。
軽く。
笑った。
「そのほうが」
「今の紗良さん」
「魅力的だし」
「……ありがとう」
その瞬間。
なぜか。
頭に。
陽向が。
浮かんだ。
これ。
言ったら。
また。
嫉妬するかな。
少し。
可笑しくなった。
◇◇◇
撮影が。
終わったのは。
予定より。
少し遅い。
二十時半。
楽屋を出ると。
スマートフォン。
陽向。
『下いる』
「え?」
本当に。
来たんだ。
駐車場へ。
降りる。
帽子。
マスク。
完全装備の。
陽向が。
車の中から。
手を振っている。
「お疲れ」
助手席へ。
乗る。
「お疲れ!」
「明日早いんでしょ?」
「うん」
「何時間寝れるの?」
「考えない」
「考えて」
「美月」
「何?」
「会えて嬉しい?」
「……」
いきなり。
それ?
「嬉しいけど」
「じゃあいい」
「よくない」
でも。
笑ってしまう。
陽向も。
笑った。
◇◇◇
「今日」
車を。
走らせながら。
陽向が。
言った。
「何撮った?」
「ドラマ」
「それは知ってる」
「神崎さんとのシーン」
「……」
分かりやすく。
少し。
口元が。
下がった。
「陽向」
「何?」
「嫉妬した?」
「してない」
「本当に?」
「仕事だろ」
「うん」
「分かってる」
「じゃあ」
「でも」
陽向が。
少し。
口を尖らせる。
「何?」
「キスシーン」
「まだないよ」
「まだ?」
「台本にはある」
車が。
ほんの少し。
静かになった。
「……何話?」
「聞いてどうするの?」
「心の準備」
「見ないほうがいいんじゃない?」
「見る!」
「何で?」
「主演ドラマなんだから!」
「絶対機嫌悪くなるじゃん」
「仕事とプライベートは」
陽向が。
胸を張る。
「分けられます」
「本当に?」
「……努力します」
私は。
笑った。
◇◇◇
信号待ち。
陽向が。
ちらっと。
私の左手を見る。
「……また」
「え?」
「左手見てる」
「見てない!」
「最近」
「多いよ?」
「気のせい」
私は。
じっと。
陽向を見る。
怪しい。
何か。
ある。
でも。
陽向は。
必死に。
前だけを見る。
「ねえ」
「何」
「隠し事?」
「ない!」
即答。
怪しい。
「本当に?」
「うん!」
「星とも」
「何か」
陽向の肩が。
ぴくっと。
動いた。
「……」
「今」
「何で星の名前で」
「反応したの?」
「してない!」
「した!」
「してない!」
「絶対何かある!」
「ない!」
陽向。
必死。
私は。
眉を寄せる。
最近。
星からも。
妙なメッセージが。
増えていた。
『ママ、最近左手の指輪ってつける?』
とか。
『好きな花って今も同じ?』
とか。
『夜景と海ならどっちが好き?』
とか。
そのときは。
モデルの仕事か。
何かかと。
思っていた。
でも。
今。
陽向の反応。
「……二人で」
「何か企んでる?」
「企んでない!」
「怪しい」
「何もない!」
「陽向」
「何!」
「顔」
「見るな!」
「分かりやすすぎ!」
陽向が。
頭を抱えた。
「もう!」
「何?」
「美月」
「変なとこ」
「鋭いんだよ!」
「変なとこって何!」
車の中。
二人で。
大騒ぎ。
でも。
結局。
陽向は。
何も。
教えてくれなかった。
◇◇◇
数日後。
私は。
星と。
二人で。
カフェにいた。
久しぶりの。
母娘だけの時間。
「ママ」
「何?」
「主演」
「正式に決まったんでしょ?」
「うん」
「おめでとう」
「ありがとう」
「絶対見る」
「毎週?」
「もちろん」
「陽向より?」
「それとこれとは別」
「……」
私と。
似たこと。
言う。
「ねえ星」
「何?」
私は。
コーヒーを。
置いた。
「最近」
「うん」
「陽向と連絡してる?」
星の手が。
止まった。
「……」
「してるんだ」
「いや」
「してるよね?」
「たまに」
「何の話?」
「普通の」
「普通って?」
「いろいろ」
「怪しい」
星が。
視線を。
逸らした。
陽向と。
まったく。
同じ。
「二人」
「何か」
「隠してるでしょ」
「隠してないよ」
「目」
「見て」
「ママ」
星が。
急に。
真面目な声。
「何?」
「世の中には」
「知らないほうが」
「幸せなこともある」
「何その意味深な言い方!」
星が。
吹き出した。
「冗談!」
「絶対何かある!」
「ないって!」
「陽向も」
「同じ反応した!」
「……」
「ほら!」
星が。
顔を。
両手で。
覆う。
「陽向くん!」
「何?」
「口止め」
「下手すぎ!」
「やっぱり!」
私は。
身を乗り出した。
「何!?」
「言えない!」
「何で!?」
「言ったら」
「ママが」
「困るから!」
「何に!?」
「それも言えない!」
「もう!」
でも。
星が。
楽しそう。
嫌なことでは。
なさそう。
それだけは。
分かった。
「……まあ」
私は。
諦めて。
コーヒーを飲む。
「いいけど」
「うん」
「危ないこと」
「してない?」
「してない」
「私に」
「嘘ついてない?」
星が。
少し。
考える。
「嘘は」
「ついてない」
「……」
「言ってないことが」
「あるだけ」
陽向と。
同じようなこと。
言いそう。
「分かった」
私は。
小さく。
ため息。
「待つ」
星が。
目を丸くする。
「聞かないの?」
「気になるよ」
「うん」
「でも」
私は。
少し笑った。
「二人が」
「話せるときに」
「話して」
星が。
少し。
驚いたあと。
嬉しそうに。
笑った。
「ママ」
「何?」
「やっぱ」
「変わったね」
「最近」
「そればっかり言われる」
◇◇◇
カフェを。
出る前。
星が。
突然。
言った。
「ママ」
「何?」
「幸せ?」
また。
その質問。
私は。
一瞬。
考える。
そして。
「うん」
「すごく」
星が。
笑う。
「そっか」
「どうしたの?」
「別に」
でも。
少しして。
星が。
小さく言った。
「前は」
「ママって」
「幸せそうに」
「見える日もあったけど」
「……」
「自分のこと」
「幸せって」
「言わなかった気がする」
胸が。
静かに。
揺れた。
「そうかも」
「だから」
星が。
私を見る。
「今」
「幸せって」
「言えるなら」
少し。
笑う。
「よかった」
涙が。
滲みそうになる。
「星」
「何?」
「ママ」
「今」
「本当に幸せだよ」
「うん」
「みんなに」
「また会えて」
「うん」
「仕事も」
「やりたいって思えて」
「うん」
「陽向も」
言った瞬間。
星が。
にやっと。
笑う。
「やっぱ最後そこ」
「何?」
「別に」
「もう」
◇◇◇
その日の夜。
陽向へ。
星から。
メッセージが届いた。
『ママ、気づきかけてます』
陽向。
一瞬で。
青ざめる。
『何で!?』
『陽向くんが分かりやすすぎるから』
『星ちゃんもでしょ!』
『私はうまくやってます』
『嘘だ』
『でもママ、追及やめました』
『なんで?』
少しして。
星から。
返事。
『私たちが言えるときまで待つって』
陽向は。
しばらく。
画面を。
見ていた。
美月。
本当に。
変わった。
何でも。
自分で。
答えを出そうと。
しなくなった。
信じて。
待てるようになった。
だから。
余計に。
中途半端な。
プロポーズは。
したくない。
陽向は。
ジュエリーショップで。
選んだ。
リングの写真を。
もう一度。
見る。
まだ。
購入は。
していない。
最後に。
一つだけ。
確かめたかった。
『星ちゃん』
『はい』
『指輪』
『あれにしようと思う』
返信。
『いいと思います』
そして。
もう一通。
『でも』
『プロポーズの場所』
『派手なのはやめたほうがいいかも』
陽向が。
眉を上げる。
『何で?』
『ママ』
『たぶん』
少しして。
続き。
『豪華な場所より』
『「自分のために考えてくれた」って分かるほうが喜ぶから』
陽向は。
その言葉を。
じっと見た。
確かに。
美月は。
高級な物を。
求める人ではない。
むしろ。
小さな。
チーズケーキ。
一緒に選んだ。
マグカップ。
何気ない。
夕飯。
そういうものを。
大事にしている。
だったら。
「……あそこか」
陽向の中に。
一つ。
場所が。
浮かんだ。
美月と。
初めて。
『ただの陽向』と。
『ただの美月』として。
笑えた場所。
誰かの母親でも。
人気女優でも。
トップアイドルでもなく。
二人が。
二人として。
近づいた。
あの場所。
陽向は。
小さく。
笑った。
「決めた」
◇◇◇
私は。
まだ。
何も知らない。
主演ドラマの。
クランクインを。
目前にして。
仕事のこと。
子どもたちのこと。
熱愛報道のこと。
毎日。
考えることで。
いっぱいだった。
でも。
不思議と。
苦しくはなかった。
昔は。
『全部ちゃんとしなきゃ』
と。
思っていた。
今は。
違う。
できない日は。
助けてもらう。
会いたい日は。
会いたいと言う。
怖いときは。
怖いと言う。
やりたいことは。
やりたいと言う。
そんな。
当たり前のことを。
少しずつ。
覚えている。
ベッドへ。
入る前。
陽向から。
メッセージ。
『来週、夜空いてる日ある?』
「……?」
私は。
手帳を見る。
撮影。
打ち合わせ。
子どもたち。
その隙間。
一日だけ。
早く終わる日がある。
『水曜なら』
すぐに。
返事。
『じゃあ空けといて』
『何するの?』
しばらく。
既読。
なのに。
返事が。
来ない。
「……怪しい」
ようやく。
届く。
『デート』
私は。
少し笑った。
『それだけ?』
『それだけ』
絶対。
それだけじゃない。
でも。
私は。
それ以上。
聞かなかった。
『分かった。空けとく』
送信。
陽向から。
すぐに。
『約束な』
『うん』
そして。
少しして。
『美月』
『何?』
『その日』
一度。
既読。
しばらく。
間。
『俺に少し時間ちょうだい』
胸が。
妙に。
鳴った。
「……何それ」
私は。
画面を。
見つめる。
でも。
答えは。
一つ。
『いいよ』
送信。
私は。
まだ。
知らなかった。
その水曜日が。
私の。
二度目の人生で。
一番。
忘れられない夜の。
始まりになることを。
正式に決まってから。
私の毎日は。
一気に。
忙しくなった。
台本。
衣装合わせ。
監督との打ち合わせ。
番宣の予定。
撮影スケジュール。
そして。
子どもたちと会う日。
陽向と過ごす時間。
全部。
大切。
だからこそ。
最近。
手帳が。
すごいことになっている。
「……ここ撮影」
私は。
テーブルの上に。
手帳を広げる。
「ここ取材」
その次。
「ここ、子どもたち」
そして。
少し。
間を空けて。
ピンクのペンで。
小さく書く。
『陽向』
「……」
書いたあとで。
なんとなく。
恥ずかしくなる。
「何やってるんだろ、私」
でも。
消さない。
だって。
会いたいから。
そのとき。
スマートフォンが。
震えた。
陽向。
『今日何時終わる?』
『たぶん20時くらい』
すぐに。
返事。
『じゃあ会える?』
私は。
思わず。
笑った。
『明日朝早くないの?』
『早い』
『じゃあ寝なよ』
『美月に会ってから寝る』
「……」
可愛い。
いや。
三十四歳の男性に。
可愛いって。
どうなんだろう。
でも。
可愛い。
『少しだけなら』
送る。
すぐ。
『やった!』
本当に。
分かりやすい。
◇◇◇
そのころ。
私の知らないところで。
陽向は。
とんでもなく。
真剣な顔で。
ジュエリーショップの。
ショーケースを。
見つめていた。
「……分からん」
隣で。
星が。
ため息をつく。
「何がですか?」
「全部」
「全部?」
「指輪って」
陽向が。
小声で言う。
「種類多すぎない?」
「まあ」
「これとこれ」
「何が違うの?」
「デザイン」
「それは見れば分かる!」
「じゃあ聞かないでください」
「冷たい!」
星は。
笑いを。
堪えていた。
トップアイドル。
天城陽向。
テレビでは。
何でも器用に。
こなして。
ファッション誌では。
ジュエリーも。
何度も身につけている。
なのに。
今。
人生で一番。
困っている。
「ママ」
星が。
ショーケースを見ながら。
言う。
「こういうの」
「派手なのより」
「シンプルなのが好きだと思います」
「やっぱ?」
「うん」
「でも」
陽向が。
眉を寄せる。
「せっかくなら」
「美月に似合うやつ」
「ちゃんと選びたい」
「それはそうだけど」
「俺」
真剣。
「一生つけてほしいし」
星が。
ぴたりと。
止まる。
そして。
陽向を見る。
「……本気ですね」
「何が?」
「ママとの結婚」
「……」
陽向の顔が。
少し。
赤くなる。
「本気じゃなきゃ」
「こんなことしないでしょ」
「ですよね」
星は。
少しだけ。
嬉しそうに。
笑った。
◇◇◇
「サイズ」
店員から。
聞かれて。
陽向は。
完全に。
固まった。
「……サイズ?」
星も。
固まる。
「知らないんですか?」
「知らないよ!」
「彼氏なのに?」
「普通」
「彼女の薬指のサイズ」
「知ってる!?」
「知らないかも」
「だろ!?」
二人。
小声で。
揉める。
店員が。
柔らかく。
笑っている。
「後からサイズ調整が可能なものもございますよ」
「それ!」
陽向が。
勢いよく。
振り返る。
「それがいいです!」
星が。
顔を覆う。
「陽向くん」
「何?」
「もうちょっと」
「落ち着いてください」
「無理」
「ライブ前より?」
「緊張してる」
「まだ買うだけなのに」
「買うだけじゃない!」
陽向が。
真剣に言う。
「これ」
「美月に渡すんだぞ?」
「……」
星の表情が。
少し。
柔らかくなる。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
星が。
一つのリングを。
指差した。
「これ」
「ん?」
細い。
上品なデザイン。
中央に。
小さく。
輝く石。
派手すぎない。
でも。
光が当たると。
ちゃんと。
存在感がある。
「ママっぽい」
陽向が。
じっと。
見る。
「どこが?」
「一見」
星が。
少し笑う。
「そんなに目立とうとしないけど」
「……」
「ちゃんと見ると」
リングを見る。
「すごく綺麗」
陽向が。
黙った。
その言葉。
まるで。
自分が。
美月に。
感じていること。
そのものだった。
「……これ」
「うん?」
「好き」
星が。
笑った。
「じゃあ」
「候補ですね」
◇◇◇
私は。
そんなこと。
何も知らず。
撮影現場で。
神崎悠人と。
向かい合っていた。
「じゃあ」
監督の声。
「本番いきます」
「はい」
今回のドラマで。
神崎は。
私の相手役。
偶然。
また。
一緒になった。
台本の中。
私が演じる女性は。
長い結婚生活を経て。
自分を。
見失っている。
神崎が演じるのは。
その女性に。
もう一度。
自分の人生を。
考えるきっかけを。
与える人物。
恋愛。
だけではない。
自分は。
何が好きなのか。
何をしたいのか。
そう。
問いかける人。
「……あなたは」
神崎が。
役として。
私を見る。
「誰のために」
「生きてるんですか」
そのセリフ。
胸の奥に。
刺さった。
一瞬。
昔の自分が。
浮かぶ。
子ども。
夫。
家族。
みんなのため。
その言葉を。
何度。
使っただろう。
でも。
今なら。
答えられる。
私は。
役の女性として。
少し。
震えながら。
言った。
「……私も」
「その中に」
「入れていいですか」
静かになった。
監督が。
カットを。
言わない。
私は。
続ける。
「誰かのために」
「生きることを」
「やめたいわけじゃない」
「……」
「でも」
涙が。
頬を伝う。
「その誰かの中に」
胸へ。
手を当てる。
「自分も」
「入れてあげたいんです」
「……」
しばらく。
静寂。
そして。
「カット!」
監督が。
声を上げる。
「いい!」
現場の空気が。
ほどける。
私は。
息を吐いた。
神崎が。
少し笑う。
「今の」
「紗良さんじゃないでしょ」
心臓が。
一瞬。
跳ねた。
「……え?」
神崎は。
すぐに。
続ける。
「台本より」
「ずっと」
「本音っぽかったから」
「あ……」
そういう意味。
私は。
少し。
安心する。
「そうかも」
「最近」
神崎が。
私を見る。
「本当に」
「変わったよね」
「……」
「事故前より」
少し。
考える。
「自分のこと」
「好きになった?」
私は。
驚いた。
そして。
少しだけ。
笑う。
「前よりは」
「いいことだ」
神崎が。
軽く。
笑った。
「そのほうが」
「今の紗良さん」
「魅力的だし」
「……ありがとう」
その瞬間。
なぜか。
頭に。
陽向が。
浮かんだ。
これ。
言ったら。
また。
嫉妬するかな。
少し。
可笑しくなった。
◇◇◇
撮影が。
終わったのは。
予定より。
少し遅い。
二十時半。
楽屋を出ると。
スマートフォン。
陽向。
『下いる』
「え?」
本当に。
来たんだ。
駐車場へ。
降りる。
帽子。
マスク。
完全装備の。
陽向が。
車の中から。
手を振っている。
「お疲れ」
助手席へ。
乗る。
「お疲れ!」
「明日早いんでしょ?」
「うん」
「何時間寝れるの?」
「考えない」
「考えて」
「美月」
「何?」
「会えて嬉しい?」
「……」
いきなり。
それ?
「嬉しいけど」
「じゃあいい」
「よくない」
でも。
笑ってしまう。
陽向も。
笑った。
◇◇◇
「今日」
車を。
走らせながら。
陽向が。
言った。
「何撮った?」
「ドラマ」
「それは知ってる」
「神崎さんとのシーン」
「……」
分かりやすく。
少し。
口元が。
下がった。
「陽向」
「何?」
「嫉妬した?」
「してない」
「本当に?」
「仕事だろ」
「うん」
「分かってる」
「じゃあ」
「でも」
陽向が。
少し。
口を尖らせる。
「何?」
「キスシーン」
「まだないよ」
「まだ?」
「台本にはある」
車が。
ほんの少し。
静かになった。
「……何話?」
「聞いてどうするの?」
「心の準備」
「見ないほうがいいんじゃない?」
「見る!」
「何で?」
「主演ドラマなんだから!」
「絶対機嫌悪くなるじゃん」
「仕事とプライベートは」
陽向が。
胸を張る。
「分けられます」
「本当に?」
「……努力します」
私は。
笑った。
◇◇◇
信号待ち。
陽向が。
ちらっと。
私の左手を見る。
「……また」
「え?」
「左手見てる」
「見てない!」
「最近」
「多いよ?」
「気のせい」
私は。
じっと。
陽向を見る。
怪しい。
何か。
ある。
でも。
陽向は。
必死に。
前だけを見る。
「ねえ」
「何」
「隠し事?」
「ない!」
即答。
怪しい。
「本当に?」
「うん!」
「星とも」
「何か」
陽向の肩が。
ぴくっと。
動いた。
「……」
「今」
「何で星の名前で」
「反応したの?」
「してない!」
「した!」
「してない!」
「絶対何かある!」
「ない!」
陽向。
必死。
私は。
眉を寄せる。
最近。
星からも。
妙なメッセージが。
増えていた。
『ママ、最近左手の指輪ってつける?』
とか。
『好きな花って今も同じ?』
とか。
『夜景と海ならどっちが好き?』
とか。
そのときは。
モデルの仕事か。
何かかと。
思っていた。
でも。
今。
陽向の反応。
「……二人で」
「何か企んでる?」
「企んでない!」
「怪しい」
「何もない!」
「陽向」
「何!」
「顔」
「見るな!」
「分かりやすすぎ!」
陽向が。
頭を抱えた。
「もう!」
「何?」
「美月」
「変なとこ」
「鋭いんだよ!」
「変なとこって何!」
車の中。
二人で。
大騒ぎ。
でも。
結局。
陽向は。
何も。
教えてくれなかった。
◇◇◇
数日後。
私は。
星と。
二人で。
カフェにいた。
久しぶりの。
母娘だけの時間。
「ママ」
「何?」
「主演」
「正式に決まったんでしょ?」
「うん」
「おめでとう」
「ありがとう」
「絶対見る」
「毎週?」
「もちろん」
「陽向より?」
「それとこれとは別」
「……」
私と。
似たこと。
言う。
「ねえ星」
「何?」
私は。
コーヒーを。
置いた。
「最近」
「うん」
「陽向と連絡してる?」
星の手が。
止まった。
「……」
「してるんだ」
「いや」
「してるよね?」
「たまに」
「何の話?」
「普通の」
「普通って?」
「いろいろ」
「怪しい」
星が。
視線を。
逸らした。
陽向と。
まったく。
同じ。
「二人」
「何か」
「隠してるでしょ」
「隠してないよ」
「目」
「見て」
「ママ」
星が。
急に。
真面目な声。
「何?」
「世の中には」
「知らないほうが」
「幸せなこともある」
「何その意味深な言い方!」
星が。
吹き出した。
「冗談!」
「絶対何かある!」
「ないって!」
「陽向も」
「同じ反応した!」
「……」
「ほら!」
星が。
顔を。
両手で。
覆う。
「陽向くん!」
「何?」
「口止め」
「下手すぎ!」
「やっぱり!」
私は。
身を乗り出した。
「何!?」
「言えない!」
「何で!?」
「言ったら」
「ママが」
「困るから!」
「何に!?」
「それも言えない!」
「もう!」
でも。
星が。
楽しそう。
嫌なことでは。
なさそう。
それだけは。
分かった。
「……まあ」
私は。
諦めて。
コーヒーを飲む。
「いいけど」
「うん」
「危ないこと」
「してない?」
「してない」
「私に」
「嘘ついてない?」
星が。
少し。
考える。
「嘘は」
「ついてない」
「……」
「言ってないことが」
「あるだけ」
陽向と。
同じようなこと。
言いそう。
「分かった」
私は。
小さく。
ため息。
「待つ」
星が。
目を丸くする。
「聞かないの?」
「気になるよ」
「うん」
「でも」
私は。
少し笑った。
「二人が」
「話せるときに」
「話して」
星が。
少し。
驚いたあと。
嬉しそうに。
笑った。
「ママ」
「何?」
「やっぱ」
「変わったね」
「最近」
「そればっかり言われる」
◇◇◇
カフェを。
出る前。
星が。
突然。
言った。
「ママ」
「何?」
「幸せ?」
また。
その質問。
私は。
一瞬。
考える。
そして。
「うん」
「すごく」
星が。
笑う。
「そっか」
「どうしたの?」
「別に」
でも。
少しして。
星が。
小さく言った。
「前は」
「ママって」
「幸せそうに」
「見える日もあったけど」
「……」
「自分のこと」
「幸せって」
「言わなかった気がする」
胸が。
静かに。
揺れた。
「そうかも」
「だから」
星が。
私を見る。
「今」
「幸せって」
「言えるなら」
少し。
笑う。
「よかった」
涙が。
滲みそうになる。
「星」
「何?」
「ママ」
「今」
「本当に幸せだよ」
「うん」
「みんなに」
「また会えて」
「うん」
「仕事も」
「やりたいって思えて」
「うん」
「陽向も」
言った瞬間。
星が。
にやっと。
笑う。
「やっぱ最後そこ」
「何?」
「別に」
「もう」
◇◇◇
その日の夜。
陽向へ。
星から。
メッセージが届いた。
『ママ、気づきかけてます』
陽向。
一瞬で。
青ざめる。
『何で!?』
『陽向くんが分かりやすすぎるから』
『星ちゃんもでしょ!』
『私はうまくやってます』
『嘘だ』
『でもママ、追及やめました』
『なんで?』
少しして。
星から。
返事。
『私たちが言えるときまで待つって』
陽向は。
しばらく。
画面を。
見ていた。
美月。
本当に。
変わった。
何でも。
自分で。
答えを出そうと。
しなくなった。
信じて。
待てるようになった。
だから。
余計に。
中途半端な。
プロポーズは。
したくない。
陽向は。
ジュエリーショップで。
選んだ。
リングの写真を。
もう一度。
見る。
まだ。
購入は。
していない。
最後に。
一つだけ。
確かめたかった。
『星ちゃん』
『はい』
『指輪』
『あれにしようと思う』
返信。
『いいと思います』
そして。
もう一通。
『でも』
『プロポーズの場所』
『派手なのはやめたほうがいいかも』
陽向が。
眉を上げる。
『何で?』
『ママ』
『たぶん』
少しして。
続き。
『豪華な場所より』
『「自分のために考えてくれた」って分かるほうが喜ぶから』
陽向は。
その言葉を。
じっと見た。
確かに。
美月は。
高級な物を。
求める人ではない。
むしろ。
小さな。
チーズケーキ。
一緒に選んだ。
マグカップ。
何気ない。
夕飯。
そういうものを。
大事にしている。
だったら。
「……あそこか」
陽向の中に。
一つ。
場所が。
浮かんだ。
美月と。
初めて。
『ただの陽向』と。
『ただの美月』として。
笑えた場所。
誰かの母親でも。
人気女優でも。
トップアイドルでもなく。
二人が。
二人として。
近づいた。
あの場所。
陽向は。
小さく。
笑った。
「決めた」
◇◇◇
私は。
まだ。
何も知らない。
主演ドラマの。
クランクインを。
目前にして。
仕事のこと。
子どもたちのこと。
熱愛報道のこと。
毎日。
考えることで。
いっぱいだった。
でも。
不思議と。
苦しくはなかった。
昔は。
『全部ちゃんとしなきゃ』
と。
思っていた。
今は。
違う。
できない日は。
助けてもらう。
会いたい日は。
会いたいと言う。
怖いときは。
怖いと言う。
やりたいことは。
やりたいと言う。
そんな。
当たり前のことを。
少しずつ。
覚えている。
ベッドへ。
入る前。
陽向から。
メッセージ。
『来週、夜空いてる日ある?』
「……?」
私は。
手帳を見る。
撮影。
打ち合わせ。
子どもたち。
その隙間。
一日だけ。
早く終わる日がある。
『水曜なら』
すぐに。
返事。
『じゃあ空けといて』
『何するの?』
しばらく。
既読。
なのに。
返事が。
来ない。
「……怪しい」
ようやく。
届く。
『デート』
私は。
少し笑った。
『それだけ?』
『それだけ』
絶対。
それだけじゃない。
でも。
私は。
それ以上。
聞かなかった。
『分かった。空けとく』
送信。
陽向から。
すぐに。
『約束な』
『うん』
そして。
少しして。
『美月』
『何?』
『その日』
一度。
既読。
しばらく。
間。
『俺に少し時間ちょうだい』
胸が。
妙に。
鳴った。
「……何それ」
私は。
画面を。
見つめる。
でも。
答えは。
一つ。
『いいよ』
送信。
私は。
まだ。
知らなかった。
その水曜日が。
私の。
二度目の人生で。
一番。
忘れられない夜の。
始まりになることを。



