夫から。
『もう一人が会ってみたいって言っとる』
そう連絡が来たのは。
前の子と会った。
その日の夜だった。
一人ずつ。
少しずつ。
子どもたちが。
私のところへ。
戻ってきてくれている。
星。
そして。
長男の湊。
三男。
でも。
今度の再会は。
今までとは。
少し違った。
◇◇◇
「会いたいって」
「自分から言ったんだよね?」
陽向に聞くと。
「うん」
私は。
スマートフォンを見ながら。
頷いた。
「でも」
「?」
「夫から」
届いたメッセージ。
もう一度。
読む。
『会ってみたいとは言っとるけど、かなり怒っとる』
「……怒ってる?」
陽向が。
隣から。
画面を見る。
「うん」
「美月に?」
「たぶん」
胸が。
きゅっと。
縮む。
『本当にママなら、何で今まで来なかったのか聞きたいらしい』
「……そっか」
陽向が。
静かに言った。
私は。
自分の指を。
握る。
「当然だよね」
「うん」
「私」
「子どもたちからしたら」
「突然いなくなったんだもん」
「……」
「死んだから」
「仕方ないって」
「頭では分かってても」
「うん」
「寂しかったとか」
「腹立ったとか」
「そういう気持ち」
「あるよね」
陽向は。
すぐには。
何も言わなかった。
それから。
私の手を。
そっと握る。
「あると思う」
「……うん」
「だから」
「?」
「ちゃんと」
陽向が。
私を見る。
「怒られてきな」
「……」
思わず。
顔を上げた。
「そこ?」
「だって」
「会いたいんでしょ?」
「うん」
「なら」
「ママって呼んでもらうことだけが」
「再会じゃないと思う」
胸が。
少し。
揺れた。
「怒りたいなら」
「怒ってもらえばいい」
「……」
「美月も」
「言いたいこと」
「ちゃんと言えばいい」
「うん」
「謝るだけじゃなくて」
「……」
さすが。
分かってる。
私は。
苦笑した。
「また全部」
「私が悪かったみたいに」
「なりそうだった」
「でしょ?」
「うん」
陽向が。
少し笑う。
「美月」
「何?」
「ママって」
「子どもに好かれるだけの役じゃないだろ」
「……」
「怒られるのも」
「嫌いって言われるのも」
「それでも」
「その子のママなんじゃない?」
胸の奥。
じわっと。
熱くなる。
「……うん」
私は。
頷いた。
「行ってくる」
◇◇◇
待ち合わせの日。
夫の隣にいたその子は。
私を見るなり。
顔を。
逸らした。
「……」
こんにちは。
と。
言おうとして。
やめた。
今日は。
無理に。
取り繕わなくてもいい気がした。
私は。
少し離れた場所に座る。
その子も。
夫の隣。
私の正面には。
座らなかった。
「……」
沈黙。
長い。
夫も。
今日は。
ほとんど。
口を挟まない。
その子自身が。
話すのを。
待っている。
やがて。
小さな声。
「……ママじゃない」
胸が。
痛んだ。
でも。
私は。
頷いた。
「そう思うよね」
「顔違うし」
「うん」
「知らん人やし」
「うん」
「テレビ出とる人やし」
「うん」
「なのに」
その子が。
初めて。
私を見る。
目。
怒っている。
でも。
その奥が。
泣いている。
「なんで」
「ママって言うん?」
「……」
私は。
一度。
息を吸った。
「私が」
胸に。
手を当てる。
「高瀬美月だから」
「知らん」
「うん」
「そんなの」
「信じれん」
「うん」
「じゃあ」
声が。
少し。
大きくなる。
「ママなら!」
夫が。
少し。
身体を動かす。
でも。
止めない。
「ママなら!」
涙が。
その子の目に。
一気に溜まった。
「なんで」
「……」
「なんで死んだん!」
息が。
止まった。
「なんで」
拳を。
ぎゅっと。
握る。
「勝手に」
「おらんくなったん!」
胸を。
強く。
叩かれたようだった。
「なんで!」
「……」
「ずっと」
「待っとったのに!」
涙が。
ぼろぼろ。
落ちる。
「帰ってくるって」
「思っとったのに!」
「……うん」
「みんな」
「もう帰ってこんって」
「言うし!」
「うん」
「写真しか」
声が。
崩れる。
「なくなったし!」
「……」
「ママに」
唇を。
噛む。
「言いたいこと」
「いっぱいあったのに!」
私は。
何も。
言わなかった。
ただ。
聞いた。
「学校で」
「嫌なことあった日も!」
「うん」
「できるようになったことも!」
「うん」
「見てほしかったのに!」
「……うん」
「なのに!」
その子は。
泣きながら。
私を睨んだ。
「今さら」
「別の顔で」
「ママって言われても!」
「分からん!」
「……うん」
「分からんよ!」
静かな部屋に。
泣き声だけが。
響いた。
私は。
自分の涙を。
拭わなかった。
だって。
今。
泣きたいのは。
この子。
私は。
ゆっくり。
言った。
「寂しかったね」
その子の顔が。
さらに。
歪む。
「……っ」
「腹立ったよね」
「……」
「何でママだけ」
「いなくなるんって」
「思ったよね」
「……うん」
小さな。
返事。
「ごめんって」
私は。
言いかけて。
止まった。
事故で。
死んだことを。
謝るのは。
違う。
この子が。
欲しいのは。
きっと。
謝罪じゃない。
「ママも」
私は。
胸に手を置く。
「帰りたかった」
「……」
「本当に」
「ずっと」
「帰りたかった」
その子が。
私を見る。
「だったら」
「うん」
「帰ってきたら」
「よかったやん」
「……」
「うん」
涙が。
頬を伝う。
「できるなら」
「そうしたかった」
私は。
自分の顔に。
触れる。
「でも」
「目が覚めたら」
「この顔だった」
「……」
「自分の身体は」
「もう」
言葉にするのが。
今でも。
少し苦しい。
「死んでた」
その子が。
黙る。
「ママも」
「最初」
「分からなかった」
「何で」
「自分が生きてるのに」
「死んだって言われてるのか」
「分からなかった」
「……」
「家に」
「行きたかった」
「うん」
「みんなのところに」
「帰りたかった」
涙が。
止まらない。
「でも」
「この顔で」
「ママだよって言って」
「怖がられたらどうしようって」
「……」
「信じてもらえなかったら」
声が。
震える。
「本当に」
「もう二度と」
「みんなのママでいられなくなる気がして」
「……」
「怖かった」
その子が。
私を。
じっと見ている。
「でも」
私は。
続けた。
「それは」
「ママが」
「怖かったっていう話」
「……」
「あなたが」
「寂しかったこととは」
「別」
「……」
「だから」
私は。
正面から。
その子を見る。
「怒っていいよ」
目が。
大きくなる。
「何で来なかったんって」
「怒っていい」
「……」
「寂しかったって」
「言っていい」
「……」
「ママなんか嫌いって」
喉が。
詰まりそうになる。
それでも。
言った。
「思ったなら」
「それも」
「言っていいよ」
「……」
しばらく。
何も。
言わない。
そして。
小さく。
「……嫌い」
胸が。
痛んだ。
でも。
逃げない。
「うん」
「ママなんか」
涙を。
ぼろぼろ。
流しながら。
「嫌い」
「うん」
「勝手に」
「おらんくなったから」
「うん」
「嫌いや」
「……うん」
私は。
頷いた。
「それでも」
一度。
息を吸う。
「ママは」
「あなたが大好き」
「……っ」
「嫌いって言われても」
「大好き」
その子の。
顔が。
崩れた。
「……ずるい」
「うん」
「ずるい!」
「うん」
「そんなの」
声を上げて。
泣く。
「嫌いって」
「言えんくなるやん!」
私は。
泣きながら。
少しだけ。
笑った。
「言っていいよ」
「嫌い!」
「うん」
「……大嫌い!」
「うん」
「でも!」
「うん」
息を。
しゃくり上げながら。
その子が。
言った。
「会いたかった!」
その言葉。
胸の奥に。
真っ直ぐ。
刺さった。
「……うん」
「僕も!」
「うん」
「ずっと!」
「うん」
「ママに!」
涙で。
顔が。
ぐしゃぐしゃ。
「会いたかった!」
「ママも」
私は。
もう。
堪えられなかった。
「ずっと」
「会いたかったよ」
◇◇◇
でも。
その子は。
抱きついてこなかった。
私も。
動かなかった。
今は。
それでいい。
ママって。
呼んでもらえなくても。
抱きしめられなくても。
この子が。
本当の気持ちを。
私にぶつけてくれた。
それだけで。
十分。
しばらくして。
その子が。
鼻をすすりながら。
言った。
「……ほんまに」
「うん?」
「ママ?」
「うん」
「証拠」
「聞きたい?」
「……うん」
私は。
少し笑った。
「何聞く?」
その子は。
しばらく。
考えた。
そして。
「僕が」
「うん」
「昔」
少し。
顔を赤くする。
「こっそり」
「冷蔵庫に入っとった」
「プリン食べたとき」
「……」
私は。
思わず。
吹き出しそうになった。
覚えてる。
「夜中?」
その子の目が。
大きくなる。
「……うん」
「ママ」
「次の日」
「誰食べたのって」
「聞いた」
「……」
「みんな」
「知らんって言って」
「……」
「でも」
私は。
少し。
眉を上げる。
「あなた」
「スプーン」
「自分の机の上に」
「置きっぱなしだった」
「……」
夫が。
吹き出した。
「そんなバレ方しとったん」
「パパ知らんかったん?」
その子も。
思わず。
夫を見る。
「知らん」
「ママ」
私は。
笑う。
「怒らなかった」
「……うん」
「でも」
「次から」
「食べたいなら言いなって」
「言った」
「……」
「それから」
私は。
指を立てる。
「名前書いてあるやつは」
「勝手に食べない」
「……」
その子が。
口元を。
押さえた。
「それ」
「うん」
「ほんまに」
目から。
また。
涙。
「ママしか知らん」
「うん」
「だって」
少し。
笑う。
「ママだもん」
今度は。
『知らない』
とは。
言われなかった。
◇◇◇
帰る時間。
その子は。
最後まで。
私を。
ママとは。
呼ばなかった。
でも。
席を立って。
数歩。
歩いたあと。
振り返った。
「……次」
「うん?」
「また」
少し。
目を逸らす。
「会ってもいい」
胸が。
いっぱいになる。
でも。
飛びつかない。
「うん」
私は。
笑った。
「会おう」
「……」
「いつでも」
言いかける。
違う。
私は。
少し笑う。
「会いたくなったら」
「教えて」
「うん」
その子が。
一度。
頷く。
そして。
小さく。
「……じゃあ」
「うん」
「また」
「またね」
ドアの向こうへ。
消えていく。
夫だけが。
少し。
その場に残った。
「……美月」
「何?」
「よかったん?」
「え?」
「ママって」
「呼ばれんかったけど」
私は。
少し考える。
そして。
笑った。
「うん」
「いい」
「……」
「だって」
涙を。
拭う。
「嫌いって」
「ちゃんと言ってくれたから」
「……」
「それって」
「私に」
「本音言ってくれたってことでしょ」
夫が。
少しだけ。
笑った。
「変わったな」
「またそれ?」
「前なら」
「めちゃくちゃ落ち込んどる」
「……うん」
私は。
苦笑した。
「今もちょっと」
「傷ついてるよ」
「そりゃそうか」
「うん」
「でも」
子どもが。
出ていった扉を見る。
「傷ついても」
「聞きたい」
「この子が」
「どう思ってたのか」
「ちゃんと」
「知りたい」
夫は。
しばらく。
何も言わなかった。
「……そういうとこ」
「何?」
「前から」
「変わらんな」
「どこ?」
「子どものことになると」
少し笑う。
「ちゃんと母親」
私は。
思わず。
笑った。
「当たり前でしょ」
◇◇◇
その夜。
陽向は。
私の顔を見るなり。
何も聞かず。
両腕を広げた。
「……」
私は。
少し笑った。
「何?」
「今日」
「抱っこいる顔」
「そんな顔ある?」
「ある」
私は。
素直に。
その胸へ。
入った。
ぎゅっと。
抱きしめられる。
「……ママって」
「うん」
「呼んでもらえなかった」
「そっか」
「嫌いって」
「言われた」
陽向の腕が。
少し。
強くなる。
「そっか」
「大嫌いって」
「うん」
「……ちょっと」
「うん」
「痛かった」
「そりゃ痛いよ」
その一言に。
涙が。
出た。
陽向は。
『本気じゃないよ』
とも。
『子どもなんだから仕方ない』
とも。
言わなかった。
痛かったね。
それだけ。
「でも」
私は。
陽向の胸で。
笑う。
「会いたかったって」
「言ってくれた」
「……」
「また会ってもいいって」
「……そっか」
陽向が。
嬉しそうに。
笑った。
「よかったじゃん」
「うん」
「今日」
「すごく」
「ママだったと思う」
「どうして?」
「ママって」
陽向が。
背中を撫でる。
「好かれるだけじゃないって」
「この前」
「言ってくれたでしょ」
「うん」
「今日」
「分かった」
私は。
少し。
陽向から離れる。
「子どもが」
「怒って」
「嫌いって言える場所でいるのも」
「ママなんだなって」
陽向が。
少し。
目を細める。
「うん」
「ずっと」
「いい子で」
「ママ大好きって」
「言わせることが」
「親子じゃないんだね」
「……」
「腹立ったなら」
「腹立ったって」
「言ってもらって」
「それでも」
胸に。
手を置く。
「大好きって」
「返せる人でいたい」
陽向が。
私を見る。
そして。
ぽつり。
「美月」
「何?」
「俺が」
「嫌いって言ったら?」
「え?」
「試しに」
「嫌」
「即答!?」
「陽向に言われたら普通に傷つく!」
「あはははっ!」
「笑わないで!」
いつもの。
大きな笑い声。
私も。
笑った。
◇◇◇
そのとき。
スマートフォンが。
震えた。
夫。
私は。
陽向の隣で。
メッセージを開いた。
『さっき』
続けて。
『あの子が、寝る前に言っとった』
胸が。
ざわつく。
『顔違うけど、やっぱりママかもしれんって』
「……」
涙が。
一気に。
溢れた。
陽向が。
画面を見る。
「美月」
「うん」
さらに。
もう一通。
『次会ったら、もう少し話したいって』
私は。
口元を。
手で押さえた。
今日。
ママって。
呼んでもらえなくても。
ちゃんと。
届いていた。
「……よかった」
陽向が。
頭を。
撫でてくれる。
「うん」
「よかった」
私は。
何度も。
頷いた。
そして。
その下。
さらに。
夫から。
届く。
『あと』
『一番小さい子が、今日その話を聞いとった』
指が。
止まる。
『ママに会う?って聞いたら』
次の文字。
読むのが。
怖い。
でも。
開く。
『「ママってなに?」って聞かれた』
「……」
胸が。
止まった。
陽向も。
何も言わない。
一番小さい子。
やっぱり。
覚えていない。
私は。
自分が。
思っていた以上に。
その言葉に。
傷ついていた。
「……そっか」
声が。
震える。
「ママって」
「何かも」
「分かんないんだ」
陽向の手が。
私の背中へ。
触れる。
私は。
唇を噛んだ。
泣かない。
そう。
思った。
でも。
無理だった。
涙が。
落ちる。
だって。
あの子を。
抱いた。
生まれた日。
毎日。
抱っこした。
泣いたら。
あやした。
眠った顔を。
何度も。
見た。
私にとっては。
全部。
昨日みたいなのに。
あの子にとって。
私は。
もう。
『ママ』という言葉すら。
記憶の中に。
残っていないのかもしれない。
「……陽向」
「うん」
「これ」
声が。
崩れる。
「一番」
「怖かったやつ」
陽向は。
何も。
否定しなかった。
ただ。
私を。
抱きしめた。
「……うん」
そして。
私は。
まだ知らなかった。
一番小さな子との再会が。
これまでの。
どの再会とも違う。
『ママを思い出してもらう時間』
ではなく。
――もう一度。
――私をママとして知ってもらう時間。
になることを。
『もう一人が会ってみたいって言っとる』
そう連絡が来たのは。
前の子と会った。
その日の夜だった。
一人ずつ。
少しずつ。
子どもたちが。
私のところへ。
戻ってきてくれている。
星。
そして。
長男の湊。
三男。
でも。
今度の再会は。
今までとは。
少し違った。
◇◇◇
「会いたいって」
「自分から言ったんだよね?」
陽向に聞くと。
「うん」
私は。
スマートフォンを見ながら。
頷いた。
「でも」
「?」
「夫から」
届いたメッセージ。
もう一度。
読む。
『会ってみたいとは言っとるけど、かなり怒っとる』
「……怒ってる?」
陽向が。
隣から。
画面を見る。
「うん」
「美月に?」
「たぶん」
胸が。
きゅっと。
縮む。
『本当にママなら、何で今まで来なかったのか聞きたいらしい』
「……そっか」
陽向が。
静かに言った。
私は。
自分の指を。
握る。
「当然だよね」
「うん」
「私」
「子どもたちからしたら」
「突然いなくなったんだもん」
「……」
「死んだから」
「仕方ないって」
「頭では分かってても」
「うん」
「寂しかったとか」
「腹立ったとか」
「そういう気持ち」
「あるよね」
陽向は。
すぐには。
何も言わなかった。
それから。
私の手を。
そっと握る。
「あると思う」
「……うん」
「だから」
「?」
「ちゃんと」
陽向が。
私を見る。
「怒られてきな」
「……」
思わず。
顔を上げた。
「そこ?」
「だって」
「会いたいんでしょ?」
「うん」
「なら」
「ママって呼んでもらうことだけが」
「再会じゃないと思う」
胸が。
少し。
揺れた。
「怒りたいなら」
「怒ってもらえばいい」
「……」
「美月も」
「言いたいこと」
「ちゃんと言えばいい」
「うん」
「謝るだけじゃなくて」
「……」
さすが。
分かってる。
私は。
苦笑した。
「また全部」
「私が悪かったみたいに」
「なりそうだった」
「でしょ?」
「うん」
陽向が。
少し笑う。
「美月」
「何?」
「ママって」
「子どもに好かれるだけの役じゃないだろ」
「……」
「怒られるのも」
「嫌いって言われるのも」
「それでも」
「その子のママなんじゃない?」
胸の奥。
じわっと。
熱くなる。
「……うん」
私は。
頷いた。
「行ってくる」
◇◇◇
待ち合わせの日。
夫の隣にいたその子は。
私を見るなり。
顔を。
逸らした。
「……」
こんにちは。
と。
言おうとして。
やめた。
今日は。
無理に。
取り繕わなくてもいい気がした。
私は。
少し離れた場所に座る。
その子も。
夫の隣。
私の正面には。
座らなかった。
「……」
沈黙。
長い。
夫も。
今日は。
ほとんど。
口を挟まない。
その子自身が。
話すのを。
待っている。
やがて。
小さな声。
「……ママじゃない」
胸が。
痛んだ。
でも。
私は。
頷いた。
「そう思うよね」
「顔違うし」
「うん」
「知らん人やし」
「うん」
「テレビ出とる人やし」
「うん」
「なのに」
その子が。
初めて。
私を見る。
目。
怒っている。
でも。
その奥が。
泣いている。
「なんで」
「ママって言うん?」
「……」
私は。
一度。
息を吸った。
「私が」
胸に。
手を当てる。
「高瀬美月だから」
「知らん」
「うん」
「そんなの」
「信じれん」
「うん」
「じゃあ」
声が。
少し。
大きくなる。
「ママなら!」
夫が。
少し。
身体を動かす。
でも。
止めない。
「ママなら!」
涙が。
その子の目に。
一気に溜まった。
「なんで」
「……」
「なんで死んだん!」
息が。
止まった。
「なんで」
拳を。
ぎゅっと。
握る。
「勝手に」
「おらんくなったん!」
胸を。
強く。
叩かれたようだった。
「なんで!」
「……」
「ずっと」
「待っとったのに!」
涙が。
ぼろぼろ。
落ちる。
「帰ってくるって」
「思っとったのに!」
「……うん」
「みんな」
「もう帰ってこんって」
「言うし!」
「うん」
「写真しか」
声が。
崩れる。
「なくなったし!」
「……」
「ママに」
唇を。
噛む。
「言いたいこと」
「いっぱいあったのに!」
私は。
何も。
言わなかった。
ただ。
聞いた。
「学校で」
「嫌なことあった日も!」
「うん」
「できるようになったことも!」
「うん」
「見てほしかったのに!」
「……うん」
「なのに!」
その子は。
泣きながら。
私を睨んだ。
「今さら」
「別の顔で」
「ママって言われても!」
「分からん!」
「……うん」
「分からんよ!」
静かな部屋に。
泣き声だけが。
響いた。
私は。
自分の涙を。
拭わなかった。
だって。
今。
泣きたいのは。
この子。
私は。
ゆっくり。
言った。
「寂しかったね」
その子の顔が。
さらに。
歪む。
「……っ」
「腹立ったよね」
「……」
「何でママだけ」
「いなくなるんって」
「思ったよね」
「……うん」
小さな。
返事。
「ごめんって」
私は。
言いかけて。
止まった。
事故で。
死んだことを。
謝るのは。
違う。
この子が。
欲しいのは。
きっと。
謝罪じゃない。
「ママも」
私は。
胸に手を置く。
「帰りたかった」
「……」
「本当に」
「ずっと」
「帰りたかった」
その子が。
私を見る。
「だったら」
「うん」
「帰ってきたら」
「よかったやん」
「……」
「うん」
涙が。
頬を伝う。
「できるなら」
「そうしたかった」
私は。
自分の顔に。
触れる。
「でも」
「目が覚めたら」
「この顔だった」
「……」
「自分の身体は」
「もう」
言葉にするのが。
今でも。
少し苦しい。
「死んでた」
その子が。
黙る。
「ママも」
「最初」
「分からなかった」
「何で」
「自分が生きてるのに」
「死んだって言われてるのか」
「分からなかった」
「……」
「家に」
「行きたかった」
「うん」
「みんなのところに」
「帰りたかった」
涙が。
止まらない。
「でも」
「この顔で」
「ママだよって言って」
「怖がられたらどうしようって」
「……」
「信じてもらえなかったら」
声が。
震える。
「本当に」
「もう二度と」
「みんなのママでいられなくなる気がして」
「……」
「怖かった」
その子が。
私を。
じっと見ている。
「でも」
私は。
続けた。
「それは」
「ママが」
「怖かったっていう話」
「……」
「あなたが」
「寂しかったこととは」
「別」
「……」
「だから」
私は。
正面から。
その子を見る。
「怒っていいよ」
目が。
大きくなる。
「何で来なかったんって」
「怒っていい」
「……」
「寂しかったって」
「言っていい」
「……」
「ママなんか嫌いって」
喉が。
詰まりそうになる。
それでも。
言った。
「思ったなら」
「それも」
「言っていいよ」
「……」
しばらく。
何も。
言わない。
そして。
小さく。
「……嫌い」
胸が。
痛んだ。
でも。
逃げない。
「うん」
「ママなんか」
涙を。
ぼろぼろ。
流しながら。
「嫌い」
「うん」
「勝手に」
「おらんくなったから」
「うん」
「嫌いや」
「……うん」
私は。
頷いた。
「それでも」
一度。
息を吸う。
「ママは」
「あなたが大好き」
「……っ」
「嫌いって言われても」
「大好き」
その子の。
顔が。
崩れた。
「……ずるい」
「うん」
「ずるい!」
「うん」
「そんなの」
声を上げて。
泣く。
「嫌いって」
「言えんくなるやん!」
私は。
泣きながら。
少しだけ。
笑った。
「言っていいよ」
「嫌い!」
「うん」
「……大嫌い!」
「うん」
「でも!」
「うん」
息を。
しゃくり上げながら。
その子が。
言った。
「会いたかった!」
その言葉。
胸の奥に。
真っ直ぐ。
刺さった。
「……うん」
「僕も!」
「うん」
「ずっと!」
「うん」
「ママに!」
涙で。
顔が。
ぐしゃぐしゃ。
「会いたかった!」
「ママも」
私は。
もう。
堪えられなかった。
「ずっと」
「会いたかったよ」
◇◇◇
でも。
その子は。
抱きついてこなかった。
私も。
動かなかった。
今は。
それでいい。
ママって。
呼んでもらえなくても。
抱きしめられなくても。
この子が。
本当の気持ちを。
私にぶつけてくれた。
それだけで。
十分。
しばらくして。
その子が。
鼻をすすりながら。
言った。
「……ほんまに」
「うん?」
「ママ?」
「うん」
「証拠」
「聞きたい?」
「……うん」
私は。
少し笑った。
「何聞く?」
その子は。
しばらく。
考えた。
そして。
「僕が」
「うん」
「昔」
少し。
顔を赤くする。
「こっそり」
「冷蔵庫に入っとった」
「プリン食べたとき」
「……」
私は。
思わず。
吹き出しそうになった。
覚えてる。
「夜中?」
その子の目が。
大きくなる。
「……うん」
「ママ」
「次の日」
「誰食べたのって」
「聞いた」
「……」
「みんな」
「知らんって言って」
「……」
「でも」
私は。
少し。
眉を上げる。
「あなた」
「スプーン」
「自分の机の上に」
「置きっぱなしだった」
「……」
夫が。
吹き出した。
「そんなバレ方しとったん」
「パパ知らんかったん?」
その子も。
思わず。
夫を見る。
「知らん」
「ママ」
私は。
笑う。
「怒らなかった」
「……うん」
「でも」
「次から」
「食べたいなら言いなって」
「言った」
「……」
「それから」
私は。
指を立てる。
「名前書いてあるやつは」
「勝手に食べない」
「……」
その子が。
口元を。
押さえた。
「それ」
「うん」
「ほんまに」
目から。
また。
涙。
「ママしか知らん」
「うん」
「だって」
少し。
笑う。
「ママだもん」
今度は。
『知らない』
とは。
言われなかった。
◇◇◇
帰る時間。
その子は。
最後まで。
私を。
ママとは。
呼ばなかった。
でも。
席を立って。
数歩。
歩いたあと。
振り返った。
「……次」
「うん?」
「また」
少し。
目を逸らす。
「会ってもいい」
胸が。
いっぱいになる。
でも。
飛びつかない。
「うん」
私は。
笑った。
「会おう」
「……」
「いつでも」
言いかける。
違う。
私は。
少し笑う。
「会いたくなったら」
「教えて」
「うん」
その子が。
一度。
頷く。
そして。
小さく。
「……じゃあ」
「うん」
「また」
「またね」
ドアの向こうへ。
消えていく。
夫だけが。
少し。
その場に残った。
「……美月」
「何?」
「よかったん?」
「え?」
「ママって」
「呼ばれんかったけど」
私は。
少し考える。
そして。
笑った。
「うん」
「いい」
「……」
「だって」
涙を。
拭う。
「嫌いって」
「ちゃんと言ってくれたから」
「……」
「それって」
「私に」
「本音言ってくれたってことでしょ」
夫が。
少しだけ。
笑った。
「変わったな」
「またそれ?」
「前なら」
「めちゃくちゃ落ち込んどる」
「……うん」
私は。
苦笑した。
「今もちょっと」
「傷ついてるよ」
「そりゃそうか」
「うん」
「でも」
子どもが。
出ていった扉を見る。
「傷ついても」
「聞きたい」
「この子が」
「どう思ってたのか」
「ちゃんと」
「知りたい」
夫は。
しばらく。
何も言わなかった。
「……そういうとこ」
「何?」
「前から」
「変わらんな」
「どこ?」
「子どものことになると」
少し笑う。
「ちゃんと母親」
私は。
思わず。
笑った。
「当たり前でしょ」
◇◇◇
その夜。
陽向は。
私の顔を見るなり。
何も聞かず。
両腕を広げた。
「……」
私は。
少し笑った。
「何?」
「今日」
「抱っこいる顔」
「そんな顔ある?」
「ある」
私は。
素直に。
その胸へ。
入った。
ぎゅっと。
抱きしめられる。
「……ママって」
「うん」
「呼んでもらえなかった」
「そっか」
「嫌いって」
「言われた」
陽向の腕が。
少し。
強くなる。
「そっか」
「大嫌いって」
「うん」
「……ちょっと」
「うん」
「痛かった」
「そりゃ痛いよ」
その一言に。
涙が。
出た。
陽向は。
『本気じゃないよ』
とも。
『子どもなんだから仕方ない』
とも。
言わなかった。
痛かったね。
それだけ。
「でも」
私は。
陽向の胸で。
笑う。
「会いたかったって」
「言ってくれた」
「……」
「また会ってもいいって」
「……そっか」
陽向が。
嬉しそうに。
笑った。
「よかったじゃん」
「うん」
「今日」
「すごく」
「ママだったと思う」
「どうして?」
「ママって」
陽向が。
背中を撫でる。
「好かれるだけじゃないって」
「この前」
「言ってくれたでしょ」
「うん」
「今日」
「分かった」
私は。
少し。
陽向から離れる。
「子どもが」
「怒って」
「嫌いって言える場所でいるのも」
「ママなんだなって」
陽向が。
少し。
目を細める。
「うん」
「ずっと」
「いい子で」
「ママ大好きって」
「言わせることが」
「親子じゃないんだね」
「……」
「腹立ったなら」
「腹立ったって」
「言ってもらって」
「それでも」
胸に。
手を置く。
「大好きって」
「返せる人でいたい」
陽向が。
私を見る。
そして。
ぽつり。
「美月」
「何?」
「俺が」
「嫌いって言ったら?」
「え?」
「試しに」
「嫌」
「即答!?」
「陽向に言われたら普通に傷つく!」
「あはははっ!」
「笑わないで!」
いつもの。
大きな笑い声。
私も。
笑った。
◇◇◇
そのとき。
スマートフォンが。
震えた。
夫。
私は。
陽向の隣で。
メッセージを開いた。
『さっき』
続けて。
『あの子が、寝る前に言っとった』
胸が。
ざわつく。
『顔違うけど、やっぱりママかもしれんって』
「……」
涙が。
一気に。
溢れた。
陽向が。
画面を見る。
「美月」
「うん」
さらに。
もう一通。
『次会ったら、もう少し話したいって』
私は。
口元を。
手で押さえた。
今日。
ママって。
呼んでもらえなくても。
ちゃんと。
届いていた。
「……よかった」
陽向が。
頭を。
撫でてくれる。
「うん」
「よかった」
私は。
何度も。
頷いた。
そして。
その下。
さらに。
夫から。
届く。
『あと』
『一番小さい子が、今日その話を聞いとった』
指が。
止まる。
『ママに会う?って聞いたら』
次の文字。
読むのが。
怖い。
でも。
開く。
『「ママってなに?」って聞かれた』
「……」
胸が。
止まった。
陽向も。
何も言わない。
一番小さい子。
やっぱり。
覚えていない。
私は。
自分が。
思っていた以上に。
その言葉に。
傷ついていた。
「……そっか」
声が。
震える。
「ママって」
「何かも」
「分かんないんだ」
陽向の手が。
私の背中へ。
触れる。
私は。
唇を噛んだ。
泣かない。
そう。
思った。
でも。
無理だった。
涙が。
落ちる。
だって。
あの子を。
抱いた。
生まれた日。
毎日。
抱っこした。
泣いたら。
あやした。
眠った顔を。
何度も。
見た。
私にとっては。
全部。
昨日みたいなのに。
あの子にとって。
私は。
もう。
『ママ』という言葉すら。
記憶の中に。
残っていないのかもしれない。
「……陽向」
「うん」
「これ」
声が。
崩れる。
「一番」
「怖かったやつ」
陽向は。
何も。
否定しなかった。
ただ。
私を。
抱きしめた。
「……うん」
そして。
私は。
まだ知らなかった。
一番小さな子との再会が。
これまでの。
どの再会とも違う。
『ママを思い出してもらう時間』
ではなく。
――もう一度。
――私をママとして知ってもらう時間。
になることを。



