「一ノ瀬さん」
撮影が終わったあと。
星に。
呼び止められた。
「ん?」
振り返る。
いつものように。
笑っている。
でも。
今日は。
少し違った。
何かを。
決めたような顔。
「今日」
星が。
少しだけ。
周りを気にする。
「このあと」
「時間ありますか?」
「……あるよ」
「二人で」
一度。
唇を噛む。
「話したいことがあるんです」
胸が。
ざわついた。
「分かった」
私は。
頷いた。
◇◇◇
スタジオ近くの。
個室のあるカフェ。
向かい側に。
星が座っている。
私の前には。
ブラックコーヒー。
星の前には。
ミルクたっぷりの。
カフェラテ。
「……」
「……」
さっきから。
星は。
何も言わない。
ストローを。
触ったり。
スマートフォンを。
伏せたり。
また。
私を見たり。
「星ちゃん?」
呼ぶと。
びくっと。
肩が揺れた。
「はい」
「話したいことって?」
「……」
星が。
私を見る。
まっすぐ。
その目。
何度も。
見てきた。
嘘をついているとき。
迷っているとき。
言いたいことがあるのに。
言えないとき。
昔から。
分かりやすい。
私は。
思わず。
言ってしまう。
「ゆっくりでいいよ」
「……っ」
星の目が。
大きくなった。
「急がなくていいから」
「……」
「言えるところからでいいよ」
星が。
俯いた。
そして。
小さく。
笑った。
「まただ」
「え?」
「それ」
胸が。
跳ねる。
「ママも」
星が。
顔を上げる。
「私が言いにくそうにしてると」
「同じこと言ってました」
「……」
私は。
何も言えなかった。
星は。
バッグから。
スマートフォンを取り出す。
そして。
一枚の写真を。
私に見せた。
前に。
三人で撮った写真。
陽向。
星。
私。
「これ」
「うん」
「家で」
「何回も見たんです」
「……」
「それで」
星は。
画面を。
指で動かす。
今度は。
古い写真。
高瀬美月。
前の私。
星と。
並んでいる。
「ママです」
「……うん」
初めて見るふりを。
するべきなのに。
できなかった。
懐かしい。
その写真。
覚えている。
星が。
何度も。
撮り直した日。
『ママ、目つぶってる!』
『もう一回!』
そう言われて。
三回くらい。
撮った。
「似てないですよね」
星が。
言った。
「顔」
「……うん」
「一ノ瀬さんと」
「ママ」
「全然違う」
「うん」
「なのに」
星の声が。
震える。
「なんで」
「……」
「なんでこんなに」
涙が。
星の目に。
溜まっていく。
「同じなんですか?」
「……星ちゃん」
「笑うとき」
「ちょっと右向くのも」
「……」
「考えてるとき」
「唇触るのも」
「……」
「私がちゃんとご飯食べたか」
「すぐ聞くのも」
全部。
私。
「陽向くんを見てるときの顔も」
「……」
「私が困ってると」
「先に気づくのも」
涙が。
星の頬を。
伝った。
「それに」
声が。
崩れる。
「一ノ瀬さん」
「私のこと」
「初めて会った人みたいに」
「見てない」
「……」
もう。
何も。
言えなかった。
「ずっと」
星が。
自分の胸を押さえる。
「ずっと変なんです」
「紗良さんといると」
「ここが」
「ママだって」
「言ってるみたいで」
胸が。
苦しい。
嬉しい。
怖い。
全部。
一緒に。
押し寄せる。
「でも」
星が。
泣きながら。
首を振る。
「そんなわけないし」
「ママは死んだし」
「一ノ瀬さんは」
「一ノ瀬さんだし」
「……」
「だから」
何度も。
涙を拭う。
「こんなこと言ったら」
「変な子だと思われるって」
「ずっと」
「言わないようにしてた」
「……うん」
「でも」
星が。
私を見る。
「もう」
真っ直ぐ。
私を見る。
「聞いてもいいですか?」
心臓が。
痛いほど。
鳴る。
「……うん」
声が。
ほとんど。
出なかった。
星は。
震える唇で。
言った。
「あなた」
「……」
「本当に」
一度。
息を吸う。
「誰なんですか?」
◇◇◇
言えない。
ずっと。
そう思っていた。
信じてもらえるわけがない。
混乱させるだけ。
星の人生を。
壊すかもしれない。
私は。
母親として。
黙っていたほうがいい。
また。
それ。
私は。
星のためにと。
勝手に。
決めようとしている。
陽向の声が。
頭に浮かんだ。
――なんで一人で全部決めんだよ。
――美月がどうしたいかは?
私は。
どうしたい?
「……」
言いたい。
ずっと。
言いたかった。
星に。
抱きしめて。
伝えたかった。
ママだよ。
ここにいるよ。
ずっと。
大好きだよ。
でも。
怖い。
もし。
拒絶されたら?
そんなわけないって。
言われたら?
私は。
もう一度。
娘を。
失うことになる。
「紗良さん?」
星が。
不安そうに。
私を見る。
その顔を見て。
気づいた。
この子も。
怖いんだ。
私だけじゃない。
なら。
逃げちゃいけない。
私は。
震える手を。
テーブルの上に置いた。
「星ちゃん」
「……はい」
「信じられないと思う」
星が。
息を止める。
「私自身」
「今でも」
「全部説明できるわけじゃない」
「……」
「でも」
胸に。
手を置く。
「一ノ瀬紗良さんが」
「事故に遭った日」
「……はい」
「同じ日に」
「高瀬美月も」
「事故に遭った」
星の顔が。
固まる。
「……」
「そして」
涙が。
溢れる。
「私は」
言う。
言ってしまったら。
もう。
戻れない。
それでも。
「病院で」
「一ノ瀬紗良の身体で」
「目を覚ました」
「……え?」
星の顔から。
表情が消える。
「中にいたのは」
声が。
震える。
「紗良さんじゃなくて」
「……」
私は。
星を見る。
娘を見る。
「高瀬美月だった」
「……」
長い。
沈黙。
星は。
瞬きも。
しなかった。
「……何」
やっと。
声が出る。
「言ってるんですか?」
「うん」
「だって」
星の声が。
大きくなる。
「そんなの」
「うん」
「ありえないじゃないですか」
「うん」
「ママは」
涙が。
次々。
落ちる。
「ママは死んだんです」
「……うん」
「お葬式も」
「……」
「ちゃんと」
「……うん」
「私」
星が。
口元を押さえる。
「見たんですよ」
胸が。
引き裂かれそうになる。
「……ごめんね」
「謝らないで!」
星が。
初めて。
強い声を出した。
私は。
口を閉じる。
「じゃあ」
星が。
泣きながら。
私を見る。
「証拠は?」
「……」
「あなたが」
「ママだって」
「どうやって信じればいいの?」
当然。
だと思う。
私は。
少し考える。
何を言えば。
証明できる?
家族しか。
知らないこと。
いや。
誰かから聞いたと。
思われるかもしれない。
私は。
星を見る。
そして。
ふと。
思い出した。
「……星」
初めて。
ちゃんと。
呼び捨てで。
呼んだ。
星の肩が。
揺れる。
「覚えてる?」
「……何を」
「小さい頃」
「眠れない夜」
「ママの布団に」
「よく入ってきたでしょ」
星の目が。
少し。
揺れる。
「そのとき」
「私が」
声が。
震える。
「星の背中」
「三回」
「トントントンってして」
「……」
「『おやすみ、私のお星さま』って」
星が。
固まった。
「……」
「言ってた」
星の口が。
少し開く。
「それ……」
「うん」
「誰にも」
「言ってない」
「知ってる」
「パパにも」
「うん」
「弟たちにも」
「言ってない」
「うん」
星の呼吸が。
速くなる。
「だって」
私は。
泣きながら。
笑う。
「二人だけの」
「おやすみの合図だったから」
「……」
星。
幼い頃。
夜中。
怖い夢を見て。
私の布団へ。
入ってきた。
私は。
背中を。
三回。
優しく叩いた。
『おやすみ、私のお星さま』
そうすると。
星は。
いつも。
安心したように。
目を閉じた。
「……ママ」
小さな声。
私の呼吸が。
止まった。
星が。
震える。
「もう一回」
「……え?」
「もう一回」
泣きながら。
言った。
「言って」
私は。
椅子から。
立ち上がった。
星のそばへ。
行く。
でも。
勝手に。
触れない。
「……触ってもいい?」
星が。
泣きながら。
何度も。
頷いた。
私は。
震える手で。
星の背中へ。
触れた。
一回。
トン。
二回。
トン。
三回。
トン。
そして。
言う。
「おやすみ」
涙が。
止まらない。
「私のお星さま」
「……っ!」
次の瞬間。
星が。
私に。
抱きついた。
「ママ……!」
「……星」
「ママ!」
私は。
娘を。
抱きしめた。
ずっと。
ずっと。
したかった。
強く。
抱きしめる。
「ママ!」
「うん」
「ママなの?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
泣いて。
笑って。
何度も。
頷く。
「ママだよ」
「星」
「ママだよ」
「……っ」
星の手が。
私の服を。
強く掴む。
「どこにいたの!」
胸が。
痛い。
「ごめん」
「ずっと」
「会いたかった!」
「うん」
「私も」
「何で」
「何で言ってくれなかったの!」
「怖かった」
正直に。
言った。
「星を」
「混乱させるのが」
「怖かった」
「……」
「信じてもらえないのも」
「怖かった」
「でも」
私は。
娘の髪を。
撫でる。
今度は。
我慢しない。
何度も。
何度も。
「ずっと」
「会いたかった」
「……」
「抱きしめたかった」
「……」
「大好きって」
涙が。
落ちる。
「言いたかった」
星が。
声を上げて。
泣いた。
私も。
泣いた。
周りなんて。
もう。
どうでもよかった。
失ったと思っていた。
娘。
戻れないと思っていた。
母親と娘の時間。
全部が。
元に戻るわけじゃない。
私は。
高瀬美月の顔には。
戻れない。
あの家にも。
以前と同じようには。
戻れない。
でも。
「……ただいま」
私は。
星の耳元で。
言った。
星の身体が。
ぴくっと揺れる。
そして。
泣きながら。
笑った。
「……おかえり」
その言葉を。
聞いた瞬間。
私は。
もう。
何も。
いらないと思った。
◇◇◇
それから。
私は。
星に。
話せることを。
少しずつ話した。
事故。
紗良の身体で。
目覚めたこと。
陽向が。
最初に。
そばにいたこと。
自分が。
高瀬美月だと。
信じてもらえるまでのこと。
紗良の記憶。
そして。
星を。
遠くから。
一度見たこと。
「……あの日」
星が。
目を見開く。
「やっぱり」
「え?」
「ママだったんだ」
「分かったの?」
「分かんなかった」
星は。
首を振る。
「でも」
胸を押さえる。
「何か」
「見られてるって思った」
「……」
「すごく」
少し。
笑う。
「懐かしい目だった」
涙が。
また。
滲んだ。
親子って。
すごい。
本当に。
顔だけじゃないんだ。
◇◇◇
「じゃあ」
星が。
少しして。
急に。
真顔になる。
「陽向くんは?」
「え?」
「知ってるの?」
「うん」
「いつから?」
「最初から」
「えっ!?」
「いや」
私は。
慌てて訂正する。
「美月だって信じてくれたのは」
「途中から」
「……」
星が。
じっと。
私を見る。
嫌な予感。
「で」
「何?」
「ママ」
「うん」
「陽向くんと」
「……」
「付き合ってる?」
「……」
沈黙。
星の目が。
どんどん。
大きくなる。
「ママ?」
「……はい」
「えええええええええ!?」
個室。
とはいえ。
さすがに。
声が大きい。
「星! 声!」
「だって!」
「ちょっと!」
「ママ!」
「はい!」
「陽向くんと付き合ってるの!?」
「……うん」
「最推しと!?」
「……うん」
「何それ!」
「私もそう思う!」
星が。
頭を抱える。
「待って!」
「うん」
「じゃあ」
「この前」
「三人で写真撮ったとき」
「うん」
「ママと」
「ママの彼氏と」
「私!?」
「……そうなります」
「無理!」
「何が!?」
「情報量!」
どこかで。
聞いた言葉。
思わず。
笑ってしまう。
陽向も。
同じこと言ってた。
「何笑ってるの!」
「陽向も」
「同じ反応したから」
「……」
星が。
固まる。
「陽向くん」
「うん」
「私のこと」
「何て?」
私は。
少し笑う。
「会いたいって」
「え?」
「美月の大事な娘だから」
「ちゃんと知りたいって」
「……」
星の顔が。
一瞬で。
真っ赤になる。
「無理」
「また?」
「今度会えない」
「何で?」
「推しが」
「ママの彼氏として来るんでしょ!?」
「……まあ」
「無理!」
私は。
とうとう。
声を上げて。
笑った。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ来た。
玄関を開けた瞬間。
私の顔を見て。
気づく。
「何かあった?」
「……うん」
「悪いこと?」
私は。
首を振った。
「いいこと」
陽向が。
少し。
安心したように。
笑う。
「何?」
私は。
言った。
「星に」
「うん」
一度。
息を吸う。
「本当のこと」
陽向の目が。
大きくなる。
「……言った」
「……」
「星」
「分かってくれた」
「……マジ?」
「うん」
「私のこと」
涙が。
また。
少し。
滲む。
「ママって」
「呼んでくれた」
陽向が。
何も言わない。
ただ。
ゆっくり。
私のところへ来て。
腕を。
広げた。
私は。
その胸へ。
飛び込んだ。
「よかったな」
「……うん」
「本当に」
「うん」
「よかった」
陽向の声も。
少し。
震えている。
「ただいまって」
「言えた」
「……うん」
「おかえりって」
「言ってくれた」
陽向の腕が。
強くなる。
「美月」
「何?」
「よく頑張ったな」
その言葉に。
涙が。
また。
溢れた。
「……頑張った」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「でも」
顔を上げる。
「言ってよかった」
陽向が。
笑う。
「うん」
◇◇◇
少しして。
私は。
陽向へ。
笑いながら言った。
「星」
「うん」
「陽向が私の彼氏だって知った」
「……」
陽向。
固まる。
「……え?」
「言った」
「美月」
「何?」
「俺」
顔を覆う。
「次会えない」
「星と同じこと言ってる」
「何で!?」
「星も」
「推しがママの彼氏として来るの無理って」
陽向が。
顔を上げる。
「待って」
「うん」
「俺も」
「彼女の娘で」
「俺のファンの子に」
「彼氏として会うの」
「だいぶ無理」
「情報量?」
「多すぎる!」
二人で。
笑った。
こんな日が。
来るなんて。
本当に。
思わなかった。
◇◇◇
陽向が。
帰る前。
玄関。
私は。
その手を。
握った。
「陽向」
「ん?」
「私ね」
「うん」
「一回目の人生」
少し。
笑う。
「幸せじゃなかったわけじゃない」
「うん」
「子どもたちがいて」
「家族がいて」
「楽しいことも」
「いっぱいあった」
「……うん」
「でも」
ずっと。
足りなかった。
自分自身を。
大切にすること。
自分の気持ちを。
誰かに。
聞いてもらうこと。
「二回目は」
私は。
陽向を見る。
「自分も」
「ちゃんと大切にしたい」
陽向が。
笑う。
「うん」
「星のママで」
「うん」
「五人の子どものママで」
「うん」
「一ノ瀬紗良として仕事して」
「うん」
「陽向の彼女で」
「それ重要」
「はいはい」
「あと」
陽向が。
私の手を。
恋人繋ぎにする。
「高瀬美月」
「……うん」
「それが一番最初」
胸が。
温かくなる。
「うん」
私は。
頷いた。
「高瀬美月」
もう。
迷わない。
この顔が。
誰のものだったとしても。
過去に。
どんな人生があったとしても。
今。
選んで。
生きているのは。
私。
「陽向」
「何?」
「これからも」
「うん」
「よろしくお願いします」
「急に何」
笑いながら。
陽向が。
少し考える。
そして。
私の額に。
軽く。
キスをした。
「こちらこそ」
「……」
「これから」
少し笑う。
「同じ時間」
「いっぱい作ろ」
胸が。
きゅっとなる。
「うん」
「今までの三十四年は」
陽向が。
言った。
「全然違う人生だったけど」
「……うん」
「これからは」
指を。
強く絡める。
「一緒に生きよ」
涙が。
滲む。
でも。
今度は。
悲しくない。
「うん」
私は。
笑った。
「一緒に生きたい」
◇◇◇
私は。
一度。
人生を終えた。
妻で。
母親で。
誰かの嫁で。
いつの間にか。
『私』を。
小さくしていた人生。
そして。
目を覚ましたら。
最推しアイドルの。
腕の中だった。
最初は。
夢だと思った。
次に。
罰だと思った。
誰かの身体を。
奪ってしまったのだと。
でも。
違った。
これは。
誰かになるための。
二度目の人生じゃない。
高瀬美月が。
高瀬美月として。
もう一度。
生きるための人生だった。
子どもを。
愛していい。
過去を。
忘れなくていい。
紗良を。
大切にしていい。
陽向を。
好きでいていい。
そして。
私自身も。
幸せになっていい。
スマートフォンが。
震える。
星から。
メッセージ。
『ママ』
その二文字だけで。
涙が。
出そうになる。
続けて。
『今度、陽向くんと3人でご飯行きたい』
私は。
笑った。
すぐに。
陽向へ転送する。
数秒後。
『無理緊張する』
トップアイドルなのに。
『星も同じこと言ってるよ』
『じゃあお互い様だな』
『いつにする?』
少しして。
『美月が決めて』
私は。
指を止める。
以前なら。
みんなの都合を。
先に考えた。
誰かが嫌じゃないかな。
迷惑じゃないかな。
そう考えて。
自分の希望を。
後回しにした。
でも。
今は。
まず。
自分に聞く。
私は。
いつがいい?
どうしたい?
答えは。
すぐに出た。
『早く会いたいから、今週がいい』
送信。
陽向から。
『了解』
星から。
『やった!』
二つの返信を見て。
私は。
笑った。
これでいい。
誰かのためだけじゃなく。
私も。
ちゃんと。
この人生を。
楽しんでいい。
「……幸せ」
声に出してみる。
今度は。
何の罪悪感もなかった。
私は。
高瀬美月。
五人の子どもの母親で。
人気女優・一ノ瀬紗良の身体で生きていて。
そして。
世界で一番大好きな人に。
愛されている。
二度目の人生。
今度こそ。
私は。
私を。
置いていかない。
撮影が終わったあと。
星に。
呼び止められた。
「ん?」
振り返る。
いつものように。
笑っている。
でも。
今日は。
少し違った。
何かを。
決めたような顔。
「今日」
星が。
少しだけ。
周りを気にする。
「このあと」
「時間ありますか?」
「……あるよ」
「二人で」
一度。
唇を噛む。
「話したいことがあるんです」
胸が。
ざわついた。
「分かった」
私は。
頷いた。
◇◇◇
スタジオ近くの。
個室のあるカフェ。
向かい側に。
星が座っている。
私の前には。
ブラックコーヒー。
星の前には。
ミルクたっぷりの。
カフェラテ。
「……」
「……」
さっきから。
星は。
何も言わない。
ストローを。
触ったり。
スマートフォンを。
伏せたり。
また。
私を見たり。
「星ちゃん?」
呼ぶと。
びくっと。
肩が揺れた。
「はい」
「話したいことって?」
「……」
星が。
私を見る。
まっすぐ。
その目。
何度も。
見てきた。
嘘をついているとき。
迷っているとき。
言いたいことがあるのに。
言えないとき。
昔から。
分かりやすい。
私は。
思わず。
言ってしまう。
「ゆっくりでいいよ」
「……っ」
星の目が。
大きくなった。
「急がなくていいから」
「……」
「言えるところからでいいよ」
星が。
俯いた。
そして。
小さく。
笑った。
「まただ」
「え?」
「それ」
胸が。
跳ねる。
「ママも」
星が。
顔を上げる。
「私が言いにくそうにしてると」
「同じこと言ってました」
「……」
私は。
何も言えなかった。
星は。
バッグから。
スマートフォンを取り出す。
そして。
一枚の写真を。
私に見せた。
前に。
三人で撮った写真。
陽向。
星。
私。
「これ」
「うん」
「家で」
「何回も見たんです」
「……」
「それで」
星は。
画面を。
指で動かす。
今度は。
古い写真。
高瀬美月。
前の私。
星と。
並んでいる。
「ママです」
「……うん」
初めて見るふりを。
するべきなのに。
できなかった。
懐かしい。
その写真。
覚えている。
星が。
何度も。
撮り直した日。
『ママ、目つぶってる!』
『もう一回!』
そう言われて。
三回くらい。
撮った。
「似てないですよね」
星が。
言った。
「顔」
「……うん」
「一ノ瀬さんと」
「ママ」
「全然違う」
「うん」
「なのに」
星の声が。
震える。
「なんで」
「……」
「なんでこんなに」
涙が。
星の目に。
溜まっていく。
「同じなんですか?」
「……星ちゃん」
「笑うとき」
「ちょっと右向くのも」
「……」
「考えてるとき」
「唇触るのも」
「……」
「私がちゃんとご飯食べたか」
「すぐ聞くのも」
全部。
私。
「陽向くんを見てるときの顔も」
「……」
「私が困ってると」
「先に気づくのも」
涙が。
星の頬を。
伝った。
「それに」
声が。
崩れる。
「一ノ瀬さん」
「私のこと」
「初めて会った人みたいに」
「見てない」
「……」
もう。
何も。
言えなかった。
「ずっと」
星が。
自分の胸を押さえる。
「ずっと変なんです」
「紗良さんといると」
「ここが」
「ママだって」
「言ってるみたいで」
胸が。
苦しい。
嬉しい。
怖い。
全部。
一緒に。
押し寄せる。
「でも」
星が。
泣きながら。
首を振る。
「そんなわけないし」
「ママは死んだし」
「一ノ瀬さんは」
「一ノ瀬さんだし」
「……」
「だから」
何度も。
涙を拭う。
「こんなこと言ったら」
「変な子だと思われるって」
「ずっと」
「言わないようにしてた」
「……うん」
「でも」
星が。
私を見る。
「もう」
真っ直ぐ。
私を見る。
「聞いてもいいですか?」
心臓が。
痛いほど。
鳴る。
「……うん」
声が。
ほとんど。
出なかった。
星は。
震える唇で。
言った。
「あなた」
「……」
「本当に」
一度。
息を吸う。
「誰なんですか?」
◇◇◇
言えない。
ずっと。
そう思っていた。
信じてもらえるわけがない。
混乱させるだけ。
星の人生を。
壊すかもしれない。
私は。
母親として。
黙っていたほうがいい。
また。
それ。
私は。
星のためにと。
勝手に。
決めようとしている。
陽向の声が。
頭に浮かんだ。
――なんで一人で全部決めんだよ。
――美月がどうしたいかは?
私は。
どうしたい?
「……」
言いたい。
ずっと。
言いたかった。
星に。
抱きしめて。
伝えたかった。
ママだよ。
ここにいるよ。
ずっと。
大好きだよ。
でも。
怖い。
もし。
拒絶されたら?
そんなわけないって。
言われたら?
私は。
もう一度。
娘を。
失うことになる。
「紗良さん?」
星が。
不安そうに。
私を見る。
その顔を見て。
気づいた。
この子も。
怖いんだ。
私だけじゃない。
なら。
逃げちゃいけない。
私は。
震える手を。
テーブルの上に置いた。
「星ちゃん」
「……はい」
「信じられないと思う」
星が。
息を止める。
「私自身」
「今でも」
「全部説明できるわけじゃない」
「……」
「でも」
胸に。
手を置く。
「一ノ瀬紗良さんが」
「事故に遭った日」
「……はい」
「同じ日に」
「高瀬美月も」
「事故に遭った」
星の顔が。
固まる。
「……」
「そして」
涙が。
溢れる。
「私は」
言う。
言ってしまったら。
もう。
戻れない。
それでも。
「病院で」
「一ノ瀬紗良の身体で」
「目を覚ました」
「……え?」
星の顔から。
表情が消える。
「中にいたのは」
声が。
震える。
「紗良さんじゃなくて」
「……」
私は。
星を見る。
娘を見る。
「高瀬美月だった」
「……」
長い。
沈黙。
星は。
瞬きも。
しなかった。
「……何」
やっと。
声が出る。
「言ってるんですか?」
「うん」
「だって」
星の声が。
大きくなる。
「そんなの」
「うん」
「ありえないじゃないですか」
「うん」
「ママは」
涙が。
次々。
落ちる。
「ママは死んだんです」
「……うん」
「お葬式も」
「……」
「ちゃんと」
「……うん」
「私」
星が。
口元を押さえる。
「見たんですよ」
胸が。
引き裂かれそうになる。
「……ごめんね」
「謝らないで!」
星が。
初めて。
強い声を出した。
私は。
口を閉じる。
「じゃあ」
星が。
泣きながら。
私を見る。
「証拠は?」
「……」
「あなたが」
「ママだって」
「どうやって信じればいいの?」
当然。
だと思う。
私は。
少し考える。
何を言えば。
証明できる?
家族しか。
知らないこと。
いや。
誰かから聞いたと。
思われるかもしれない。
私は。
星を見る。
そして。
ふと。
思い出した。
「……星」
初めて。
ちゃんと。
呼び捨てで。
呼んだ。
星の肩が。
揺れる。
「覚えてる?」
「……何を」
「小さい頃」
「眠れない夜」
「ママの布団に」
「よく入ってきたでしょ」
星の目が。
少し。
揺れる。
「そのとき」
「私が」
声が。
震える。
「星の背中」
「三回」
「トントントンってして」
「……」
「『おやすみ、私のお星さま』って」
星が。
固まった。
「……」
「言ってた」
星の口が。
少し開く。
「それ……」
「うん」
「誰にも」
「言ってない」
「知ってる」
「パパにも」
「うん」
「弟たちにも」
「言ってない」
「うん」
星の呼吸が。
速くなる。
「だって」
私は。
泣きながら。
笑う。
「二人だけの」
「おやすみの合図だったから」
「……」
星。
幼い頃。
夜中。
怖い夢を見て。
私の布団へ。
入ってきた。
私は。
背中を。
三回。
優しく叩いた。
『おやすみ、私のお星さま』
そうすると。
星は。
いつも。
安心したように。
目を閉じた。
「……ママ」
小さな声。
私の呼吸が。
止まった。
星が。
震える。
「もう一回」
「……え?」
「もう一回」
泣きながら。
言った。
「言って」
私は。
椅子から。
立ち上がった。
星のそばへ。
行く。
でも。
勝手に。
触れない。
「……触ってもいい?」
星が。
泣きながら。
何度も。
頷いた。
私は。
震える手で。
星の背中へ。
触れた。
一回。
トン。
二回。
トン。
三回。
トン。
そして。
言う。
「おやすみ」
涙が。
止まらない。
「私のお星さま」
「……っ!」
次の瞬間。
星が。
私に。
抱きついた。
「ママ……!」
「……星」
「ママ!」
私は。
娘を。
抱きしめた。
ずっと。
ずっと。
したかった。
強く。
抱きしめる。
「ママ!」
「うん」
「ママなの?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
泣いて。
笑って。
何度も。
頷く。
「ママだよ」
「星」
「ママだよ」
「……っ」
星の手が。
私の服を。
強く掴む。
「どこにいたの!」
胸が。
痛い。
「ごめん」
「ずっと」
「会いたかった!」
「うん」
「私も」
「何で」
「何で言ってくれなかったの!」
「怖かった」
正直に。
言った。
「星を」
「混乱させるのが」
「怖かった」
「……」
「信じてもらえないのも」
「怖かった」
「でも」
私は。
娘の髪を。
撫でる。
今度は。
我慢しない。
何度も。
何度も。
「ずっと」
「会いたかった」
「……」
「抱きしめたかった」
「……」
「大好きって」
涙が。
落ちる。
「言いたかった」
星が。
声を上げて。
泣いた。
私も。
泣いた。
周りなんて。
もう。
どうでもよかった。
失ったと思っていた。
娘。
戻れないと思っていた。
母親と娘の時間。
全部が。
元に戻るわけじゃない。
私は。
高瀬美月の顔には。
戻れない。
あの家にも。
以前と同じようには。
戻れない。
でも。
「……ただいま」
私は。
星の耳元で。
言った。
星の身体が。
ぴくっと揺れる。
そして。
泣きながら。
笑った。
「……おかえり」
その言葉を。
聞いた瞬間。
私は。
もう。
何も。
いらないと思った。
◇◇◇
それから。
私は。
星に。
話せることを。
少しずつ話した。
事故。
紗良の身体で。
目覚めたこと。
陽向が。
最初に。
そばにいたこと。
自分が。
高瀬美月だと。
信じてもらえるまでのこと。
紗良の記憶。
そして。
星を。
遠くから。
一度見たこと。
「……あの日」
星が。
目を見開く。
「やっぱり」
「え?」
「ママだったんだ」
「分かったの?」
「分かんなかった」
星は。
首を振る。
「でも」
胸を押さえる。
「何か」
「見られてるって思った」
「……」
「すごく」
少し。
笑う。
「懐かしい目だった」
涙が。
また。
滲んだ。
親子って。
すごい。
本当に。
顔だけじゃないんだ。
◇◇◇
「じゃあ」
星が。
少しして。
急に。
真顔になる。
「陽向くんは?」
「え?」
「知ってるの?」
「うん」
「いつから?」
「最初から」
「えっ!?」
「いや」
私は。
慌てて訂正する。
「美月だって信じてくれたのは」
「途中から」
「……」
星が。
じっと。
私を見る。
嫌な予感。
「で」
「何?」
「ママ」
「うん」
「陽向くんと」
「……」
「付き合ってる?」
「……」
沈黙。
星の目が。
どんどん。
大きくなる。
「ママ?」
「……はい」
「えええええええええ!?」
個室。
とはいえ。
さすがに。
声が大きい。
「星! 声!」
「だって!」
「ちょっと!」
「ママ!」
「はい!」
「陽向くんと付き合ってるの!?」
「……うん」
「最推しと!?」
「……うん」
「何それ!」
「私もそう思う!」
星が。
頭を抱える。
「待って!」
「うん」
「じゃあ」
「この前」
「三人で写真撮ったとき」
「うん」
「ママと」
「ママの彼氏と」
「私!?」
「……そうなります」
「無理!」
「何が!?」
「情報量!」
どこかで。
聞いた言葉。
思わず。
笑ってしまう。
陽向も。
同じこと言ってた。
「何笑ってるの!」
「陽向も」
「同じ反応したから」
「……」
星が。
固まる。
「陽向くん」
「うん」
「私のこと」
「何て?」
私は。
少し笑う。
「会いたいって」
「え?」
「美月の大事な娘だから」
「ちゃんと知りたいって」
「……」
星の顔が。
一瞬で。
真っ赤になる。
「無理」
「また?」
「今度会えない」
「何で?」
「推しが」
「ママの彼氏として来るんでしょ!?」
「……まあ」
「無理!」
私は。
とうとう。
声を上げて。
笑った。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ来た。
玄関を開けた瞬間。
私の顔を見て。
気づく。
「何かあった?」
「……うん」
「悪いこと?」
私は。
首を振った。
「いいこと」
陽向が。
少し。
安心したように。
笑う。
「何?」
私は。
言った。
「星に」
「うん」
一度。
息を吸う。
「本当のこと」
陽向の目が。
大きくなる。
「……言った」
「……」
「星」
「分かってくれた」
「……マジ?」
「うん」
「私のこと」
涙が。
また。
少し。
滲む。
「ママって」
「呼んでくれた」
陽向が。
何も言わない。
ただ。
ゆっくり。
私のところへ来て。
腕を。
広げた。
私は。
その胸へ。
飛び込んだ。
「よかったな」
「……うん」
「本当に」
「うん」
「よかった」
陽向の声も。
少し。
震えている。
「ただいまって」
「言えた」
「……うん」
「おかえりって」
「言ってくれた」
陽向の腕が。
強くなる。
「美月」
「何?」
「よく頑張ったな」
その言葉に。
涙が。
また。
溢れた。
「……頑張った」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「でも」
顔を上げる。
「言ってよかった」
陽向が。
笑う。
「うん」
◇◇◇
少しして。
私は。
陽向へ。
笑いながら言った。
「星」
「うん」
「陽向が私の彼氏だって知った」
「……」
陽向。
固まる。
「……え?」
「言った」
「美月」
「何?」
「俺」
顔を覆う。
「次会えない」
「星と同じこと言ってる」
「何で!?」
「星も」
「推しがママの彼氏として来るの無理って」
陽向が。
顔を上げる。
「待って」
「うん」
「俺も」
「彼女の娘で」
「俺のファンの子に」
「彼氏として会うの」
「だいぶ無理」
「情報量?」
「多すぎる!」
二人で。
笑った。
こんな日が。
来るなんて。
本当に。
思わなかった。
◇◇◇
陽向が。
帰る前。
玄関。
私は。
その手を。
握った。
「陽向」
「ん?」
「私ね」
「うん」
「一回目の人生」
少し。
笑う。
「幸せじゃなかったわけじゃない」
「うん」
「子どもたちがいて」
「家族がいて」
「楽しいことも」
「いっぱいあった」
「……うん」
「でも」
ずっと。
足りなかった。
自分自身を。
大切にすること。
自分の気持ちを。
誰かに。
聞いてもらうこと。
「二回目は」
私は。
陽向を見る。
「自分も」
「ちゃんと大切にしたい」
陽向が。
笑う。
「うん」
「星のママで」
「うん」
「五人の子どものママで」
「うん」
「一ノ瀬紗良として仕事して」
「うん」
「陽向の彼女で」
「それ重要」
「はいはい」
「あと」
陽向が。
私の手を。
恋人繋ぎにする。
「高瀬美月」
「……うん」
「それが一番最初」
胸が。
温かくなる。
「うん」
私は。
頷いた。
「高瀬美月」
もう。
迷わない。
この顔が。
誰のものだったとしても。
過去に。
どんな人生があったとしても。
今。
選んで。
生きているのは。
私。
「陽向」
「何?」
「これからも」
「うん」
「よろしくお願いします」
「急に何」
笑いながら。
陽向が。
少し考える。
そして。
私の額に。
軽く。
キスをした。
「こちらこそ」
「……」
「これから」
少し笑う。
「同じ時間」
「いっぱい作ろ」
胸が。
きゅっとなる。
「うん」
「今までの三十四年は」
陽向が。
言った。
「全然違う人生だったけど」
「……うん」
「これからは」
指を。
強く絡める。
「一緒に生きよ」
涙が。
滲む。
でも。
今度は。
悲しくない。
「うん」
私は。
笑った。
「一緒に生きたい」
◇◇◇
私は。
一度。
人生を終えた。
妻で。
母親で。
誰かの嫁で。
いつの間にか。
『私』を。
小さくしていた人生。
そして。
目を覚ましたら。
最推しアイドルの。
腕の中だった。
最初は。
夢だと思った。
次に。
罰だと思った。
誰かの身体を。
奪ってしまったのだと。
でも。
違った。
これは。
誰かになるための。
二度目の人生じゃない。
高瀬美月が。
高瀬美月として。
もう一度。
生きるための人生だった。
子どもを。
愛していい。
過去を。
忘れなくていい。
紗良を。
大切にしていい。
陽向を。
好きでいていい。
そして。
私自身も。
幸せになっていい。
スマートフォンが。
震える。
星から。
メッセージ。
『ママ』
その二文字だけで。
涙が。
出そうになる。
続けて。
『今度、陽向くんと3人でご飯行きたい』
私は。
笑った。
すぐに。
陽向へ転送する。
数秒後。
『無理緊張する』
トップアイドルなのに。
『星も同じこと言ってるよ』
『じゃあお互い様だな』
『いつにする?』
少しして。
『美月が決めて』
私は。
指を止める。
以前なら。
みんなの都合を。
先に考えた。
誰かが嫌じゃないかな。
迷惑じゃないかな。
そう考えて。
自分の希望を。
後回しにした。
でも。
今は。
まず。
自分に聞く。
私は。
いつがいい?
どうしたい?
答えは。
すぐに出た。
『早く会いたいから、今週がいい』
送信。
陽向から。
『了解』
星から。
『やった!』
二つの返信を見て。
私は。
笑った。
これでいい。
誰かのためだけじゃなく。
私も。
ちゃんと。
この人生を。
楽しんでいい。
「……幸せ」
声に出してみる。
今度は。
何の罪悪感もなかった。
私は。
高瀬美月。
五人の子どもの母親で。
人気女優・一ノ瀬紗良の身体で生きていて。
そして。
世界で一番大好きな人に。
愛されている。
二度目の人生。
今度こそ。
私は。
私を。
置いていかない。



