目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

それから。

数週間が経った。

紗良の記憶は。

少しずつ。

戻ってきていた。

でも。

以前のように。

突然。

意識を持っていかれることは。

ほとんどなくなった。

道を歩いていて。

「あ、この店」

と思う。

入ったことなんて。

私はないのに。

紗良が。

何度も来ていた場所だと分かる。

台本を読むと。

昔共演した俳優の。

癖が分かる。

クローゼットを開けば。

どの服を。

どの仕事で着たのか。

ふっと。

思い出す。

それは。

誰かの記憶を。

外から見せられる感覚ではなく。

自分の中に。

少しずつ。

引き出しが増えていくような。

不思議な感覚だった。

「……」

私は。

鏡を見る。

一ノ瀬紗良。

高瀬美月。

以前なら。

どちらかを。

選ばなければいけないと思っていた。

でも。

今は。

少し違う。

私は。

高瀬美月。

それは。

変わらない。

だけど。

一ノ瀬紗良が。

生きてきた三十四年も。

私の中に。

確かに残っている。

「……おはよう」

鏡の中の自分に。

笑いかけた。

もう。

紗良さん。

とは。

呼ばなかった。

◇◇◇

その日は。

ドラマの撮影だった。

復帰後。

初めて。

大きな役を任された作品。

事故前。

紗良が。

出演を決めていたドラマだった。

役は。

家族にも。

恋人にも。

弱音を吐けず。

何でも一人で抱えてしまう女性。

そして。

物語の終盤。

初めて。

好きな人に。

本音をぶつける。

そんな役。

「本番いきます!」

スタッフの声。

私は。

相手役の俳優と。

向かい合う。

カメラが。

回る。

相手役が。

台詞を言う。

「俺のためだって言って」

「勝手にいなくなるなよ」

胸が。

少し。

揺れた。

陽向。

あの日。

私に。

同じようなことを言った。

――なんで一人で全部決めんだよ。

私は。

役として。

答える。

「だって」

「私がいないほうが」

「あなたは幸せになれると思ったから」

「そんなの」

相手役が。

一歩近づく。

「お前が決めることじゃない」

「……」

「俺が誰といたいか」

「俺が決める」

その瞬間。

目の奥が。

熱くなった。

台詞。

これは。

台本。

なのに。

陽向の声に。

聞こえる。

「……私は」

声が。

震える。

でも。

それすら。

役の感情になる。

「怖かったの」

「何が?」

「好きって言って」

「嫌われるのが」

紗良。

そして。

美月。

二人の感情が。

胸の中で。

重なった。

紗良は。

言えなかった。

好き。

寂しい。

そばにいて。

全部。

飲み込んだ。

美月も。

ずっと。

大丈夫。

気にしてない。

私が我慢すれば。

そうやって。

本当の気持ちを。

隠してきた。

二人とも。

似ていた。

だから。

私は。

今。

この身体で。

この台詞を。

言えるのかもしれない。

「でも」

涙が。

頬を伝う。

「本当は」

相手を見る。

「私も」

「あなたに」

「選んでほしかった」

監督は。

止めない。

カメラが。

回り続ける。

「誰かのためじゃなく」

「何かができるからでもなく」

「ただ」

私は。

胸に手を置いた。

「私だから」

「好きだって」

言ってほしかった。

その言葉が。

台本を越えて。

自分自身の心から。

出た。

「……カット!」

静まり返った。

スタジオ。

数秒。

誰も。

動かなかった。

そして。

監督が。

小さく息を吐く。

「……一ノ瀬さん」

「はい」

「すごくよかったです」

「……ありがとうございます」

「事故前より」

監督は。

少し考えて。

「芝居が変わりましたね」

胸が。

小さく鳴る。

「変わりました?」

「ええ」

「前のあなたは」

「もっと綺麗に演じる人だった」

「……」

「でも今は」

監督が笑う。

「痛いくらい」

「本音が伝わってくる」

私は。

何も言えなかった。

だって。

今の私は。

前の紗良だけではないから。

紗良が。

積み重ねてきた技術。

私が。

生きてきた感情。

二つが。

今。

一つの芝居になっている。

「……ありがとうございます」

私は。

今度は。

笑って言った。

◇◇◇

撮影を終えると。

スマートフォンに。

陽向から。

メッセージが来ていた。

『終わった?』

『終わったよ』

『迎え行く』

思わず。

笑う。

『毎回じゃなくていいよ』

すぐに。

返信。

『俺が行きたい』

「……もう」

以前の私なら。

遠慮した。

でも。

今は。

違う。

『じゃあお願い』

それだけ。

送った。

◇◇◇

車に乗ると。

陽向が。

すぐに聞いてきた。

「どうだった?」

「今日?」

「うん」

「監督に」

少し。

笑う。

「事故前より芝居変わったって言われた」

陽向が。

一瞬。

表情を変える。

「……そっか」

「うん」

「嫌だった?」

「ううん」

私は。

首を振る。

「前だったら」

「紗良さんじゃなくなってるって」

「怖かったかもしれない」

「……」

「でも今は」

窓の外を見る。

「違っていいのかなって」

「うん」

「紗良さんが」

「積み重ねてきたものも」

「私が生きてきたものも」

「どっちも」

胸に。

手を置く。

「ここにあるから」

陽向が。

静かに聞いている。

「だから」

私は。

少し笑った。

「今の芝居は」

「今の私にしかできないものなんだって」

「思えた」

信号。

赤。

車が止まる。

陽向が。

私を見る。

「……美月」

「何?」

「強くなったな」

「え?」

「最初」

少し笑う。

「ずっと」

「私なんかがここにいていいのかなって」

「言ってたじゃん」

「……言ってた」

「紗良の身体だから」

「子どものところに帰れないから」

「俺にも」

「紗良じゃないって言い続けて」

「……うん」

「でも今」

陽向が。

私を見る。

「ちゃんと」

「ここにいる」

胸が。

温かくなる。

「陽向のおかげもあるよ」

「俺?」

「うん」

「美月って」

「ずっと呼んでくれたから」

「……」

「私が分からなくなっても」

「陽向が」

「美月を覚えててくれた」

陽向は。

少し照れたように。

前を向いた。

「当たり前」

「うん」

「彼氏なんで」

「それ毎回使うね」

「便利だから」

二人で。

笑った。

◇◇◇

その夜。

陽向は。

私の部屋で。

いつものように。

夕食を食べていた。

「うまっ!」

「今日カレーだよ?」

「カレーはうまいだろ」

「誰が作っても?」

「美月が作ったから」

「……」

最近。

こういう言葉に。

少しは慣れた。

でも。

やっぱり。

嬉しい。

「何?」

陽向が。

私を見る。

「嬉しそう」

「……嬉しいよ」

「お」

「何?」

「素直」

「最近はね」

「成長した」

「上から目線」

「あははっ」

笑い合う。

平和。

本当に。

何でもない。

幸せな時間。

でも。

食事の途中。

陽向が。

ふと。

箸を置いた。

「美月」

「何?」

「今日」

少し。

真面目な顔。

「俺も」

「話したいことある」

胸が。

少し。

ざわつく。

「何?」

「病院のこと」

「……?」

「この前」

「先生に」

陽向が。

一人で。

話を聞きに行っていたらしい。

「俺が?」

「うん」

「何て?」

「記憶が戻ってきてても」

「今の美月の人格が」

「突然全部消えるみたいな可能性は」

「今の状態を見る限り」

「かなり低いって」

「……」

私は。

箸を止めた。

「もちろん」

陽向が続ける。

「絶対ってことは」

「誰にも言えない」

「でも」

「記憶が戻ることと」

「今までの記憶が消えることは」

「別だって」

胸の奥が。

じわっと。

温かくなる。

「……そっか」

「うん」

「先生が」

陽向は。

少し笑った。

「人って」

「昨日までの自分に」

「今日の経験が足されて」

「少しずつ変わってくものでしょって」

「……うん」

「だから」

「事故前の記憶が戻ったとしても」

「事故後に」

「美月が経験したことは」

「なかったことにならないって」

私は。

自分の手を見る。

陽向と。

出会った。

星に。

再び会えた。

歌った。

笑った。

泣いた。

好きになった。

全部。

私が。

生きた時間。

「……よかった」

気づけば。

涙が。

一滴。

落ちていた。

「美月」

「うん」

「怖かったから」

「……」

「ずっと」

「朝起きたら」

「私じゃなくなってるかもって」

「うん」

「でも」

涙を拭う。

「もう」

「大丈夫かもしれない」

「大丈夫じゃなくても」

陽向が。

すぐに。

言い直す。

「俺いるけどな」

私は。

笑った。

「うん」

「いるね」

◇◇◇

食事を片づけ。

二人で。

ソファに座る。

私は。

陽向の肩へ。

頭を預けた。

「……ねえ」

「ん?」

「陽向は」

「うん」

「今の私」

「どう見えてる?」

「どうって?」

「紗良さんの記憶が」

「かなり戻ってきてる」

「……うん」

「昔より」

「話し方とか」

「癖とか」

「紗良さんに」

「近くなることもあると思う」

「……」

「それでも」

少し。

怖い。

「ちゃんと」

「美月に見える?」

陽向は。

しばらく。

答えなかった。

そして。

「美月」

「うん」

「俺さ」

私の手を。

取る。

「最初」

「紗良の顔してるから」

「紗良だと思った」

「……うん」

「あれは」

「仕方なかったと思う」

「うん」

「それから」

「美月が」

「全然違うことして」

「違うこと言って」

「俺の知らない顔して」

少し笑う。

「紗良じゃないって」

「分かってった」

「……」

「でも今は」

陽向が。

私を。

まっすぐ見る。

「逆」

「逆?」

「美月が」

「紗良っぽいことしても」

「美月にしか見えない」

胸が。

大きく。

鳴った。

「どうして?」

「だって」

陽向が。

少し笑う。

「紗良の記憶があるのも」

「今の美月じゃん」

「……」

「芝居が上手いのも」

「紗良が積み重ねたものが」

「美月の中にあるから」

「うん」

「星ちゃん見ると」

「母親の顔になるのも」

「……」

「俺がキスしたら」

「真っ赤になるのも」

「それは言わなくていい」

陽向が。

笑う。

「全部」

手を。

少し強く握る。

「美月だから」

「……」

涙が。

溢れた。

欲しかった。

この言葉。

ずっと。

ずっと。

私は。

誰かの役割だった。

母親。

妻。

嫁。

そして今は。

一ノ瀬紗良。

でも。

陽向は。

全部まとめて。

美月だと言ってくれる。

「……もう一回」

「え?」

「言って」

「何を?」

「今の」

「全部美月?」

私は。

頷く。

陽向が。

少しだけ。

笑う。

「全部」

私の頬に。

手を触れる。

「美月」

「……」

「泣くとこも」

「笑うとこも」

「星ちゃんのママなとこも」

「紗良の記憶持ってるとこも」

「俺の彼女なとこも」

胸が。

いっぱいになる。

「全部」

「高瀬美月」

私は。

陽向の胸へ。

顔を埋めた。

「……好き」

小さく。

言う。

陽向の腕が。

私を。

優しく抱きしめる。

「俺も」

「……」

「大好き」

◇◇◇

少しして。

私は。

顔を上げた。

陽向と。

目が合う。

何となく。

分かる。

キス。

する。

そう思った。

でも。

今回は。

陽向が。

近づく前に。

私は。

ほんの少し。

自分から。

顔を寄せた。

「……」

陽向が。

固まる。

「美月?」

「何?」

「今」

「うん」

「自分から来た?」

「……」

恥ずかしい。

「やっぱなし」

離れようとすると。

「なしにしない!」

陽向が。

私の腰に。

腕を回す。

「ちょっと!」

「今のは逃がさない」

「陽向!」

「美月から来た!」

嬉しそう。

本当に。

子どもみたい。

「そんな喜ばなくても」

「喜ぶ!」

「もう」

でも。

私も。

笑っていた。

陽向が。

今度は。

ゆっくり。

近づく。

「していい?」

「……うん」

唇が。

重なる。

最初のキスより。

少し。

長い。

でも。

優しい。

怖くない。

離れたあと。

私は。

陽向の肩に。

額をつけた。

「……ねえ」

「何?」

「私」

「うん」

「今」

少し。

笑う。

「すごく幸せ」

陽向が。

一瞬。

息を止めた。

それから。

私の頭を。

抱き寄せる。

「……そっか」

「うん」

「よかった」

「陽向は?」

聞く。

陽向が。

少し笑った。

「俺も」

「本当に?」

「うん」

そして。

耳元で。

囁く。

「美月といる今が」

「今までで」

少し。

間を置いて。

「一番幸せかも」

胸が。

痛いほど。

温かくなった。

◇◇◇

その夜。

陽向が帰ったあと。

私は。

鏡の前に立った。

一ノ瀬紗良の顔。

でも。

もう。

名前を。

確認しなくてもいい。

私は。

高瀬美月。

紗良の記憶を持っていて。

五人の子どもの母親で。

女優として。

新しい仕事をして。

歌が好きで。

チーズケーキが好きで。

そして。

天城陽向を。

好きな人。

全部。

私。

「……美月」

鏡の中の自分へ。

呼びかける。

違和感は。

なかった。

むしろ。

初めて。

この顔で。

自分の名前を呼ぶことが。

自然に思えた。

そして。

私は。

鏡に映る自分へ。

少し笑った。

「おやすみ」

高瀬美月。

明日も。

私として。

生きていこう。

もう。

誰かになるのではなく。

誰かの代わりでもなく。

私が。

私として。

選んだ人生を。

歩いていくために。