目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

高瀬美月としての人生は――終わっていた。

その事実を理解した瞬間。

頭の中が真っ白になった。

「……」

何も考えられない。

涙だけが、勝手に頬を伝っていく。

スマートフォンの画面には、何度見ても同じ文字が並んでいた。

高瀬美月さん、三十四歳。死亡確認。

違う。

ここにいる。

私はここにいるのに。

ちゃんと息をして。

ちゃんと考えて。

子どもたちの顔だって、一人ひとり思い出せるのに。

それなのに。

「私……死んだんだ……」

声にすると、余計に現実になった。

「……」

陽向は何も言わなかった。

ただ、少し離れた場所に立ったまま、私を見ている。

「子どもたち……」

もう一度、その言葉がこぼれた。

胸が締めつけられる。

事故に遭った日の朝。

ちゃんと顔を見ただろうか。

ちゃんと「行ってきます」を聞いただろうか。

あの子たちに、最後に何て言った?

思い出せない。

いつも通りだったから。

まさか、それが最後になるなんて思っていなかったから。

もっと抱きしめればよかった。

もっと頭を撫でればよかった。

もっと。

もっと。

「会いたい……」

声が震える。

「会いたいよ……」

もう止められなかった。

両手で顔を覆う。

「ママ、ここにいるのに……」

なのに。

この身体は私じゃない。

この顔で子どもたちの前に行ったって。

誰も気づいてくれない。

知らない女の人が突然現れて、

「ママだよ」

なんて言ったら。

怖がらせるだけだ。

「……っ」

息が苦しくなる。

「私、どうしたらいいの……」

ぽつりと呟いた。

すると。

少し間を置いてから、陽向が口を開いた。

「……会いに行きたい?」

私は顔を上げた。

涙で滲んだ視界の向こうに、陽向がいる。

「……え?」

「子どもたち」

陽向は静かに言った。

「会いたいんでしょ?」

私は迷わず頷いた。

「会いたい」

「うん」

「でも……」

言葉が詰まる。

「会えない」

「……」

「私が行っても、分からないから」

自分の頬に触れる。

一ノ瀬紗良の顔。

綺麗で。

華やかで。

だけど。

私の子どもたちが知っている母親の顔ではない。

「ママだって言えない……」

また涙が落ちた。

「知らない人だから」

陽向は少し黙った。

それから、ベッド脇の椅子を引いて座った。

「じゃあさ」

「……?」

「今は、言わなくてもいいんじゃない?」

私は眉を寄せた。

「言わなくても?」

「うん」

陽向は膝に肘を乗せながら、こちらを見る。

「ママだって言うかどうかは、あとで考えればいいじゃん」

「でも……」

「会いたいなら、遠くから見るだけでもいいし」

思ってもいなかった言葉だった。

「……見に行っても、いいの?」

「俺が決めることじゃないけど」

陽向が少しだけ苦笑する。

「会いたいって思ってんのに、最初から全部諦める必要ないんじゃない?」

その言葉に、胸が詰まった。

諦める。

私はこれまで、どれだけそれを繰り返してきたんだろう。

仕方ないから。

言っても分かってもらえないから。

揉めるくらいなら。

自分が我慢したほうが早いから。

いつの間にか。

何かを望む前に、自分で諦める癖がついていた。

「……でも」

それでも、言葉が出る。

「迷惑じゃないですか?」

陽向が眉を上げた。

「何が?」

「私のこと……」

私は俯く。

「一ノ瀬紗良さんじゃないって、たぶん分かってきてるのに」

陽向の表情が少し曇った。

「あなたにとって、大切な人だったんですよね?」

「……うん」

即答だった。

胸がちくりと痛む。

当然なのに。

「だったら……」

唇を噛む。

「私がこの身体にいること自体、嫌じゃないですか?」

陽向は答えなかった。

それが、答えのようにも思えた。

やっぱり。

そうだよね。

大切な人が目を覚ましたと思ったら。

中にいるのは知らない女で。

しかも、その女は「私は別人です」なんて言っている。

怖いに決まっている。

受け入れられなくて当然だ。

「ごめんなさい……」

反射的に謝っていた。

陽向が顔を上げる。

「何で謝んの?」

「だって……」

「美月が悪いの?」

自分の名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。

「……え?」

陽向自身も、一瞬しまったという顔をした。

でも、言い直さなかった。

「美月が、自分で紗良の身体に入ったの?」

「……違います」

「紗良から身体奪った?」

「そんな……」

「じゃあ謝らなくてよくない?」

言い方はあっさりしていた。

まるで、本当にそれだけのことみたいに。

私は何も言えなくなる。

「俺だって分かんないよ」

陽向が視線を落とした。

「何が起きてるのか」

「……」

「正直、今も混乱してる」

その声は、テレビの中で聞く明るい陽向とはまるで違った。

「紗良が目ぇ覚ましたって思った」

陽向の指が膝の上でぎゅっと握られる。

「もうダメかもしれないって言われてたから」

胸が痛んだ。

「だから、目開けたとき……本当に嬉しかった」

「……ごめ――」

言いかけて、止まる。

謝らなくていいと言われたばかりだ。

陽向がこちらを見る。

「でも」

少しだけ、困ったように笑った。

「今いるのが美月なんだったら……それも、今はちゃんと考えないとダメなんだろうなって思ってる」

予想していなかった。

もっと拒絶されると思っていた。

「信じて……くれるんですか?」

「全部信じたってわけじゃない」

正直な答え。

でも、それが逆に嬉しかった。

「事故のせいで混乱してる可能性もあると思ってるし」

「……はい」

「でも」

陽向が私を真っ直ぐ見る。

「高瀬美月って人が、本当に同じ日に事故で亡くなってる」

息を呑む。

「しかも、紗良が知らないはずの家族の話をしてる」

「……」

「だから、最初から嘘だって決めつけるのも違うかなって」

その言葉を聞いた瞬間。

また涙が出そうになった。

信じるとまでは言わない。

でも。

最初から否定しない。

それだけのことが。

どうしてこんなに嬉しいんだろう。

「……ありがとう」

小さく言う。

陽向が少し目を丸くした。

「何が?」

「話、聞いてくれて」

「いや……」

陽向は少し照れたように視線を逸らした。

「聞かないと分かんないし」

また胸の奥が揺れた。

聞かないと分からない。

そんな当たり前のことを。

私はずっと、してほしかったのかもしれない。

「……子どもたち」

私はもう一度スマートフォンを見る。

「どうしてるんだろう」

家族の名前を検索したって、もちろん何も出てこない。

一般人なのだから当然だ。

でも。

もしかしたら。

事故の記事の続報。

葬儀。

何か。

自分につながるものがあるかもしれない。

「SNSとかは?」

陽向が聞く。

「え?」

「家族の。やってない?」

「……」

夫のアカウント。

子どもたちのことを載せることも、たまにあった。

思い出した。

「あります」

「検索できる?」

私は頷いた。

震える指で、一ノ瀬紗良のスマートフォンを操作する。

夫の名前。

覚えているアカウント名。

検索。

出てきた。

懐かしいアイコン。

胸が一気に締めつけられる。

「……これ」

指先が止まる。

最新の投稿は。

事故の翌日。

画面いっぱいに表示された文字を見た瞬間。

息が止まった。

妻が事故で亡くなりました。

「……」

それ以上、すぐには読めなかった。

陽向も何も言わない。

私は震える指で、ゆっくり画面を下へ動かした。

突然のことで、家族全員がまだ現実を受け止められていないこと。

子どもたちも泣いていること。

周囲への感謝。

そして。

最後に書かれていた一文。

子どもたちのためにも、家族で支え合っていきたいと思います。

「……泣いてるんだ」

ぽつりと言った。

当然なのに。

想像しただけで苦しかった。

「私のせいで……」

またその言葉が出そうになる。

でも。

途中で飲み込んだ。

私のせいじゃない。

事故に遭いたくて遭ったわけじゃない。

分かっている。

それでも。

「会いたい……」

涙が落ちる。

「星……」

長女の名前が、自然と口から出た。

陽向が反応する。

「星?」

「……娘です」

「なんて読むの?」

「ひかり」

名前を口にしただけで。

小さかった頃の顔。

笑い声。

髪を結んだときのこと。

抱きついてきた感触。

全部が一気に蘇る。

「星に会いたい……」

それだけじゃない。

子どもたち全員に会いたい。

でも。

今、真っ先に浮かんだのは星だった。

女の子同士だから。

成長していく中で。

もっと話したかった。

もっと教えてあげたかった。

これから先。

恋をすることもあるかもしれない。

悩むこともある。

おしゃれだって。

仕事だって。

結婚だって。

いつか。

私に相談してくれる日があったかもしれない。

「私……」

喉が詰まる。

「星の大人になっていくところ、見たかった……」

陽向は何も言わなかった。

ただ、私が泣き止むまでそこにいてくれた。

しばらくして。

私は涙を拭う。

「……ごめんなさい」

陽向がじっと見る。

「また謝った」

「あ……」

「クセ?」

「……たぶん」

陽向が小さく息を吐いた。

「じゃあさ」

「?」

「俺の前では、とりあえずそれ減らしてみれば?」

意味が分からず見つめ返す。

「泣いたくらいで謝んなくていいから」

その一言で。

また泣きそうになる。

「ほら、また泣く」

陽向が困ったように笑った。

「すみま――」

「言ってるそばから!」

思わず。

ほんの少しだけ笑った。

自分でも驚いた。

子どもたちのことで胸が張り裂けそうなのに。

それでも。

笑えた。

陽向も少しだけ笑う。

「……そっちのほうがいいじゃん」

「え?」

「いや、なんでもない」

陽向は立ち上がる。

「とりあえず今日は休もう」

「でも……」

「子どもたちに会う方法は、退院してから考えよう」

「……」

「一人で行くの怖いなら」

陽向は少しだけ間を置いた。

「俺、付き合うから」

私は目を見開いた。

「え?」

「だから」

陽向が少し照れくさそうに頭を掻く。

「見に行きたいんでしょ?」

「でも、天城さん……」

トップアイドル。

そんな人が私なんかのために。

「迷惑――」

言いかけて止まる。

陽向がニヤッとする。

「今、迷惑って言おうとした?」

「……」

「ダメ」

「まだ何も言ってないです」

「顔に書いてあった」

そう言って笑う。

その笑顔は。

いつもテレビで見ていた陽向の笑顔だった。

なのに。

今は、私一人に向けられている。

胸の奥が、少しだけ温かくなった。

でも。

その瞬間。

また頭の奥がズキッと痛んだ。

「……っ」

「美月?」

視界が揺れる。

そして。

また知らない記憶が流れ込んできた。

夜の駅。

帽子を深く被った陽向。

隣には――紗良。

『陽向』

『ん?』

『もし私がいなくなったら、寂しい?』

陽向が笑う。

『何それ。いなくなんないじゃん』

『もしもの話』

『……そりゃ寂しいよ』

『そっか』

紗良が小さく笑う。

でも。

その胸の奥には。

言えなかった想いがあった。

――私が死んだら。

あなたは泣いてくれるのかな。

そこで記憶が途切れた。

私は息を呑む。

「……紗良さん」

「え?」

陽向がこちらを見る。

胸の奥に。

また、あの感情が残っている。

切なくて。

苦しくて。

どうしようもないほど強い。

陽向への想い。

私は自分の胸に手を当てた。

私には。

会いたくて仕方がない子どもたちがいる。

そして。

この身体には。

陽向を愛した一ノ瀬紗良の想いが残っている。

――私は、どうしてこの人の中にいるんだろう。

ただの偶然なの?

それとも。

私と紗良には。

まだ知らない何かがあるのだろうか。