星と。
初めて仕事をした。
その夜。
泣くだけ泣いて。
陽向に話を聞いてもらって。
少しは。
落ち着いたはずだった。
なのに。
翌朝。
目を覚ました瞬間。
最初に浮かんだのは。
やっぱり。
星の顔だった。
――初めて会った気がしなくて。
――ママみたい。
――一ノ瀬さんのこと、好きかも。
「……」
ベッドの中で。
目を閉じる。
嬉しかった。
本当に。
嬉しかった。
顔が違っても。
声が違っても。
星が。
私に何かを感じてくれた。
でも。
だからこそ。
もっと。
欲しくなってしまう。
もう一度。
会いたい。
もっと話したい。
抱きしめたい。
前みたいに。
「星」
と呼びたい。
「……欲張りだな、私」
会えただけでいい。
昨日までは。
そう思っていたのに。
人って。
一つ叶うと。
次を願ってしまう。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
陽向から。
『起きた?』
「……早い」
時計を見る。
午前八時。
『起きた』
送る。
すぐに。
『目腫れてる?』
「……」
どうして分かるの。
『ちょっと』
『やっぱり』
そして。
『冷やしとけよ。今日仕事ある?』
『午後から』
『じゃあ午前中ゆっくりしろ』
私は。
少し笑った。
『陽向は?』
『もう仕事』
『ちゃんと朝ご飯食べた?』
しばらく。
返信がない。
「……食べてないな」
数秒後。
『食べます』
「絶対今からだ」
付き合い始めても。
やっていることは。
あまり変わらない。
でも。
その普通が。
私は好きだった。
◇◇◇
午後。
事務所へ行くと。
マネージャーが。
嬉しそうに声をかけてきた。
「一ノ瀬さん」
「はい?」
「先日のブランド撮影、かなり評判良かったみたいです」
「本当ですか?」
「はい」
資料を渡される。
「特に高瀬さんとのカット」
「……!」
思わず。
資料を強く握りそうになった。
「自然な雰囲気がいいって」
「追加撮影の話も出ています」
「追加……」
「まだ確定ではないですけどね」
また。
星に会えるかもしれない。
胸が。
一気に弾んだ。
「ぜひ……」
声が。
少し大きくなる。
「あ」
慌てる。
「ぜひ、やりたいです」
マネージャーが。
少し笑った。
「高瀬さんのこと、気に入りました?」
「……はい」
これは。
嘘じゃない。
「すごく」
大切な子だから。
「一緒にいると」
少しだけ。
言葉を選ぶ。
「応援したくなるんです」
「確かに一ノ瀬さん」
マネージャーが笑う。
「撮影中、すごく面倒見よかったですもんね」
「そうでした?」
「高瀬さんも懐いてましたし」
懐いていた。
その言葉だけで。
胸が温かくなった。
すると。
マネージャーが。
思い出したように言った。
「あ、そうだ」
「?」
「高瀬さんから」
「一ノ瀬さんに渡してほしいもの預かってます」
「え?」
差し出されたのは。
小さな封筒。
「私に?」
「はい」
「昨日、マネージャーさん経由で届いたみたいです」
指が。
少し震える。
星から。
私へ。
「……開けても?」
「もちろん」
私は。
ゆっくり。
封を開けた。
中には。
小さなカード。
丸みのある文字。
見覚えがある。
何度も。
学校の連絡帳や。
ノートで見た。
星の字。
『一ノ瀬紗良さんへ
昨日はありがとうございました。
初めての大きな撮影ですごく緊張していたけど、
紗良さんが声をかけてくれたおかげで頑張れました。
変なこと言ってごめんなさい。
でもやっぱり、紗良さんと話してると安心します。
また一緒にお仕事できたら嬉しいです。
高瀬 星』
「……」
文字が。
滲んだ。
「一ノ瀬さん?」
「……大丈夫です」
言ってから。
少し笑う。
「これは」
カードを胸に当てる。
「嬉しくて」
マネージャーも。
柔らかく笑った。
「よかったですね」
「はい」
本当に。
よかった。
星。
ママも。
また会いたい。
そう。
心の中で。
何度も返事をした。
◇◇◇
願いが叶ったのは。
思ったより。
ずっと早かった。
一週間後。
追加撮影が。
正式に決まった。
そして。
再び。
星と同じスタジオに立つことになった。
「一ノ瀬さん!」
私を見つけた瞬間。
星が。
笑顔で。
こちらへやってくる。
その姿だけで。
泣きそうになる。
「おはよう、星ちゃん」
今度は。
ちゃんと。
自然に呼べた。
「おはようございます!」
「カードありがとう」
「届きました?」
「うん」
私は。
笑う。
「すごく嬉しかった」
星が。
少し照れたように笑った。
昔から。
褒めると。
こういう顔をする。
「昨日より」
「?」
「今日のほうが緊張してないね」
「分かります?」
「分かるよ」
言って。
ドキッとする。
母親だから。
なんて。
言えない。
「前より表情柔らかいから」
「本当ですか?」
「うん」
「よかったぁ」
嬉しそうに。
笑う。
それだけで。
胸がいっぱいになる。
◇◇◇
撮影は。
前回より。
ずっとスムーズだった。
今回は。
私と星。
二人だけのカットもあった。
「もう少し近づいてください!」
カメラマンの声。
「はい」
星が。
私の隣へ来る。
肩が。
触れる。
「……っ」
私は。
一瞬。
息を止めた。
近い。
娘が。
こんなに近くにいる。
「一ノ瀬さん?」
「ううん」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
今度は。
本当に。
「もう少し顔寄せて!」
星が。
私のほうへ。
顔を寄せる。
髪が。
頬に触れる。
懐かしい。
何度。
こうして。
近くで。
この子の顔を見たんだろう。
「いいですねー!」
シャッター音。
「二人とも笑って!」
私は。
星を見る。
星も。
私を見る。
そして。
同時に笑った。
「そう! それ!」
連続する。
シャッター音。
でも。
私には。
写真撮影をしているというより。
昔。
二人で写真を撮っていた頃に。
戻ったように感じた。
「はい、OK!」
声がかかる。
星が。
少し離れる。
その瞬間。
寂しい。
もっと。
そばにいたい。
そう思ってしまった。
◇◇◇
昼休憩。
「一ノ瀬さん」
星が。
お弁当を持って。
近づいてきた。
「ここ」
「?」
「一緒に食べてもいいですか?」
「……!」
もちろん。
そう言いそうになる。
でも。
何とか普通の顔をする。
「うん」
私は。
隣を空けた。
「どうぞ」
「やった」
星が座る。
二人で。
お弁当を開ける。
「お腹すいたぁ」
「朝ちゃんと食べた?」
反射的に聞いた。
「え?」
「あ……」
また。
母親。
「朝早かったから」
慌てて。
付け足す。
「食べてないかなって」
「食べましたよ」
「本当?」
「トーストだけですけど」
「それじゃ足りないでしょ」
言ってから。
また。
しまった。
星が。
私を見る。
「……」
「何?」
「やっぱり」
少し笑う。
「ママみたい」
「……」
胸が。
ぎゅっとなる。
「ごめんね」
「嫌じゃないです」
星が。
すぐに言った。
「むしろ」
少し。
目を伏せる。
「嬉しいです」
「……嬉しい?」
「はい」
お箸を。
少し弄びながら。
「ママがいなくなってから」
その言葉だけで。
胸が痛む。
「こういうこと」
「?」
「朝ご飯食べた?とか」
「ちゃんと食べなきゃとか」
星が。
少し寂しそうに笑う。
「言われなくなったから」
私は。
何も言えなかった。
もちろん。
家族はいる。
お父さんも。
きょうだいたちも。
きっと。
周りの大人もいる。
でも。
『母親から言われること』は。
なくなった。
「……そっか」
それしか。
言えない。
「ちょっと前までは」
星が続ける。
「うるさいなーって思うときもあったんですけど」
「……」
知ってる。
『分かったってば』
何度。
言われたか。
「いなくなったら」
星が。
お弁当を見つめる。
「言ってほしいって思うんですよね」
涙が。
出そうになる。
「変ですよね」
「変じゃないよ」
すぐに。
答えた。
星が。
こちらを見る。
「全然」
私は。
ゆっくり。
首を振る。
「いるときは」
「当たり前すぎて」
「分からないこと」
「いっぱいあるから」
「……」
「きっと」
喉が。
苦しくなる。
「お母さんも」
「星ちゃんに」
「もっと言いたいこと」
「いっぱいあったと思うよ」
星が。
黙った。
「……そうかな」
「うん」
「絶対」
言い切った。
私だから。
分かる。
いっぱいあった。
もっと。
抱きしめたかった。
もっと。
大好きと言いたかった。
もっと。
あなたが大人になるところを。
見たかった。
「……一ノ瀬さん」
「何?」
「泣いてる?」
「え?」
頬に触れる。
涙。
また。
出てしまっていた。
「ごめん」
「何で一ノ瀬さんが泣くんですか」
星が。
笑う。
「なんか」
私も。
笑った。
「想像しちゃった」
「……」
「お母さん」
「星ちゃんのこと」
「すごく好きだったんだろうなって」
星の顔が。
止まった。
そして。
少しして。
「……はい」
笑った。
泣きそうな。
笑顔。
「私も」
「ママ大好きでした」
その一言。
胸に。
真っ直ぐ。
入ってきた。
「……そっか」
声が。
震える。
「うん」
星。
ママも。
大好き。
今も。
ずっと。
◇◇◇
少し。
空気が重くなったからか。
星が。
「あ、そうだ!」
と。
突然。
明るい声を出した。
「一ノ瀬さん」
「何?」
「聞きたいことあるんです」
「うん」
「天城陽向さんと」
ぶっ。
危うく。
お茶を吹きそうになった。
「……陽向?」
「はい!」
星の目が。
一気に輝く。
嫌な。
いや。
ものすごく。
懐かしい予感。
「仲いいですよね?」
「……まあ」
「幼なじみなんですよね?」
「あ、それ知ってるんだ」
「有名ですよ」
そうなんだ。
知らなかった。
「実は私」
星が。
少し恥ずかしそうに笑う。
「陽向くんのファンなんです」
「……知っ」
危ない。
「え?」
「知って……る?」
星が。
不思議そうに見る。
「ち、違う」
私は。
必死に誤魔化す。
「何となく」
「話し方で好きそうだなって」
「そうですか?」
危なかった。
私は。
昔から。
知っている。
だって。
一緒に。
何度も。
テレビを見たから。
「小さい頃から好きで」
「……うん」
「ママが」
星が言った。
「ママ?」
「うちのママ」
胸が。
また。
大きく鳴る。
「陽向くんのこと」
「すっごい好きだったんです」
思わず。
顔が熱くなる。
本人を前に。
娘から。
そんな話をされるなんて。
「……そうなんだ」
何とか。
他人のふり。
「はい」
星が笑う。
「テレビ出てると絶対見るし」
「歌番組も」
「ライブ映像も」
「……」
全部。
覚えてる。
「それで」
星は。
少しだけ。
遠くを見る。
「ママが楽しそうにしてるの見てたら」
「私も好きになって」
胸が。
温かくなる。
私が。
陽向を好きだった時間。
それは。
ただの趣味だと思っていた。
でも。
星の中にも。
残っていた。
「ママ」
星が。
笑う。
「陽向くん見てるとき」
「すっごく楽しそうだったんですよ」
「……」
涙が。
出そうになる。
「だから」
「?」
「今でも」
星が。
少し寂しそうに。
でも。
優しく笑う。
「陽向くん見ると」
「ママのこと思い出すんです」
「……っ」
何も。
言えなくなった。
陽向を見ると。
私を。
思い出す。
知らなかった。
私にとって。
陽向は。
辛い毎日の中で。
笑わせてくれる人だった。
そして。
星にとっては。
私との思い出の中に。
陽向がいた。
「……そっか」
やっと。
それだけ。
言えた。
「だから私」
星が。
少し照れたように。
続ける。
「芸能界に入ったら」
「いつか」
心臓が。
ドクン。
「陽向くんに会えるかなって」
「……え?」
私は。
星を見る。
「それが理由?」
「全部じゃないですよ」
星が笑う。
「モデルやってみたいっていうのもあったし」
「でも」
少し。
指を組む。
「ママが会えなかった人に」
「私が会えたら」
「なんか」
言葉を探して。
「ママとの夢を」
「一個叶えられる気がして」
「……」
もう。
無理だった。
私は。
口元を押さえた。
「一ノ瀬さん!?」
「ごめん」
涙が。
次々。
溢れる。
「ごめんね」
「え、私なんか変なこと……」
「違う」
首を振る。
「素敵だなって」
声が。
震える。
「すごく」
「素敵な理由だと思う」
星。
そんなこと。
考えてたの?
ママが。
会えなかった人。
あなたが。
会おうとしてくれたの?
「……会えるといいね」
私は。
涙を拭いながら。
言った。
「陽向くんに」
星の顔が。
一気に輝く。
「はい!」
その顔。
昔。
ライブ映像を見ながら。
一緒に笑っていた。
あの頃と。
何も変わっていなかった。
◇◇◇
その日の夜。
「ええええええええ!?」
陽向の。
大声が。
部屋中に響いた。
「声大きい!」
「いや、だって!」
ソファ。
向かいに座る陽向。
私は。
今日。
星から聞いたことを。
全部話した。
「星ちゃん」
「俺のファンなの!?」
「だから前にも言ったでしょ」
「聞いたけど!」
陽向が。
自分を指差す。
「芸能界入った理由の一個が俺!?」
「正確には」
私は。
少し笑う。
「私」
「え?」
「私が」
「陽向に会いたがってたから」
陽向の表情が。
変わる。
「……」
「私が会えなかった人に」
「自分が会えたら」
涙が。
また。
少し滲む。
「ママとの夢を」
「叶えられる気がするって」
陽向は。
何も言わなかった。
少しして。
「……美月」
「うん」
「美月」
「陽向に会えるわけないって」
「星ちゃんに言ったんだよな?」
「うん」
「でも」
陽向が。
私を見る。
少し。
笑う。
「会えたじゃん」
「……」
「今」
「目の前にいる」
涙が。
一滴。
落ちた。
「……うん」
「しかも」
陽向が。
少し悪戯っぽく笑う。
「彼氏になってる」
「それは予定外すぎる」
「大出世」
「何の?」
二人で。
少し笑う。
でも。
すぐに。
陽向は。
真面目な顔になった。
「会いたいな」
「……星に?」
「うん」
「美月が」
「ずっと大事にしてた子だからって」
「それもあるけど」
陽向は。
胸に手を置く。
「俺見て」
「美月のこと思い出してくれてたんでしょ?」
「……うん」
「だったら」
「ちゃんと」
少し照れたように。
笑う。
「ありがとうって言いたい」
胸が。
締めつけられる。
「何で陽向がありがとうなの?」
「だって」
陽向が。
当たり前みたいに言う。
「俺のこと好きになってくれた理由の中に」
「美月がいるんじゃん」
「……」
「嬉しいよ」
私は。
何も言えなくなった。
この人を。
好きでいてよかった。
前の人生。
テレビの中の陽向に。
救われた。
その時間が。
私だけじゃなく。
星の中にも。
ちゃんと。
優しい思い出として。
残っていた。
「……ねえ」
「何?」
「もし」
私は。
少し笑う。
「星が陽向に会ったら」
「うん」
「絶対すごいよ」
「何が?」
「私よりファンに戻るかも」
「マジ?」
「『陽向くん!』って」
「おお」
「めちゃくちゃ喜ぶと思う」
陽向も。
楽しそうに笑う。
そして。
私は。
ふと。
想像した。
陽向と。
星。
同じ場所で。
笑っている姿。
前の人生では。
絶対に。
叶わないと思っていた光景。
今なら。
叶うかもしれない。
そのことが。
嬉しくて。
少し怖くて。
そして。
なぜか。
胸の奥が。
温かかった。
◇◇◇
帰る前。
玄関で。
陽向が。
靴を履きながら。
振り返った。
「美月」
「何?」
「星ちゃんと」
「うん」
「また撮影ある?」
「まだ分からない」
「そっか」
「どうしたの?」
「いや」
少し考える。
「会える機会あったら」
「教えて」
「……」
陽向を見る。
「本当に会う気?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど」
「じゃあ会いたい」
そして。
少し笑った。
「美月の娘に」
「……」
その言い方。
彼女の娘。
ではなく。
美月の娘。
ちゃんと。
私と星を。
繋げてくれる。
「うん」
私は。
笑った。
「いつか」
「会ってあげて」
「うん」
陽向が。
ドアを開ける。
「じゃあな」
「おやすみ」
「美月」
「何?」
「好き」
「……急に言わないで」
「あはは!」
「もう!」
陽向が。
笑いながら。
帰っていく。
ドアを閉めて。
私は。
胸に手を当てた。
星が。
陽向を好きになった理由。
それは。
私。
そして。
今の私は。
陽向を。
一人の男性として。
好きになっている。
不思議な。
巡り合わせ。
でも。
もしかしたら。
星が。
この世界へ来たことにも。
何か。
意味があるのかもしれない。
私は。
まだ。
知らなかった。
次に星と会うとき。
娘の口から。
もっと。
胸を揺さぶる言葉を。
聞くことになるなんて。
――一ノ瀬さんって。
――本当に、ママに似てます。
その言葉が。
私たちの関係を。
もう一歩。
大きく動かしていくことを。
初めて仕事をした。
その夜。
泣くだけ泣いて。
陽向に話を聞いてもらって。
少しは。
落ち着いたはずだった。
なのに。
翌朝。
目を覚ました瞬間。
最初に浮かんだのは。
やっぱり。
星の顔だった。
――初めて会った気がしなくて。
――ママみたい。
――一ノ瀬さんのこと、好きかも。
「……」
ベッドの中で。
目を閉じる。
嬉しかった。
本当に。
嬉しかった。
顔が違っても。
声が違っても。
星が。
私に何かを感じてくれた。
でも。
だからこそ。
もっと。
欲しくなってしまう。
もう一度。
会いたい。
もっと話したい。
抱きしめたい。
前みたいに。
「星」
と呼びたい。
「……欲張りだな、私」
会えただけでいい。
昨日までは。
そう思っていたのに。
人って。
一つ叶うと。
次を願ってしまう。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
陽向から。
『起きた?』
「……早い」
時計を見る。
午前八時。
『起きた』
送る。
すぐに。
『目腫れてる?』
「……」
どうして分かるの。
『ちょっと』
『やっぱり』
そして。
『冷やしとけよ。今日仕事ある?』
『午後から』
『じゃあ午前中ゆっくりしろ』
私は。
少し笑った。
『陽向は?』
『もう仕事』
『ちゃんと朝ご飯食べた?』
しばらく。
返信がない。
「……食べてないな」
数秒後。
『食べます』
「絶対今からだ」
付き合い始めても。
やっていることは。
あまり変わらない。
でも。
その普通が。
私は好きだった。
◇◇◇
午後。
事務所へ行くと。
マネージャーが。
嬉しそうに声をかけてきた。
「一ノ瀬さん」
「はい?」
「先日のブランド撮影、かなり評判良かったみたいです」
「本当ですか?」
「はい」
資料を渡される。
「特に高瀬さんとのカット」
「……!」
思わず。
資料を強く握りそうになった。
「自然な雰囲気がいいって」
「追加撮影の話も出ています」
「追加……」
「まだ確定ではないですけどね」
また。
星に会えるかもしれない。
胸が。
一気に弾んだ。
「ぜひ……」
声が。
少し大きくなる。
「あ」
慌てる。
「ぜひ、やりたいです」
マネージャーが。
少し笑った。
「高瀬さんのこと、気に入りました?」
「……はい」
これは。
嘘じゃない。
「すごく」
大切な子だから。
「一緒にいると」
少しだけ。
言葉を選ぶ。
「応援したくなるんです」
「確かに一ノ瀬さん」
マネージャーが笑う。
「撮影中、すごく面倒見よかったですもんね」
「そうでした?」
「高瀬さんも懐いてましたし」
懐いていた。
その言葉だけで。
胸が温かくなった。
すると。
マネージャーが。
思い出したように言った。
「あ、そうだ」
「?」
「高瀬さんから」
「一ノ瀬さんに渡してほしいもの預かってます」
「え?」
差し出されたのは。
小さな封筒。
「私に?」
「はい」
「昨日、マネージャーさん経由で届いたみたいです」
指が。
少し震える。
星から。
私へ。
「……開けても?」
「もちろん」
私は。
ゆっくり。
封を開けた。
中には。
小さなカード。
丸みのある文字。
見覚えがある。
何度も。
学校の連絡帳や。
ノートで見た。
星の字。
『一ノ瀬紗良さんへ
昨日はありがとうございました。
初めての大きな撮影ですごく緊張していたけど、
紗良さんが声をかけてくれたおかげで頑張れました。
変なこと言ってごめんなさい。
でもやっぱり、紗良さんと話してると安心します。
また一緒にお仕事できたら嬉しいです。
高瀬 星』
「……」
文字が。
滲んだ。
「一ノ瀬さん?」
「……大丈夫です」
言ってから。
少し笑う。
「これは」
カードを胸に当てる。
「嬉しくて」
マネージャーも。
柔らかく笑った。
「よかったですね」
「はい」
本当に。
よかった。
星。
ママも。
また会いたい。
そう。
心の中で。
何度も返事をした。
◇◇◇
願いが叶ったのは。
思ったより。
ずっと早かった。
一週間後。
追加撮影が。
正式に決まった。
そして。
再び。
星と同じスタジオに立つことになった。
「一ノ瀬さん!」
私を見つけた瞬間。
星が。
笑顔で。
こちらへやってくる。
その姿だけで。
泣きそうになる。
「おはよう、星ちゃん」
今度は。
ちゃんと。
自然に呼べた。
「おはようございます!」
「カードありがとう」
「届きました?」
「うん」
私は。
笑う。
「すごく嬉しかった」
星が。
少し照れたように笑った。
昔から。
褒めると。
こういう顔をする。
「昨日より」
「?」
「今日のほうが緊張してないね」
「分かります?」
「分かるよ」
言って。
ドキッとする。
母親だから。
なんて。
言えない。
「前より表情柔らかいから」
「本当ですか?」
「うん」
「よかったぁ」
嬉しそうに。
笑う。
それだけで。
胸がいっぱいになる。
◇◇◇
撮影は。
前回より。
ずっとスムーズだった。
今回は。
私と星。
二人だけのカットもあった。
「もう少し近づいてください!」
カメラマンの声。
「はい」
星が。
私の隣へ来る。
肩が。
触れる。
「……っ」
私は。
一瞬。
息を止めた。
近い。
娘が。
こんなに近くにいる。
「一ノ瀬さん?」
「ううん」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
今度は。
本当に。
「もう少し顔寄せて!」
星が。
私のほうへ。
顔を寄せる。
髪が。
頬に触れる。
懐かしい。
何度。
こうして。
近くで。
この子の顔を見たんだろう。
「いいですねー!」
シャッター音。
「二人とも笑って!」
私は。
星を見る。
星も。
私を見る。
そして。
同時に笑った。
「そう! それ!」
連続する。
シャッター音。
でも。
私には。
写真撮影をしているというより。
昔。
二人で写真を撮っていた頃に。
戻ったように感じた。
「はい、OK!」
声がかかる。
星が。
少し離れる。
その瞬間。
寂しい。
もっと。
そばにいたい。
そう思ってしまった。
◇◇◇
昼休憩。
「一ノ瀬さん」
星が。
お弁当を持って。
近づいてきた。
「ここ」
「?」
「一緒に食べてもいいですか?」
「……!」
もちろん。
そう言いそうになる。
でも。
何とか普通の顔をする。
「うん」
私は。
隣を空けた。
「どうぞ」
「やった」
星が座る。
二人で。
お弁当を開ける。
「お腹すいたぁ」
「朝ちゃんと食べた?」
反射的に聞いた。
「え?」
「あ……」
また。
母親。
「朝早かったから」
慌てて。
付け足す。
「食べてないかなって」
「食べましたよ」
「本当?」
「トーストだけですけど」
「それじゃ足りないでしょ」
言ってから。
また。
しまった。
星が。
私を見る。
「……」
「何?」
「やっぱり」
少し笑う。
「ママみたい」
「……」
胸が。
ぎゅっとなる。
「ごめんね」
「嫌じゃないです」
星が。
すぐに言った。
「むしろ」
少し。
目を伏せる。
「嬉しいです」
「……嬉しい?」
「はい」
お箸を。
少し弄びながら。
「ママがいなくなってから」
その言葉だけで。
胸が痛む。
「こういうこと」
「?」
「朝ご飯食べた?とか」
「ちゃんと食べなきゃとか」
星が。
少し寂しそうに笑う。
「言われなくなったから」
私は。
何も言えなかった。
もちろん。
家族はいる。
お父さんも。
きょうだいたちも。
きっと。
周りの大人もいる。
でも。
『母親から言われること』は。
なくなった。
「……そっか」
それしか。
言えない。
「ちょっと前までは」
星が続ける。
「うるさいなーって思うときもあったんですけど」
「……」
知ってる。
『分かったってば』
何度。
言われたか。
「いなくなったら」
星が。
お弁当を見つめる。
「言ってほしいって思うんですよね」
涙が。
出そうになる。
「変ですよね」
「変じゃないよ」
すぐに。
答えた。
星が。
こちらを見る。
「全然」
私は。
ゆっくり。
首を振る。
「いるときは」
「当たり前すぎて」
「分からないこと」
「いっぱいあるから」
「……」
「きっと」
喉が。
苦しくなる。
「お母さんも」
「星ちゃんに」
「もっと言いたいこと」
「いっぱいあったと思うよ」
星が。
黙った。
「……そうかな」
「うん」
「絶対」
言い切った。
私だから。
分かる。
いっぱいあった。
もっと。
抱きしめたかった。
もっと。
大好きと言いたかった。
もっと。
あなたが大人になるところを。
見たかった。
「……一ノ瀬さん」
「何?」
「泣いてる?」
「え?」
頬に触れる。
涙。
また。
出てしまっていた。
「ごめん」
「何で一ノ瀬さんが泣くんですか」
星が。
笑う。
「なんか」
私も。
笑った。
「想像しちゃった」
「……」
「お母さん」
「星ちゃんのこと」
「すごく好きだったんだろうなって」
星の顔が。
止まった。
そして。
少しして。
「……はい」
笑った。
泣きそうな。
笑顔。
「私も」
「ママ大好きでした」
その一言。
胸に。
真っ直ぐ。
入ってきた。
「……そっか」
声が。
震える。
「うん」
星。
ママも。
大好き。
今も。
ずっと。
◇◇◇
少し。
空気が重くなったからか。
星が。
「あ、そうだ!」
と。
突然。
明るい声を出した。
「一ノ瀬さん」
「何?」
「聞きたいことあるんです」
「うん」
「天城陽向さんと」
ぶっ。
危うく。
お茶を吹きそうになった。
「……陽向?」
「はい!」
星の目が。
一気に輝く。
嫌な。
いや。
ものすごく。
懐かしい予感。
「仲いいですよね?」
「……まあ」
「幼なじみなんですよね?」
「あ、それ知ってるんだ」
「有名ですよ」
そうなんだ。
知らなかった。
「実は私」
星が。
少し恥ずかしそうに笑う。
「陽向くんのファンなんです」
「……知っ」
危ない。
「え?」
「知って……る?」
星が。
不思議そうに見る。
「ち、違う」
私は。
必死に誤魔化す。
「何となく」
「話し方で好きそうだなって」
「そうですか?」
危なかった。
私は。
昔から。
知っている。
だって。
一緒に。
何度も。
テレビを見たから。
「小さい頃から好きで」
「……うん」
「ママが」
星が言った。
「ママ?」
「うちのママ」
胸が。
また。
大きく鳴る。
「陽向くんのこと」
「すっごい好きだったんです」
思わず。
顔が熱くなる。
本人を前に。
娘から。
そんな話をされるなんて。
「……そうなんだ」
何とか。
他人のふり。
「はい」
星が笑う。
「テレビ出てると絶対見るし」
「歌番組も」
「ライブ映像も」
「……」
全部。
覚えてる。
「それで」
星は。
少しだけ。
遠くを見る。
「ママが楽しそうにしてるの見てたら」
「私も好きになって」
胸が。
温かくなる。
私が。
陽向を好きだった時間。
それは。
ただの趣味だと思っていた。
でも。
星の中にも。
残っていた。
「ママ」
星が。
笑う。
「陽向くん見てるとき」
「すっごく楽しそうだったんですよ」
「……」
涙が。
出そうになる。
「だから」
「?」
「今でも」
星が。
少し寂しそうに。
でも。
優しく笑う。
「陽向くん見ると」
「ママのこと思い出すんです」
「……っ」
何も。
言えなくなった。
陽向を見ると。
私を。
思い出す。
知らなかった。
私にとって。
陽向は。
辛い毎日の中で。
笑わせてくれる人だった。
そして。
星にとっては。
私との思い出の中に。
陽向がいた。
「……そっか」
やっと。
それだけ。
言えた。
「だから私」
星が。
少し照れたように。
続ける。
「芸能界に入ったら」
「いつか」
心臓が。
ドクン。
「陽向くんに会えるかなって」
「……え?」
私は。
星を見る。
「それが理由?」
「全部じゃないですよ」
星が笑う。
「モデルやってみたいっていうのもあったし」
「でも」
少し。
指を組む。
「ママが会えなかった人に」
「私が会えたら」
「なんか」
言葉を探して。
「ママとの夢を」
「一個叶えられる気がして」
「……」
もう。
無理だった。
私は。
口元を押さえた。
「一ノ瀬さん!?」
「ごめん」
涙が。
次々。
溢れる。
「ごめんね」
「え、私なんか変なこと……」
「違う」
首を振る。
「素敵だなって」
声が。
震える。
「すごく」
「素敵な理由だと思う」
星。
そんなこと。
考えてたの?
ママが。
会えなかった人。
あなたが。
会おうとしてくれたの?
「……会えるといいね」
私は。
涙を拭いながら。
言った。
「陽向くんに」
星の顔が。
一気に輝く。
「はい!」
その顔。
昔。
ライブ映像を見ながら。
一緒に笑っていた。
あの頃と。
何も変わっていなかった。
◇◇◇
その日の夜。
「ええええええええ!?」
陽向の。
大声が。
部屋中に響いた。
「声大きい!」
「いや、だって!」
ソファ。
向かいに座る陽向。
私は。
今日。
星から聞いたことを。
全部話した。
「星ちゃん」
「俺のファンなの!?」
「だから前にも言ったでしょ」
「聞いたけど!」
陽向が。
自分を指差す。
「芸能界入った理由の一個が俺!?」
「正確には」
私は。
少し笑う。
「私」
「え?」
「私が」
「陽向に会いたがってたから」
陽向の表情が。
変わる。
「……」
「私が会えなかった人に」
「自分が会えたら」
涙が。
また。
少し滲む。
「ママとの夢を」
「叶えられる気がするって」
陽向は。
何も言わなかった。
少しして。
「……美月」
「うん」
「美月」
「陽向に会えるわけないって」
「星ちゃんに言ったんだよな?」
「うん」
「でも」
陽向が。
私を見る。
少し。
笑う。
「会えたじゃん」
「……」
「今」
「目の前にいる」
涙が。
一滴。
落ちた。
「……うん」
「しかも」
陽向が。
少し悪戯っぽく笑う。
「彼氏になってる」
「それは予定外すぎる」
「大出世」
「何の?」
二人で。
少し笑う。
でも。
すぐに。
陽向は。
真面目な顔になった。
「会いたいな」
「……星に?」
「うん」
「美月が」
「ずっと大事にしてた子だからって」
「それもあるけど」
陽向は。
胸に手を置く。
「俺見て」
「美月のこと思い出してくれてたんでしょ?」
「……うん」
「だったら」
「ちゃんと」
少し照れたように。
笑う。
「ありがとうって言いたい」
胸が。
締めつけられる。
「何で陽向がありがとうなの?」
「だって」
陽向が。
当たり前みたいに言う。
「俺のこと好きになってくれた理由の中に」
「美月がいるんじゃん」
「……」
「嬉しいよ」
私は。
何も言えなくなった。
この人を。
好きでいてよかった。
前の人生。
テレビの中の陽向に。
救われた。
その時間が。
私だけじゃなく。
星の中にも。
ちゃんと。
優しい思い出として。
残っていた。
「……ねえ」
「何?」
「もし」
私は。
少し笑う。
「星が陽向に会ったら」
「うん」
「絶対すごいよ」
「何が?」
「私よりファンに戻るかも」
「マジ?」
「『陽向くん!』って」
「おお」
「めちゃくちゃ喜ぶと思う」
陽向も。
楽しそうに笑う。
そして。
私は。
ふと。
想像した。
陽向と。
星。
同じ場所で。
笑っている姿。
前の人生では。
絶対に。
叶わないと思っていた光景。
今なら。
叶うかもしれない。
そのことが。
嬉しくて。
少し怖くて。
そして。
なぜか。
胸の奥が。
温かかった。
◇◇◇
帰る前。
玄関で。
陽向が。
靴を履きながら。
振り返った。
「美月」
「何?」
「星ちゃんと」
「うん」
「また撮影ある?」
「まだ分からない」
「そっか」
「どうしたの?」
「いや」
少し考える。
「会える機会あったら」
「教えて」
「……」
陽向を見る。
「本当に会う気?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど」
「じゃあ会いたい」
そして。
少し笑った。
「美月の娘に」
「……」
その言い方。
彼女の娘。
ではなく。
美月の娘。
ちゃんと。
私と星を。
繋げてくれる。
「うん」
私は。
笑った。
「いつか」
「会ってあげて」
「うん」
陽向が。
ドアを開ける。
「じゃあな」
「おやすみ」
「美月」
「何?」
「好き」
「……急に言わないで」
「あはは!」
「もう!」
陽向が。
笑いながら。
帰っていく。
ドアを閉めて。
私は。
胸に手を当てた。
星が。
陽向を好きになった理由。
それは。
私。
そして。
今の私は。
陽向を。
一人の男性として。
好きになっている。
不思議な。
巡り合わせ。
でも。
もしかしたら。
星が。
この世界へ来たことにも。
何か。
意味があるのかもしれない。
私は。
まだ。
知らなかった。
次に星と会うとき。
娘の口から。
もっと。
胸を揺さぶる言葉を。
聞くことになるなんて。
――一ノ瀬さんって。
――本当に、ママに似てます。
その言葉が。
私たちの関係を。
もう一歩。
大きく動かしていくことを。



