次に会ったら。
ちゃんと。
伝えよう。
そう決めた。
――はずだった。
「……無理」
私は。
朝から。
ソファに突っ伏していた。
陽向から届いたメッセージ。
『今日夜行く』
たったそれだけ。
いつもなら。
「今日何作ろうかな」
くらいなのに。
今日は違う。
今日。
言う。
陽向が好きだって。
高瀬美月として。
好きになったって。
「……言える?」
自分に聞く。
答えは。
「無理かもしれない……」
情けない。
昨日。
鏡の前では。
あんなにはっきり言えたのに。
本人を前にしたら。
絶対。
無理。
いや。
でも。
言うって決めた。
「よし」
私は。
身体を起こす。
「言う」
数秒後。
「……やっぱり怖い」
また。
ソファに沈んだ。
◇◇◇
夕方。
私は。
いつもより。
少しだけ丁寧に。
夕食を作っていた。
煮込みハンバーグ。
サラダ。
スープ。
陽向の好きなもの。
「……」
鍋を混ぜながら。
ふと思う。
これ。
完全に。
好きな人のために作ってる。
顔が。
熱くなる。
「何歳だと思ってるの、私……」
三十四歳。
結婚していた。
子どもも五人いる。
恋愛なんて。
もう。
自分には関係ないと思っていた。
それなのに。
今。
好きな人が来るから。
ハンバーグを作りながら。
緊張している。
不思議。
でも。
少しだけ。
嬉しかった。
こんな気持ち。
まだ。
私の中に残っていたんだ。
恋をする。
そんな自分が。
まだいたんだ。
◇◇◇
ピンポーン。
「……っ!」
来た。
一気に。
心臓が。
速くなる。
私は。
一度深呼吸して。
玄関へ向かった。
ドアを開ける。
「よ」
陽向。
いつもの。
帽子。
パーカー。
笑顔。
でも。
今日は。
顔を見た瞬間。
胸の奥が。
はっきり言った。
――好き。
私は。
ほんの一瞬。
固まった。
「……美月?」
「え?」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫」
「顔赤くない?」
「暑い」
「今日寒いけど」
「料理してたから!」
「ふーん?」
怪しまれてる。
まずい。
「と、とにかく入って」
「はいはい」
陽向が。
靴を脱ぐ。
その横顔を見て。
また。
胸が鳴った。
今日。
言えるのかな。
◇◇◇
「うまっ!」
陽向が。
煮込みハンバーグを食べて。
いつものように。
大きな声を出す。
「これヤバい!」
「大げさ」
「いやマジで」
「店出せる」
「前も聞いた」
「じゃあ俺専属」
「それ店じゃないじゃん」
「じゃあ俺ん家住む?」
「っ!?」
フォークが。
止まった。
陽向も。
「あ」
という顔。
「いや!」
慌てる。
「飯の話!」
「分かってる!」
「今の深い意味ない!」
「分かってるって!」
二人とも。
顔が赤い。
何。
この空気。
昨日までなら。
もっと普通に流せた。
でも。
お互い。
もう。
分かり始めているから。
一言一言が。
変に。
意味を持つ。
「……食べよ」
「うん」
急に。
静かになる。
でも。
数秒後。
陽向が。
耐えきれないように笑った。
「何?」
「いや」
「美月も意識してんだなと思って」
「……」
図星。
「陽向だって」
「俺は」
少し間。
「してるよ」
「……」
さらっと。
言わないで。
心臓が。
もたない。
◇◇◇
食事を終える。
洗い物も。
終わる。
でも。
私は。
まだ。
言えない。
ソファに座る。
陽向も。
隣。
テレビ。
ついている。
でも。
内容なんて。
全く入ってこない。
今。
言う?
いや。
CMになってから?
何でタイミングを。
テレビ基準で考えてるの。
「……美月」
「何!?」
声が。
裏返った。
陽向が。
びっくりする。
「いや」
「今日ずっと変だけど」
「何か言いたいことある?」
「……」
分かりやすすぎた。
逃げる?
いや。
もう。
決めた。
「ある」
私が言うと。
陽向の表情が。
一瞬で。
真面目になった。
「……そっか」
テレビを。
消した。
部屋が。
静かになる。
余計に。
緊張する。
「言って」
「……」
私は。
膝の上で。
手を握った。
「この前」
「うん」
「私」
ゆっくり。
言葉を選ぶ。
「自分の気持ちが」
「紗良さんのものなのか」
「私のものなのか」
「分からないって言ったよね」
「うん」
陽向は。
何も急かさない。
「だから」
「ずっと考えた」
「うん」
「陽向が来ると嬉しいのは」
「紗良さんの気持ちなのか」
「陽向が帰ると寂しいのも」
「……うん」
「触られたらドキドキするのも」
陽向の耳が。
少し。
赤くなる。
私も。
絶対。
同じ。
「誰かと仲良くしてたら嫌だなって思うのも」
「……」
「全部」
胸に手を置く。
「紗良さんの恋が」
「残ってるからなのかなって」
陽向が。
静かに聞いている。
「でも」
私は。
顔を上げた。
「違った」
陽向の目が。
少し大きくなる。
「少なくとも」
「今、私が感じてる気持ちは」
「紗良さんの記憶が出てこなくても」
「ちゃんと」
「ここにある」
胸を押さえる。
「陽向が」
「美月って呼んでくれたとき」
「嬉しかった」
「泣いてたら」
「何でもない顔じゃないって」
「見つけてくれたときも」
「……」
「壊したマグカップより」
「私が怪我してないか心配してくれたときも」
陽向の表情が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「私の好きなもの」
「一緒に探してくれたときも」
「歌を褒めてくれたときも」
「疲れたって」
「私の前で言ってくれたときも」
全部。
思い出せる。
全部。
高瀬美月として。
出会ってからの。
陽向との記憶。
「私ね」
涙が。
少し。
滲んだ。
「陽向のこと」
言える。
今なら。
言いたい。
「アイドルだから好きだったんじゃない」
「……」
「最初は」
少し笑う。
「最推しだったけど」
陽向も。
少し笑った。
「でも今は」
私は。
まっすぐ。
陽向を見る。
「ただの陽向が」
「好き」
静かな部屋。
自分の声だけが。
はっきり聞こえた。
「高瀬美月として」
一度。
息を吸う。
「天城陽向が好き」
言えた。
とうとう。
言えた。
◇◇◇
陽向は。
何も言わない。
「……」
え。
長い。
怖い。
「陽向?」
「……」
「何か」
「待って」
陽向が。
両手で顔を覆った。
「……無理」
「え!?」
無理!?
「無理って何!?」
「違う!」
陽向が。
顔を上げる。
真っ赤。
「嬉しすぎて無理!」
「……」
今度は。
私が。
固まる。
「心臓ヤバい」
陽向が。
胸を押さえる。
「マジで」
「……」
「美月」
呼ばれる。
いつもより。
少し低い声。
「俺も」
心臓が。
跳ねる。
「美月が好き」
分かっていた。
たぶん。
そうだろうって。
それでも。
本人の口から。
聞くのは。
全然違った。
「紗良じゃない」
陽向が続ける。
「美月」
涙が。
落ちた。
「俺が好きになったのは」
「高瀬美月」
「……うん」
「飯作って」
「笑って」
「すぐ謝って」
「でも最近ちょっと減って」
泣きながら。
笑ってしまう。
「歌うと」
「めちゃくちゃ楽しそうで」
「俺が疲れてるの」
「気づいてくれて」
「……」
「一緒にいると」
陽向が。
少しだけ。
息を吐く。
「俺が俺でいられる」
その言葉。
一番。
嬉しい。
「だから」
陽向が。
少し近づく。
「好き」
「……うん」
「めちゃくちゃ好き」
涙が。
また。
溢れる。
「そんな」
「何?」
「二回も言わなくていい」
「何で?」
「恥ずかしい」
「俺はもっと言える」
「やめて」
「美月好き」
「もう!」
私は。
泣きながら笑った。
陽向も。
笑う。
そして。
ふと。
陽向が。
手を伸ばす。
頬に。
触れる。
私は。
動けなかった。
いや。
動かなかった。
「……美月」
「うん」
「触っていい?」
前は。
勝手に。
額に触れてきたのに。
今日は。
聞く。
私は。
小さく。
頷いた。
「うん」
陽向の手が。
頬を包む。
温かい。
胸が。
速く鳴る。
でも。
怖くない。
今度は。
逃げたくない。
「……顔」
陽向が。
少し困ったように笑う。
「紗良なんだよな」
「……うん」
その言葉で。
ほんの少し。
現実に戻る。
私は。
目を伏せた。
「だから」
「?」
陽向が。
続ける。
「俺も最初」
「混乱した」
「……」
「美月を見てるのか」
「紗良を見てるのか」
「分かんなくなるときもあった」
胸が。
少し痛む。
でも。
聞かなきゃ。
「でも今」
陽向の親指が。
涙を拭う。
「こうやって触ってる相手」
「ちゃんと美月だって分かる」
「……」
「俺の中では」
「もう」
「全然違う」
涙が。
また。
出た。
「そっか」
「うん」
「よかった」
本当に。
それだけ。
◇◇◇
陽向が。
ゆっくり。
顔を近づける。
その瞬間。
私は。
息を止めた。
キス。
する?
このまま。
陽向の唇が。
近づく。
心臓が。
壊れそう。
でも。
あと。
ほんの少しのところで。
私は。
陽向の胸に。
手を置いた。
「……待って」
陽向が。
すぐに止まる。
「……ごめん」
「違う」
私は。
首を振る。
嫌じゃない。
むしろ。
したい。
そう思っている。
でも。
「まだ」
自分の顔に触れる。
「これ」
「……」
「紗良さんの身体だから」
陽向は。
何も言わず。
私を見る。
「好きって言うのは」
「私の気持ちだから」
「ちゃんと言えた」
「うん」
「でも」
声が。
少し震える。
「キスとか」
「それ以上のことは」
「……」
「紗良さんの身体を」
「私が勝手に使っていいのかなって」
陽向の表情が。
少しだけ。
曇る。
「美月」
「ごめん」
「謝んなくていい」
すぐに。
言われた。
「分かった」
陽向は。
少し離れた。
寂しい。
ほんの少し。
でも。
安心もした。
「待つよ」
「……」
「美月が」
「ちゃんと大丈夫って思えるまで」
「うん」
「だから」
陽向が。
少しだけ笑う。
「今はこれ」
手。
差し出される。
「え?」
「手」
「……」
私は。
その手を見る。
そして。
自分の手を。
重ねた。
陽向が。
ゆっくり。
指を絡める。
恋人繋ぎ。
「……っ」
これだけで。
充分。
心臓。
大変なことになっている。
「美月」
「何?」
「これもダメ?」
「……」
私は。
繋がれた手を見る。
「これは」
少し笑う。
「いい」
陽向の顔が。
一気に明るくなる。
「よっしゃ」
「そんな喜ぶ?」
「喜ぶ」
「子どもみたい」
「好きな子と手繋げたんだけど?」
「っ……!」
その言い方。
ずるい。
「もう黙って」
「えー」
でも。
手は。
離れなかった。
◇◇◇
しばらく。
二人で。
何も言わず。
手を繋いでいた。
静か。
でも。
昨日までとは。
違う。
好き。
ちゃんと。
伝わっている。
陽向も。
私が好き。
それが。
まだ。
信じられない。
「ねえ」
私が。
小さく聞く。
「何?」
「これって」
「うん」
「付き合う……ってこと?」
陽向が。
私を見る。
「美月は?」
「え?」
「俺と付き合いたい?」
また。
私に聞く。
どうしたい?
いつも。
陽向は。
そこを。
私に返す。
「……付き合いたい」
言った。
自分の気持ちで。
「陽向と」
陽向が。
笑った。
すごく。
嬉しそうに。
「じゃあ」
繋いだ手を。
少し強く握る。
「今日から彼女」
「……」
彼女。
その言葉に。
変な感じ。
私が。
天城陽向の。
彼女?
「いや待って」
「何?」
「本当に?」
「何が?」
「私が?」
「美月が」
「陽向の?」
「俺の」
「……」
「理解追いついてる?」
「全然」
陽向が。
声を上げて笑う。
「あはははっ!」
「笑わないで!」
「だって!」
「十年以上推してた人の彼女って!」
「やっぱそこ戻るんだ」
「戻るよ!」
「じゃあ」
陽向が。
少しだけ。
悪い顔で笑う。
「最推しと付き合えた感想は?」
「……」
私は。
数秒考えて。
「夢なら起こさないでほしい」
「俺が起こさない」
「何それ」
「ずっと夢にしとけば?」
陽向が。
笑う。
胸が。
また。
温かくなる。
でも。
私は。
繋いだ手を見ながら。
少しだけ。
真面目な声で言った。
「陽向」
「ん?」
「一つだけ」
「うん」
「私」
「子どもたちのこと」
「忘れられない」
「……うん」
「これからも」
「会いたいって思うし」
「母親でいたいって」
「思うと思う」
「うん」
「それでも」
「いい?」
陽向は。
考えることもなく。
答えた。
「忘れなくていい」
胸が。
ぎゅっとなる。
「美月が子ども大事なの」
「俺知ってるし」
「……」
「それごと美月でしょ」
「うん」
「俺と付き合うからって」
「前の人生なかったことにしなくていい」
涙が。
また。
出そうになる。
「……ありがとう」
「うん」
「あと」
陽向が。
少し笑う。
「星ちゃんたちのこと」
「俺も」
「少しずつ知りたい」
私は。
顔を上げた。
「……いいの?」
「美月の大事なもんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ知りたい」
また。
その言葉。
知りたい。
私のことを。
私の好きなものを。
私の大切なものを。
全部。
「……陽向」
「ん?」
「好き」
今度は。
自然に。
言えた。
陽向が。
一瞬。
固まる。
「……もう一回」
「嫌」
「何で!?」
「恥ずかしい」
「俺言ったじゃん!」
「それは陽向が勝手に」
「美月!」
「ふふっ」
私は。
笑った。
陽向も。
少し不満そうにしながら。
笑った。
そして。
繋いだ手は。
最後まで。
離れなかった。
◇◇◇
その夜。
陽向が帰ったあと。
私は。
玄関のドアに。
背中を預けた。
「……彼女」
小さく。
呟く。
顔が。
にやける。
止められない。
でも。
同時に。
鏡を見る。
一ノ瀬紗良の顔。
「……紗良さん」
少しだけ。
胸が痛む。
あなたが。
ずっと。
好きだった人。
私は。
その人と。
恋人になった。
罪悪感が。
ないわけじゃない。
でも。
今日。
陽向は。
ちゃんと。
言ってくれた。
好きなのは。
高瀬美月だと。
そして。
私も。
自分の心で。
選んだ。
だから。
この恋を。
なかったことにはしたくない。
「……ごめんね」
でも。
すぐに。
首を振る。
違う。
謝るだけじゃ。
きっと。
また同じ。
「紗良さん」
私は。
鏡を見ながら。
言った。
「あなたの恋を」
「奪うつもりはない」
「でも」
胸に手を当てる。
「私も」
「幸せになりたい」
日記にあった。
紗良の言葉。
――誰かの幸せばかりじゃなくて。
――自分も幸せになりたい。
「私も」
「そう思っていいよね」
その瞬間。
頭の奥が。
ほんの少し。
温かくなった気がした。
痛みではない。
記憶でもない。
ただ。
何かに。
包まれたような。
優しい感覚。
そして。
一瞬だけ。
聞こえた気がした。
――うん。
「……?」
私は。
振り返る。
誰もいない。
気のせい。
たぶん。
そう。
思った。
でも。
なぜか。
胸が。
少しだけ。
軽くなっていた。
ちゃんと。
伝えよう。
そう決めた。
――はずだった。
「……無理」
私は。
朝から。
ソファに突っ伏していた。
陽向から届いたメッセージ。
『今日夜行く』
たったそれだけ。
いつもなら。
「今日何作ろうかな」
くらいなのに。
今日は違う。
今日。
言う。
陽向が好きだって。
高瀬美月として。
好きになったって。
「……言える?」
自分に聞く。
答えは。
「無理かもしれない……」
情けない。
昨日。
鏡の前では。
あんなにはっきり言えたのに。
本人を前にしたら。
絶対。
無理。
いや。
でも。
言うって決めた。
「よし」
私は。
身体を起こす。
「言う」
数秒後。
「……やっぱり怖い」
また。
ソファに沈んだ。
◇◇◇
夕方。
私は。
いつもより。
少しだけ丁寧に。
夕食を作っていた。
煮込みハンバーグ。
サラダ。
スープ。
陽向の好きなもの。
「……」
鍋を混ぜながら。
ふと思う。
これ。
完全に。
好きな人のために作ってる。
顔が。
熱くなる。
「何歳だと思ってるの、私……」
三十四歳。
結婚していた。
子どもも五人いる。
恋愛なんて。
もう。
自分には関係ないと思っていた。
それなのに。
今。
好きな人が来るから。
ハンバーグを作りながら。
緊張している。
不思議。
でも。
少しだけ。
嬉しかった。
こんな気持ち。
まだ。
私の中に残っていたんだ。
恋をする。
そんな自分が。
まだいたんだ。
◇◇◇
ピンポーン。
「……っ!」
来た。
一気に。
心臓が。
速くなる。
私は。
一度深呼吸して。
玄関へ向かった。
ドアを開ける。
「よ」
陽向。
いつもの。
帽子。
パーカー。
笑顔。
でも。
今日は。
顔を見た瞬間。
胸の奥が。
はっきり言った。
――好き。
私は。
ほんの一瞬。
固まった。
「……美月?」
「え?」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫」
「顔赤くない?」
「暑い」
「今日寒いけど」
「料理してたから!」
「ふーん?」
怪しまれてる。
まずい。
「と、とにかく入って」
「はいはい」
陽向が。
靴を脱ぐ。
その横顔を見て。
また。
胸が鳴った。
今日。
言えるのかな。
◇◇◇
「うまっ!」
陽向が。
煮込みハンバーグを食べて。
いつものように。
大きな声を出す。
「これヤバい!」
「大げさ」
「いやマジで」
「店出せる」
「前も聞いた」
「じゃあ俺専属」
「それ店じゃないじゃん」
「じゃあ俺ん家住む?」
「っ!?」
フォークが。
止まった。
陽向も。
「あ」
という顔。
「いや!」
慌てる。
「飯の話!」
「分かってる!」
「今の深い意味ない!」
「分かってるって!」
二人とも。
顔が赤い。
何。
この空気。
昨日までなら。
もっと普通に流せた。
でも。
お互い。
もう。
分かり始めているから。
一言一言が。
変に。
意味を持つ。
「……食べよ」
「うん」
急に。
静かになる。
でも。
数秒後。
陽向が。
耐えきれないように笑った。
「何?」
「いや」
「美月も意識してんだなと思って」
「……」
図星。
「陽向だって」
「俺は」
少し間。
「してるよ」
「……」
さらっと。
言わないで。
心臓が。
もたない。
◇◇◇
食事を終える。
洗い物も。
終わる。
でも。
私は。
まだ。
言えない。
ソファに座る。
陽向も。
隣。
テレビ。
ついている。
でも。
内容なんて。
全く入ってこない。
今。
言う?
いや。
CMになってから?
何でタイミングを。
テレビ基準で考えてるの。
「……美月」
「何!?」
声が。
裏返った。
陽向が。
びっくりする。
「いや」
「今日ずっと変だけど」
「何か言いたいことある?」
「……」
分かりやすすぎた。
逃げる?
いや。
もう。
決めた。
「ある」
私が言うと。
陽向の表情が。
一瞬で。
真面目になった。
「……そっか」
テレビを。
消した。
部屋が。
静かになる。
余計に。
緊張する。
「言って」
「……」
私は。
膝の上で。
手を握った。
「この前」
「うん」
「私」
ゆっくり。
言葉を選ぶ。
「自分の気持ちが」
「紗良さんのものなのか」
「私のものなのか」
「分からないって言ったよね」
「うん」
陽向は。
何も急かさない。
「だから」
「ずっと考えた」
「うん」
「陽向が来ると嬉しいのは」
「紗良さんの気持ちなのか」
「陽向が帰ると寂しいのも」
「……うん」
「触られたらドキドキするのも」
陽向の耳が。
少し。
赤くなる。
私も。
絶対。
同じ。
「誰かと仲良くしてたら嫌だなって思うのも」
「……」
「全部」
胸に手を置く。
「紗良さんの恋が」
「残ってるからなのかなって」
陽向が。
静かに聞いている。
「でも」
私は。
顔を上げた。
「違った」
陽向の目が。
少し大きくなる。
「少なくとも」
「今、私が感じてる気持ちは」
「紗良さんの記憶が出てこなくても」
「ちゃんと」
「ここにある」
胸を押さえる。
「陽向が」
「美月って呼んでくれたとき」
「嬉しかった」
「泣いてたら」
「何でもない顔じゃないって」
「見つけてくれたときも」
「……」
「壊したマグカップより」
「私が怪我してないか心配してくれたときも」
陽向の表情が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「私の好きなもの」
「一緒に探してくれたときも」
「歌を褒めてくれたときも」
「疲れたって」
「私の前で言ってくれたときも」
全部。
思い出せる。
全部。
高瀬美月として。
出会ってからの。
陽向との記憶。
「私ね」
涙が。
少し。
滲んだ。
「陽向のこと」
言える。
今なら。
言いたい。
「アイドルだから好きだったんじゃない」
「……」
「最初は」
少し笑う。
「最推しだったけど」
陽向も。
少し笑った。
「でも今は」
私は。
まっすぐ。
陽向を見る。
「ただの陽向が」
「好き」
静かな部屋。
自分の声だけが。
はっきり聞こえた。
「高瀬美月として」
一度。
息を吸う。
「天城陽向が好き」
言えた。
とうとう。
言えた。
◇◇◇
陽向は。
何も言わない。
「……」
え。
長い。
怖い。
「陽向?」
「……」
「何か」
「待って」
陽向が。
両手で顔を覆った。
「……無理」
「え!?」
無理!?
「無理って何!?」
「違う!」
陽向が。
顔を上げる。
真っ赤。
「嬉しすぎて無理!」
「……」
今度は。
私が。
固まる。
「心臓ヤバい」
陽向が。
胸を押さえる。
「マジで」
「……」
「美月」
呼ばれる。
いつもより。
少し低い声。
「俺も」
心臓が。
跳ねる。
「美月が好き」
分かっていた。
たぶん。
そうだろうって。
それでも。
本人の口から。
聞くのは。
全然違った。
「紗良じゃない」
陽向が続ける。
「美月」
涙が。
落ちた。
「俺が好きになったのは」
「高瀬美月」
「……うん」
「飯作って」
「笑って」
「すぐ謝って」
「でも最近ちょっと減って」
泣きながら。
笑ってしまう。
「歌うと」
「めちゃくちゃ楽しそうで」
「俺が疲れてるの」
「気づいてくれて」
「……」
「一緒にいると」
陽向が。
少しだけ。
息を吐く。
「俺が俺でいられる」
その言葉。
一番。
嬉しい。
「だから」
陽向が。
少し近づく。
「好き」
「……うん」
「めちゃくちゃ好き」
涙が。
また。
溢れる。
「そんな」
「何?」
「二回も言わなくていい」
「何で?」
「恥ずかしい」
「俺はもっと言える」
「やめて」
「美月好き」
「もう!」
私は。
泣きながら笑った。
陽向も。
笑う。
そして。
ふと。
陽向が。
手を伸ばす。
頬に。
触れる。
私は。
動けなかった。
いや。
動かなかった。
「……美月」
「うん」
「触っていい?」
前は。
勝手に。
額に触れてきたのに。
今日は。
聞く。
私は。
小さく。
頷いた。
「うん」
陽向の手が。
頬を包む。
温かい。
胸が。
速く鳴る。
でも。
怖くない。
今度は。
逃げたくない。
「……顔」
陽向が。
少し困ったように笑う。
「紗良なんだよな」
「……うん」
その言葉で。
ほんの少し。
現実に戻る。
私は。
目を伏せた。
「だから」
「?」
陽向が。
続ける。
「俺も最初」
「混乱した」
「……」
「美月を見てるのか」
「紗良を見てるのか」
「分かんなくなるときもあった」
胸が。
少し痛む。
でも。
聞かなきゃ。
「でも今」
陽向の親指が。
涙を拭う。
「こうやって触ってる相手」
「ちゃんと美月だって分かる」
「……」
「俺の中では」
「もう」
「全然違う」
涙が。
また。
出た。
「そっか」
「うん」
「よかった」
本当に。
それだけ。
◇◇◇
陽向が。
ゆっくり。
顔を近づける。
その瞬間。
私は。
息を止めた。
キス。
する?
このまま。
陽向の唇が。
近づく。
心臓が。
壊れそう。
でも。
あと。
ほんの少しのところで。
私は。
陽向の胸に。
手を置いた。
「……待って」
陽向が。
すぐに止まる。
「……ごめん」
「違う」
私は。
首を振る。
嫌じゃない。
むしろ。
したい。
そう思っている。
でも。
「まだ」
自分の顔に触れる。
「これ」
「……」
「紗良さんの身体だから」
陽向は。
何も言わず。
私を見る。
「好きって言うのは」
「私の気持ちだから」
「ちゃんと言えた」
「うん」
「でも」
声が。
少し震える。
「キスとか」
「それ以上のことは」
「……」
「紗良さんの身体を」
「私が勝手に使っていいのかなって」
陽向の表情が。
少しだけ。
曇る。
「美月」
「ごめん」
「謝んなくていい」
すぐに。
言われた。
「分かった」
陽向は。
少し離れた。
寂しい。
ほんの少し。
でも。
安心もした。
「待つよ」
「……」
「美月が」
「ちゃんと大丈夫って思えるまで」
「うん」
「だから」
陽向が。
少しだけ笑う。
「今はこれ」
手。
差し出される。
「え?」
「手」
「……」
私は。
その手を見る。
そして。
自分の手を。
重ねた。
陽向が。
ゆっくり。
指を絡める。
恋人繋ぎ。
「……っ」
これだけで。
充分。
心臓。
大変なことになっている。
「美月」
「何?」
「これもダメ?」
「……」
私は。
繋がれた手を見る。
「これは」
少し笑う。
「いい」
陽向の顔が。
一気に明るくなる。
「よっしゃ」
「そんな喜ぶ?」
「喜ぶ」
「子どもみたい」
「好きな子と手繋げたんだけど?」
「っ……!」
その言い方。
ずるい。
「もう黙って」
「えー」
でも。
手は。
離れなかった。
◇◇◇
しばらく。
二人で。
何も言わず。
手を繋いでいた。
静か。
でも。
昨日までとは。
違う。
好き。
ちゃんと。
伝わっている。
陽向も。
私が好き。
それが。
まだ。
信じられない。
「ねえ」
私が。
小さく聞く。
「何?」
「これって」
「うん」
「付き合う……ってこと?」
陽向が。
私を見る。
「美月は?」
「え?」
「俺と付き合いたい?」
また。
私に聞く。
どうしたい?
いつも。
陽向は。
そこを。
私に返す。
「……付き合いたい」
言った。
自分の気持ちで。
「陽向と」
陽向が。
笑った。
すごく。
嬉しそうに。
「じゃあ」
繋いだ手を。
少し強く握る。
「今日から彼女」
「……」
彼女。
その言葉に。
変な感じ。
私が。
天城陽向の。
彼女?
「いや待って」
「何?」
「本当に?」
「何が?」
「私が?」
「美月が」
「陽向の?」
「俺の」
「……」
「理解追いついてる?」
「全然」
陽向が。
声を上げて笑う。
「あはははっ!」
「笑わないで!」
「だって!」
「十年以上推してた人の彼女って!」
「やっぱそこ戻るんだ」
「戻るよ!」
「じゃあ」
陽向が。
少しだけ。
悪い顔で笑う。
「最推しと付き合えた感想は?」
「……」
私は。
数秒考えて。
「夢なら起こさないでほしい」
「俺が起こさない」
「何それ」
「ずっと夢にしとけば?」
陽向が。
笑う。
胸が。
また。
温かくなる。
でも。
私は。
繋いだ手を見ながら。
少しだけ。
真面目な声で言った。
「陽向」
「ん?」
「一つだけ」
「うん」
「私」
「子どもたちのこと」
「忘れられない」
「……うん」
「これからも」
「会いたいって思うし」
「母親でいたいって」
「思うと思う」
「うん」
「それでも」
「いい?」
陽向は。
考えることもなく。
答えた。
「忘れなくていい」
胸が。
ぎゅっとなる。
「美月が子ども大事なの」
「俺知ってるし」
「……」
「それごと美月でしょ」
「うん」
「俺と付き合うからって」
「前の人生なかったことにしなくていい」
涙が。
また。
出そうになる。
「……ありがとう」
「うん」
「あと」
陽向が。
少し笑う。
「星ちゃんたちのこと」
「俺も」
「少しずつ知りたい」
私は。
顔を上げた。
「……いいの?」
「美月の大事なもんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ知りたい」
また。
その言葉。
知りたい。
私のことを。
私の好きなものを。
私の大切なものを。
全部。
「……陽向」
「ん?」
「好き」
今度は。
自然に。
言えた。
陽向が。
一瞬。
固まる。
「……もう一回」
「嫌」
「何で!?」
「恥ずかしい」
「俺言ったじゃん!」
「それは陽向が勝手に」
「美月!」
「ふふっ」
私は。
笑った。
陽向も。
少し不満そうにしながら。
笑った。
そして。
繋いだ手は。
最後まで。
離れなかった。
◇◇◇
その夜。
陽向が帰ったあと。
私は。
玄関のドアに。
背中を預けた。
「……彼女」
小さく。
呟く。
顔が。
にやける。
止められない。
でも。
同時に。
鏡を見る。
一ノ瀬紗良の顔。
「……紗良さん」
少しだけ。
胸が痛む。
あなたが。
ずっと。
好きだった人。
私は。
その人と。
恋人になった。
罪悪感が。
ないわけじゃない。
でも。
今日。
陽向は。
ちゃんと。
言ってくれた。
好きなのは。
高瀬美月だと。
そして。
私も。
自分の心で。
選んだ。
だから。
この恋を。
なかったことにはしたくない。
「……ごめんね」
でも。
すぐに。
首を振る。
違う。
謝るだけじゃ。
きっと。
また同じ。
「紗良さん」
私は。
鏡を見ながら。
言った。
「あなたの恋を」
「奪うつもりはない」
「でも」
胸に手を当てる。
「私も」
「幸せになりたい」
日記にあった。
紗良の言葉。
――誰かの幸せばかりじゃなくて。
――自分も幸せになりたい。
「私も」
「そう思っていいよね」
その瞬間。
頭の奥が。
ほんの少し。
温かくなった気がした。
痛みではない。
記憶でもない。
ただ。
何かに。
包まれたような。
優しい感覚。
そして。
一瞬だけ。
聞こえた気がした。
――うん。
「……?」
私は。
振り返る。
誰もいない。
気のせい。
たぶん。
そう。
思った。
でも。
なぜか。
胸が。
少しだけ。
軽くなっていた。



