陽向が帰ったあと。
私は。
ほとんど眠れなかった。
ベッドに入って。
目を閉じても。
浮かんでくるのは。
陽向の顔。
そして。
紗良の記憶。
――好き。
――触れたい。
――でも、幼なじみではいられなくなる。
胸の奥に残る。
あの苦しいほどの想い。
「……」
私は。
ゆっくり目を開けた。
暗い寝室。
時計を見る。
午前二時を過ぎている。
「眠れない……」
ベッドから起き上がる。
水でも飲もう。
そう思って。
リビングへ向かった。
◇◇◇
キッチンで。
水を一口飲む。
それでも。
胸のざわつきは消えない。
私は。
リビングの棚へ目を向けた。
紗良のもの。
写真。
台本。
昔のアルバム。
そして。
以前見つけた。
陽向との写真が入った箱。
「……」
迷った。
勝手に見るのは。
よくない。
でも。
紗良のことを。
もっと知りたい。
陽向を。
どんなふうに好きだったのか。
そして。
自分の中にある気持ちと。
何が違うのか。
知りたい。
「ごめんね、紗良さん」
私は。
小さく謝ってから。
箱を開けた。
◇◇◇
最初に出てきたのは。
高校の卒業写真。
制服姿の陽向と紗良。
前にも見た。
『卒業! 陽向、絶対売れろ!』
裏に書かれた文字。
その下には。
もっと古い写真があった。
「……若い」
中学生くらい?
陽向の髪は。
今よりずっと短い。
紗良も。
まだ幼い。
二人で。
公園のベンチに座って。
アイスを持って笑っている。
「ずっと一緒だったんだ……」
次。
夏祭り。
浴衣。
紗良と。
陽向。
二人だけではない。
友人たちもいる。
でも。
写真の端。
紗良の目は。
陽向を見ている。
私は。
すぐに分かった。
「好きだったんだね」
この頃から?
それとも。
もっと前から?
写真をめくる。
高校。
大学生くらい。
陽向が。
少しずつ。
今の姿に近づいていく。
髪型。
服装。
表情。
そして。
写真の数が。
途中から。
急に減った。
「……あれ?」
デビューした頃。
それまでは。
何枚もあった。
でも。
芸能活動が忙しくなるにつれて。
陽向と紗良。
二人で写っている写真が。
ほとんどなくなっていく。
代わりに。
チケット。
ライブの半券。
雑誌の切り抜き。
CDショップのレシート。
そんなものが。
大切に保管されていた。
「……」
胸が。
少し苦しくなった。
近くにいた人が。
だんだん。
テレビの中の人になる。
紗良は。
どんな気持ちだったんだろう。
その瞬間だった。
ズキン――。
「っ……!」
頭の奥が痛む。
私は。
テーブルに手をついた。
そして。
視界が。
変わった。
◇◇◇
――『紗良!』
陽向の声。
目の前。
まだ二十代前半の陽向が。
満面の笑顔で立っている。
『決まった!』
『何が?』
紗良が聞く。
『デビュー!』
その瞬間。
紗良の胸が。
熱くなる。
『……本当に?』
『うん!』
陽向が。
子どもみたいに笑っている。
『やった……』
紗良の目から。
涙が落ちる。
『え!? 何で泣くの!?』
『だって……』
『ずっと頑張ってたじゃん』
『うん』
『よかったね』
『ありがとう!』
陽向が。
勢いのまま。
紗良を抱きしめる。
『……っ』
紗良の身体が。
固まる。
陽向は。
何も気づかない。
ただ。
嬉しくて。
抱きしめているだけ。
でも。
紗良は。
違う。
胸が。
壊れそうなくらい。
鳴っている。
――好き。
――好き。
――好き。
抱きしめ返したい。
でも。
腕が。
動かない。
『陽向』
『ん?』
『……おめでとう』
それだけ。
やっと。
言えた。
――私のことも。
――いつか。
――好きになってくれたらいいのに。
紗良の。
小さな願い。
◇◇◇
「……っ」
現実に戻った。
私は。
荒い息をしながら。
胸を押さえた。
「……デビューの日」
涙が。
勝手に出る。
悲しいわけじゃない。
これは。
紗良の感情。
嬉しくて。
誇らしくて。
そして。
ほんの少し。
切ない。
「こんなに……」
私は。
自分の胸を見る。
「こんなに好きだったんだ」
どうして。
言わなかったの?
いや。
言えなかったのか。
失いたくなかった。
幼なじみという場所を。
陽向のそばにいられる。
一番安全な場所を。
◇◇◇
私は。
箱の中を。
さらに見ていった。
すると。
一冊の。
小さなノートが出てきた。
「……日記?」
開こうとして。
手が止まる。
これは。
さすがに。
見ていいものなの?
一ノ瀬紗良の。
完全に。
個人的なもの。
私は。
しばらく迷った。
でも。
表紙の内側に。
短い文字が書かれていた。
『言えなかったこと』
心臓が。
跳ねる。
私は。
ゆっくり。
最初のページを開いた。
◇◇◇
『陽向がデビューした。』
『嬉しい。』
『本当に嬉しい。』
『ずっと夢だったもんね。』
『でも』
『少しだけ寂しいと思った私は、最低なのかな。』
私は。
息を呑んだ。
次のページ。
『陽向がテレビに出ていた。』
『みんなが陽向を知っていく。』
『嬉しい。』
『でも』
『私だけの陽向じゃなかったのは最初からなのに、どうして寂しいんだろう。』
また。
次。
『今日、久しぶりに会えた。』
『疲れていた。』
『大丈夫?って聞いたら、大丈夫って笑ってた。』
『陽向も嘘をつくようになった。』
私は。
読む手を止めた。
「……紗良さん」
気づいていた。
陽向が。
無理して笑うこと。
私より。
ずっと前に。
そして。
次の文章。
『でも私は、何も言えなかった。』
『頑張ってる人に、頑張らなくていいなんて、私には言えない。』
『だって陽向は、夢を叶えたんだから。』
『私が寂しいとか、休んでほしいとか言ったら、邪魔になる気がする。』
胸が。
苦しくなる。
似ている。
やっぱり。
私と紗良は。
似ている。
相手のため。
そう思って。
自分の気持ちを。
言わない。
我慢する。
そして。
一人で。
寂しくなる。
◇◇◇
ページをめくる。
陽向への想い。
仕事。
女優としての悩み。
日常。
いろんなことが書かれていた。
でも。
年月が進むにつれて。
陽向の名前は。
少しずつ。
増えていく。
『今日、陽向に彼女ができたって記事が出た。』
「……え?」
思わず。
声が出た。
続きを読む。
『たぶん違う。』
『陽向からすぐに、違うって連絡が来た。』
『どうして私に説明するんだろう。』
『幼なじみだから?』
『心配すると思ったから?』
『それだけなのに。』
『嬉しいと思ってしまった。』
私の胸が。
少しだけ。
ざわつく。
知らない。
陽向に。
そんな報道があったんだ。
ファン時代。
もしかしたら。
ニュースで見たことがあったのかもしれない。
でも。
紗良には。
本人から連絡が来ていた。
当たり前。
二人は。
幼なじみ。
でも。
今。
なぜか。
少しだけ。
羨ましい。
「……これ」
私は。
胸に手を当てる。
「私?」
紗良の嫉妬?
それとも。
私の嫉妬?
また。
分からない。
嫌になる。
◇◇◇
さらに。
ページを進める。
そして。
ある日付で。
手が止まった。
事故の。
一週間前。
『陽向に好きな人ができたらしい。』
「……」
息が止まった。
震える指で。
続きを読む。
『本人から聞いたわけじゃない。』
『共通の友人が、最近陽向が誰かを気にしてるみたいだって言っていた。』
『もう三十四歳だもんね。』
『好きな人くらいいるよね。』
『結婚したって、おかしくない。』
『分かってる。』
『ずっと分かってた。』
『私が陽向の隣にいる理由は、幼なじみだから。』
『それ以上にはなれない。』
胸が。
痛い。
紗良の気持ちが。
流れ込んでくる。
苦しい。
嫌だ。
誰かのものにならないで。
でも。
言えない。
『私も、もう終わりにしよう。』
あ。
事故の日。
記憶の中で。
紗良が言っていた。
――もう。
――陽向のこと。
――終わりにしよう。
「これだったんだ……」
私は。
続きを読む。
『好きだった。』
『本当に、ずっと好きだった。』
『でも陽向には幸せになってほしい。』
『だから今度会ったら、ちゃんと笑って言おう。』
『好きな人がいるなら、頑張れって。』
最後。
その一行を見て。
私は。
息を呑んだ。
『私が好きだったことは、一生言わなくていい。』
「……紗良さん」
涙が。
一滴。
ノートの上に落ちた。
「言わなくていいわけ……ないじゃん」
こんなに。
好きだったのに。
どうして。
自分だけで。
終わらせようとしたの?
でも。
同時に。
分かってしまう。
私も。
同じようなことを。
してきたから。
言っても。
困らせる。
言ったって。
変わらない。
私が我慢すれば。
それで済む。
そして。
本当の気持ちは。
誰にも届かない。
◇◇◇
ページをめくる。
事故の日。
最後の日記。
文字が。
少し乱れていた。
『今日は、陽向の曲を聴きながら帰った。』
『やっぱり好きだなと思った。』
『だから、終わりにする。』
『陽向には、私じゃない誰かと幸せになってほしい。』
『私も、自分の人生をちゃんと生きよう。』
その文章を見て。
身体が。
震えた。
私も。
自分の人生を。
生きたいと思っていた。
役割じゃなく。
高瀬美月として。
紗良も。
同じだった。
陽向を好きな自分から。
一度離れて。
一ノ瀬紗良として。
自分の人生を生きようとしていた。
その。
直後。
事故に遭った。
「……だから?」
私は。
自分の胸に手を置く。
同じ日。
同じ時間。
一人は。
家族の中で孤独を抱えながら。
自分自身を見失っていた。
一人は。
好きな人のそばにいながら。
恋心を隠し続け。
自分の人生を生き直そうとしていた。
そして。
二人とも。
事故に遭った。
「だから……私たちが?」
何かが。
繋がった?
紗良の身体に。
私が入ったのは。
偶然じゃない?
でも。
答えは。
誰にも分からない。
そのときだった。
ノートの最後。
ページの端に。
まだ。
続きがあることに気づいた。
小さな文字。
数行だけ。
『もし、生まれ変われるなら。』
『次は、ちゃんと好きって言える人になりたい。』
『誰かの幸せばかりじゃなくて。』
『自分も幸せになりたい。』
私は。
動けなくなった。
「……」
それは。
紗良の願い。
なのに。
なぜか。
自分の心まで。
痛かった。
自分も幸せになりたい。
その言葉。
私だって。
同じだった。
◇◇◇
翌朝。
ほとんど眠れないまま。
私は。
ソファに座っていた。
日記は。
元の箱に戻した。
知らなかった。
紗良という人。
ただ。
陽向を愛していた女性。
そう思っていた。
でも。
違った。
女優として生きて。
悩んで。
我慢して。
誰かのことを考えすぎて。
自分の幸せを。
後回しにしていた。
一人の女性。
「……私みたい」
本当に。
似ている。
だから。
気持ちが重なった?
分からない。
でも。
昨夜から。
ずっと。
考えていた。
――この恋は誰のもの?
陽向に触れたい。
会いたい。
そばにいたい。
それは。
紗良の願い?
私は。
目を閉じる。
紗良の記憶を。
全部。
取り除いて考えてみる。
もし。
私は。
ただの高瀬美月のまま。
何かの偶然で。
天城陽向と知り合っていたら?
一緒に。
ご飯を食べて。
歌って。
笑って。
辛いとき。
話を聞いてくれて。
私の好きなものを。
一つずつ覚えてくれて。
『ただの美月でいい』
と言ってくれる人。
そんな陽向を。
私は。
どう思った?
「……」
答えは。
すぐに。
出なかった。
でも。
ひとつだけ。
分かった。
私は。
紗良の恋を。
自分のものだと思って。
陽向を手に入れたくはない。
それだけは。
絶対に嫌だった。
もし。
私が陽向を好きになるなら。
高瀬美月として。
好きになりたい。
紗良の気持ちではなく。
自分の気持ちで。
私は。
胸に手を当てた。
「紗良さん」
小さく呼ぶ。
「あなたの気持ちは」
「ちゃんと」
「あなたのものだから」
そして。
自分自身に。
言い聞かせる。
「私の気持ちは」
「私が見つける」
そのとき。
スマートフォンが。
震えた。
画面。
陽向。
メッセージ。
『おはよ』
それだけ。
たった三文字。
なのに。
口元が。
自然に緩んだ。
「あ……」
私は。
自分の顔に触れる。
嬉しい。
陽向から。
連絡が来て。
嬉しい。
これは。
今。
紗良の記憶を見ているから?
違う。
メッセージを受け取ったのは。
私。
高瀬美月。
「……そっか」
まだ。
恋かどうかは。
分からない。
でも。
小さなものなら。
少しずつ。
見分けられるのかもしれない。
紗良の気持ち。
そして。
私の気持ち。
私は。
陽向へ。
返信した。
『おはよう😊』
少しして。
すぐに既読。
『今日仕事終わったら行っていい?』
また。
心臓が跳ねる。
私は。
その鼓動を。
今度は。
否定しなかった。
ただ。
そっと。
胸に手を当てた。
この気持ちが。
誰のものなのか。
いつか。
ちゃんと。
分かる日が来る。
そんな気がした。
私は。
ほとんど眠れなかった。
ベッドに入って。
目を閉じても。
浮かんでくるのは。
陽向の顔。
そして。
紗良の記憶。
――好き。
――触れたい。
――でも、幼なじみではいられなくなる。
胸の奥に残る。
あの苦しいほどの想い。
「……」
私は。
ゆっくり目を開けた。
暗い寝室。
時計を見る。
午前二時を過ぎている。
「眠れない……」
ベッドから起き上がる。
水でも飲もう。
そう思って。
リビングへ向かった。
◇◇◇
キッチンで。
水を一口飲む。
それでも。
胸のざわつきは消えない。
私は。
リビングの棚へ目を向けた。
紗良のもの。
写真。
台本。
昔のアルバム。
そして。
以前見つけた。
陽向との写真が入った箱。
「……」
迷った。
勝手に見るのは。
よくない。
でも。
紗良のことを。
もっと知りたい。
陽向を。
どんなふうに好きだったのか。
そして。
自分の中にある気持ちと。
何が違うのか。
知りたい。
「ごめんね、紗良さん」
私は。
小さく謝ってから。
箱を開けた。
◇◇◇
最初に出てきたのは。
高校の卒業写真。
制服姿の陽向と紗良。
前にも見た。
『卒業! 陽向、絶対売れろ!』
裏に書かれた文字。
その下には。
もっと古い写真があった。
「……若い」
中学生くらい?
陽向の髪は。
今よりずっと短い。
紗良も。
まだ幼い。
二人で。
公園のベンチに座って。
アイスを持って笑っている。
「ずっと一緒だったんだ……」
次。
夏祭り。
浴衣。
紗良と。
陽向。
二人だけではない。
友人たちもいる。
でも。
写真の端。
紗良の目は。
陽向を見ている。
私は。
すぐに分かった。
「好きだったんだね」
この頃から?
それとも。
もっと前から?
写真をめくる。
高校。
大学生くらい。
陽向が。
少しずつ。
今の姿に近づいていく。
髪型。
服装。
表情。
そして。
写真の数が。
途中から。
急に減った。
「……あれ?」
デビューした頃。
それまでは。
何枚もあった。
でも。
芸能活動が忙しくなるにつれて。
陽向と紗良。
二人で写っている写真が。
ほとんどなくなっていく。
代わりに。
チケット。
ライブの半券。
雑誌の切り抜き。
CDショップのレシート。
そんなものが。
大切に保管されていた。
「……」
胸が。
少し苦しくなった。
近くにいた人が。
だんだん。
テレビの中の人になる。
紗良は。
どんな気持ちだったんだろう。
その瞬間だった。
ズキン――。
「っ……!」
頭の奥が痛む。
私は。
テーブルに手をついた。
そして。
視界が。
変わった。
◇◇◇
――『紗良!』
陽向の声。
目の前。
まだ二十代前半の陽向が。
満面の笑顔で立っている。
『決まった!』
『何が?』
紗良が聞く。
『デビュー!』
その瞬間。
紗良の胸が。
熱くなる。
『……本当に?』
『うん!』
陽向が。
子どもみたいに笑っている。
『やった……』
紗良の目から。
涙が落ちる。
『え!? 何で泣くの!?』
『だって……』
『ずっと頑張ってたじゃん』
『うん』
『よかったね』
『ありがとう!』
陽向が。
勢いのまま。
紗良を抱きしめる。
『……っ』
紗良の身体が。
固まる。
陽向は。
何も気づかない。
ただ。
嬉しくて。
抱きしめているだけ。
でも。
紗良は。
違う。
胸が。
壊れそうなくらい。
鳴っている。
――好き。
――好き。
――好き。
抱きしめ返したい。
でも。
腕が。
動かない。
『陽向』
『ん?』
『……おめでとう』
それだけ。
やっと。
言えた。
――私のことも。
――いつか。
――好きになってくれたらいいのに。
紗良の。
小さな願い。
◇◇◇
「……っ」
現実に戻った。
私は。
荒い息をしながら。
胸を押さえた。
「……デビューの日」
涙が。
勝手に出る。
悲しいわけじゃない。
これは。
紗良の感情。
嬉しくて。
誇らしくて。
そして。
ほんの少し。
切ない。
「こんなに……」
私は。
自分の胸を見る。
「こんなに好きだったんだ」
どうして。
言わなかったの?
いや。
言えなかったのか。
失いたくなかった。
幼なじみという場所を。
陽向のそばにいられる。
一番安全な場所を。
◇◇◇
私は。
箱の中を。
さらに見ていった。
すると。
一冊の。
小さなノートが出てきた。
「……日記?」
開こうとして。
手が止まる。
これは。
さすがに。
見ていいものなの?
一ノ瀬紗良の。
完全に。
個人的なもの。
私は。
しばらく迷った。
でも。
表紙の内側に。
短い文字が書かれていた。
『言えなかったこと』
心臓が。
跳ねる。
私は。
ゆっくり。
最初のページを開いた。
◇◇◇
『陽向がデビューした。』
『嬉しい。』
『本当に嬉しい。』
『ずっと夢だったもんね。』
『でも』
『少しだけ寂しいと思った私は、最低なのかな。』
私は。
息を呑んだ。
次のページ。
『陽向がテレビに出ていた。』
『みんなが陽向を知っていく。』
『嬉しい。』
『でも』
『私だけの陽向じゃなかったのは最初からなのに、どうして寂しいんだろう。』
また。
次。
『今日、久しぶりに会えた。』
『疲れていた。』
『大丈夫?って聞いたら、大丈夫って笑ってた。』
『陽向も嘘をつくようになった。』
私は。
読む手を止めた。
「……紗良さん」
気づいていた。
陽向が。
無理して笑うこと。
私より。
ずっと前に。
そして。
次の文章。
『でも私は、何も言えなかった。』
『頑張ってる人に、頑張らなくていいなんて、私には言えない。』
『だって陽向は、夢を叶えたんだから。』
『私が寂しいとか、休んでほしいとか言ったら、邪魔になる気がする。』
胸が。
苦しくなる。
似ている。
やっぱり。
私と紗良は。
似ている。
相手のため。
そう思って。
自分の気持ちを。
言わない。
我慢する。
そして。
一人で。
寂しくなる。
◇◇◇
ページをめくる。
陽向への想い。
仕事。
女優としての悩み。
日常。
いろんなことが書かれていた。
でも。
年月が進むにつれて。
陽向の名前は。
少しずつ。
増えていく。
『今日、陽向に彼女ができたって記事が出た。』
「……え?」
思わず。
声が出た。
続きを読む。
『たぶん違う。』
『陽向からすぐに、違うって連絡が来た。』
『どうして私に説明するんだろう。』
『幼なじみだから?』
『心配すると思ったから?』
『それだけなのに。』
『嬉しいと思ってしまった。』
私の胸が。
少しだけ。
ざわつく。
知らない。
陽向に。
そんな報道があったんだ。
ファン時代。
もしかしたら。
ニュースで見たことがあったのかもしれない。
でも。
紗良には。
本人から連絡が来ていた。
当たり前。
二人は。
幼なじみ。
でも。
今。
なぜか。
少しだけ。
羨ましい。
「……これ」
私は。
胸に手を当てる。
「私?」
紗良の嫉妬?
それとも。
私の嫉妬?
また。
分からない。
嫌になる。
◇◇◇
さらに。
ページを進める。
そして。
ある日付で。
手が止まった。
事故の。
一週間前。
『陽向に好きな人ができたらしい。』
「……」
息が止まった。
震える指で。
続きを読む。
『本人から聞いたわけじゃない。』
『共通の友人が、最近陽向が誰かを気にしてるみたいだって言っていた。』
『もう三十四歳だもんね。』
『好きな人くらいいるよね。』
『結婚したって、おかしくない。』
『分かってる。』
『ずっと分かってた。』
『私が陽向の隣にいる理由は、幼なじみだから。』
『それ以上にはなれない。』
胸が。
痛い。
紗良の気持ちが。
流れ込んでくる。
苦しい。
嫌だ。
誰かのものにならないで。
でも。
言えない。
『私も、もう終わりにしよう。』
あ。
事故の日。
記憶の中で。
紗良が言っていた。
――もう。
――陽向のこと。
――終わりにしよう。
「これだったんだ……」
私は。
続きを読む。
『好きだった。』
『本当に、ずっと好きだった。』
『でも陽向には幸せになってほしい。』
『だから今度会ったら、ちゃんと笑って言おう。』
『好きな人がいるなら、頑張れって。』
最後。
その一行を見て。
私は。
息を呑んだ。
『私が好きだったことは、一生言わなくていい。』
「……紗良さん」
涙が。
一滴。
ノートの上に落ちた。
「言わなくていいわけ……ないじゃん」
こんなに。
好きだったのに。
どうして。
自分だけで。
終わらせようとしたの?
でも。
同時に。
分かってしまう。
私も。
同じようなことを。
してきたから。
言っても。
困らせる。
言ったって。
変わらない。
私が我慢すれば。
それで済む。
そして。
本当の気持ちは。
誰にも届かない。
◇◇◇
ページをめくる。
事故の日。
最後の日記。
文字が。
少し乱れていた。
『今日は、陽向の曲を聴きながら帰った。』
『やっぱり好きだなと思った。』
『だから、終わりにする。』
『陽向には、私じゃない誰かと幸せになってほしい。』
『私も、自分の人生をちゃんと生きよう。』
その文章を見て。
身体が。
震えた。
私も。
自分の人生を。
生きたいと思っていた。
役割じゃなく。
高瀬美月として。
紗良も。
同じだった。
陽向を好きな自分から。
一度離れて。
一ノ瀬紗良として。
自分の人生を生きようとしていた。
その。
直後。
事故に遭った。
「……だから?」
私は。
自分の胸に手を置く。
同じ日。
同じ時間。
一人は。
家族の中で孤独を抱えながら。
自分自身を見失っていた。
一人は。
好きな人のそばにいながら。
恋心を隠し続け。
自分の人生を生き直そうとしていた。
そして。
二人とも。
事故に遭った。
「だから……私たちが?」
何かが。
繋がった?
紗良の身体に。
私が入ったのは。
偶然じゃない?
でも。
答えは。
誰にも分からない。
そのときだった。
ノートの最後。
ページの端に。
まだ。
続きがあることに気づいた。
小さな文字。
数行だけ。
『もし、生まれ変われるなら。』
『次は、ちゃんと好きって言える人になりたい。』
『誰かの幸せばかりじゃなくて。』
『自分も幸せになりたい。』
私は。
動けなくなった。
「……」
それは。
紗良の願い。
なのに。
なぜか。
自分の心まで。
痛かった。
自分も幸せになりたい。
その言葉。
私だって。
同じだった。
◇◇◇
翌朝。
ほとんど眠れないまま。
私は。
ソファに座っていた。
日記は。
元の箱に戻した。
知らなかった。
紗良という人。
ただ。
陽向を愛していた女性。
そう思っていた。
でも。
違った。
女優として生きて。
悩んで。
我慢して。
誰かのことを考えすぎて。
自分の幸せを。
後回しにしていた。
一人の女性。
「……私みたい」
本当に。
似ている。
だから。
気持ちが重なった?
分からない。
でも。
昨夜から。
ずっと。
考えていた。
――この恋は誰のもの?
陽向に触れたい。
会いたい。
そばにいたい。
それは。
紗良の願い?
私は。
目を閉じる。
紗良の記憶を。
全部。
取り除いて考えてみる。
もし。
私は。
ただの高瀬美月のまま。
何かの偶然で。
天城陽向と知り合っていたら?
一緒に。
ご飯を食べて。
歌って。
笑って。
辛いとき。
話を聞いてくれて。
私の好きなものを。
一つずつ覚えてくれて。
『ただの美月でいい』
と言ってくれる人。
そんな陽向を。
私は。
どう思った?
「……」
答えは。
すぐに。
出なかった。
でも。
ひとつだけ。
分かった。
私は。
紗良の恋を。
自分のものだと思って。
陽向を手に入れたくはない。
それだけは。
絶対に嫌だった。
もし。
私が陽向を好きになるなら。
高瀬美月として。
好きになりたい。
紗良の気持ちではなく。
自分の気持ちで。
私は。
胸に手を当てた。
「紗良さん」
小さく呼ぶ。
「あなたの気持ちは」
「ちゃんと」
「あなたのものだから」
そして。
自分自身に。
言い聞かせる。
「私の気持ちは」
「私が見つける」
そのとき。
スマートフォンが。
震えた。
画面。
陽向。
メッセージ。
『おはよ』
それだけ。
たった三文字。
なのに。
口元が。
自然に緩んだ。
「あ……」
私は。
自分の顔に触れる。
嬉しい。
陽向から。
連絡が来て。
嬉しい。
これは。
今。
紗良の記憶を見ているから?
違う。
メッセージを受け取ったのは。
私。
高瀬美月。
「……そっか」
まだ。
恋かどうかは。
分からない。
でも。
小さなものなら。
少しずつ。
見分けられるのかもしれない。
紗良の気持ち。
そして。
私の気持ち。
私は。
陽向へ。
返信した。
『おはよう😊』
少しして。
すぐに既読。
『今日仕事終わったら行っていい?』
また。
心臓が跳ねる。
私は。
その鼓動を。
今度は。
否定しなかった。
ただ。
そっと。
胸に手を当てた。
この気持ちが。
誰のものなのか。
いつか。
ちゃんと。
分かる日が来る。
そんな気がした。



