陽向と一緒にいると。
楽しい。
落ち着く。
笑える。
そして。
最近。
それだけじゃなくなってきた。
「……」
私は。
一人。
ソファに座りながら。
自分の胸に手を当てていた。
ドクン。
ドクン。
思い出しているだけで。
心臓が。
少し速くなる。
昨日。
陽向が言った。
――俺、美月といると楽なんだよな。
その言葉。
何度思い出しても。
嬉しい。
嬉しくて。
顔が緩みそうになる。
「……ダメ」
私は。
両手で頬を押さえた。
何がダメなのか。
自分でも。
よく分からない。
でも。
このまま。
この気持ちに。
浮かれてはいけない気がした。
だって。
私の中には。
一ノ瀬紗良の記憶がある。
紗良の。
陽向への恋心が。
残っている。
陽向に触れられると。
胸が苦しくなる。
近くにいると。
嬉しい。
誰かと陽向が仲良くしている姿を想像すると。
少し。
嫌だと思う。
でも。
それは。
本当に私?
「……分かんないよ」
小さく呟く。
私は。
陽向のファンだった。
ずっと好きだった。
でも。
それは。
アイドルに向ける好き。
だったはず。
恋人になりたいとか。
結婚したいとか。
本気で。
そんなことを考えていたわけじゃない。
テレビで笑っていてくれたら。
幸せだった。
ライブで楽しそうなら。
嬉しかった。
なのに。
今は。
違う。
もっと。
そばにいたい。
陽向に。
『美月』
と呼ばれたい。
仕事が終わったら。
ここに来てほしい。
私が作ったご飯を。
美味しいと食べてほしい。
疲れた日は。
ここで休んでほしい。
そして。
私のことを。
もっと。
知ってほしい。
「……これって」
私は。
自分の胸を押さえる。
「恋なのかな」
言った瞬間。
ドクン。
心臓が。
大きく鳴った。
「……」
やっぱり。
そうなの?
でも。
「私の……?」
その答えだけが。
分からなかった。
◇◇◇
夕方。
スマートフォンが鳴った。
画面を見る。
陽向。
ただ名前が出ただけで。
胸が跳ねる。
「……ほら」
私は。
スマートフォンを睨んだ。
「こういうの」
以前なら。
推しから連絡が来る。
それだけで。
そりゃ大事件だった。
でも。
今のドキドキは。
そういうものとは。
少し違う。
通話ボタンを押す。
「もしもし」
『美月?』
声。
それだけで。
また。
胸が鳴る。
「うん」
『今日何してる?』
「特に何も」
『暇?』
「まあ」
『じゃあそっち行っていい?』
いつもなら。
『いいよ』
と。
すぐ答える。
でも。
今日は。
少しだけ。
迷った。
「……どうした?」
『え?』
「なんか今、間あった」
本当に。
よく気づく。
「別に」
『またそれ?』
「……」
『何かあった?』
「何もないよ」
『その言い方絶対何かある』
「ないって」
『じゃあ行って聞くわ』
「え!?」
『今から行く』
「ちょっと待って!」
『じゃ後で』
切れた。
「……もう」
私は。
スマートフォンを見る。
強引。
でも。
来てくれることが。
嬉しい。
「……重症」
ソファに。
顔を埋めた。
◇◇◇
一時間もしないうちに。
インターホンが鳴った。
「はーい」
玄関を開ける。
「よ」
陽向。
いつもの。
キャップに。
ラフな服装。
それだけなのに。
今日だけ。
妙に。
かっこよく見える。
「……」
「何?」
「何でもない」
「また?」
「本当に何でもない!」
「今日変じゃない?」
「陽向に言われたくない」
「俺今日めっちゃ普通だけど」
笑いながら。
部屋へ入ってくる。
私は。
その後ろ姿を見る。
やっぱり。
胸が。
ざわざわする。
どうしよう。
意識した瞬間。
全部。
おかしくなる。
◇◇◇
「美月」
「何?」
「今日、マジで変」
陽向が。
ソファから。
じっと私を見ている。
「変じゃない」
私は。
少し離れた場所に座っていた。
いつもなら。
隣に座るのに。
今日は。
一人分以上。
間が空いている。
「何でそんな遠いの?」
「遠くない」
「遠いよ」
陽向が。
自分と私の間を指差す。
「いつもここじゃん」
自分の隣。
「今日はここでいい」
「何で?」
「何でも」
「何でもって何?」
陽向が。
じりっと。
こっちへ寄る。
「ちょっと」
「何?」
「近い」
「いつもこれくらいだけど」
「今日は近いの!」
「意味分かんねぇ」
さらに。
少し近づく。
「陽向!」
「だから何なんだって!」
「近い!」
「何で急に!?」
陽向が。
こちらを覗き込む。
「……熱ある?」
「ない!」
額に。
手が伸びてくる。
「っ!」
触れられた瞬間。
身体が。
びくっとした。
胸が。
ドクンッ!
ものすごい音を立てる。
「……?」
陽向が。
手を止めた。
「美月?」
「……」
近い。
顔が。
近い。
陽向の手が。
まだ。
額にある。
昔なら。
『推しの手が!』
と。
大騒ぎしたかもしれない。
でも今は。
それより。
触れていることそのものが。
恥ずかしい。
陽向だから。
「……離して」
私は。
小さく言った。
陽向が。
すぐに手を離す。
「ごめん」
「……ううん」
「本当にどうした?」
心配そうな顔。
その顔を見て。
また。
胸が苦しくなる。
「……分かんない」
正直に。
答えた。
「何が?」
「自分でも」
私は。
膝の上で。
手を握る。
「最近」
「うん」
「陽向がいると」
言える?
無理。
「いると?」
「……変になる」
「俺、何かした?」
「してない」
「じゃあ何?」
陽向が。
本気で困っている。
私は。
顔を逸らす。
「だから分かんないの」
「……」
少し。
沈黙。
そして。
陽向が。
思いもしないことを聞いた。
「紗良?」
「え?」
「紗良の記憶とか」
胸が。
ぎゅっとなる。
「また何か出てる?」
「あ……」
そうだ。
陽向は。
そっちだと思う。
当然。
「……違う」
私は。
首を振った。
「今日は何も」
「じゃあ?」
答えられない。
陽向への気持ちが。
もしかしたら恋かもしれないなんて。
本人に。
言えるわけがない。
「……ごめん」
「また謝る」
「だって」
「無理に言わなくていいけど」
陽向は。
少しだけ。
私から離れた。
「美月が嫌なら」
「近づかない」
胸が。
ズキン。
嫌。
違う。
嫌だからじゃない。
「……違う!」
思わず。
陽向の腕を掴んだ。
「え?」
二人とも。
固まる。
私が。
陽向を掴んでいる。
「……」
「美月?」
「ご、ごめん」
慌てて離す。
でも。
今度は。
陽向のほうが。
私の手首を。
軽く掴んだ。
「嫌じゃない?」
「……うん」
「じゃあ何?」
陽向の指。
触れているところから。
熱が広がる。
その瞬間だった。
◇◇◇
『陽向』
知らない声。
いや。
もう知っている。
紗良。
視界が変わる。
夜。
陽向の部屋。
二人。
ソファ。
陽向が。
疲れたように眠っている。
紗良が。
その寝顔を見つめている。
そっと。
手を伸ばす。
でも。
触れる直前。
止める。
『……好き』
心の中。
『触りたい』
『抱きしめたい』
『でも』
『そんなことしたら』
『もう幼なじみではいられない』
紗良の胸が。
苦しい。
近くにいる。
誰より近い。
なのに。
一番欲しい距離には。
行けない。
『陽向』
『好き』
『ずっと好き』
◇◇◇
「……っ!」
私は。
陽向の手を振り払った。
「美月!?」
息が。
苦しい。
胸を押さえる。
「また?」
陽向が。
すぐに気づく。
「紗良の記憶?」
私は。
ゆっくり。
頷いた。
「……うん」
「何見た?」
言えない。
「……」
「美月?」
私は。
陽向から。
視線を逸らした。
「陽向が」
「俺?」
「寝てた」
「いつ?」
「分かんない」
私は。
胸を押さえる。
まだ。
紗良の感情が。
残っている。
触れたい。
好き。
苦しい。
「紗良さんが」
声が。
小さくなる。
「陽向に触ろうとして」
「……」
「できなかった」
陽向の表情が。
変わる。
「どうして?」
「……好きだったから」
静かになった。
陽向も。
何も言わない。
「幼なじみじゃ」
私は。
紗良の感情を。
言葉にする。
「いられなくなるのが怖かったんだと思う」
「……」
「ずっと」
「陽向に触れたかった」
口にするたび。
胸が痛む。
そして。
分からなくなる。
今。
私の胸にある。
この苦しさ。
それは。
紗良の感情?
それとも。
私?
「……美月」
陽向が。
小さく呼ぶ。
私は。
顔を上げられない。
「私」
「うん」
「分かんなくなった」
「何が?」
涙が。
出そうになる。
「どこからが」
声が震える。
「私なのか」
陽向が。
黙る。
「陽向が近いと」
「ドキドキして」
「触られたら」
「嬉しくて」
「……」
「陽向が来るって言うと」
「楽しみで」
「帰ると」
「寂しくて」
もう。
止まらなかった。
「でも」
「それが」
涙が。
落ちる。
「私の気持ちなのか」
「紗良さんの気持ちなのか」
「分からない」
陽向は。
何も言わなかった。
「だって」
「紗良さん」
胸を押さえる。
「こんなに陽向のこと好きだった」
「……」
「その気持ちが」
「私の中に残ってる」
「だったら」
「私が今感じてることも」
「全部」
「紗良さんの気持ちかもしれないじゃん」
怖かった。
もし。
そうなら。
私は。
何を信じればいい?
「私は」
涙を拭う。
「陽向のこと」
そこまで言って。
止まる。
好き。
その一言を。
言えなかった。
「……ごめん」
私は。
立ち上がった。
「ちょっと一人になりたい」
「美月」
「今日は」
陽向を見る。
「帰ってもらっていい?」
陽向の目が。
少しだけ。
揺れた。
でも。
「……分かった」
それ以上。
何も言わなかった。
◇◇◇
玄関。
陽向が。
靴を履く。
「美月」
「何?」
私は。
少し離れて立っている。
「一個だけ」
「……うん」
陽向が。
私を見る。
「紗良の気持ちが残ってるのは」
「俺にも分かる」
「……うん」
「でも」
少し。
言葉を選ぶ。
「美月が笑うときと」
「紗良が笑ってたとき」
「全然違う」
私は。
目を瞬いた。
「怒り方も」
「泣き方も」
「飯食って喜ぶ顔も」
「歌ってるときも」
「……」
「全部」
陽向が。
少しだけ笑う。
「俺には美月に見えるよ」
胸の奥が。
大きく揺れた。
「だから」
「?」
「全部が全部」
「紗良の気持ちってことは」
少しだけ。
困ったように。
笑った。
「ないんじゃない?」
「……陽向」
「まあ」
ドアに手をかける。
「俺には分かんないけど」
「……」
「でも」
最後に。
もう一度。
私を見る。
「美月が何感じても」
「無理に今答え出さなくていいんじゃない?」
そして。
「またな」
静かに。
ドアが閉まった。
◇◇◇
一人になった部屋。
私は。
玄関の前に。
しばらく立っていた。
――俺には美月に見えるよ。
その言葉。
嬉しかった。
すごく。
「……これも?」
私は。
胸に手を当てた。
陽向に。
美月として見てもらえて。
こんなに嬉しい。
この気持ちも。
紗良なの?
分からない。
でも。
一つだけ。
考えてみる。
紗良の記憶が。
出てくる前。
高瀬美月だった頃。
私は。
陽向のことが好きだった。
ファンとして。
ずっと。
応援していた。
そして。
今。
知った。
テレビでは見えなかった陽向。
疲れた陽向。
不器用な陽向。
優しい陽向。
子どもみたいに笑う陽向。
その人を。
もっと知りたいと思ったのは。
誰?
「……私?」
小さく。
呟く。
答えは。
まだ出なかった。
ただ。
私は。
初めて。
自分自身に問いかけた。
もし。
一ノ瀬紗良の記憶が。
一つもなかったとしても。
私は。
今の陽向を。
好きになっていただろうか。
その答えを。
知るためには。
きっと。
もう少し。
自分の気持ちと。
向き合わなければならなかった。
楽しい。
落ち着く。
笑える。
そして。
最近。
それだけじゃなくなってきた。
「……」
私は。
一人。
ソファに座りながら。
自分の胸に手を当てていた。
ドクン。
ドクン。
思い出しているだけで。
心臓が。
少し速くなる。
昨日。
陽向が言った。
――俺、美月といると楽なんだよな。
その言葉。
何度思い出しても。
嬉しい。
嬉しくて。
顔が緩みそうになる。
「……ダメ」
私は。
両手で頬を押さえた。
何がダメなのか。
自分でも。
よく分からない。
でも。
このまま。
この気持ちに。
浮かれてはいけない気がした。
だって。
私の中には。
一ノ瀬紗良の記憶がある。
紗良の。
陽向への恋心が。
残っている。
陽向に触れられると。
胸が苦しくなる。
近くにいると。
嬉しい。
誰かと陽向が仲良くしている姿を想像すると。
少し。
嫌だと思う。
でも。
それは。
本当に私?
「……分かんないよ」
小さく呟く。
私は。
陽向のファンだった。
ずっと好きだった。
でも。
それは。
アイドルに向ける好き。
だったはず。
恋人になりたいとか。
結婚したいとか。
本気で。
そんなことを考えていたわけじゃない。
テレビで笑っていてくれたら。
幸せだった。
ライブで楽しそうなら。
嬉しかった。
なのに。
今は。
違う。
もっと。
そばにいたい。
陽向に。
『美月』
と呼ばれたい。
仕事が終わったら。
ここに来てほしい。
私が作ったご飯を。
美味しいと食べてほしい。
疲れた日は。
ここで休んでほしい。
そして。
私のことを。
もっと。
知ってほしい。
「……これって」
私は。
自分の胸を押さえる。
「恋なのかな」
言った瞬間。
ドクン。
心臓が。
大きく鳴った。
「……」
やっぱり。
そうなの?
でも。
「私の……?」
その答えだけが。
分からなかった。
◇◇◇
夕方。
スマートフォンが鳴った。
画面を見る。
陽向。
ただ名前が出ただけで。
胸が跳ねる。
「……ほら」
私は。
スマートフォンを睨んだ。
「こういうの」
以前なら。
推しから連絡が来る。
それだけで。
そりゃ大事件だった。
でも。
今のドキドキは。
そういうものとは。
少し違う。
通話ボタンを押す。
「もしもし」
『美月?』
声。
それだけで。
また。
胸が鳴る。
「うん」
『今日何してる?』
「特に何も」
『暇?』
「まあ」
『じゃあそっち行っていい?』
いつもなら。
『いいよ』
と。
すぐ答える。
でも。
今日は。
少しだけ。
迷った。
「……どうした?」
『え?』
「なんか今、間あった」
本当に。
よく気づく。
「別に」
『またそれ?』
「……」
『何かあった?』
「何もないよ」
『その言い方絶対何かある』
「ないって」
『じゃあ行って聞くわ』
「え!?」
『今から行く』
「ちょっと待って!」
『じゃ後で』
切れた。
「……もう」
私は。
スマートフォンを見る。
強引。
でも。
来てくれることが。
嬉しい。
「……重症」
ソファに。
顔を埋めた。
◇◇◇
一時間もしないうちに。
インターホンが鳴った。
「はーい」
玄関を開ける。
「よ」
陽向。
いつもの。
キャップに。
ラフな服装。
それだけなのに。
今日だけ。
妙に。
かっこよく見える。
「……」
「何?」
「何でもない」
「また?」
「本当に何でもない!」
「今日変じゃない?」
「陽向に言われたくない」
「俺今日めっちゃ普通だけど」
笑いながら。
部屋へ入ってくる。
私は。
その後ろ姿を見る。
やっぱり。
胸が。
ざわざわする。
どうしよう。
意識した瞬間。
全部。
おかしくなる。
◇◇◇
「美月」
「何?」
「今日、マジで変」
陽向が。
ソファから。
じっと私を見ている。
「変じゃない」
私は。
少し離れた場所に座っていた。
いつもなら。
隣に座るのに。
今日は。
一人分以上。
間が空いている。
「何でそんな遠いの?」
「遠くない」
「遠いよ」
陽向が。
自分と私の間を指差す。
「いつもここじゃん」
自分の隣。
「今日はここでいい」
「何で?」
「何でも」
「何でもって何?」
陽向が。
じりっと。
こっちへ寄る。
「ちょっと」
「何?」
「近い」
「いつもこれくらいだけど」
「今日は近いの!」
「意味分かんねぇ」
さらに。
少し近づく。
「陽向!」
「だから何なんだって!」
「近い!」
「何で急に!?」
陽向が。
こちらを覗き込む。
「……熱ある?」
「ない!」
額に。
手が伸びてくる。
「っ!」
触れられた瞬間。
身体が。
びくっとした。
胸が。
ドクンッ!
ものすごい音を立てる。
「……?」
陽向が。
手を止めた。
「美月?」
「……」
近い。
顔が。
近い。
陽向の手が。
まだ。
額にある。
昔なら。
『推しの手が!』
と。
大騒ぎしたかもしれない。
でも今は。
それより。
触れていることそのものが。
恥ずかしい。
陽向だから。
「……離して」
私は。
小さく言った。
陽向が。
すぐに手を離す。
「ごめん」
「……ううん」
「本当にどうした?」
心配そうな顔。
その顔を見て。
また。
胸が苦しくなる。
「……分かんない」
正直に。
答えた。
「何が?」
「自分でも」
私は。
膝の上で。
手を握る。
「最近」
「うん」
「陽向がいると」
言える?
無理。
「いると?」
「……変になる」
「俺、何かした?」
「してない」
「じゃあ何?」
陽向が。
本気で困っている。
私は。
顔を逸らす。
「だから分かんないの」
「……」
少し。
沈黙。
そして。
陽向が。
思いもしないことを聞いた。
「紗良?」
「え?」
「紗良の記憶とか」
胸が。
ぎゅっとなる。
「また何か出てる?」
「あ……」
そうだ。
陽向は。
そっちだと思う。
当然。
「……違う」
私は。
首を振った。
「今日は何も」
「じゃあ?」
答えられない。
陽向への気持ちが。
もしかしたら恋かもしれないなんて。
本人に。
言えるわけがない。
「……ごめん」
「また謝る」
「だって」
「無理に言わなくていいけど」
陽向は。
少しだけ。
私から離れた。
「美月が嫌なら」
「近づかない」
胸が。
ズキン。
嫌。
違う。
嫌だからじゃない。
「……違う!」
思わず。
陽向の腕を掴んだ。
「え?」
二人とも。
固まる。
私が。
陽向を掴んでいる。
「……」
「美月?」
「ご、ごめん」
慌てて離す。
でも。
今度は。
陽向のほうが。
私の手首を。
軽く掴んだ。
「嫌じゃない?」
「……うん」
「じゃあ何?」
陽向の指。
触れているところから。
熱が広がる。
その瞬間だった。
◇◇◇
『陽向』
知らない声。
いや。
もう知っている。
紗良。
視界が変わる。
夜。
陽向の部屋。
二人。
ソファ。
陽向が。
疲れたように眠っている。
紗良が。
その寝顔を見つめている。
そっと。
手を伸ばす。
でも。
触れる直前。
止める。
『……好き』
心の中。
『触りたい』
『抱きしめたい』
『でも』
『そんなことしたら』
『もう幼なじみではいられない』
紗良の胸が。
苦しい。
近くにいる。
誰より近い。
なのに。
一番欲しい距離には。
行けない。
『陽向』
『好き』
『ずっと好き』
◇◇◇
「……っ!」
私は。
陽向の手を振り払った。
「美月!?」
息が。
苦しい。
胸を押さえる。
「また?」
陽向が。
すぐに気づく。
「紗良の記憶?」
私は。
ゆっくり。
頷いた。
「……うん」
「何見た?」
言えない。
「……」
「美月?」
私は。
陽向から。
視線を逸らした。
「陽向が」
「俺?」
「寝てた」
「いつ?」
「分かんない」
私は。
胸を押さえる。
まだ。
紗良の感情が。
残っている。
触れたい。
好き。
苦しい。
「紗良さんが」
声が。
小さくなる。
「陽向に触ろうとして」
「……」
「できなかった」
陽向の表情が。
変わる。
「どうして?」
「……好きだったから」
静かになった。
陽向も。
何も言わない。
「幼なじみじゃ」
私は。
紗良の感情を。
言葉にする。
「いられなくなるのが怖かったんだと思う」
「……」
「ずっと」
「陽向に触れたかった」
口にするたび。
胸が痛む。
そして。
分からなくなる。
今。
私の胸にある。
この苦しさ。
それは。
紗良の感情?
それとも。
私?
「……美月」
陽向が。
小さく呼ぶ。
私は。
顔を上げられない。
「私」
「うん」
「分かんなくなった」
「何が?」
涙が。
出そうになる。
「どこからが」
声が震える。
「私なのか」
陽向が。
黙る。
「陽向が近いと」
「ドキドキして」
「触られたら」
「嬉しくて」
「……」
「陽向が来るって言うと」
「楽しみで」
「帰ると」
「寂しくて」
もう。
止まらなかった。
「でも」
「それが」
涙が。
落ちる。
「私の気持ちなのか」
「紗良さんの気持ちなのか」
「分からない」
陽向は。
何も言わなかった。
「だって」
「紗良さん」
胸を押さえる。
「こんなに陽向のこと好きだった」
「……」
「その気持ちが」
「私の中に残ってる」
「だったら」
「私が今感じてることも」
「全部」
「紗良さんの気持ちかもしれないじゃん」
怖かった。
もし。
そうなら。
私は。
何を信じればいい?
「私は」
涙を拭う。
「陽向のこと」
そこまで言って。
止まる。
好き。
その一言を。
言えなかった。
「……ごめん」
私は。
立ち上がった。
「ちょっと一人になりたい」
「美月」
「今日は」
陽向を見る。
「帰ってもらっていい?」
陽向の目が。
少しだけ。
揺れた。
でも。
「……分かった」
それ以上。
何も言わなかった。
◇◇◇
玄関。
陽向が。
靴を履く。
「美月」
「何?」
私は。
少し離れて立っている。
「一個だけ」
「……うん」
陽向が。
私を見る。
「紗良の気持ちが残ってるのは」
「俺にも分かる」
「……うん」
「でも」
少し。
言葉を選ぶ。
「美月が笑うときと」
「紗良が笑ってたとき」
「全然違う」
私は。
目を瞬いた。
「怒り方も」
「泣き方も」
「飯食って喜ぶ顔も」
「歌ってるときも」
「……」
「全部」
陽向が。
少しだけ笑う。
「俺には美月に見えるよ」
胸の奥が。
大きく揺れた。
「だから」
「?」
「全部が全部」
「紗良の気持ちってことは」
少しだけ。
困ったように。
笑った。
「ないんじゃない?」
「……陽向」
「まあ」
ドアに手をかける。
「俺には分かんないけど」
「……」
「でも」
最後に。
もう一度。
私を見る。
「美月が何感じても」
「無理に今答え出さなくていいんじゃない?」
そして。
「またな」
静かに。
ドアが閉まった。
◇◇◇
一人になった部屋。
私は。
玄関の前に。
しばらく立っていた。
――俺には美月に見えるよ。
その言葉。
嬉しかった。
すごく。
「……これも?」
私は。
胸に手を当てた。
陽向に。
美月として見てもらえて。
こんなに嬉しい。
この気持ちも。
紗良なの?
分からない。
でも。
一つだけ。
考えてみる。
紗良の記憶が。
出てくる前。
高瀬美月だった頃。
私は。
陽向のことが好きだった。
ファンとして。
ずっと。
応援していた。
そして。
今。
知った。
テレビでは見えなかった陽向。
疲れた陽向。
不器用な陽向。
優しい陽向。
子どもみたいに笑う陽向。
その人を。
もっと知りたいと思ったのは。
誰?
「……私?」
小さく。
呟く。
答えは。
まだ出なかった。
ただ。
私は。
初めて。
自分自身に問いかけた。
もし。
一ノ瀬紗良の記憶が。
一つもなかったとしても。
私は。
今の陽向を。
好きになっていただろうか。
その答えを。
知るためには。
きっと。
もう少し。
自分の気持ちと。
向き合わなければならなかった。



