カラオケに行った日から。
私と陽向の距離は。
少しだけ。
変わった気がした。
何が。
とは。
うまく説明できない。
今までだって。
家に来て。
一緒にご飯を食べて。
テレビを見て。
くだらないことで笑っていた。
でも。
あの日。
私が歌うのを。
陽向が真剣に聴いてくれて。
私自身が忘れていた。
『好き』
を。
一緒に見つけてくれた。
それから。
陽向が。
ほんの少しだけ。
近く感じるようになった。
推しとしてではなく。
一人の人として。
◇◇◇
「美月ー」
休日の午後。
ソファに寝転がっていた陽向が。
だらしない声で。
私を呼んだ。
「何?」
私は。
キッチンで。
洗ったカップを片づけている。
「アイス」
「冷凍庫」
「取って」
「自分で取って」
「遠い」
「五歩くらいでしょ」
「今日休みだから動きたくない」
「知らないよ」
「美月ぃ」
「その呼び方してもダメ」
陽向が。
ソファの背もたれから。
顔だけ出して。
こっちを見る。
「冷たい」
「三十四歳でしょ」
「三十四歳だってアイス取ってほしい日はある」
「どんな日?」
「今日」
「限定的すぎる」
私は笑う。
結局。
冷凍庫から。
二つアイスを取り出した。
「はい」
「やった!」
「ほんと子ども」
「ありがと」
陽向が。
嬉しそうに受け取る。
私は。
隣に座って。
自分のアイスを開けた。
テレビでは。
昔の映画が流れている。
陽向は。
アイスを食べながら。
真剣に見ていた。
こんな時間が。
最近。
増えた。
何か特別なことをするわけじゃない。
二人で。
ご飯を食べたり。
テレビを見たり。
陽向がゲームをして。
私が隣で別のことをしたり。
会話がない時間さえ。
増えていた。
なのに。
不思議と。
気まずくない。
前なら。
誰かと同じ空間にいると。
何か話さなきゃ。
何かしなきゃ。
機嫌悪くないかな。
退屈してないかな。
そんなことを。
考えていた。
でも。
陽向は。
私が黙っていても。
何も言わない。
自分も。
好きなように過ごしている。
それが。
すごく楽だった。
「……何?」
突然。
陽向が聞く。
「え?」
「こっち見てた」
「見てない」
「見てたって」
「映画見てた」
「スクリーンこっちじゃないけど」
「……」
バレた。
「何考えてた?」
「……陽向って」
「うん」
「人と一緒にいても」
少し考える。
「ずっと話してなくて平気なんだなって」
陽向が。
アイスのスプーンを止めた。
「何それ」
「いや」
私は笑う。
「私さ」
「誰かといると」
「何かしなきゃって思うこと多かったから」
「何か?」
「話したり」
「飲み物出したり」
「相手が暇そうなら何か考えたり」
「……」
「でも陽向」
私は。
隣を見る。
「勝手に寝るし」
「おい」
「勝手にゲームするし」
「人聞き悪いな」
「お腹すいたら言うし」
「それは言う」
「だから」
少しだけ笑った。
「私も好きにしていいんだなって思える」
陽向は。
しばらく。
何も言わなかった。
「……それ」
「?」
「普通じゃない?」
また。
その言葉。
普通。
「そうなのかな」
「友達ん家とか」
「俺、普通に寝るけど」
「それは寝すぎ」
「いやいや」
陽向が笑う。
「一緒にいるからって」
「ずっと相手に合わせる必要ないじゃん」
「……」
「同じ部屋で」
「それぞれ好きなことしてても」
「一緒にいることには変わんなくない?」
胸の奥が。
少しだけ。
温かくなる。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ」
私は。
ソファに少し深く座る。
「私も好きなことしよう」
「何すんの?」
「本読む」
「俺映画見る」
「うん」
「アイスもう一個食う」
「それはダメ」
「なんで!」
「食べすぎ」
「急に母親!」
「健康管理です」
陽向が。
不満そうな顔をする。
その顔が。
面白くて。
笑ってしまった。
◇◇◇
しばらく。
静かな時間が流れた。
私は。
本を読んでいる。
陽向は。
映画。
ときどき。
陽向が。
笑う。
その声につられて。
私も。
画面を見る。
「何?」
「今のとこ面白かった」
「本読んでたじゃん」
「笑い声で気になった」
「じゃあ一緒に見ればいいじゃん」
「あと少しで読み終わるから」
「はいはい」
また。
それぞれ。
自分のことをする。
こんな時間。
前の人生では。
あっただろうか。
たぶん。
あった。
でも。
私は。
いつも。
周りの空気を気にしていた。
今。
陽向の隣では。
それを。
あまりしなくなっている。
「……不思議」
無意識に。
呟いた。
「何が?」
「聞こえてた?」
「聞こえる距離だから」
私は。
本を閉じた。
「私」
「うん」
「陽向といると」
言葉を探す。
「気を使わなくなってきた」
陽向の眉が上がる。
「今まで使ってたの?」
「使ってたよ!」
「えー?」
「推しだよ?」
「まだそこ?」
「最初は!」
思い出す。
顔が近いだけで。
心の中で大騒ぎ。
荷物を持ってもらうだけで。
恐縮して。
名前を呼ぶことすら。
大事件だった。
「今は?」
陽向が聞く。
「……」
私は。
少し考えた。
今は。
目の前の陽向を見て。
最初に。
『トップアイドル』
とは思わない。
「今は」
「うん」
「陽向」
「だから?」
「陽向は陽向」
言うと。
陽向が。
少しだけ目を丸くした。
「……それ」
「何?」
「紗良が昔よく言ってた」
胸が。
ほんの少し。
ざわついた。
でも。
陽向はすぐに続けた。
「でも」
「?」
「意味は違うな」
「どう違うの?」
「紗良は」
陽向が。
少し懐かしそうに笑う。
「俺がどんだけ有名になっても」
「昔から知ってる陽向は陽向って感じ」
「……うん」
「美月は」
私を見る。
「アイドルから」
少しずつ。
「ただの俺になったって感じ」
心臓が。
ドクンと鳴る。
「……うん」
否定できない。
「嫌?」
陽向が聞く。
「え?」
「推しがただの男になって」
「……」
ただの男。
その言葉で。
妙に意識してしまう。
陽向は。
男性。
三十四歳。
私と同い年。
アイドル。
でも。
一人の男性。
「嫌じゃない」
声が。
少し小さくなる。
「むしろ」
「?」
「前より」
言いかけて。
止まる。
前より。
好き。
そう言いそうになった。
違う。
何を。
言おうとしてるの。
「前より?」
陽向が。
身を乗り出す。
「……近い」
私は。
別の言葉にした。
「近く感じる」
陽向が。
少しだけ。
黙る。
「そっか」
それだけ。
でも。
なぜか。
陽向の耳が。
少し赤く見えた。
◇◇◇
夜になり。
二人で夕食を作った。
今日は。
簡単な鍋。
「陽向、それ入れすぎ」
「野菜いっぱい食ったほうがいいだろ」
「鍋から溢れるって」
「押し込めば入る!」
「料理ってそういうものじゃないから!」
「あっ!」
「何?」
「肉落ちた」
「ちょっと!」
また。
二人で笑う。
結果。
少し具材の多すぎる鍋が完成した。
「いただきます」
「いただきます!」
向かい合って。
食べる。
「うまっ」
「鍋でそこまでリアクションできる?」
「冬の鍋最高じゃん」
「まだ冬じゃないけど」
「気分!」
「何それ」
陽向が。
楽しそうに笑う。
私も。
笑う。
「そういえば」
陽向が。
箸を動かしながら。
「美月」
「何?」
「最近」
「うん」
「俺が来ても驚かなくなったよな」
「あ」
確かに。
最初は。
インターホンに陽向が映るだけで。
心臓が跳ねていた。
今は。
『また来た』
くらい。
「慣れた」
「ひど」
「いい意味で」
「俺、トップアイドルなんだけど」
「知ってる」
「もっとありがたがって」
「昨日テレビで見た」
「それ本人!」
「本人今鍋食べてる」
「扱い!」
笑う。
そのとき。
陽向が。
ぽつりと言った。
「でも」
「?」
「俺もなんだよな」
「何が?」
「美月んとこ来るの」
箸を置く。
「普通になってる」
「……」
「仕事終わって」
「今日何しようって考えたとき」
「気づくと」
陽向が。
少し笑う。
「ここ来ようかなって思う」
胸の奥が。
大きく鳴った。
「何で?」
思わず。
聞いてしまう。
陽向は。
一瞬。
考えた。
それから。
ものすごく自然に。
答えた。
「俺、美月といると楽なんだよな」
「……」
時間が。
止まった気がした。
「楽?」
「うん」
「……どういう意味?」
聞かなくても。
いいのに。
聞いてしまう。
「なんか」
陽向が。
少し照れくさそうに笑う。
「頑張らなくていい」
「……」
「喋りたきゃ喋るし」
「寝たきゃ寝るし」
「飯食いたきゃ腹減ったって言えるし」
「それはいつも言ってる」
「だから」
笑う。
「仕事の話してもいいし」
「しなくてもいい」
「……」
「テレビの俺見て」
「かっこいいって言うくせに」
「家では普通に」
「皿洗ってとか言うし」
「だって使ったんだから」
「そういうとこ」
陽向が。
私を見た。
「俺を」
「天城陽向として扱ってないじゃん」
その目が。
すごく。
優しかった。
「……嫌だった?」
「逆」
即答。
「楽」
また。
同じ言葉。
「美月といると」
「ただの陽向でいられる」
胸が。
いっぱいになる。
「……私も」
自然と。
言葉が出た。
「うん?」
「陽向といると」
私は。
少し笑う。
「ただの美月でいられる」
陽向が。
目を見開く。
「母親じゃなくて」
「妻じゃなくて」
「誰かの嫁でもなくて」
「……」
「紗良さんでもなくて」
胸に。
手を当てる。
「ただの」
「高瀬美月」
陽向が。
ゆっくり笑った。
「じゃあ」
「?」
「一緒じゃん」
「……うん」
「俺もただの陽向」
「美月もただの美月」
「うん」
「最高じゃん」
陽向らしい。
大きな笑顔。
その笑顔を見て。
私も。
笑った。
◇◇◇
食事のあと。
陽向は。
ソファに座って。
ゲームを始めた。
「美月」
「何?」
「ここクリアできない」
「知らないよ」
「見て」
「ゲーム分かんない」
「応援して」
「頑張れー」
「適当!」
「ご飯片づけてるの!」
こんな。
何でもない時間。
でも。
私は。
思う。
幸せって。
もしかしたら。
こういうものなのかもしれない。
何か。
大きなことをしてもらうことじゃない。
誰かと。
同じ場所で。
無理せず。
笑って。
それぞれ好きなことをして。
必要なときだけ。
話しかける。
そんなこと。
私は。
ずっと。
求めていたのかもしれない。
「美月!」
「何!」
「クリアした!」
陽向が。
子どもみたいに。
両手を上げる。
「すごいすごい」
「もっと喜んで!」
「やったー!」
「棒読み!」
「もう」
笑いながら。
陽向を見る。
その瞬間。
心臓が。
少し。
苦しくなるくらい。
鳴った。
私は。
気づき始めていた。
この人を。
見る気持ちが。
少しずつ。
変わっている。
天城陽向が。
好き。
それは。
ずっとそうだった。
でも。
今。
好きなのは。
ステージで歌う陽向だけじゃない。
玉ねぎを大きく切る陽向。
ソファで寝落ちする陽向。
疲れたと言える陽向。
アイスを取ってと甘える陽向。
そして。
私の前で。
『ただの陽向』でいてくれる。
この人。
そのもの。
でも。
まだ。
それを。
恋だと認めるのは。
怖かった。
だって。
この身体には。
一ノ瀬紗良の。
陽向への恋が。
残っている。
だから。
私はまだ。
知らない。
今。
胸の中で。
膨らみ始めているこの気持ちが。
紗良のものなのか。
それとも。
高瀬美月自身の。
恋なのかを。
私と陽向の距離は。
少しだけ。
変わった気がした。
何が。
とは。
うまく説明できない。
今までだって。
家に来て。
一緒にご飯を食べて。
テレビを見て。
くだらないことで笑っていた。
でも。
あの日。
私が歌うのを。
陽向が真剣に聴いてくれて。
私自身が忘れていた。
『好き』
を。
一緒に見つけてくれた。
それから。
陽向が。
ほんの少しだけ。
近く感じるようになった。
推しとしてではなく。
一人の人として。
◇◇◇
「美月ー」
休日の午後。
ソファに寝転がっていた陽向が。
だらしない声で。
私を呼んだ。
「何?」
私は。
キッチンで。
洗ったカップを片づけている。
「アイス」
「冷凍庫」
「取って」
「自分で取って」
「遠い」
「五歩くらいでしょ」
「今日休みだから動きたくない」
「知らないよ」
「美月ぃ」
「その呼び方してもダメ」
陽向が。
ソファの背もたれから。
顔だけ出して。
こっちを見る。
「冷たい」
「三十四歳でしょ」
「三十四歳だってアイス取ってほしい日はある」
「どんな日?」
「今日」
「限定的すぎる」
私は笑う。
結局。
冷凍庫から。
二つアイスを取り出した。
「はい」
「やった!」
「ほんと子ども」
「ありがと」
陽向が。
嬉しそうに受け取る。
私は。
隣に座って。
自分のアイスを開けた。
テレビでは。
昔の映画が流れている。
陽向は。
アイスを食べながら。
真剣に見ていた。
こんな時間が。
最近。
増えた。
何か特別なことをするわけじゃない。
二人で。
ご飯を食べたり。
テレビを見たり。
陽向がゲームをして。
私が隣で別のことをしたり。
会話がない時間さえ。
増えていた。
なのに。
不思議と。
気まずくない。
前なら。
誰かと同じ空間にいると。
何か話さなきゃ。
何かしなきゃ。
機嫌悪くないかな。
退屈してないかな。
そんなことを。
考えていた。
でも。
陽向は。
私が黙っていても。
何も言わない。
自分も。
好きなように過ごしている。
それが。
すごく楽だった。
「……何?」
突然。
陽向が聞く。
「え?」
「こっち見てた」
「見てない」
「見てたって」
「映画見てた」
「スクリーンこっちじゃないけど」
「……」
バレた。
「何考えてた?」
「……陽向って」
「うん」
「人と一緒にいても」
少し考える。
「ずっと話してなくて平気なんだなって」
陽向が。
アイスのスプーンを止めた。
「何それ」
「いや」
私は笑う。
「私さ」
「誰かといると」
「何かしなきゃって思うこと多かったから」
「何か?」
「話したり」
「飲み物出したり」
「相手が暇そうなら何か考えたり」
「……」
「でも陽向」
私は。
隣を見る。
「勝手に寝るし」
「おい」
「勝手にゲームするし」
「人聞き悪いな」
「お腹すいたら言うし」
「それは言う」
「だから」
少しだけ笑った。
「私も好きにしていいんだなって思える」
陽向は。
しばらく。
何も言わなかった。
「……それ」
「?」
「普通じゃない?」
また。
その言葉。
普通。
「そうなのかな」
「友達ん家とか」
「俺、普通に寝るけど」
「それは寝すぎ」
「いやいや」
陽向が笑う。
「一緒にいるからって」
「ずっと相手に合わせる必要ないじゃん」
「……」
「同じ部屋で」
「それぞれ好きなことしてても」
「一緒にいることには変わんなくない?」
胸の奥が。
少しだけ。
温かくなる。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ」
私は。
ソファに少し深く座る。
「私も好きなことしよう」
「何すんの?」
「本読む」
「俺映画見る」
「うん」
「アイスもう一個食う」
「それはダメ」
「なんで!」
「食べすぎ」
「急に母親!」
「健康管理です」
陽向が。
不満そうな顔をする。
その顔が。
面白くて。
笑ってしまった。
◇◇◇
しばらく。
静かな時間が流れた。
私は。
本を読んでいる。
陽向は。
映画。
ときどき。
陽向が。
笑う。
その声につられて。
私も。
画面を見る。
「何?」
「今のとこ面白かった」
「本読んでたじゃん」
「笑い声で気になった」
「じゃあ一緒に見ればいいじゃん」
「あと少しで読み終わるから」
「はいはい」
また。
それぞれ。
自分のことをする。
こんな時間。
前の人生では。
あっただろうか。
たぶん。
あった。
でも。
私は。
いつも。
周りの空気を気にしていた。
今。
陽向の隣では。
それを。
あまりしなくなっている。
「……不思議」
無意識に。
呟いた。
「何が?」
「聞こえてた?」
「聞こえる距離だから」
私は。
本を閉じた。
「私」
「うん」
「陽向といると」
言葉を探す。
「気を使わなくなってきた」
陽向の眉が上がる。
「今まで使ってたの?」
「使ってたよ!」
「えー?」
「推しだよ?」
「まだそこ?」
「最初は!」
思い出す。
顔が近いだけで。
心の中で大騒ぎ。
荷物を持ってもらうだけで。
恐縮して。
名前を呼ぶことすら。
大事件だった。
「今は?」
陽向が聞く。
「……」
私は。
少し考えた。
今は。
目の前の陽向を見て。
最初に。
『トップアイドル』
とは思わない。
「今は」
「うん」
「陽向」
「だから?」
「陽向は陽向」
言うと。
陽向が。
少しだけ目を丸くした。
「……それ」
「何?」
「紗良が昔よく言ってた」
胸が。
ほんの少し。
ざわついた。
でも。
陽向はすぐに続けた。
「でも」
「?」
「意味は違うな」
「どう違うの?」
「紗良は」
陽向が。
少し懐かしそうに笑う。
「俺がどんだけ有名になっても」
「昔から知ってる陽向は陽向って感じ」
「……うん」
「美月は」
私を見る。
「アイドルから」
少しずつ。
「ただの俺になったって感じ」
心臓が。
ドクンと鳴る。
「……うん」
否定できない。
「嫌?」
陽向が聞く。
「え?」
「推しがただの男になって」
「……」
ただの男。
その言葉で。
妙に意識してしまう。
陽向は。
男性。
三十四歳。
私と同い年。
アイドル。
でも。
一人の男性。
「嫌じゃない」
声が。
少し小さくなる。
「むしろ」
「?」
「前より」
言いかけて。
止まる。
前より。
好き。
そう言いそうになった。
違う。
何を。
言おうとしてるの。
「前より?」
陽向が。
身を乗り出す。
「……近い」
私は。
別の言葉にした。
「近く感じる」
陽向が。
少しだけ。
黙る。
「そっか」
それだけ。
でも。
なぜか。
陽向の耳が。
少し赤く見えた。
◇◇◇
夜になり。
二人で夕食を作った。
今日は。
簡単な鍋。
「陽向、それ入れすぎ」
「野菜いっぱい食ったほうがいいだろ」
「鍋から溢れるって」
「押し込めば入る!」
「料理ってそういうものじゃないから!」
「あっ!」
「何?」
「肉落ちた」
「ちょっと!」
また。
二人で笑う。
結果。
少し具材の多すぎる鍋が完成した。
「いただきます」
「いただきます!」
向かい合って。
食べる。
「うまっ」
「鍋でそこまでリアクションできる?」
「冬の鍋最高じゃん」
「まだ冬じゃないけど」
「気分!」
「何それ」
陽向が。
楽しそうに笑う。
私も。
笑う。
「そういえば」
陽向が。
箸を動かしながら。
「美月」
「何?」
「最近」
「うん」
「俺が来ても驚かなくなったよな」
「あ」
確かに。
最初は。
インターホンに陽向が映るだけで。
心臓が跳ねていた。
今は。
『また来た』
くらい。
「慣れた」
「ひど」
「いい意味で」
「俺、トップアイドルなんだけど」
「知ってる」
「もっとありがたがって」
「昨日テレビで見た」
「それ本人!」
「本人今鍋食べてる」
「扱い!」
笑う。
そのとき。
陽向が。
ぽつりと言った。
「でも」
「?」
「俺もなんだよな」
「何が?」
「美月んとこ来るの」
箸を置く。
「普通になってる」
「……」
「仕事終わって」
「今日何しようって考えたとき」
「気づくと」
陽向が。
少し笑う。
「ここ来ようかなって思う」
胸の奥が。
大きく鳴った。
「何で?」
思わず。
聞いてしまう。
陽向は。
一瞬。
考えた。
それから。
ものすごく自然に。
答えた。
「俺、美月といると楽なんだよな」
「……」
時間が。
止まった気がした。
「楽?」
「うん」
「……どういう意味?」
聞かなくても。
いいのに。
聞いてしまう。
「なんか」
陽向が。
少し照れくさそうに笑う。
「頑張らなくていい」
「……」
「喋りたきゃ喋るし」
「寝たきゃ寝るし」
「飯食いたきゃ腹減ったって言えるし」
「それはいつも言ってる」
「だから」
笑う。
「仕事の話してもいいし」
「しなくてもいい」
「……」
「テレビの俺見て」
「かっこいいって言うくせに」
「家では普通に」
「皿洗ってとか言うし」
「だって使ったんだから」
「そういうとこ」
陽向が。
私を見た。
「俺を」
「天城陽向として扱ってないじゃん」
その目が。
すごく。
優しかった。
「……嫌だった?」
「逆」
即答。
「楽」
また。
同じ言葉。
「美月といると」
「ただの陽向でいられる」
胸が。
いっぱいになる。
「……私も」
自然と。
言葉が出た。
「うん?」
「陽向といると」
私は。
少し笑う。
「ただの美月でいられる」
陽向が。
目を見開く。
「母親じゃなくて」
「妻じゃなくて」
「誰かの嫁でもなくて」
「……」
「紗良さんでもなくて」
胸に。
手を当てる。
「ただの」
「高瀬美月」
陽向が。
ゆっくり笑った。
「じゃあ」
「?」
「一緒じゃん」
「……うん」
「俺もただの陽向」
「美月もただの美月」
「うん」
「最高じゃん」
陽向らしい。
大きな笑顔。
その笑顔を見て。
私も。
笑った。
◇◇◇
食事のあと。
陽向は。
ソファに座って。
ゲームを始めた。
「美月」
「何?」
「ここクリアできない」
「知らないよ」
「見て」
「ゲーム分かんない」
「応援して」
「頑張れー」
「適当!」
「ご飯片づけてるの!」
こんな。
何でもない時間。
でも。
私は。
思う。
幸せって。
もしかしたら。
こういうものなのかもしれない。
何か。
大きなことをしてもらうことじゃない。
誰かと。
同じ場所で。
無理せず。
笑って。
それぞれ好きなことをして。
必要なときだけ。
話しかける。
そんなこと。
私は。
ずっと。
求めていたのかもしれない。
「美月!」
「何!」
「クリアした!」
陽向が。
子どもみたいに。
両手を上げる。
「すごいすごい」
「もっと喜んで!」
「やったー!」
「棒読み!」
「もう」
笑いながら。
陽向を見る。
その瞬間。
心臓が。
少し。
苦しくなるくらい。
鳴った。
私は。
気づき始めていた。
この人を。
見る気持ちが。
少しずつ。
変わっている。
天城陽向が。
好き。
それは。
ずっとそうだった。
でも。
今。
好きなのは。
ステージで歌う陽向だけじゃない。
玉ねぎを大きく切る陽向。
ソファで寝落ちする陽向。
疲れたと言える陽向。
アイスを取ってと甘える陽向。
そして。
私の前で。
『ただの陽向』でいてくれる。
この人。
そのもの。
でも。
まだ。
それを。
恋だと認めるのは。
怖かった。
だって。
この身体には。
一ノ瀬紗良の。
陽向への恋が。
残っている。
だから。
私はまだ。
知らない。
今。
胸の中で。
膨らみ始めているこの気持ちが。
紗良のものなのか。
それとも。
高瀬美月自身の。
恋なのかを。



