目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

「……本当に行くの?」

「ここまで来て何言ってんの?」

陽向が呆れたように笑う。

目の前には。

都内の会員制カラオケ店。

芸能人もよく利用するらしく。

普通のカラオケ店とは違って。

入口からして。

妙に高級感がある。

そして。

私は。

その入口の前で。

完全に足が止まっていた。

「だって……」

「何?」

「陽向とカラオケだよ?」

「うん」

「天城陽向と!」

「俺だけど」

「トップアイドルと!」

「それも俺」

「プロの歌手の前で歌えって!」

「昨日からそれしか言ってないじゃん」

「普通無理でしょ!」

陽向が。

声を上げて笑う。

「あははっ! 美月、顔めっちゃ必死!」

「笑い事じゃない!」

「俺、美月が歌うの楽しみにしてたんだけど」

「余計プレッシャー!」

逃げようか。

本気で考える。

だって。

私は昔から歌うことが好きだった。

家でも。

車でも。

カラオケでも。

よく歌った。

でも。

それと。

プロのアイドル。

しかも。

十年以上推してきた本人の前で歌うのは。

まったく別の話だ。

「帰る?」

陽向が聞く。

「……」

少し迷う。

でも。

歌いたい。

陽向が。

『美月の好きなこと、もう一回探せばいい』

と言ってくれた。

そして。

最初に思い浮かんだものが。

歌だった。

「……行く」

私は。

小さく答えた。

「よし」

陽向が笑う。

「じゃ、行こうぜ」

「でも笑ったら帰るからね」

「笑わないって」

「下手とか言わない?」

「言わない」

「点数低くても?」

「採点やる気満々じゃん」

「……あ」

陽向がまた笑う。

「ほら、行きたいんじゃん」

「もう!」

◇◇◇

部屋に入って。

私は。

もう一度固まった。

広い。

ソファも大きい。

巨大なモニター。

そして。

ちゃんとしたマイク。

「すご……」

「ここ結構来るよ」

「ASTERで?」

「メンバーとも来るし、一人でも」

「一人カラオケするの?」

「するよ」

意外。

「何歌うの?」

「アニソン」

即答。

「ASTERじゃないんだ」

「自分の曲一人で歌ってどうすんの」

「確かに」

陽向が。

リモコンを私に渡す。

「はい」

「え?」

「一曲目」

「私から!?」

「当然」

「陽向から歌ってよ!」

「今日は美月が歌いたいって言ったから来たんでしょ」

「でも!」

また。

この言葉。

陽向がニヤッとする。

「禁止」

「……」

ずるい。

私は。

リモコンを見る。

何を歌おう。

いつもなら。

迷わないのに。

今日だけは。

何を選んでも。

陽向が隣にいる。

手が震える。

「美月」

「何?」

「別にオーディションじゃないよ」

「分かってる」

「俺に上手いって思われなきゃいけないわけでもない」

「……」

「美月が歌いたいやつ入れれば?」

その言葉で。

少しだけ。

肩の力が抜けた。

「……じゃあ」

私は。

昔から好きだった曲を入れる。

イントロが流れる。

「お」

陽向が反応する。

「これ好きなんだ?」

「うん」

「俺も知ってる」

「絶対歌わないでね」

「え!?」

「緊張するから!」

「じゃあ黙って聴きます」

陽向が。

妙に姿勢を正す。

「それも緊張する!」

「どうしろっていうんだよ!」

笑ってしまった。

その笑いで。

少しだけ。

緊張が解けた。

そして。

前奏が終わる。

私は。

息を吸った。

◇◇◇

歌い始めた瞬間。

不思議だった。

あれだけ。

陽向のことを意識していたのに。

曲の中に入ると。

だんだん。

周りが気にならなくなっていった。

歌う。

ただ。

歌う。

久しぶりだった。

子どもたちが生まれてから。

一人で思い切り歌える時間なんて。

ほとんどなかった。

家では。

誰かがいる。

カラオケに行っても。

子どもの曲を入れたり。

子どもが歌うのを聞いたり。

もちろん。

それも楽しかった。

でも。

自分が。

自分のためだけに。

一曲を歌う。

そんな時間。

いつ以来だろう。

声を出すたび。

胸の中に溜まっていたものまで。

少しずつ。

外へ出ていく気がした。

そして。

最後の一音。

曲が終わった。

「……」

静か。

私は。

恐る恐る。

陽向を見る。

「……何?」

陽向が。

じっとこちらを見ていた。

「陽向?」

「……え」

「何その顔!」

「いや」

陽向が。

ようやく瞬きをする。

「美月」

「何?」

「歌うまくない?」

「……え?」

想像していなかった。

「本当に?」

「いや、普通に」

陽向が身体を起こす。

「上手いよ」

「……」

「声いいし」

「……」

「音程も安定してるし」

「……」

「あと」

少し考える。

「歌い方にちゃんと感情ある」

プロに。

褒められている。

天城陽向に。

歌を。

褒められている。

「……無理」

私は。

両手で顔を覆った。

「何が!?」

「嬉しすぎる」

「そんなに?」

「だって!」

顔を上げる。

「私、十年以上陽向の歌聴いてきたんだよ!?」

「うん」

「その陽向に歌褒められてる!」

「……ああ」

陽向が。

納得したように笑う。

「またファンになった」

「今日は許して!」

「いいけど」

「本当に上手かった?」

「だから上手いって」

「お世辞じゃない?」

「俺、歌で適当なこと言わないよ」

その一言で。

また。

胸がいっぱいになる。

「……そっか」

「うん」

「嬉しい」

今度は。

ちゃんと言えた。

嬉しい。

陽向が。

少し笑った。

「その顔」

「何?」

「いいね」

「え?」

「なんか」

陽向が。

私を見る。

「美月が本当に好きなことやってる顔」

胸が。

少しだけ鳴った。

◇◇◇

「次、陽向!」

「はいはい」

マイクを渡す。

陽向が曲を入れる。

イントロが流れた瞬間。

私は。

目を見開いた。

「これ!」

「知ってる?」

「知ってるどころじゃない!」

ASTERの曲。

しかも。

私が好きな。

少し前のアルバム曲。

「これ選ぶの!?」

「美月好きって言ってたじゃん」

「覚えてたの?」

「俺、美月メモあるから」

「まだ使ってるの!?」

「もちろん」

そして。

陽向が。

歌い始めた。

「……」

無理。

これは。

無理。

さっきまで。

家で。

普通に朝ご飯を作ったり。

玉ねぎを大きく切ったり。

ソファで寝たりする人だと思っていたのに。

マイクを持った瞬間。

全部。

変わる。

歌声。

表情。

リズムの取り方。

ステージではない。

観客も。

私一人。

なのに。

完全に。

天城陽向だった。

「……かっこいい」

小さく。

呟く。

こんなの。

好きにならないほうが。

無理じゃない?

ファンだった頃から。

ずっと好きだった。

でも。

今は。

それとは違う。

画面の中の陽向ではない。

すぐ隣で。

私のために。

私の好きな曲を歌っている。

その事実が。

心臓に悪すぎる。

曲が終わる。

「どう?」

陽向が笑う。

「……無理」

「また!?」

「かっこよすぎる」

口から。

そのまま出た。

陽向が。

一瞬。

固まった。

「……」

私も。

数秒遅れて気づく。

「……あ」

「美月」

「ファンとして!」

また。

いつもの言い訳。

陽向が。

少しだけ笑う。

「毎回それ言うよな」

「本当だから!」

「はいはい」

「信じてない!」

でも。

陽向の耳が。

少しだけ赤い。

気のせい?

◇◇◇

そこからは。

最初の緊張が嘘みたいだった。

歌う。

陽向が盛り上げる。

陽向が歌う。

私が盛り上がる。

アニソン。

昔のJ-POP。

ASTER。

デュエット曲まで。

「ちょっと待って!」

私は笑う。

「陽向、ハモリ勝手に入れないで!」

「いいじゃん!」

「私、つられる!」

「つられんな!」

「プロと一緒にしないで!」

「あはははっ!」

歌って。

笑って。

また歌う。

気づけば。

三時間以上経っていた。

「……楽しい」

ソファに身体を預けて。

自然と。

言葉が出た。

陽向が。

隣を見る。

「楽しかった?」

「うん」

私は。

笑った。

「すごく」

「そっか」

陽向も。

嬉しそうに笑う。

「よかった」

「……ありがとう」

「何が?」

「連れてきてくれて」

「美月が来たいって言ったじゃん」

「でも」

「今日はその『でも』いいや」

「何それ」

二人で笑う。

私は。

マイクを見た。

「歌うの」

「うん」

「やっぱり好きだった」

「……うん」

「忘れてた」

声が。

少しだけ。

小さくなる。

「自分がこんなに好きだったこと」

陽向は。

何も言わない。

「子どもたちがいたから嫌だったとかじゃないよ」

「分かってる」

すぐに言われる。

「子どもといる時間も」

「幸せだった」

「うん」

「でも」

私は。

自分の手を見る。

「私」

「母親になる前に」

「ちゃんと美月だったんだなって」

陽向の表情が。

柔らかくなる。

「当たり前じゃん」

「……」

「母親でも」

「妻でも」

「誰かの嫁でも」

陽向が言う。

「その前に美月でしょ」

胸の奥が。

熱くなる。

「それ」

「?」

「昔の私に聞かせたかった」

「じゃあ今聞いとけばいいじゃん」

「今?」

「うん」

陽向が。

私の胸のあたりを指差す。

「昔の美月も中にいるんでしょ?」

「……」

思わず。

笑ってしまった。

「何、その言い方」

「伝わっただろ?」

「うん」

私は。

目を閉じる。

昔の私。

毎日。

誰かのために動いて。

子どものことを考えて。

家族のことを考えて。

自分の好きなものを。

少しずつ。

忘れていった私。

あの頃の私に。

言いたい。

歌いたいなら。

歌っていい。

楽しいなら。

笑っていい。

自分のための時間を持ったって。

母親失格にはならない。

「……うん」

小さく。

頷いた。

「今度から」

「?」

「もっと歌う」

「いいじゃん」

「いろんなことする」

「うん」

「私が好きだったこと」

「探したい」

陽向が。

嬉しそうに笑った。

「一緒に探そうぜ」

その言葉に。

私は。

顔を上げた。

「……一緒に?」

「うん」

「なんで陽向が?」

また。

聞いてしまった。

陽向が。

一瞬だけ。

答えに詰まる。

「……俺も」

「?」

「美月が何好きなのか」

少し視線を逸らす。

「知りたいから」

まただ。

胸が。

大きく鳴る。

「……そっか」

それ以上。

何も言えなかった。

◇◇◇

帰りの車。

私は。

助手席で。

カラオケで録った採点画面の写真を見ていた。

「九十五点」

「高いじゃん」

「陽向九十八点だった」

「プロだから」

「ずるい」

「何がずるいんだよ」

「私も九十八欲しい」

「じゃあ練習する?」

「教えてくれるの?」

「いいよ」

「本当に!?」

思わず。

身体ごと陽向へ向く。

「危ない危ない、運転中!」

「あ、ごめん」

でも。

嬉しい。

「歌、教えてくれる?」

「俺でよければ」

「やった!」

両手を握る。

陽向が。

横目で私を見る。

そして。

少しだけ。

笑った。

「……美月」

「何?」

「今日」

「?」

「一番楽しそうだった」

「……そう?」

「うん」

「ずっと笑ってた」

自分では。

気づかなかった。

「そっか」

「うん」

「じゃあ」

私は。

窓の外を見る。

流れていく街の明かり。

「今日の私」

「好きかも」

陽向の手が。

ハンドルの上で。

ほんの少し。

止まった。

「……え?」

「自分のこと」

私は笑う。

「今日の自分」

「なんか好き」

歌って。

笑って。

好きなことをして。

誰かのためじゃなく。

自分のために楽しんだ。

そんな自分を。

初めて。

好きだと思えた。

「……そっか」

陽向が。

前を見ながら。

小さく笑う。

「いいじゃん」

「うん」

そして。

しばらくして。

陽向が。

本当に小さな声で。

呟いた。

「俺も」

「え?」

聞こえた気がして。

振り返る。

「何?」

陽向は。

前を向いたまま。

「何でもない」

「またそれ!」

「いいの!」

「ずるい!」

陽向が笑う。

私も笑った。

そのときの私は。

『俺も』

の続きが。

何だったのか。

知らなかった。

陽向自身も。

まだ。

はっきりとは。

分かっていなかったのかもしれない。

ただ。

今日一日。

歌って。

笑って。

目を輝かせていた美月を見ながら。

何度も。

思ってしまった。

――可愛い。

紗良に対して。

そんなふうに思ったことは。

ほとんどなかった。

大切だった。

失いたくなかった。

家族みたいな存在だった。

でも。

美月が。

楽しそうに笑うと。

もっと笑わせたくなる。

美月が。

嬉しそうにすると。

自分まで嬉しくなる。

そして。

美月が言った。

『今日の自分、好きかも』

その瞬間。

陽向の胸に浮かんだ言葉は。

確かに。

これだった。

――俺も。

今日の美月。

すげえ好き。

でも。

まだ。

その『好き』が。

何を意味するのか。

陽向は。

知らないふりをしていた。