目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

翌朝。

私はソファの上で目を覚ました。

「……あれ?」

ぼんやりと目を開ける。

テレビは消えている。

カーテンの隙間から。

朝の光が差し込んでいた。

どうやら。

陽向が寝ているのを見ているうちに。

私まで眠ってしまったらしい。

「……陽向?」

隣を見る。

いない。

毛布だけが。

綺麗に畳まれて置かれている。

帰った?

そう思った瞬間。

キッチンから。

ガタンッ!

大きな音がした。

「!?」

私は慌てて立ち上がる。

「陽向!?」

キッチンへ行くと。

「……おはよ」

そこには。

ものすごく気まずそうな顔をした陽向がいた。

「何してるの?」

「朝飯」

「……朝ご飯?」

「うん」

見る。

フライパン。

卵。

食パン。

そして。

床には。

落としたらしい菜箸。

「作れるの?」

「目玉焼きくらい作れる!」

「玉ねぎ、あんな切り方だったのに?」

「まだ言う!?」

思わず笑ってしまう。

「だって」

「今日は俺が作る」

陽向が。

妙に自信満々に言った。

「美月、いつも作ってくれるから」

「……」

一瞬。

言葉が出なかった。

「どうした?」

「いや……」

「何?」

「作ってくれるの?」

「だからそう言ってんじゃん」

陽向は。

当たり前のように返す。

「座ってて」

「でも」

言いかける。

陽向の眉が上がった。

「あ」

私は自分で口を押さえる。

「今『でも』って言った」

「言ったな」

「……座ってます」

「よろしい」

笑いながら。

私はダイニングの椅子に座った。

◇◇◇

しばらくすると。

テーブルに。

目玉焼き。

焼いた食パン。

ウインナー。

そして。

コーヒーが並んだ。

「おお……」

「何その反応」

「ちゃんと朝ご飯になってる」

「俺を何だと思ってんの?」

「玉ねぎを巨大に切る人」

「美月!」

私は笑いながら。

手を合わせる。

「いただきます」

「いただきます」

目玉焼きを一口。

「……」

「どう?」

陽向が。

少しだけ緊張した顔をしている。

なんだか。

可愛い。

「美味しい」

「マジ?」

ぱっと。

顔が明るくなる。

「うん」

「よかったー!」

その反応を見て。

私は。

ふと思った。

ああ。

陽向も。

同じなんだ。

自分が作ったものを。

誰かが喜んでくれたら。

嬉しい。

「……何?」

「ううん」

「また変な顔してる」

「陽向も」

「何?」

「褒められると嬉しいんだなって」

「そりゃ嬉しいでしょ」

「……そうだよね」

私は。

もう一口食べる。

今まで。

誰かのために。

何かをすることのほうが多かった。

作る側。

用意する側。

気を配る側。

それが。

当たり前だった。

でも今。

私のために。

誰かが朝ご飯を作っている。

それだけなのに。

なんだか。

胸が温かかった。

◇◇◇

「そういえばさ」

朝食を食べながら。

陽向が突然言った。

「何?」

「俺、美月のこと全然知らないよな」

手が止まる。

「……え?」

「考えたら」

陽向は。

指を折り始める。

「三十四歳」

「うん」

「子ども五人」

「うん」

「長女が星ちゃん」

「うん」

「料理できる」

「まあ普通に」

「俺のオタク」

「言い方!」

「合ってるじゃん」

「ファンって言って!」

陽向が笑う。

でも。

すぐに。

少し真面目な顔になった。

「それくらい」

「……」

「俺」

「美月のこと」

「全然知らない」

胸が。

小さく鳴った。

「紗良のことは」

陽向が続ける。

「三十四年分知ってる」

「……うん」

「何好きとか」

「何嫌いとか」

「機嫌悪いときどうなるとか」

「昔どんな子だったとか」

少し。

寂しくなる。

当然。

私と陽向は。

出会ったばかりだから。

でも。

陽向は。

私を見て言った。

「だからさ」

「?」

「教えてよ」

「……何を?」

「美月のこと」

息が止まった。

「私?」

「うん」

「……何で?」

聞いた瞬間。

陽向が。

不思議そうな顔をした。

「何でって」

一度。

考える。

そして。

「知りたいから」

そう答えた。

胸が。

ドクン。

「……」

「美月?」

「何でもない」

「顔赤いけど」

「朝だから!」

「朝って顔赤くなる時間だっけ?」

「なるの!」

意味の分からないことを言って。

コーヒーを飲む。

熱い。

さらに顔が熱くなる。

「じゃあ」

陽向が楽しそうに笑う。

「質問大会」

「嫌な予感する」

「好きな食べ物」

「急だね」

「はい、答えて」

私は少し考える。

「……甘いもの」

「知ってる」

「じゃあ聞かないでよ」

「もっと具体的に」

「プリンとか」

「それも知ってる」

「ケーキ」

「何ケーキ?」

「チーズケーキ」

陽向が。

何かを覚えるように頷く。

「チーズケーキ」

「何で復唱するの?」

「覚えてる」

「……」

また。

胸が変な音を立てる。

「次」

「まだあるの?」

「好きな色」

「……ピンク」

陽向が。

ニヤッとする。

「俺じゃん」

「違う!」

「俺のメンバーカラー」

「昔から好きなの!」

「はいはい」

「本当に!」

陽向が。

楽しそうに笑う。

「じゃあ好きな音楽」

「ASTER」

「それ以外!」

「えー」

私は笑う。

「J-POPは結構いろいろ聴くよ」

「カラオケ行く?」

「好き」

「歌うの?」

「歌うよ」

「へえ!」

陽向の目が。

急に輝いた。

「何歌う?」

「それは……いろいろ」

「今度歌って」

「嫌!」

「何で!?」

「プロの前で歌えるわけないでしょ!」

「俺アイドルだから!」

「プロでしょ!」

「美月が俺の曲歌ってるとこ見たい」

「絶対嫌!」

「じゃあ今度カラオケ」

「勝手に決めないで!」

また。

二人で笑う。

「じゃ」

陽向が続ける。

「趣味」

「趣味……」

少し。

考える。

何だろう。

子どもが生まれてから。

自分の趣味を聞かれることなんて。

ほとんどなかった。

何が好き?

何がしたい?

そんなことを。

いつから考えなくなったんだろう。

「……分かんない」

「え?」

「趣味」

陽向の顔を見る。

「前はあったんだと思うけど」

「……」

「子どもができてから」

少し笑う。

「自分が何したいかより」

「子どもが何したいか考えることのほうが増えたから」

陽向の表情が変わる。

「だから」

「自分が何好きだったのか」

「よく分かんなくなっちゃった」

言ってから。

少し寂しくなる。

母親になったことを。

後悔しているわけじゃない。

子どもたちと過ごした時間は。

大切だった。

でも。

高瀬美月個人としての好きなもの。

やりたいこと。

それは。

どんどん後回しになっていた。

「……じゃあさ」

陽向が言った。

「今から探せば?」

「え?」

「美月が好きなもの」

「……」

「もう一回」

「探す?」

「うん」

陽向が。

本当に簡単なことみたいに。

言う。

「今まで子ども優先だったなら」

「今度は」

私を指差す。

「美月の好きなこと」

「やればいいじゃん」

胸が。

きゅっとなる。

「でも」

「禁止」

「あ……」

陽向が笑う。

「子ども大事だったんでしょ?」

「うん」

「それはそのままでいいじゃん」

「……」

「星ちゃんたちのこと忘れろなんて言ってない」

「うん」

「会いたいなら会いに行く方法も考える」

「……うん」

「でも」

陽向が。

少しだけ真剣な顔になる。

「美月が生きてる時間まで」

「全部」

「前の人生に置いてこなくてもよくない?」

言葉が。

胸の奥に。

ゆっくりと入ってくる。

子どもたちを。

忘れるわけじゃない。

母親だった私を。

捨てるわけじゃない。

それでも。

今の私にも。

好きなものを探して。

楽しいと思って。

生きていい。

「……いいのかな」

思わず聞いた。

「誰に許可取ってんの?」

「え?」

「美月の人生でしょ?」

陽向が笑う。

「美月が決めればいいじゃん」

まただ。

どうしたい?

陽向は。

いつも。

私に返してくる。

「……じゃあ」

私は。

少し考えた。

「いっぱい歌いたい」

「歌?」

「うん」

「カラオケ?」

「それも」

少しだけ。

笑う。

「昔から歌うの好きだったの」

「マジ?」

「でも」

「うん」

「家だと、なかなか好きなだけ歌えなかったし」

「……」

「子どもが小さいと行く機会も減るし」

「じゃあ決定」

陽向が。

スマートフォンを手に取る。

「何が?」

「カラオケ」

「え?」

「次の休み行こう」

「ちょっと待って!」

「美月が歌いたいって言ったじゃん」

「陽向と行くとは言ってない!」

「俺も行きたい」

「それは……」

断る理由が。

見つからない。

行きたい。

本当は。

ちょっと。

いや。

かなり。

「……行きたい」

小さく言った。

陽向の目が。

嬉しそうに細くなる。

「じゃあ決まり」

「……うん」

言ってから。

私も。

少し笑った。

◇◇◇

「あと」

陽向が。

スマートフォンに何か入力する。

「何してるの?」

「美月メモ」

「……何それ」

「美月の好きなもん」

画面を見せられる。

そこには。

『チーズケーキ』

『ピンク』

『歌』

『カラオケ』

と。

書かれていた。

「ちょっと!」

恥ずかしい。

「消して!」

「何で?」

「何でメモするの!」

「忘れたくないから」

あまりにも。

普通の声で。

言われた。

「……」

何も。

返せなくなる。

忘れたくない。

私の好きなものを。

「陽向」

「ん?」

「……そんなの」

喉が詰まる。

「誰かに覚えてもらったこと」

「ないの?」

陽向が聞く。

「ないわけじゃないけど」

「……」

でも。

こんなふうに。

私自身に興味を持って。

聞いて。

覚えようとしてくれた人。

いつ以来だろう。

それとも。

今までにもいたのに。

私は。

気づけなかった?

「嬉しい」

素直に言った。

陽向が。

少し驚いたように。

目を瞬く。

「……そっか」

「うん」

「じゃあもっと聞こ」

「え?」

嫌な予感。

「好きな男性のタイプ」

「それは聞かなくていい!」

「なんで!」

「何でも!」

「気になるじゃん」

「何で陽向が気になるの!」

言った瞬間。

陽向が。

止まった。

私も。

止まる。

「……」

「……」

なぜ?

確かに。

なぜ。

陽向が。

私の好きな男性のタイプを。

知りたいんだろう。

「……いや」

陽向が視線を逸らす。

「質問大会だから」

「……そっか」

「うん」

なんだ。

それだけか。

少しだけ。

胸が落ちる。

自分でも。

どうしてなのか。

分からなかった。

「で?」

「まだ聞くの?」

「好きなタイプ」

「……明るい人」

答えた。

「へえ」

「一緒にいて楽しい人」

「うん」

「ちゃんと話聞いてくれる人」

「……」

「嬉しいとき」

「一緒に喜んでくれて」

「悲しいとき」

「悲しかったねって言ってくれる人」

口にしているうちに。

だんだん。

ある人物が。

浮かんでくる。

「それから」

「……」

「好きなものを」

「馬鹿にしない人」

「うん」

「何か挑戦したら」

「すごいじゃんって」

「一緒に喜んでくれる人」

気づいた。

これ。

「……」

陽向じゃない?

思った瞬間。

一気に顔が熱くなる。

「美月?」

「もう終わり!」

「え?」

「タイプの話終了!」

「急だな!」

「次!」

「じゃあ」

陽向が。

まだ少し笑いながら。

「嫌いなタイプ」

「人の話聞かない人」

即答。

「早っ」

「自分の意見だけが正しいと思ってる人」

「……」

「気持ちを話してるのに」

「『そんなことない』で終わらせる人」

陽向の笑顔が。

少しだけ消えた。

「……いた?」

「うん」

私は。

小さく頷いた。

「前の家に」

これまで。

具体的には。

ほとんど話していない。

陽向も。

無理に聞こうとはしなかった。

でも。

今日は。

少しだけ。

話してみたいと思った。

「結婚して」

「子どもがいて」

「幸せだったよ」

「……うん」

「本当に」

私は。

ちゃんと言った。

「不幸だったわけじゃない」

「子どもたちも大好きだった」

「うん」

「夫と笑った日もあった」

「……うん」

「でも」

指先を見つめる。

「夫の家族と一緒に暮らすようになって」

「だんだん」

言葉を選ぶ。

「私の気持ちって」

「どうでもいいのかなって」

「……」

「思うことが増えた」

陽向は。

何も言わない。

ただ。

聞いている。

「何か言っても」

「違うって言われたり」

「考えすぎって言われたり」

「気にしすぎって言われたり」

「……」

「私は」

「悲しいって話をしてるのに」

「その悲しいこと自体を」

「違うって言われてるみたいで」

胸が。

少しだけ苦しくなる。

「そのうち」

「話しても意味ないのかなって」

「……」

「でも」

「誰かには分かってほしくて」

私は。

少し笑った。

「だから」

「陽向のテレビ見てた」

陽向が。

顔を上げる。

「俺?」

「うん」

「陽向って」

「誰かが何か言ったら」

「すごいリアクションするでしょ」

「……まあ」

「嬉しいって言ったら」

「一緒に喜びそうだし」

「悲しいって言ったら」

「ちゃんと反応してくれそうで」

「……」

「勝手に」

「こんな人が家にいたら」

「楽しいだろうなって思ってた」

陽向は。

何も言わなかった。

静か。

「……ごめん」

「何で謝んの?」

「重かったかなって」

「全然」

すぐに。

返ってきた。

そして。

陽向は。

私を見る。

「美月」

「何?」

「俺」

「うん」

少しだけ。

照れたように。

頭を掻く。

「美月が思ってたほど」

「いい奴じゃないよ」

「知ってる」

「え?」

「玉ねぎ」

「まだ言う!?」

私は笑う。

陽向も。

笑った。

それから。

少しして。

陽向が言った。

「でも」

「?」

「美月が」

「俺見てる間だけでも」

「ちょっと楽だったなら」

その顔が。

いつものアイドルの笑顔ではなく。

とても。

優しかった。

「……よかった」

胸の奥が。

熱くなる。

私は。

目を逸らした。

泣きそうだったから。

◇◇◇

その日の午後。

陽向は仕事へ向かった。

玄関。

「じゃあまた連絡する」

「うん」

「カラオケ忘れんなよ」

「忘れない」

「何歌うか考えといて」

「恥ずかしいなぁ」

「俺、めっちゃ盛り上げるから」

「それは想像できる」

陽向が笑う。

「じゃ」

ドアを開ける。

でも。

出ていく直前。

「あ、美月」

「何?」

振り返った。

「俺のことも」

「……?」

「もっと知っていいから」

胸が。

跳ねる。

「テレビじゃない俺」

「……」

「知りたいなら」

少しだけ。

恥ずかしそうに笑う。

「教える」

何も言えない。

「じゃあな!」

陽向は。

そう言って。

出ていった。

閉じたドア。

私は。

しばらく。

そこから動けなかった。

「……何それ」

胸が。

うるさい。

でも。

同時に。

嬉しかった。

陽向が。

美月を知りたいと言ってくれた。

そして。

陽向自身も。

私に知ってほしいと言った。

紗良が知っていた。

三十四年間の陽向ではない。

今。

ここにいる陽向を。

私が。

これから。

知っていく。

「……ずるいな」

小さく笑う。

推しだった人。

ずっと。

遠い世界にいると思っていた人。

その人が。

今。

少しずつ。

自分から近づいてきている。

そして私は。

まだ気づいていなかった。

陽向が帰りの車の中。

スマートフォンの『美月メモ』を見ながら。

ある一行を。

新しく付け加えていたことを。

『好きな男――明るい。一緒にいて楽しい。話をちゃんと聞く人』

そこまで入力して。

陽向は。

しばらく画面を見つめた。

「……これ」

ぽつり。

「俺、結構当てはまってね?」

言った瞬間。

自分で固まる。

「……いや」

何を考えているんだ。

相手は。

美月。

紗良の身体にいる。

別の女性。

夫がいた。

五人の子どもの母親。

そして。

自分のファンだった人。

「……何気にしてんだよ、俺」

スマートフォンを伏せる。

でも。

その頬が。

少しだけ赤くなっていることを。

陽向自身は。

まだ。

認めようとはしなかった。