目覚めたら、最推しの腕の中でした~1度終わった私の人生、もう一度恋をしました。~

目を覚ましたとき。

最初に見えたのは、見慣れ始めたマンションの地下駐車場だった。

「……あれ?」

身体を起こす。

助手席。

陽向の車。

どうやら。

帰ってくるまで、ずっと眠っていたらしい。

「起きた?」

隣から声がする。

「……寝てた?」

「爆睡」

「嘘」

「マジ」

「恥ずかしい……」

思わず顔を覆う。

「なんで?」

「だって、人の車であんなに寝るなんて」

「いいじゃん。疲れてたんでしょ」

陽向がシートベルトを外す。

「あと」

嫌な予感。

「何?」

「口開いてた」

「えっ!?」

反射的に口元を押さえる。

すると。

陽向が吹き出した。

「嘘」

「陽向!」

「あはははっ!」

「もう!」

さっきまで。

あんなに重い話をしていたのに。

たった一言で。

いつもの調子に戻されてしまう。

でも。

不思議と。

それが嫌じゃなかった。

むしろ。

少しだけ安心した。

「ほら、帰るよ」

陽向が車を降りる。

帰る。

その言葉に。

胸が少しだけ温かくなった。

◇◇◇

部屋に入ると。

昨日までと。

何も変わっていなかった。

ソファ。

テレビ。

キッチン。

そして。

テーブルの上に置かれた。

二つのマグカップ。

「……」

私は。

白いカップを見つめた。

朝。

ここを出たとき。

置いていったもの。

陽向との思い出を。

ここに残したつもりだった。

もう戻らないつもりで。

でも。

戻ってきた。

「ただいま……」

無意識に。

言っていた。

その言葉に。

自分で驚く。

ここは。

紗良の家。

なのに。

『ただいま』

と言えた。

後ろから。

「おかえり」

陽向の声。

心臓が。

小さく跳ねる。

振り返る。

陽向は。

何でもないことみたいに。

靴を脱いでいた。

「……」

「何?」

「いや」

何でだろう。

その一言だけで。

泣きそうになった。

「また泣く?」

「泣かない」

「目赤いけど」

「疲れてるだけ」

「はいはい」

陽向が。

私のバッグを持ってリビングへ向かう。

自分の家みたいに。

本当に自然に。

「それ、私が持つよ」

「もう持ってきた」

「ありがとう」

「どういたしまして」

これまでなら。

『ごめん』

と言っていた。

でも。

今日は。

『ありがとう』と言えた。

それだけのことなのに。

少しだけ。

変われた気がした。

◇◇◇

「腹減った」

ソファに座った陽向が。

開口一番。

そう言った。

「さっきまでの感動返して」

「何の感動?」

「何でもない」

「で、飯」

「陽向って本当に食べることばっかり」

「生きる基本だろ」

「それはそうだけど」

時計を見る。

もう夜。

私も。

ほとんど何も食べていなかった。

「冷蔵庫、何あったかな」

扉を開ける。

卵。

野菜。

豚肉。

冷凍ご飯。

「簡単なのでいい?」

「美月が作ってくれんの?」

「陽向も手伝うなら」

「え」

「嫌なの?」

「いやいや」

陽向が立ち上がる。

「やるやる」

「じゃあ野菜切って」

「任せろ」

「できる?」

「舐めんなよ」

ものすごく自信満々。

……嫌な予感。

◇◇◇

五分後。

「……陽向」

「何?」

「玉ねぎ」

「うん」

「大きくない?」

まな板の上。

切られた玉ねぎ。

大きい。

とにかく。

大きい。

「これくらいじゃない?」

「炒め物なのに?」

「食べ応えあるじゃん」

「そういう問題?」

「俺、細かい作業苦手なんだよ」

「さっき任せろって言ってたじゃん」

「気持ちはある」

「気持ちだけ!?」

陽向が笑う。

「じゃ、美月やって」

「もう!」

私は陽向から包丁を受け取る。

「見て」

「はい」

「こうやって半分にして」

「うん」

「薄めに」

「なるほど」

「次やってみて」

「先生!」

「はい、生徒」

陽向がもう一度包丁を持つ。

今度は。

さっきよりマシ。

でも。

やっぱり大きい。

「……まあ」

「何?」

「合格」

「よっしゃ!」

「甘い合格だからね」

「合格は合格!」

その喜び方。

子どもみたい。

私は。

思わず笑った。

「何笑ってんの」

「陽向って」

「ん?」

「もっと何でもできると思ってた」

「ひど!」

「だってテレビでは」

歌って。

踊って。

バラエティーもできて。

何でも器用にこなしている。

「俺、家では普通だよ」

陽向が言う。

「むしろできないことめっちゃある」

「例えば?」

「料理」

「今分かった」

「朝起きるの」

「意外」

「片づけ」

「……それはなんとなく分かる」

「なんで!?」

私は笑う。

陽向も。

笑う。

その瞬間。

ふと思った。

私は。

この人のことを。

ずっと知っていると思っていた。

十年以上。

応援してきた。

インタビューも。

テレビも。

ライブも。

たくさん見た。

でも。

知らなかった。

玉ねぎをこんなに大きく切ることも。

料理を褒めると。

子どもみたいに喜ぶことも。

車の中では。

静かな時間が結構好きなことも。

私が眠っている間。

無理に起こさないでいてくれることも。

テレビの中にいる。

『天城陽向』。

そして。

私の目の前にいる。

『陽向』。

同じなのに。

違う。

◇◇◇

出来上がったのは。

豚肉と野菜の炒め物。

味噌汁。

冷凍ご飯。

それだけ。

豪華でも何でもない。

「いただきます!」

陽向が手を合わせる。

「いただきます」

一口。

「うまっ!」

「毎回すごいね、そのリアクション」

「美味いから」

「今日は陽向も作ったでしょ」

「俺、玉ねぎ切った」

「大きかったけど」

「美月厳しい!」

二人で。

笑いながら食べる。

でも。

途中。

陽向が急に黙った。

「……?」

箸が止まっている。

「どうしたの?」

「いや」

「美味しくなかった?」

「逆」

「じゃあ何?」

陽向は。

味噌汁を見ながら。

少しだけ困ったように笑った。

「こういうの」

「?」

「久しぶりだなって」

「家庭料理?」

「それもだけど」

陽向が。

部屋を見回す。

「誰かと普通に飯食うの」

「……メンバーとは?」

「仕事中は食うよ」

「じゃあ普通にじゃん」

「違うんだよな」

陽向が。

少し考える。

「仕事の合間とか」

「終わってからみんなで行くとかじゃなくて」

「家帰って」

「何でもないもん作って」

「今日こんなことあったって話しながら食うやつ」

胸が。

少しだけ鳴った。

「陽向、一人暮らし?」

「うん」

「そっか」

トップアイドル。

大勢に囲まれている。

毎日。

たくさんの人に会って。

何万人ものファンがいる。

だから。

勝手に。

寂しいなんて思わない人だと思っていた。

「一人だと」

陽向が言う。

「適当になんだよ」

「ご飯?」

「全部」

「……」

「仕事終わって帰ったら」

「アニメ見るかゲームするか」

「そのまま寝落ちとか」

「健康に悪そう」

「美月、急に母親になるじゃん」

「だってそれは言うよ」

「ほら」

陽向が笑う。

「そういうの」

「え?」

「紗良はあんまり言わなかった」

また。

紗良の名前。

でも。

以前ほど。

胸はざわつかなかった。

陽向が紗良のことを話す。

それは。

陽向の人生の一部。

消せないし。

消す必要もない。

「紗良さんは?」

「『自己責任でしょ』って」

「……強い」

「だろ?」

陽向が笑う。

「でも」

少しだけ。

その笑顔が寂しくなる。

「そういうとこも、紗良だった」

私は。

頷いた。

「好きだったんだね」

「……大事だったよ」

陽向が静かに答える。

今度は。

その言葉を。

ちゃんと聞けた。

「うん」

それだけで。

よかった。

◇◇◇

食事を終えて。

二人で片づけをした。

そして。

陽向は。

また当然のようにソファへ寝転がった。

「ねえ」

「ん?」

「さっき片づけ苦手って言ってたけど」

「うん」

「ここでは散らかさないでよ」

「美月、厳しい」

「ここ私が片づけることになるから」

「じゃあ俺ん家来たら?」

「え?」

何でもない調子で。

陽向が言う。

「俺ん家片づけて」

「嫌」

即答。

「早っ!」

「自分でやって」

「えー」

「子どもじゃないんだから」

「冷たい」

「陽向が甘えすぎなの」

陽向は。

口を尖らせる。

それを見て。

また笑ってしまう。

本当に。

テレビでは。

こんな顔。

なかなか見ない。

「……ねえ」

「ん?」

「陽向ってさ」

「うん」

「外ではずっとあんな感じなの?」

「あんな感じ?」

「テレビ」

陽向が。

少し考える。

「まあ」

「明るい?」

「うん」

「ずっと?」

「……たぶん」

「疲れない?」

その瞬間。

陽向の表情が。

ほんの一瞬だけ。

止まった。

本当に。

一瞬。

普通なら。

気づかないくらい。

でも。

私は気づいた。

「……疲れる?」

もう一度聞く。

陽向が笑う。

いつもの。

明るい笑顔。

「何言ってんの」

「……」

「好きでやってんだから」

その答え。

昔の私なら。

そのまま受け取っていたと思う。

天城陽向は。

アイドルが大好きで。

いつでも楽しくて。

笑顔で。

そういう人。

でも。

今は。

分かる。

今の笑顔。

さっきまでの笑顔と。

少し違う。

「……そっか」

私は。

それ以上聞かなかった。

陽向も。

何も言わなかった。

テレビをつける。

アニメが流れる。

少しして。

陽向が。

小さく言った。

「……美月ってさ」

「何?」

「変なとこ鋭いよね」

「変なとこって何」

「いや」

陽向は。

テレビを見たまま。

「何でもない」

今度は。

陽向が。

『何でもない』

と言った。

私は。

思わず陽向を見る。

この人も。

言うんだ。

大丈夫じゃないときに。

『大丈夫』

と言う。

何かあるときに。

『何でもない』

と言う。

私と。

同じ。

そう思った。

◇◇◇

一時間ほどして。

陽向がソファで静かになった。

「陽向?」

返事がない。

見ると。

眠っていた。

「……寝てる」

さっき。

ソファで寝ていたらどうするか。

そんな話をしたことを思い出す。

『紗良は絶対起こす』

私は。

少し考えた。

それから。

寝室から薄い毛布を持ってくる。

陽向に。

そっとかけた。

「……お疲れさま」

小さく呟く。

寝顔。

テレビでは。

絶対に見られない。

いや。

雑誌の企画なんかでは。

寝顔風の写真を見ることもあった。

でも。

これは違う。

本当に。

疲れて寝ている陽向。

少しだけ。

眉間に皺が寄っている。

「頑張ってるんだね」

私は。

その場にしゃがむ。

同じ三十四歳。

私は。

母親として。

妻として。

嫁として。

いろんなことに疲れていた。

陽向は。

アイドルとして。

きっと。

私には想像できないものを。

背負ってきた。

テレビの中では。

何も悩んでいないように見えた。

でも。

そんな人。

いるわけない。

私は。

ずっと陽向に。

元気をもらってきた。

辛いとき。

テレビの向こうから。

笑わせてもらった。

だから。

今度は。

「ここにいるときくらい」

小さく言う。

「無理しなくていいのにね」

もちろん。

眠っている陽向には。

聞こえていない。

そう思っていた。

◇◇◇

しばらくして。

陽向は。

ゆっくり目を開けた。

「……」

身体に。

毛布。

キッチンでは。

美月が何かを片づけている。

「起きた?」

美月が気づく。

「ごめん、起こした?」

「……いや」

「疲れてたんだね」

「寝てた?」

「ぐっすり」

「マジか」

陽向が身体を起こす。

「何で起こさなかったの?」

「寝たかったんでしょ?」

「……」

「ここにいるときくらい、いいんじゃない?」

その言葉。

陽向は。

何も返せなかった。

少し前。

眠る直前。

聞こえていた。

――ここにいるときくらい。

――無理しなくていいのにね。

あれを。

美月は。

独り言だと思っている。

でも。

聞こえていた。

「……美月」

「何?」

「なんでもない」

「またそれ?」

「今日はいいの」

「私の真似?」

美月が笑う。

陽向も。

少しだけ笑った。

でも。

胸の中には。

妙な感覚が残っていた。

一ノ瀬紗良とは。

三十四年間。

一緒にいた。

紗良は。

自分の過去を。

誰より知っていた。

でも。

高瀬美月は。

まだ自分のことを。

ほとんど知らない。

それなのに。

紗良にも。

メンバーにも。

誰にも言われたことのないことを。

さらっと言う。

『ここにいるときくらい、無理しなくていい』

その言葉が。

どうしてこんなに。

心に残るのか。

陽向には。

まだ分からなかった。

ただ。

一つだけ。

確かなことがあった。

美月はもう。

自分にとって。

紗良の身体にいる。

ただの知らない女性ではなかった。

そして美月にとっても。

天城陽向は。

少しずつ。

テレビの中の『最推し』から。

笑ったり。

疲れたり。

料理が苦手だったり。

ソファで寝落ちしたりする。

一人の男性へと。

変わり始めていた。