大嫌いな兄の友人は、国民的アイドルです。

「美緒ー! こっち!」

「……」

スタジオのドアを開けた瞬間。

一番聞きたくない声が聞こえた。

「……何してんの?」

私が見た先には、床に寝転がっている朝比奈悠。

「休憩」

「まだレッスン始まってないよ」

「だから休憩」

「意味分かんない」

「美緒も一緒に休憩する?」

「しない」

私はそのまま自分の荷物を置いた。

すると悠が、のそのそ起き上がる。

「今日、玲央は?」

「知らない」

「そっか」

「……何?」

「いや、別に」

悠はスマホをいじり始めた。

私は鏡の前で髪を整える。

なんとなく。

その空気が懐かしかった。

研究生だった頃も。

こんな感じだった。

私が先に来て。

悠が後から来て。

兄が最後に来る。

「おはよう」

「遅い!」

「ごめんごめん」

「玲央、また寝坊?」

「ちょっとだけ」

「ちょっとじゃない!」

そんな毎日。

私たちは、いつも三人だった。

レッスンも。

ご飯も。

帰り道も。

たまにスタッフさんに怒られるときだって、三人一緒。

「美緒、今日振り入れできた?」

「できた」

「俺できてない」

「ちゃんと練習しなよ」

「美緒教えて」

「嫌」

「なんで?」

「悠だから」

「ひどい」

兄が横で笑う。

「じゃあ俺が教えるよ」

「玲央やさしー」

「お前は甘やかしすぎ」

「美緒、怖い」

「誰が怖いのよ!」

そんなくだらない会話ばかり。

でも。

私は、それが好きだった。

――三人でいる時間が。

「美緒」

「ん?」

悠の声で、私は現在に戻った。

「何?」

「これ」

差し出されたのは、ペットボトル。

「……何?」

「水」

「見れば分かる」

「飲む?」

「飲む」

「はい」

「……ありがと」

「どういたしまして」

悠は何でもないように笑った。

こういうところも。

昔から変わらない。

私が喉が渇いていると、勝手に飲み物を渡してくる。

私が疲れていると、何も言わずに荷物を持ってくれる。

私が落ち込んでいると、くだらないことを言って笑わせようとする。

……なのに。

本人は、たぶん何も考えていない。

「ねえ」

「ん?」

「悠ってさ」

「うん」

「昔から私のこと、子ども扱いしてない?」

「してる?」

「してる」

「だって美緒、昔から変わらないじゃん」

「どこが?」

「怒るところ」

「……は?」

「すぐ怒る」

「誰のせいよ!」

「ほら」

悠が笑った。

「そういうところ」

「……もう知らない」

私はそっぽを向いた。

そのとき。

スタジオのドアが開いた。

「おはよう」

「あ、お兄ちゃん!」

兄だった。

玲央はいつものように笑いながら入ってくる。

「二人とも早いな」

「悠が早かっただけ」

「俺はいつも早いよ」

「嘘つけ」

「本当だって」

兄が笑う。

「今日も仲いいな」

「「仲良くない!」」

また声が重なった。

兄は楽しそうに笑った。

「はいはい」

その笑顔を見ていると。

胸の奥が、少しだけ温かくなる。

この頃の私は。

兄がいて。

悠がいて。

私がいる。

それが当たり前だと思っていた。

三人で同じ場所を目指して。

いつか、同じステージに立って。

三人で笑っていられる。

そんな未来を。

何の疑いもなく信じていた。

「美緒?」

「……ん?」

「ぼーっとしてる」

悠が私の顔を覗き込む。

「また昔のこと考えてた?」

「うん」

「何を?」

「……三人でいた頃」

悠の表情が、一瞬だけ止まった。

「……そっか」

「何?」

「いや」

いつものように笑う。

「懐かしいなって思って」

「でしょ?」

私は笑った。

「また三人でご飯行きたいな」

「行こうよ」

「玲央も誘って」

「うん」

悠はそう答えた。

でも。

その声は。

ほんの少しだけ、小さかった。

私は気づかなかった。

その頃の私は。

まだ何も知らなかったから。

三人で見ていた未来が、少しずつ違う方向へ動き始めていたことも。