その日の夜。
ホテルの部屋に戻った私は、ベッドに寝転がりながらスマホを眺めていた。
今日の収録。
思ったより楽しかった。
東京の番組に出られるようになって。
少しずつだけど、私たちのことを知ってくれる人も増えてきた。
「……頑張らないとな」
そう呟いたとき。
スマホが震えた。
画面を見る。
『玲央』
「……お兄ちゃん?」
久しぶりの電話だった。
「もしもし?」
『美緒? 今大丈夫?』
「うん。どうしたの?」
『今日、東京だったんだろ?』
「そうだよ」
『テレビ見た』
「えっ」
『ちゃんと録画もした』
「……お兄ちゃん、暇なの?」
『妹の晴れ舞台だから』
「何それ」
思わず笑う。
『よかったよ』
「本当?」
『うん。ちゃんとアイドルしてた』
「……何それ。私、一応アイドルなんだけど」
『知ってるよ』
「ならよろしい」
電話の向こうから、兄の笑い声が聞こえる。
なんだか懐かしい。
「お兄ちゃんは?」
『俺?』
「最近どう?」
『まあまあ』
「俳優の仕事?」
『うん』
兄は今、俳優として活動している。
昔、アイドルだったことを知らない人もいるくらい。
テレビドラマや映画に出て。
今ではすっかり俳優として定着している。
でも。
私はずっと気になっていることがあった。
「ねえ、お兄ちゃん」
『ん?』
「……なんでアイドル辞めたの?」
沈黙。
「……」
『急だな』
「前から聞きたかった」
『……』
兄は答えない。
「人気あったのに」
『いろいろあったんだよ』
「いろいろって?」
『美緒には関係ない』
「……」
その言い方。
昔から苦手だった。
「私、妹なんだけど」
『知ってる』
「じゃあ教えてよ」
『……ごめん』
「……」
『いつか話す』
「いつ?」
『いつか』
「ずるい」
『ごめん』
私はため息をついた。
「……分かった」
それ以上は聞かなかった。
でも。
やっぱり気になる。
兄がアイドルを辞めた理由。
私は何も知らない。
ただ。
一つだけ。
兄がアイドルを辞める前。
いつも一緒にいた人がいる。
「……悠は何か知ってるのかな」
思わず呟いた。
『悠?』
「え?」
『今、悠って言った?』
「……うん」
『あいつがどうかした?』
「別に」
『……』
兄が少し黙る。
『美緒』
「何?」
『悠のこと、信じてやって』
「……え?」
『あいつ、昔から美緒のこと大事にしてるから』
「……」
何それ。
「妹みたいに?」
『……』
兄が答えない。
「お兄ちゃん?」
『じゃあ、そろそろ切るわ』
「え、ちょっと!」
『また連絡する』
「待って!」
電話が切れた。
「…………」
私はスマホを見つめる。
なんだったの。
「……悠のこと、信じてやって?」
余計に分からなくなった。
そのとき。
コンコン。
ホテルの部屋のドアが鳴った。
「はい?」
「美緒ー?」
「……」
聞き慣れた声。
「悠?」
ドアを開ける。
そこには、コンビニ袋を持った悠が立っていた。
「何してるの?」
「これ」
袋を差し出される。
「……何?」
「夜食」
「いらない」
「お腹空いてるでしょ」
「空いてない」
「嘘」
「なんで分かるの?」
「顔」
「顔?」
「ちょっと寂しそう」
「……」
悠が私を見る。
「玲央から電話?」
「……うん」
「そっか」
「お兄ちゃん、悠のこと信じてやってって」
悠の表情が止まった。
「……玲央が?」
「うん」
「……そっか」
悠は、それ以上何も言わなかった。
ただ。
少しだけ寂しそうに笑った。
「……美緒」
「何?」
「いつか」
「うん?」
「全部話せる日が来るから」
「……何を?」
悠は答えない。
「じゃ、おやすみ」
「ちょっと!」
悠はそのまま歩いていく。
私はドアの前に立ったまま。
その背中を見つめる。
――やっぱり。
私の知らないところで。
兄と悠は何かを抱えている。
そして私は。
その「何か」に、まだ触れることができなかった。



