私の朝は早い。
朝5時には目が覚めてしまうので、簡単な朝ごはんを用意して食べ終わると、次は朝もやの中で散歩に出掛ける。散歩が終わると庭の植木に水をあげて、ポストの朝刊を受け取るとお茶を淹れて、朝刊を読みながら過ごす。それが日常だった。
だけれどある日、ちょっとしたことがきっかけで、いつもよりも朝の一連の流れが遅くなってしまった。
いつもよりも遅い時間に散歩を終えて水やりをしていたときだった。私に向かって気持ちのいい挨拶が飛んできた。
「おはようございます!」
ランドセルを背負った少年は、ひ孫と同じくらいの年齢かもしれない。
すれ違う近所の一人一人に挨拶をしながら学校へ向かって行く姿。それだけで彼の人柄がよく分かる光景だった。
その日から、私は彼の挨拶が聞きたくて、あえて散歩に出る時間を遅らせるようになった。
老婆の生活には、明るい挨拶の声ただ一つが潤いをもたらしてくれるように思えたからだ。
ある日の夕方。
「ねぇ、ひぃばぁばの初恋っていつ?」
今年小学五年生になったひ孫は、座布団に寝転がりながら突然聞いてきた。
高学年になってから学校にいる時間が長くなり、習い事も増やしたようで、私の家へ遊びに来る機会は減ってきてしまった。
ひ孫の成長は嬉しい反面、老いぼれの数少ない楽しみが減ってしまったような寂しさも感じる。
それでも、月に数回は私の様子を見に来てくれている。
そんな優しいひ孫が、どうも恋に興味を持ち始めたらしい。
「私の初恋はねぇ……まだなのよ」
私はふふっと笑う。
「えぇ!?ひぃばぁば恋したことないの??」
ひ孫は驚いている。
無理もない。今の子は進んでいると聞くし、何より、戦時中を生きていた私とは、取り巻く環境も何もかも違うだろう。
「私がお前さんくらいの年齢の時にね、日中戦争が始まったんだよ」
私は、遠くを見つめるように昔を思い出した。
1937年(昭和12年)――私は数え十歳だった。今の年齢の数え方で言えば九歳だろうか。
当時、大人達が「戦争が始まった」と騒いでいたのは覚えている。でも、子どもの私は、毎日学校へ行って友達と遊び回り、美味しいご飯も食べていた。母が牛乳屋さんから取っていた牛乳が苦手で、こっそり庭に捨てたこともあった。戦争が本格化した頃を思えば、何て勿体ないことをしていたんだろうか。
しかし、それだけ私には戦争の実感が無かったのだ。まさかその戦争に、私の青春まで奪われるなんて、夢にも思っていなかった。
日中戦争が始まる少し前、宮城の農家の三男坊だった父は突然引っ越しを決めた。
「東京で仕事することになった」
父のその一言で、私達家族は親戚の子を一人女中見習いとして連れ、東京の荻窪へ上京することとなった。
引っ越した荻窪は、当時は一軒一軒の敷地が広く、隣の家の声も聞こえてこないような、緑豊かで静かな住宅地だった。兄妹五人と両親と、女中見習いの親戚のお姉さんを含めて全部で八人。それでも余裕のある広さで、体操の経験がある父のために、庭には鉄棒まで取り付けられていた。
銀座育ちの母は、銀座は庭だと言って時々連れて行ってくれたし、父は時々家で製図の仕事をしていて、息抜きにバイオリンを弾いて聞かせてくれた。兄妹同士でケンカをすることもあまりなく、賑やかな声ばかり思い出す。
そんな生活が変わり始めたのは、太平洋戦争が始まってからだった。
私はその頃、尋常小学校を卒業して、女学校に入ったばかりだった。
太平洋戦争が始まると、間もなくして英語の授業が無くなってしまった。当時、英語を教えてくれていた先生は、学校を去ってしまった。中には残った先生もいたけれど、教える科目を英語ではないものに変えていた。
この頃から、子どもながらに戦争の気配を感じる日々が色濃くなってきた。それでもまだ、荻窪の家から阿佐ヶ谷の女学校まで毎日通っていたし、時には、立川の友人との帰り道、時々乗り合わせる二枚目な男性の話が盛り上がり、荻窪の駅を過ぎて立川の駅のホームから飛行機を眺めてから帰るなんてこともしばしばあった。
そんな日々が終わったのは、1944年頃。女学校の三年目の年だった。戦争の激化に伴い兄は徴兵され、まだ幼かった妹や弟は軽井沢へ疎開した。東京に残った私の生活は、米は食べられず、配給された芋や小麦粉で作ったすいとんを食べて飢えをしのいでいた。
学校へ行くこともままならず、私は軍需工場へ行くように言われ、良く分からないまま工場の仕事を手伝っていた。
戦争は激化し、東京が焼け野原になる中で、幸いに私の家族は全員が生き延びることが出来た。荻窪の家は焼けることなく、兄弟は疎開先から戻り、戦争に行っていた兄も無事に帰ってきた。私は、幸運だったのだろう。
戦後すぐ、私は内務省の仕事に就いた。当時は人手不足で、女学校をちゃんと卒業できていなくても、軍需工場からすぐに次の職場として用意して貰えた。しかし、その仕事もすぐに終わってしまった。GHQによる改革で、気がついたときには、内務省という名前はもう消えていた。仕事を辞めるとき、「嫁に欲しい」と言ってくれた男性もいた。しかし、戦後の喧騒の中で立ち消えになり、私は近所の人の勧めで民間企業の経理として働き始めた。
私が夫に出会ったのはその頃だった。
近所の人が用意してくれた見合いの席。その頃の夫は会社を立ち上げ、軌道に乗り始めたばかりの若くも優秀な実業家だった。
見た目はあまり好みでは無かったけれど、人によっては色男と持て囃したかもしれない。
私は彼に気に入られ、始めたばかりの経理の仕事を辞めて家庭に入った。
思えば、それが私の人生の分岐点だった。
結婚した後の私は、枕を涙で濡らした夜も数えきれないほどあった。
辛い出来事はたくさんあった。今思い出しても鼻の奥をムッとさせる私の知らない香水の匂いが夫からした時、どれほどの屈辱を感じたことか。
それでも、目の前にいるひ孫には、あの人の血が流れている。あの人との結婚で笑えたことはあまりなかったけれど、このひ孫に出会わせてくれたことだけは、あの人に感謝している。それは、紛れもない事実だ。
でも、小学生のひ孫に語るには、まだ早すぎるだろう。
私は、ひ孫に自分が恋を出来ない時代を生きていたことを話して聞かせた。ひ孫は耳を傾けて、不必要に口を挟むこともなく聞いてくれた。
話を聞き終えたひ孫は一言だけ、私の心に言葉を残して帰って行った。
「ひぃばぁばも恋できるといいね」
ひ孫の意図は分からない。まさかこの年で今から恋なんて。来世にでも期待しなさいと言う意味なのか、もしくは何も考えていないのかもしれない。
それでも、人生の残された時間が限られた老婆の胸には、小さな希望の明かりを灯す一言だった。
それからの日々でも、少年は毎日元気な挨拶をくれた。
私に特別な挨拶をくれるわけではないが、逆にそれが心地良い。すれ違う人皆に平等に挨拶する少年の真面目でありながら親しみある人柄に好感を持てた。
春先には、マスクをして鼻声になっても、明るい挨拶を繰り返す姿は可愛らしかった。
夏が来て、汗だくになりながら友達と一緒に石蹴りをして、年相応にはしゃいでいる姿を見た時は、こちらまで楽しくなってしまった。
秋になり、リュックを背負って登校していた日には、遠足が楽しみなのだろうか、いつもの挨拶に更に明るさの増しているように感じた。
そんな、日々に潤いを貰って一年ほど過ごした頃だった。
突然、少年は私の家の前を通らなくなってしまった。
これまでも、一日や二日通らない日はあった。体調を崩したんだろうかと都度心配したが、三日も経つとまた元気な挨拶と共に学校へ向かう姿を見かけて安堵した。
今回は今日で五日目。つまり、今週丸々姿を見ていない。
文字通り老婆心な心配をしながら植木に水をやっていたら、何だか寒気がしてきたので部屋に入り体温計を出してきて熱を測ったところ、何年かぶりに熱を出していた。だんだんと起き上がっているのも辛くなり、世話を掛けて申し訳ないと思いながらも、電話で同じ町に住む末の娘に助けを求めると、娘は仕事の後で看病をしに家まで来てくれた。娘はひと通りの看病を終えると、冷蔵庫に作り置きのお惣菜まで詰めてくれて帰っていった。その上、翌日からは、ひ孫達が代わる代わる植木に水をやりに来てくれた。
やはり、娘達を産めた私の人生の選択は、間違えていなかったのかもしれない。そんなことを思いながらも、なかなか下がりきらない熱に甘えたい気持ちが混ざったのかもしれない。その日は、たまたま来たひ孫に、思わず溢してしまった。
「なかなか治らないねぇ。いつも元気をくれる少年に会えないからかねぇ」
「いつも元気をくれる少年?」
そのひ孫は、以前、私に初恋はいつかと尋ねたひ孫だった。
つい溢してしまった言葉に、ひ孫が真剣な表情で聞き返してくるものだから、少し恥ずかしくなる。私は、そんな気持ちを誤魔化すように、平静を装って説明した。
「そう。毎朝私の家の前を通って、元気な挨拶をしてくれてたんだよ。でも、私が風邪を引くちょっと前から家の前を通らなくなってしまってねぇ……」
それを聞いたひ孫は、立ち上がると壁にかけてあるカレンダーの日付を数えたかと思うと、何かに気付いたような表情をした。
「ひぃばぁば、また来るね!」
そう言って、帰って行ってしまった。
翌日。
「お邪魔しまーす!」
玄関から、昨日来たひ孫の声が聞こえた。
二日連続で来るなんて珍しい。
いつもひ孫は、私が娘に預けた鍵を使って玄関を入ってきて、私の部屋までお見舞いに来てくれる。
私は寝室のベッドから身体だけ起こして、孫が来るのを待っていた。
その時だった。
「お邪魔します!」
初めて聞くような、聞き覚えのあるような元気な少年の声に私の胸が跳ねた。
「おはようございます」しか聞いたことはなかったけれど、この声の主はもしかして……。そんなことを考えていたら、私の寝室のドアがガチャッと開いた。
「ひぃばぁば、体調はどう?」
そんなひ孫の声に続いて、もう一度あの声が聞こえ、声の主達が部屋に入ってきた。
「お邪魔します」
ひ孫と、あの少年だった。
「あらあらあら……」
私は言葉を失った。
「ひぃばぁば、この少年であってる?」
ひ孫は、満足気な笑みを浮かべて私の方を見ていた。
「突然お邪魔してすみません」
「いえ……いいのよ。そんなことより……」
「彼ね、私のクラスの広田くん。先週はインフルエンザで休んでたの。それに、通学路がひぃばぁばの家の前通るから、そうじゃないかなって」
「いつもお世話になってます」
少年はそう言って軽くお辞儀をした。私が想像していた何倍も、律儀で礼儀正しい子だった。
「こちらこそ、いつも広田くんの挨拶に元気を貰ってるわ」
「やっぱり!ねぇ、ひぃばぁば元気になった?」
「えぇ。元気になったわ」
私は本当に重かった身体が軽くなったように感じていた。
「だって!広田くん、ありがとね」
ひ孫は広田くんに見たこともない可愛い笑顔を向けていた。広田くんは少し照れた様子で笑い返していた。
「来週からは、また植木に水やりをしに外に出られそうよ」
「いつも、ゴミ拾いまでされてて、通学路をキレイにしてくださってありがとうございます」
広田くんの思いがけない感謝の言葉に、私までつい照れた気持ちになってしまう。何気なくしていた家の周りのゴミ拾いだったのだが、人が自分の行動をみてくれていることは、こんなに嬉しいものなのか。
「いいのよ。広田くんがそれで気分よく登校できていたのなら、それだけで私には十分だわ」
本当にそれで十分だった。
少しの間、ひ孫たちと雑談に花を咲かせると、ひ孫と少年は仲良く帰っていった。ひ孫達を見送り、再びベッドへ横になると、私の胸に広田くんの「ありがとう」の言葉がしばらく鳴り響いていた。
それから月日は流れ、春を越えてひ孫達は進学、進級をした。
この春からは、広田くんも中学校に進学し、あの元気な「おはようございます」が、聞けなくなってしまった。寂しい気持ちだけでなく、私の身体も老いには勝てず、植木を少し減らし始めたところだ。それでも、家の前のゴミ拾いだけは続けていた。
ある日、久しぶりにひ孫達が遊びに来た。
「ねぇ、ひぃばぁばの初恋ってどんなのだった?」
今年小学五年生になったひ孫は、二つ上の姉と座布団に寝転がりながら突然聞いてきた。
どうも姉と同じように小学五年生になって恋に興味を持ち始めたらしい。
――人を恋しいと思う気持ち……それを恋と言うのなら――。
そう思った時だった。
「おねぇちゃん、彼氏できたんだよ!同じクラスのひ……むぐっ」
「ちょっ……茉乃っ!」
姉の方のひ孫が真っ赤な顔で妹の口を両手で塞いだ。妹の方のひ孫は、その手を無理やり引っ剥がすと、もう一度聞いてきた。
「ねぇ、ひぃばぁばの初恋はどんなだったの?」
私は少しだけ考えてから答えた。
「恋はいいわね。元気をもらえる」
姉の方のひ孫がガバっと起き上がると驚いた表情で聞いてきた。
「ひぃばぁば、恋したの!?」
私は胸に手を当てた。
あの日、響いた「ありがとう」の言葉を思い出す。
「そうだねぇ……。分からない。初めてだから」
朝5時には目が覚めてしまうので、簡単な朝ごはんを用意して食べ終わると、次は朝もやの中で散歩に出掛ける。散歩が終わると庭の植木に水をあげて、ポストの朝刊を受け取るとお茶を淹れて、朝刊を読みながら過ごす。それが日常だった。
だけれどある日、ちょっとしたことがきっかけで、いつもよりも朝の一連の流れが遅くなってしまった。
いつもよりも遅い時間に散歩を終えて水やりをしていたときだった。私に向かって気持ちのいい挨拶が飛んできた。
「おはようございます!」
ランドセルを背負った少年は、ひ孫と同じくらいの年齢かもしれない。
すれ違う近所の一人一人に挨拶をしながら学校へ向かって行く姿。それだけで彼の人柄がよく分かる光景だった。
その日から、私は彼の挨拶が聞きたくて、あえて散歩に出る時間を遅らせるようになった。
老婆の生活には、明るい挨拶の声ただ一つが潤いをもたらしてくれるように思えたからだ。
ある日の夕方。
「ねぇ、ひぃばぁばの初恋っていつ?」
今年小学五年生になったひ孫は、座布団に寝転がりながら突然聞いてきた。
高学年になってから学校にいる時間が長くなり、習い事も増やしたようで、私の家へ遊びに来る機会は減ってきてしまった。
ひ孫の成長は嬉しい反面、老いぼれの数少ない楽しみが減ってしまったような寂しさも感じる。
それでも、月に数回は私の様子を見に来てくれている。
そんな優しいひ孫が、どうも恋に興味を持ち始めたらしい。
「私の初恋はねぇ……まだなのよ」
私はふふっと笑う。
「えぇ!?ひぃばぁば恋したことないの??」
ひ孫は驚いている。
無理もない。今の子は進んでいると聞くし、何より、戦時中を生きていた私とは、取り巻く環境も何もかも違うだろう。
「私がお前さんくらいの年齢の時にね、日中戦争が始まったんだよ」
私は、遠くを見つめるように昔を思い出した。
1937年(昭和12年)――私は数え十歳だった。今の年齢の数え方で言えば九歳だろうか。
当時、大人達が「戦争が始まった」と騒いでいたのは覚えている。でも、子どもの私は、毎日学校へ行って友達と遊び回り、美味しいご飯も食べていた。母が牛乳屋さんから取っていた牛乳が苦手で、こっそり庭に捨てたこともあった。戦争が本格化した頃を思えば、何て勿体ないことをしていたんだろうか。
しかし、それだけ私には戦争の実感が無かったのだ。まさかその戦争に、私の青春まで奪われるなんて、夢にも思っていなかった。
日中戦争が始まる少し前、宮城の農家の三男坊だった父は突然引っ越しを決めた。
「東京で仕事することになった」
父のその一言で、私達家族は親戚の子を一人女中見習いとして連れ、東京の荻窪へ上京することとなった。
引っ越した荻窪は、当時は一軒一軒の敷地が広く、隣の家の声も聞こえてこないような、緑豊かで静かな住宅地だった。兄妹五人と両親と、女中見習いの親戚のお姉さんを含めて全部で八人。それでも余裕のある広さで、体操の経験がある父のために、庭には鉄棒まで取り付けられていた。
銀座育ちの母は、銀座は庭だと言って時々連れて行ってくれたし、父は時々家で製図の仕事をしていて、息抜きにバイオリンを弾いて聞かせてくれた。兄妹同士でケンカをすることもあまりなく、賑やかな声ばかり思い出す。
そんな生活が変わり始めたのは、太平洋戦争が始まってからだった。
私はその頃、尋常小学校を卒業して、女学校に入ったばかりだった。
太平洋戦争が始まると、間もなくして英語の授業が無くなってしまった。当時、英語を教えてくれていた先生は、学校を去ってしまった。中には残った先生もいたけれど、教える科目を英語ではないものに変えていた。
この頃から、子どもながらに戦争の気配を感じる日々が色濃くなってきた。それでもまだ、荻窪の家から阿佐ヶ谷の女学校まで毎日通っていたし、時には、立川の友人との帰り道、時々乗り合わせる二枚目な男性の話が盛り上がり、荻窪の駅を過ぎて立川の駅のホームから飛行機を眺めてから帰るなんてこともしばしばあった。
そんな日々が終わったのは、1944年頃。女学校の三年目の年だった。戦争の激化に伴い兄は徴兵され、まだ幼かった妹や弟は軽井沢へ疎開した。東京に残った私の生活は、米は食べられず、配給された芋や小麦粉で作ったすいとんを食べて飢えをしのいでいた。
学校へ行くこともままならず、私は軍需工場へ行くように言われ、良く分からないまま工場の仕事を手伝っていた。
戦争は激化し、東京が焼け野原になる中で、幸いに私の家族は全員が生き延びることが出来た。荻窪の家は焼けることなく、兄弟は疎開先から戻り、戦争に行っていた兄も無事に帰ってきた。私は、幸運だったのだろう。
戦後すぐ、私は内務省の仕事に就いた。当時は人手不足で、女学校をちゃんと卒業できていなくても、軍需工場からすぐに次の職場として用意して貰えた。しかし、その仕事もすぐに終わってしまった。GHQによる改革で、気がついたときには、内務省という名前はもう消えていた。仕事を辞めるとき、「嫁に欲しい」と言ってくれた男性もいた。しかし、戦後の喧騒の中で立ち消えになり、私は近所の人の勧めで民間企業の経理として働き始めた。
私が夫に出会ったのはその頃だった。
近所の人が用意してくれた見合いの席。その頃の夫は会社を立ち上げ、軌道に乗り始めたばかりの若くも優秀な実業家だった。
見た目はあまり好みでは無かったけれど、人によっては色男と持て囃したかもしれない。
私は彼に気に入られ、始めたばかりの経理の仕事を辞めて家庭に入った。
思えば、それが私の人生の分岐点だった。
結婚した後の私は、枕を涙で濡らした夜も数えきれないほどあった。
辛い出来事はたくさんあった。今思い出しても鼻の奥をムッとさせる私の知らない香水の匂いが夫からした時、どれほどの屈辱を感じたことか。
それでも、目の前にいるひ孫には、あの人の血が流れている。あの人との結婚で笑えたことはあまりなかったけれど、このひ孫に出会わせてくれたことだけは、あの人に感謝している。それは、紛れもない事実だ。
でも、小学生のひ孫に語るには、まだ早すぎるだろう。
私は、ひ孫に自分が恋を出来ない時代を生きていたことを話して聞かせた。ひ孫は耳を傾けて、不必要に口を挟むこともなく聞いてくれた。
話を聞き終えたひ孫は一言だけ、私の心に言葉を残して帰って行った。
「ひぃばぁばも恋できるといいね」
ひ孫の意図は分からない。まさかこの年で今から恋なんて。来世にでも期待しなさいと言う意味なのか、もしくは何も考えていないのかもしれない。
それでも、人生の残された時間が限られた老婆の胸には、小さな希望の明かりを灯す一言だった。
それからの日々でも、少年は毎日元気な挨拶をくれた。
私に特別な挨拶をくれるわけではないが、逆にそれが心地良い。すれ違う人皆に平等に挨拶する少年の真面目でありながら親しみある人柄に好感を持てた。
春先には、マスクをして鼻声になっても、明るい挨拶を繰り返す姿は可愛らしかった。
夏が来て、汗だくになりながら友達と一緒に石蹴りをして、年相応にはしゃいでいる姿を見た時は、こちらまで楽しくなってしまった。
秋になり、リュックを背負って登校していた日には、遠足が楽しみなのだろうか、いつもの挨拶に更に明るさの増しているように感じた。
そんな、日々に潤いを貰って一年ほど過ごした頃だった。
突然、少年は私の家の前を通らなくなってしまった。
これまでも、一日や二日通らない日はあった。体調を崩したんだろうかと都度心配したが、三日も経つとまた元気な挨拶と共に学校へ向かう姿を見かけて安堵した。
今回は今日で五日目。つまり、今週丸々姿を見ていない。
文字通り老婆心な心配をしながら植木に水をやっていたら、何だか寒気がしてきたので部屋に入り体温計を出してきて熱を測ったところ、何年かぶりに熱を出していた。だんだんと起き上がっているのも辛くなり、世話を掛けて申し訳ないと思いながらも、電話で同じ町に住む末の娘に助けを求めると、娘は仕事の後で看病をしに家まで来てくれた。娘はひと通りの看病を終えると、冷蔵庫に作り置きのお惣菜まで詰めてくれて帰っていった。その上、翌日からは、ひ孫達が代わる代わる植木に水をやりに来てくれた。
やはり、娘達を産めた私の人生の選択は、間違えていなかったのかもしれない。そんなことを思いながらも、なかなか下がりきらない熱に甘えたい気持ちが混ざったのかもしれない。その日は、たまたま来たひ孫に、思わず溢してしまった。
「なかなか治らないねぇ。いつも元気をくれる少年に会えないからかねぇ」
「いつも元気をくれる少年?」
そのひ孫は、以前、私に初恋はいつかと尋ねたひ孫だった。
つい溢してしまった言葉に、ひ孫が真剣な表情で聞き返してくるものだから、少し恥ずかしくなる。私は、そんな気持ちを誤魔化すように、平静を装って説明した。
「そう。毎朝私の家の前を通って、元気な挨拶をしてくれてたんだよ。でも、私が風邪を引くちょっと前から家の前を通らなくなってしまってねぇ……」
それを聞いたひ孫は、立ち上がると壁にかけてあるカレンダーの日付を数えたかと思うと、何かに気付いたような表情をした。
「ひぃばぁば、また来るね!」
そう言って、帰って行ってしまった。
翌日。
「お邪魔しまーす!」
玄関から、昨日来たひ孫の声が聞こえた。
二日連続で来るなんて珍しい。
いつもひ孫は、私が娘に預けた鍵を使って玄関を入ってきて、私の部屋までお見舞いに来てくれる。
私は寝室のベッドから身体だけ起こして、孫が来るのを待っていた。
その時だった。
「お邪魔します!」
初めて聞くような、聞き覚えのあるような元気な少年の声に私の胸が跳ねた。
「おはようございます」しか聞いたことはなかったけれど、この声の主はもしかして……。そんなことを考えていたら、私の寝室のドアがガチャッと開いた。
「ひぃばぁば、体調はどう?」
そんなひ孫の声に続いて、もう一度あの声が聞こえ、声の主達が部屋に入ってきた。
「お邪魔します」
ひ孫と、あの少年だった。
「あらあらあら……」
私は言葉を失った。
「ひぃばぁば、この少年であってる?」
ひ孫は、満足気な笑みを浮かべて私の方を見ていた。
「突然お邪魔してすみません」
「いえ……いいのよ。そんなことより……」
「彼ね、私のクラスの広田くん。先週はインフルエンザで休んでたの。それに、通学路がひぃばぁばの家の前通るから、そうじゃないかなって」
「いつもお世話になってます」
少年はそう言って軽くお辞儀をした。私が想像していた何倍も、律儀で礼儀正しい子だった。
「こちらこそ、いつも広田くんの挨拶に元気を貰ってるわ」
「やっぱり!ねぇ、ひぃばぁば元気になった?」
「えぇ。元気になったわ」
私は本当に重かった身体が軽くなったように感じていた。
「だって!広田くん、ありがとね」
ひ孫は広田くんに見たこともない可愛い笑顔を向けていた。広田くんは少し照れた様子で笑い返していた。
「来週からは、また植木に水やりをしに外に出られそうよ」
「いつも、ゴミ拾いまでされてて、通学路をキレイにしてくださってありがとうございます」
広田くんの思いがけない感謝の言葉に、私までつい照れた気持ちになってしまう。何気なくしていた家の周りのゴミ拾いだったのだが、人が自分の行動をみてくれていることは、こんなに嬉しいものなのか。
「いいのよ。広田くんがそれで気分よく登校できていたのなら、それだけで私には十分だわ」
本当にそれで十分だった。
少しの間、ひ孫たちと雑談に花を咲かせると、ひ孫と少年は仲良く帰っていった。ひ孫達を見送り、再びベッドへ横になると、私の胸に広田くんの「ありがとう」の言葉がしばらく鳴り響いていた。
それから月日は流れ、春を越えてひ孫達は進学、進級をした。
この春からは、広田くんも中学校に進学し、あの元気な「おはようございます」が、聞けなくなってしまった。寂しい気持ちだけでなく、私の身体も老いには勝てず、植木を少し減らし始めたところだ。それでも、家の前のゴミ拾いだけは続けていた。
ある日、久しぶりにひ孫達が遊びに来た。
「ねぇ、ひぃばぁばの初恋ってどんなのだった?」
今年小学五年生になったひ孫は、二つ上の姉と座布団に寝転がりながら突然聞いてきた。
どうも姉と同じように小学五年生になって恋に興味を持ち始めたらしい。
――人を恋しいと思う気持ち……それを恋と言うのなら――。
そう思った時だった。
「おねぇちゃん、彼氏できたんだよ!同じクラスのひ……むぐっ」
「ちょっ……茉乃っ!」
姉の方のひ孫が真っ赤な顔で妹の口を両手で塞いだ。妹の方のひ孫は、その手を無理やり引っ剥がすと、もう一度聞いてきた。
「ねぇ、ひぃばぁばの初恋はどんなだったの?」
私は少しだけ考えてから答えた。
「恋はいいわね。元気をもらえる」
姉の方のひ孫がガバっと起き上がると驚いた表情で聞いてきた。
「ひぃばぁば、恋したの!?」
私は胸に手を当てた。
あの日、響いた「ありがとう」の言葉を思い出す。
「そうだねぇ……。分からない。初めてだから」



