今日も悪魔に恋してる 〜塩対応な先輩は、絶対に好きと囁かない~

階下の最奥にある情報システム部。
あたしは軽くノックしたあと、声をかけて扉を開けた。
 
室内はひんやりとした空気に、パソコンの冷却ファンが回る低い音と、キーボードを叩く音が響いている。
皆、ヘッドホンを着けて作業に集中していて、あたしの入室には気づいていない。
そこで、入り口に近い男性へ声を掛けた。 
 
「あの、すみません」
 
その瞬間、フロアの空気が止まる。
他の社員たちが一斉に「え……」みたいな顔でこちらを見た。
あたしもつられて同じ顔を向ける。
    
「え?」

すると声をかけた男性がゆっくり振り返る。
少し長めの黒い前髪に整いすぎた顔立ちと、ひどく冷めた眼差し。
でもどこか、吸い込まれそうなくらい綺麗な漆黒の瞳。 
そのちぐはぐさに、目を逸らすことを忘れた。 

(……この人、もしかして噂の?)

「用件」
「あ、ログインできなくて……」

言い終わるより先に、彼が立ち上がった。
そして、手を差し出してくる。
なぜか周りのハラハラした視線を感じつつ、ノートパソコンを預けた。 
その時、ふわりと香るシトラスに混じるタバコの匂い。 

(……どこかで嗅いだ?)

記憶を探っていると、別の男性社員が声をかけた。

佐久間(さくま)主任、代わりますよっ」
「いらん」     

(やっぱり……この人が……)
 
主任の指先が滑るように、キーボードを走る。
どうリカバリーしたのか分からないが、すいすいと画面が動いた。
   
「三回以上入力したんか?」
「え?……はい。多分……」 
「なら、次から気ぃ付けろ。ロックかかる前に呼べ」
「はい……っ」
「……主任が自分で対応した」
「営業部長にさえ『自分で持ってこい』って言う人が?」
「え?」 

周囲の声に振り向く前に、パソコンが返ってきた。 
片耳だけ外していたワイヤレスイヤホンを着け直す、そのほんの一瞬。

ふいに視線が重なった。

(……なに?)

佐久間主任はすでにモニターへ向き直り、作業に戻っている。   
お礼を述べたものの、彼から言葉が返ってくることはなかった。

(これが噂の塩対応……っ!) 
 
——情シスの悪魔。 

情シスを出ても、シトラスとタバコの匂いが鼻先から離れない。

(……でも、意外と怖くなかった……かも?)
(噂だけじゃ、やっぱり分からない) 

フロアへ戻る足取りは、不思議と軽かった。