『付き合ってない、たぶん』上

すると、トントン、と部屋のドアが静かにノックされた。

「……お母さん? ごめん、今は何も食べたくない――」

「春」

低くて、ぶっきらぼうで、だけど世界で一番愛おしい声が、静かな部屋に響いた。

「っ……!」

跳ね起きるようにして振り返ると、ドアの隙間から、大きなリュックを背負った蓮がゆっくりと入ってくるところだった。

東京へ向かうための、旅立ちの格好。

その切れ長の瞳は、すっかり隈ができていて、俺と同じようにこの数日間、一秒も眠れずに苦しんでいたのが一目で分かった。

「……蓮、なんで……っ」

声を詰まらせる俺に、蓮はそれ以上近づしようとはしなかった。

部屋の入り口に立ったまま、ただ、ベッドの中の俺を、

二度と会えなくなる一瞬を網膜に焼き付けるようにして、じっと見つめている。

「……学校、ずっと休んでただろ。お前がいない日常なんて、マジで生きてる心地がしなかった」

蓮は自嘲気味に小さく笑った。

だけど、その目からは、堪えきれなくなった大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちていく。

「……ごめんな、春。俺、やっぱりお前の顔見たら、決意が鈍りそうだから、何も言わずにこのまま行く。お前を縛りたくないって言ったの、嘘じゃねぇよ。でも……本当は、お前を他の男に渡したくねぇ。誰にも触らせたくねぇよ……っ」