スケバン生徒会長の正体は、推ししか勝たん限界オタクでした。

 朝は、六時台に最寄りの千歳船橋駅に着くようにしている。2018年に複々線が全面完成して、朝夕の混雑はだいぶ解消されたらしい。父が高校に通っていた時代は、想像を絶するほど車内はギュウギュウ詰めだったそうだ。とはいえ、この私鉄の沿線の街は人気があるらしく、やはり通勤・通学客で混みあっている。梅雨前の陽射しは強く、そろそろ秋冬のスケバン制服は暑くなってきた。少々迫力に欠けるが、白い半そでタイプに衣替えする季節か。
 経堂駅で降り、同じホームから千代田線直通の通勤準急に乗り換える。比較的混んでいない後ろ側の車両に乗る。以前、何かの理由で中ほどの車両に乗った時、痴漢に遭った女子高生を助けた。彼女にもなるべく先頭の女性専用車両か、後方、一~三両あたりに乗った方がいいとアドバイスしたことがある。この路線は痴漢の被害は少ない方と言われているが、それでも時々発生してしまう。満員電車の中で、何も抵抗できない女子生徒に手を出すやつらなど、絶対に許せん。一人残らずこの手で駆逐してやりたいものだ……メラメラ。

「すみませーん、乗ります!」
 発車ベルが鳴り止む直前、キャメルカラーのブレザーを着た男子が滑り込んできた。プシューとドアが閉まる。車内へ進んできた彼は、つり革につかまる私のすぐ隣に並び、息を整えながら私を見た。
「あ、佐伯会長!……おはようございます」
「えっ……?」
振り返ると、太い黒ぶちメガネをかけた男子生徒が、レンズ越しにぱちくりと目を瞬かせていた。その瞳、顔の輪郭、華奢なシルエット……

「ひ、ひょっとして、ユキヤ……今川君か?」
「はい、やっぱりすぐわかりました?」
「……まあ、『佐伯会長』って声をかけられたからな……そうだ、おはよう。……それから、私のことは、『佐伯』または『和咲……さん』でいいからな」
「はい、カズサさん」
 どき! 名前で呼ばれた!
 
 電車がスピードを上げ、ガタンと揺れる。ユキヤの肩が私にぶつかった。
「せっかく伊達メガネを調達して変装したつもりなんですけど……あまり意味ないですかね?」
 どき! 私は逆に普段メガネをかけていて、ライブ参戦の時はカラコンにしている……
「いっそ、メイクもしてみようかな」
 どき! それじゃライブの時の私じゃん……だいたい、ステージ上のユキヤ、つまりスノーラヴィはメイクをしているから逆効果、余計目立つじゃないか!……って言いたかったけど、言えない。話を変えよう。

「き、今日は登校日、スクーリングがあるのか?」
「はい、火曜日なんで」
「さっき、経堂から乗ってきたようだが、家の最寄り駅は……」
「はい、経堂です」
「前の学校も港区の私立高と聞いたような気がするが、電車の中で一度も会ったことがないような」
「……そうですね、会っても気づかなかっただけかも知れません」
 男子生徒は少しうつむいてそう言った……また話を変えよう。
「確か初めて学校で会った時は、紺のブレザーだったような気がするが、今日はキャメルカラーか」
「はい、変ですか?」
「いや、よく似合っている」
 どうもうまく会話を運べない。
「会長さん、いやカズサさんが制服の改革を実行したって聞いています。おかげでこんな風に色々な男子の制服を楽しめています」
 そう言ってレンズ越しの瞳が輝き、ニッコリと微笑んだ……ズキュン。

 車中では、その他にもいろいろと話をしたと思うけど、緊張のしっぱなしで、いまひとつどんな会話をしたか、覚えていない。

 千代田線の表参道駅に着いた。満員電車の中をかき分け、ドアに向かう。その時、乗客に押されたのか、ユキヤは「あっ!」と声を発するとよろけて私にしがみついた。

 ん?
 抱きとめたユキヤの体に何か違和感を覚えた。イメージしていたそれよりもやわらか、ふんわり……イヤイヤ、私は何をイメージしていたっていうのか? ヘンタイかよ。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫か」
「はい、平気です」
 私は平気じゃない。

 ここからは銀座線に乗り換えて外苑前駅で降りるのが一番学校に近いのだが、この界隈の街並みが気に入っているので、表参道から歩いて学校に向かう。
「私はここで降りるが、君は乗り換えるか」
「いえ、せっかくなんで、カズサさんと一緒に歩きます」
 ズッキューン!
 大変ウレシイ!……そうなんだけど、これ以上会話が保つだろうか?

 朝とはいえ、五月の陽射しは強い。でも、涼やかな風が青山通り沿いのイチョウの枝葉をときおり揺らし、心地よい。

「いいですね、この通学路、登校する時はカズサさんの時間にあわせて一緒に学校に行きたいな」
 ダメだ……悶え死ぬ。
「それは光栄な限りだが……その、アーティストとしての活動に支障があるのではないか?」
 フフっと彼は笑う。
「大丈夫ですよ。『お互い、メガネをかけていれば』……ばれっこないです」

〇

 その日の午後、五限目の授業の終わりごろ、ちょっとした騒動が起きていた……騒動といっても私にとってはファンサでしかないけど。
 終業チャイムが鳴って間もなく、美術室から出て自分の教室に戻る途中、音楽室の前に人だかりができていた。ほとんどが女子生徒だ。何事かと、彼女らのすき間から音楽室の中を覗く。中はまだ授業中のようだ。この時間、三年生の文系コースは選択制の芸術科目で、音楽、美術、工芸、書道の授業が同時に行われている。

 廊下にピアノの音が漏れ出ている。それにハスキーでかつ優しいボーイソプラノが乗せられた。

〈タイトル〉 はじめまして
〈作詞・作曲・ピアノ・歌〉 今川 雪夜
――――――――――――――――
♪~
 Aメロ
 ほら 揺れている 五月の風に
 イチョウの淡い緑の葉が
 僕の心も 一緒に揺れる
 期待と不安 あわさり吹いて

 Bメロ
 でも 会えたね
 きみたちの 笑顔と
 だからぼくも 笑顔になれた
 はじめまして
 はじめまして
 そして ありがとう

 サビ
 イチョウの葉色
 季節とともに 移ろう
 深い緑(あお)から
 陽だまりの黄金色
 そして 散り 積もる
 時の流れといっしょに
 きみといっしょに この道を
 歩けるといいな

 はじめまして
 はじめまして
 さよならは ずっとあとに とっておこう
 ~♪
――――――――――――――――

 短いコーダを弾き終え、今川雪夜、いや、スノーラヴィがピアノの椅子から立ち上がるのが見えた。

 少し間を置いて、音楽室の中と外で歓声が湧き起こる。
「キャー! ステキすぎる」
「『きみと いっしょに』ってあれ、ワタシのことよ!」
「なによ、にわかファンのくせに!」
 女子生徒に取り囲まれたユキヤを音楽担当の滝廉子先生が連れだしてきた。
 廊下に出てきても二人、いや私も含め三人が生徒たちに囲まれた。

 聞かずにいられない。
「滝先生、これはいったいどういうことですか?」
 先生はすまなそうな顔をして、私というよりユキヤに詫びるように話しかける。
「いやーごめんなさいね、今川君が音楽の授業に参加してくれたから私、頼んじゃったの、少しだけあなたの声を聴かせてくれないって……今日、一人ひとり歌のテストをやってたから、その流れで」
「……ちょっとミーハー過ぎません?」
「いや、いいんです、和咲さん。生徒のみなさんに何かの形であいさつができればと思っていたので」
「でも、なぜ音楽の授業に?」
「ここの通信課程ってすごいですよね! 出たい授業があったら、事前に申し込みさえすれば一般課程の授業に参加できるんですから」
 ありがとう! 『学びの多様性』を基本方針とした教育プログラムの改革を提案したという父に心の中で大賛辞を送った。同時に芸術の選択科目で音楽を選ばなかったことに大後悔した……などと言っていられない。

「ここにいる生徒諸君!」
 そう声を張り上げ、周りを見回す。場が静まりかえった。
「みんなにお願いがある。担任の先生からも話があったと思うが、ここにいる、今川雪夜君は、君たちと同じ、わが外苑前高校で学ぶ生徒……仲間だ。これは大変素敵な歌であいさつをしてくれたが、ぜひそれを『心』で受け取って欲しい。校外の者に話したり、ましてやネットに流したりはしないで欲しい……頼む。もう一度繰り返す。今川君は君たちの大切な仲間だ」

 見渡す限り、みんなうなずいてくれている。でも、恐らくそのうち彼の存在は広まってしまうだろう。その時の対策もしておかなければ。

 六限目に備え、生徒たちは次第にその場を散っていった。その場にはユキヤと私だけが残った。
「しかし、君も大胆だな……それからさっきの曲は即興なのか?」
「よくわかりましたね。というか、拙かったかな」
「いやいや、素晴らしかった。拙いとかそういうことではなくて……歌詞はその……今朝一緒に登校した時の情景を歌ったように聞こえたから」
 それを聞いて彼は微笑む。
「はい、その通りです! カズサさんと歩いた今朝のこと、形にして残したいと思って」
 くうーっ どうしてくれよう! ギューッと抱きしめたい衝動に駆られたが、何とか理性を保ち、「サービスもほどほどに、じゃあ、六限目があるから」とその場を去った。

〇

 その日の夕方。
 生徒会の打ち合わせが終わり、少し居残って作業をして生徒会室を出た。
 完全下校の時間が迫っていたので速足でグラウンドの脇を通ると、半袖・ハーフパンツの体操服姿で走っている男子生徒がいた。夕陽が逆光となってよく見えなかったが、第四コーナーを回ると、ユキヤの顔が明るく照らし出された。
 真剣な表情。しなやかな走り。惚れ惚れする……などと言っていられない。

「おーい、今川君、もうすぐ完全下校の時間だぞー」
 カバンを置いて手を大きく振りながら、そう叫んだ。
 彼は私の姿を認めると、やや速度を上げて走り寄ってくる。
「すみません、そういえばさっき、チャイムが鳴っていました」
 息を整えながらそう言うと、私がかばんから取り出したハンドタオルを受け取ってくれ、汗をぬぐった。伊達メガネは外していた。

「体力づくり、ずいぶんと熱心だな」
「……ええ、『CA(~)LIN』(カラン)のメンバーとどんどん差がついてしまいますので。こういう広いグラウンドで走らせてもらえるのは助かります」
「……無理はしないでくれ」
「ありがとうございます……あの、シャワーして着替えてすぐ戻りますので、少しだけ待ってもらえますか? 一緒に帰りたいです」
「え⁉……まあいいが。そうか、君はシャワー付きの来賓室を使い放題だったな」
「……すみません、贅沢させてもらっちゃって」
 そう言って頭を下げ、アイドルの高校生は校舎に駆けていった。

 ラッキーこの上ない。推しの子に『一緒に帰りたい』なんて言ってもらえるファンがいったいどこにいるだろう!
 ふと考える。『推し』とはアイドル(偶像)だ。実のところ、彼の素顔はほとんど知らない。
 ただし今日わかったのは、彼はアイドル活動に大変ストイックで、ファン……いや、ファンだけでなく、周りの仲間たちとのつながりを大切にしたいと強く思っている、ということだ。
 そして時おり、淋しそうな表情を見せる。だからこそ、彼が笑顔でいられるよう支えてあげたいと強く思った。
 ……と、沈みゆく夕陽に誓うサエキングであった……