「あの佐伯会長、今日はもうお帰りになりますか?」
私がいそいそと書類を文書棚にしまい、ノートパソコンの電源を落としていたら、書記のマスミが声をかけてきた。私はスマホの時計をチラ見する。そろそろ生徒会室を出たい時間だ。今ここにいるのは、彼女の他に、副会長のケイイチと同じく副会長のタクミ、それに生活委員長のリョウ。めずらしくほとんどのメンバーがまだ作業をしている。「悪いが今日はこれで失礼する」と席を立つのにはちょっと気が引ける。
「マスミ君、私のことは、『サエキさん』か『カズサさん』でいい。さんづけでなくても構わん……ところでなんかあったのか?」
彼女は入学して間もなく生徒会役員に立候補し、この春から書記の仕事を熱心にやってくれているが、三年の私に少し遠慮しがちなのが気になる……もっとも、わが校の生徒会は一、二年生が中心に運営されるので、私の存在はやっかいなのかも知れない。
「あ、申し訳ありません……それで、カズサさん、先月の投書を整理したので見ていただこうかと思ったのですが、後でも構いませんので」
「いや、せっかく君がまとめてくれたので、ざっとだが目を通させてもらおう」
私は彼女の隣に座り直し、パソコンの画面を覗く。投書は十五件。以前は投書を寄せる生徒はほとんどいなかったが、去年私が会長になり、どんなに細かいことでもいいから、気になったことや意見要望は遠慮なく書いて欲しいと働きかけを続けてきたからか、少しずつ投書が増えていった。
「ふむ、ほとんどが備品の品切れや用具の故障などのようだな……こういうのは学校の事務室に頼んで連絡して欲しいものだが。まあいい、こちらから伝えておくことにしよう」
「あ、俺この後事務室に用事あるんで頼んでおくよ」
「おうケイイチ、それは助かる、マスミ君、彼に必要な箇所をメールしておいてくれ」
「わかりました……あの、それから、これがちょっと気になるんですが」
そう言ってマスミが投書の一覧表の下の方を指さした。
「どうやら二年の女子からだな」私は声に出して読む。「なになに……校則について、思ったことを書かせていただきます。生徒間の交際についてですが、校則では『男女の交際は、お互いの人格を尊重し、学業を優先し、高校生らしい節度ある態度を保つこと』と書いてありますが、今の時代にそぐわない気がします、か……みんなどう思う?」
私は周りを見回す。マスミは顔を赤らめてちょっと困り顔をしている。それをフォローするかのようにケイイチが口を開いた。
「いや、あれじゃないっすか? 高校生らしい節度とは何かをもっと具体的にはっきり言ってくれないと困るって。例えば、『人前でイチャコラするな、妊娠させるな、するな』とか」
みんなに白い目で睨まれ、副会長は「事務室に行ってきまーす」と首をすくめて部屋を出ていった。
「あの、佐伯会長、じゃなかったカズサさん、続きがあるんです」
そう言ってマスミは画面をスクロールさせた。今度は彼女が読み上げた。
「『交際』 というものを男女に限定してしまっていいのでしょうか? 今は同性同士の恋愛や交際も普通にあるものだとして校則も検討した方がいいのではと思い、投書させていただきました」
私は読んでくれたマスミを見つめた。彼女なりの意見を聞きたかったからだ。しかし、彼女は私の視線に気がつくと、また顔を赤らめて下を向いてしまった。代わりに生活委員長のリョウが答える。
「まあ、言われてみればその通りだな。校則としては敢えて『男女、異性』という点に釘を刺しておきたかったんだろうけどね」
「現実的にそういう……同性同士のケースを把握しているのか?」
私は生活委員長という立場で何か心当たりがあるのかリョウに尋ねてみた。
「いやいや、そんなこと公言してる同性カップルなんか聞いたことないし……だいたい女子同士が腕組ん歩いていたりするのはよく見かけるから、見分けがつかないでしょ……ああ、でも男子同士で手をつないでいるのは見たことないなあ」
「……まあ、確かにそうだ」
「それよっか、会長のカズサさんはどう思います?」
質問を返されてしまった。
「そうだな、私は同性間の恋愛を否定はしないが、どちらかと言えば、やはり恋愛は異性間の方が自然なのではないかと思っている。そうやって子孫を残し、人類は繁栄してこられたのだから」
「いやー、なんか遠大な話になっちゃってますね……でも敢えて校則に『同性同士』を対象として加えない方が、彼ら彼女らにとって、イチャコラしやすいんじゃないっすかね」
事務室から早々を戻って来たケイイチ口を挟んだ。
「こら、茶化すな! ……この学校では恋愛の多様性が認められているかという問題だ。当事者たちにとっては、放っておけないものがあるのかも知れん。だから、今度時間をとって、もう少し議論を深めるとしよう……悪いが私はそろそろお先に失礼する」
「あれ、カズサさん、珍しく早いっすね……ひょっとして会長みずから男女間の交際の模範を示そうってことですかね?」
そうからかったケイイチにスマホを向ける。
「今のコメント、しっかりボイスレコーダーに収めさせてもらった。今度投書でセクハラとやらで訴えてみようか」
「冗談す! お願い、消して!」
「なんなら、タイマンでお手合わせ願おうか?」
「え⁉ そんな無茶な! だってカズサさん、剣道の高段者だって話でしょう?」
「いやいや、たかだか三段だ。高校に入ってからは道場通いもさぼっているしな」
「ひえっ、それは反則ですよ! せめて武器無しなら……」
「ああ、いいだろう。とはいえ、私は柔術も多少たしなんでいる。先日も朝の満員電車で痴漢に困っている女子高生を助けたばかりだ。君に多少ハンデをくれてやらんとな」
「え⁉ 痴漢野郎を撃退したんですか?」
「なあに、『無力化』して駅員さんに引き渡しただけだ」
「む、無力化……降参です! 不戦敗で結構です!」
そう言ってケイイチは土下座した。
私は苦笑いしながら生徒会室を後にした。
このテーマに関しては、自分の考えは古く保守的なのかもしれない。それに……男性に恋すること――正確に言えば、夢中になることだけど――この素晴らしさを知ってしまった今、正直同性同士の恋愛というものにピンと来なかった……少なくとも、この時は。
〇
生徒会室でこんなやりとりがあったけど、何とか『予定』に間に合いそうな時間に帰宅できた。超ロングスカートのセーラー服をハンガーにかけてクローゼットにしまい、純白のパンツとブラジャーを脱ぎ捨て……そうそう、ボディシートで全身を拭かなくちゃ……そして、薄いブルーの可愛いパンツとブラジャーを着ける。もちろん、誰に見せるわけではないけど、気は心、『オフの戦闘服』の装備は下着からきちんとしなくちゃ。
さて、服選び。コンセプトは『原宿に迷い込んだ、野ウサギちゃんのお友達』。ベッド下の引き出しを開け、あれやこれやと広げてみる。
ボトムス。ライトグレーのチェック柄のミニスカート。
トップス。白ブラウスにラベンダーの薄手のニットベスト。
フリルつきショートソックス。
メイク。
念のため「接近イベント向けメロい系」。
とにかくキーカラーはラベンダー!
アイシャドウはピンクがかったモーヴラベンダーで、目じりは濃いめのパープルで埋める。
バイオレット系のアイライナーでタレ目ラインを描いてメロい目元に。
涙袋にパープルのラメを控えめに塗り、ウルウルを演出。
薄紫チークで透明感をマシマシ。
髪は下ろしてゆるく巻き直し、
そうそう、メガネからコンタクトにつけ替えて、と。
床置きの細身の鏡台の前に立つ。
「うんうん、可愛い!」
そのまま鏡の前でリハーサル。
お返しポーズの指ハート。コール&レスポンス。
いけない! これだと生徒会長モードのまんまだ……
ちょっと迫力ありすぎかも。もっと可愛く!
部屋のドアがノックされ、母の顔がひょっこり現れた。
「和咲、なんか呼んだ?……ああ、今日は例のあの日か」
母は視線で上下二往復させて私の姿を見て納得したのか、ドアを閉めた。
さすがに両親には私の趣味を隠せない。しかし、生徒会メンバーだけじゃなく、わが外苑前高等学園の誰にも知られてはいけない。だって私は、『真の自由のために戦うスケバン生徒会長』なのだから。そのイメージが崩れてしまうと、生徒会活動に支障が出てしまう。大ダメージだ。
言えない。男子アイドルグループの推し活をしているなんて……でもこればっかりは止められない。だってだって……あまりにもユキヤ君のこと、好きすぎるんだもの(ポッ)
公式ペンライト三本はちゃんと点くかを確かめ、ツァーの時に購入したマフラータオルと一緒にユキヤ君キャラのウサギの缶バッチとキーホルダー付きのトートバッグにしまった。玄関でラベンダー色の厚底スニーカーを履いたところで、父とばったり鉢合わせた。
一瞬父の眉が上下に動いた。
「と、父さん、今日はずいぶん帰り、早くない⁉」
「今日は近場で仕事終わりだったから直帰してきた」
「そ、そう」
父はニヤリと笑う。
「今日は例のアレか?」
「アレって何よ。その言い方失礼っぽくない?」
「ああ、ごめんごめん」
「そうだ、ユキヤ君に謝れ」
父は靴を脱ぎ、振り返って、
「なかなか似合ってるな。こっちもお前らしいぞ」
とサムアップした。
「あ、ありがとう」
しょうがないので私もサムアップして玄関を出た。



