朝日有希の本当の名前を、僕はまだ知らない

次の日の夕方、有希は宣言通り病室にやってきた。

僕は申し訳程度に勉強をしていた。

高校なんて、きっと行けないだろうけど。



「湊月、いる?」



「いるよ、入って」



僕はカーテンを開けて、有希を招き入れた。

気のせいだろうか。

昨日よりさらに可愛く見えた。



「なんか新鮮。ずっと同じ部屋にばかりにいたから。見える景色が全然違う」



「僕からしたら毎日この景色しかないよ。でも、男から女の部屋の方に行くのは無理だから。有希の家族の見舞いには行けない。こうなったなら挨拶くらいすべきなのにごめん」



「いいよ、全然。にしても、逆は許されるのおかしいね」



「男は狼だから」



「湊月にそんな甲斐性ないわよ」



甲斐性って……。

完全に舐められてる。



「そこ適当に椅子出して座って」



「ここでいいわ」



有希はベッドサイドの空いてるところに座った。

な、いきなり距離、近すぎ。



「じゃあ、み、みかん食べる?」



僕は焦って意味わかんないけど、みかんを渡した。



「ありがと」



小さな手でみかんを受け取って、有希は食べずにそのまま包み込んでいた。



「……」



沈黙がしばらく流れる。

有希も何も喋らない。



そう言えば、僕は有希のこと何も知らない。

共通の話題もない。

有希が何を話したら喜ぶのかすら知らない。

でも、なぜかこの暗い海のような、沈黙さえもいやじゃなかった。