未来へ繋ぐラスト・ブロック!

第1話:小さなブロッカーの大きなノート

「――そこ、左足が二センチずれてる。相手セッターの癖、見落としてるよ」

東中学校体育館。ネットの向こうで放たれたスパイクを、ピタリと一歩で読み切ってワンタッチを取った少女がいた。
東中女子バレー部新部長、佐々木音々(ささきねね)。
ポジションはミドルブロッカー。

身長は145センチ。バレーボール選手としては致命的に小柄だが、彼女の武器は身長ではない。
手に持った分厚いノートと、コートのわずかな違和感も見逃さない鋭い洞察力だった。

「音々、またそんな細かいこと言って……。相手は県内トップクラスの強豪なんだよ? ブロックなんてどうせ無理だって」
副部長が疲れたようにボールを拾いながらため息をつく。
先代の絶対的エース・遠坂梨奈が引退し、チームの柱を失った東中は、再び「どうせ私たちなんて勝てない」という停滞の空気に包まれていた。梨奈のような圧倒的なパワーやジャンプ力は、音々にはない。

(分かってる……。私は梨奈さんみたいに、空高く飛んで点を取ることはできない)

音々は自分の手のひらを見つめた。
前キャプテンが去った穴は大きかった。
だからこそ音々は決めていた。
自分が点数を取れないなら、相手の点数をすべて防ぐ「歩く壁」になってやると。

放課後、部室の隅で音々はノートを開いた。
ページいっぱいに書き殴られているのは、対戦相手のデータだ。セッターの癖、アタッカーが好むコース、トスの瞬間の手の向き。
(身長が低くたって、相手がどこに打つか予測できれば、絶対にボールは拾える……!)
音々の胸の奥で、静かな闘志がメラメラと燃え上がっていた。







第2話:データとすれ違いのコート

翌日から、音々の「鬼のデータ特訓」が始まった。
「次、相手のクイックが来る。音々、私じゃブロック追いつけないよ!」
練習試合の最中、チームメイトの1年生が悲鳴を上げる。

「追いつく必要なんかない。相手の体勢を見たでしょ? あの体勢なら絶対にインナークロスしか打てない。そこに手を出しなさい!」
音々はコートの真ん中から的確に指示を飛ばす。
しかし、頭では分かっていても、コンマ数秒の判断についていけず、ボールは無情にも東中のコートの床を叩いた。

「音々の言う通りに動いてもうまくいかないよ……。そんなの、頭で分かってても体動かないよ」
ついに、チームメイトの一人がコートの端で涙を浮かべた。
「私たちは、音々みたいに器用にコート全体を見られないもん……」

その言葉に、音々の心臓がキュッと締め付けられた。
練習が終わった体育館。部員たちがぞそくさと帰っていく中、音々は一人でネットの片付けをしていた。

(私のやり方は間違っているのかな……。みんな、ついてきてくれてない……)

ポタリ、と床に汗ではない水滴が落ちた。
「一人で全部抱え込もうとするのは、前の部長にそっくりね」

振り返ると、そこにいたのは、かつて東中を支えた絶対的セッター・相田環奈だった。
卒業したはずの彼女が、なぜかジャージ姿で立っている。
「環奈さん……どうしてここに」
「通りすがりに、あんたの情けない顔が見えたからよ」

環奈はクスリと笑うと、音々の隣に歩み寄り、その分厚いノートをパラパラとめくった。
「すごいじゃない、これ。相手の癖が丸裸よ。でもね、音々。あんたは『データ』を信じすぎて、目の前の『人間』を見てないわ」

「人間……?」
「そう。バレーは機械がやってるんじゃない。相手も、そしてあんたのチームメイトも、みんな感情があって、迷いながら戦ってる。ノートの文字だけじゃ、仲間の心は動かせないわよ」

環奈の言葉が、音々の胸に深く突き刺さった。






第3話:託された信頼
数日後、県大会の初戦が目前に迫っていた。
相手は、昨年の全国ベスト8である超強豪・北陽中学校。
平均身長は東中を優に超え、圧倒的なパワーアタックを誇る難敵だ。

「今日のミーティングはこれでおしまい」
音々はいつものノートを閉じ、部員たちの顔を一人ひとり見渡した。
「……みんな、ごめんね。私の細かい指示ばかり押し付けて、みんなを困らせてた。怖かったよね」

部員たちが驚いたように顔を上げた。
いつも冷静で理屈っぽい音々が、初めて見せた弱音だった。
「でもね」
音々は小さく息を吸い、まっすぐ前を向いた。
「私は、みんなと一緒に勝ちたい。私が相手のコースを全部予測する。だから、私の出した予測を信じて、思いっきり体を伸ばしてほしいの」

副部長がしばらく音々の顔を見つめたあと、ふっと笑って肩の力を抜いた。
「……しょうがないなぁ。音々がそこまで言うなら、最後まで付き合ってあげるよ。私たちのキャプテンなんだからさ」

チームの空気が、スッと軽くなった。バラバラだった歯車が、音々のその一言でカチリと噛み合った瞬間だった。






第4話:145センチの要塞

大会当日。
試合会場の大きなアリーナ。
北陽中の選手たちは見上げるほど大きく、放たれるスパイクの威圧感はすさまじかった。

「第1セット、開始!」

試合が始まると、北陽中の猛攻が容赦なく東陣営に襲いかかる。
「うわっ、重い……!」
力任せのスパイクに、東中のブロックはあっさり弾き飛ばされ、得点を奪われていく。序盤から3対8と大きくリードを許した。

「タイムアウト、東中!」

ベンチに戻ってきた部員たちは息を荒らげていた。
「音々……あのパワー、やっぱりブロックしきれないよ……!」
「ブロックで止めなくていい」
音々はきっぱりと言い放った。
「あいつらのスパイクは、フォームの癖で必ず右斜め前に曲がる。私がブロックでワンタッチを取るから、その後のボールをみんなで拾って!」

「……わかった!」

コートに戻った音々は、北陽中のエースアタッカーとネット際で対峙した。
145センチの小さな体。相手のエースから見れば、ブロックなどいないも同然の隙間だった。
(――来たっ!)

相手が跳んだ瞬間、音々は相手の右肩の角度をミリ単位で見極め、自分の体をめいっぱい伸ばした。
バァンッ!
強烈なスパイクが音々の手のひらをかすめる。強烈な衝撃に腕が痺れたが、ボールの勢いは殺された。

「上がった――っ!」

その後ろで、副部長が驚異的な反応で飛び込み、ボールをレシーブで拾い上げる。
「ナイスレシーブ!」
繋がったボールを、東中のオポジットが全力で相手コートへ叩き返した。
ドンッ! と相手コートにボールが突き刺さる。

会場がどよめいた。
「今の……小さなブロッカーがコースを絞って、全員で拾ったぞ……!」






第5話:繋いだ先の景色

セットカウント1対1で迎えた、ファイナルセット。
スコアは23対24。
北陽中のマッチポイント。
絶体絶命のピンチだった。

「最後一本、集中していこう!」
音々の声が、体育館の端から端まで響き渡る。
北陽中のセッターがトスを上げる。狙いは、もちろん相手のエースだった。

(――ここしかない!)

音々は自分の限界を超えて、コート中央へ跳んだ。
身長145センチの小さな体が、ネットの白帯すれすれに手を伸ばす。
データと、チーム全員の信頼が、音々の背中を押し上げていた。

――ドオンッ!!

音々の両手が、相手のスパイクを完璧に捉えた。
ボールは真下に弾かれ、北陽中のコートの床に吸い込まれるように落ちていく。

「……ピィーーーッ!!」

試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
スコアボードの数字が、25対24で東中の勝利を示している。

「やったぁぁぁーーっ!!!」

ベンチから部員たちが泣きながら飛び出し、コートの中央で音々に抱きついた。
「勝った……! 私たち、あの北陽中に勝ったんだ……!」
副部長が音々に抱きつき、大粒の涙を流す。

音々は地面に足をつくと、自分の震える両手をそっと握りしめた。
身長が高くなくてもいい。パワーがなくてもいい。
仲間と心を繋ぎ、ボールを追い続けたその先に、こんなにも眩しい景色が広がっていた。

「みんな、お疲れ様。……私たちのバレー、大成功だったね」
音々が満面の笑みでそう言うと、チーム全員が最高の笑顔で頷き、小さなキャプテンを胴上げするようにしっかりと抱きしめたのだった。