静まり返った暗闇の中、秋人はゆっくりと振り向いた。
自販機の蛍光灯の光が、彼の横顔を照らし出す。拳からはうっすらと血が滲み、荒い息吐き出す胸元からは、隠しきれない怒りと冷気が溢れていた。
「……大丈夫か」
低く、掠れた声。
ひなたは壁に背中を預けたまま、へたり込んで秋人を見上げていた。
「は、はい…… 助けてくれて、ありがとうございました……」
声が震える。恐怖の余韻と、目の前にいる人物が「あの春夏冬秋人」であるという事実への混乱で、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
秋人は地面に落ちていた自分の革ジャンを拾い上げると、ポケットから煙草を取り出そうとした。だが、ひなたの視線に気づくと、チッと小さく舌打ちをして煙草をポケットに戻した。
「……お前、田中か?」
秋人が冷たい瞳でひなたを見下ろす。
「え…… 私の名前、知ってるの……?」
「同じクラスだ。忘れるわけないだろ」
秋人は無表情のままひなたに近づくと、彼女の前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。その距離、わずか数センチ。整いすぎた彼の顔が至近距離に迫り、ひなたの胸がドクンと大きく跳ね上がった。
だが、次の瞬間、秋人の瞳に宿ったのは氷のように冷たい脅迫の光だった。
「いいか、田中。今日のことは全部忘れろ」
「え……?」
「俺がここにいたことも、煙草を吸っていたことも、バイクに乗っていたことも、喧嘩をしたことも…… 全部だ。学校で誰かに一言でも喋ったら…… タダじゃ済まさない」
脅すような低い声。だが、ひなたはその言葉の奥に、怯えるような小さな揺らぎを感じ取った。
彼が守ろうとしているのは、自分自身の尊厳なのか、それとも「完璧な生徒会長」という仮面なのか。
秋人は立ち上がり、バイクに跨がった。
「歩けるならさっさと帰れ。こんな場所に夜中に一人でいるんじゃない」
ヘルメットも被らず、エンジンをかけようとする秋人。
その時、ひなたは自分でも驚くほどの行動に出た。
「待って……っ!」
ひなたは立ち上がり、秋人の革ジャンの裾をギュッと掴んだ。
「何だ」
嫌そうに振り返る秋人。だが、ひなたの瞳には恐怖の色はなかった。彼女は自分のポケットから、小さなキャラクター柄のハンカチを取り出すと、秋人の手に握らせた。
「手…… 血が出てるよ。ちゃんと手当てしないと、バイキンが入っちゃうから」
「……は?」
秋人はあっけにとられたように目を見開いた。
自分が脅迫したのだ。普通なら恐怖で震えて逃げ出すか、悲鳴を上げるはずだった。それなのに、この少女は脅されたことよりも、自分の手の傷を心配している。
「……余計なお世話だ」
秋人は乱暴にハンカチを握りしめると、顔を背けた。
「口を割ったらどうなるか、分かってるな」
「言わないよ。誰にも絶対に言わない」
ひなたはまっすぐに秋人の目を見て、きっぱりと言い切った。
「だって…… 秋人くんは、私を助けてくれたヒーローだもん」
その言葉を聞いた瞬間、秋人の身体が硬直した。
ヒーロー? この俺が?
暴力に溺れ、夜の街で荒れることしかできない、傷だらけの人間が?
「……馬鹿じゃないのか、お前」
秋人は吐き捨てるように言うと、アクセルを大きく吹かした。爆音が路地裏に轟き、黒いバイクは夜の闇の中へと消え去っていった。
一人残された路地裏で、ひなたは去っていくバイクの後光をじっと見つめていた。
手に残る、彼の革ジャンの冷たい感触と、一瞬だけ見せた彼の寂しげな瞳。
学校で誰もが憧れる「氷の貴公子」。
けれど本当の彼は、傷だらけで、誰よりも温もりを求めているような気がした。
「春夏冬秋人くん……」
夜風がひなたの髪を揺らす。
二人の運命の歯車が、この夜、静かに、そして確実に動き始めたのだった。
自販機の蛍光灯の光が、彼の横顔を照らし出す。拳からはうっすらと血が滲み、荒い息吐き出す胸元からは、隠しきれない怒りと冷気が溢れていた。
「……大丈夫か」
低く、掠れた声。
ひなたは壁に背中を預けたまま、へたり込んで秋人を見上げていた。
「は、はい…… 助けてくれて、ありがとうございました……」
声が震える。恐怖の余韻と、目の前にいる人物が「あの春夏冬秋人」であるという事実への混乱で、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
秋人は地面に落ちていた自分の革ジャンを拾い上げると、ポケットから煙草を取り出そうとした。だが、ひなたの視線に気づくと、チッと小さく舌打ちをして煙草をポケットに戻した。
「……お前、田中か?」
秋人が冷たい瞳でひなたを見下ろす。
「え…… 私の名前、知ってるの……?」
「同じクラスだ。忘れるわけないだろ」
秋人は無表情のままひなたに近づくと、彼女の前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。その距離、わずか数センチ。整いすぎた彼の顔が至近距離に迫り、ひなたの胸がドクンと大きく跳ね上がった。
だが、次の瞬間、秋人の瞳に宿ったのは氷のように冷たい脅迫の光だった。
「いいか、田中。今日のことは全部忘れろ」
「え……?」
「俺がここにいたことも、煙草を吸っていたことも、バイクに乗っていたことも、喧嘩をしたことも…… 全部だ。学校で誰かに一言でも喋ったら…… タダじゃ済まさない」
脅すような低い声。だが、ひなたはその言葉の奥に、怯えるような小さな揺らぎを感じ取った。
彼が守ろうとしているのは、自分自身の尊厳なのか、それとも「完璧な生徒会長」という仮面なのか。
秋人は立ち上がり、バイクに跨がった。
「歩けるならさっさと帰れ。こんな場所に夜中に一人でいるんじゃない」
ヘルメットも被らず、エンジンをかけようとする秋人。
その時、ひなたは自分でも驚くほどの行動に出た。
「待って……っ!」
ひなたは立ち上がり、秋人の革ジャンの裾をギュッと掴んだ。
「何だ」
嫌そうに振り返る秋人。だが、ひなたの瞳には恐怖の色はなかった。彼女は自分のポケットから、小さなキャラクター柄のハンカチを取り出すと、秋人の手に握らせた。
「手…… 血が出てるよ。ちゃんと手当てしないと、バイキンが入っちゃうから」
「……は?」
秋人はあっけにとられたように目を見開いた。
自分が脅迫したのだ。普通なら恐怖で震えて逃げ出すか、悲鳴を上げるはずだった。それなのに、この少女は脅されたことよりも、自分の手の傷を心配している。
「……余計なお世話だ」
秋人は乱暴にハンカチを握りしめると、顔を背けた。
「口を割ったらどうなるか、分かってるな」
「言わないよ。誰にも絶対に言わない」
ひなたはまっすぐに秋人の目を見て、きっぱりと言い切った。
「だって…… 秋人くんは、私を助けてくれたヒーローだもん」
その言葉を聞いた瞬間、秋人の身体が硬直した。
ヒーロー? この俺が?
暴力に溺れ、夜の街で荒れることしかできない、傷だらけの人間が?
「……馬鹿じゃないのか、お前」
秋人は吐き捨てるように言うと、アクセルを大きく吹かした。爆音が路地裏に轟き、黒いバイクは夜の闇の中へと消え去っていった。
一人残された路地裏で、ひなたは去っていくバイクの後光をじっと見つめていた。
手に残る、彼の革ジャンの冷たい感触と、一瞬だけ見せた彼の寂しげな瞳。
学校で誰もが憧れる「氷の貴公子」。
けれど本当の彼は、傷だらけで、誰よりも温もりを求めているような気がした。
「春夏冬秋人くん……」
夜風がひなたの髪を揺らす。
二人の運命の歯車が、この夜、静かに、そして確実に動き始めたのだった。



