あきない恋を、君と夜の街で。〜氷の貴公子の裏の顔〜

 一方その頃、ひなたは焦りから必死で夜の繁華街を走っていた。

「お父さんたら、なんで定期券忘れちゃうかなぁ……!」

 残業続きで疲れ切っていた父親から、「ごめんひなた、会社に定期券を忘れて駅の改札を出られないんだ」と泣きつかれ、ひなたは陸を自宅で寝かせつけた後、大急ぎで駅まで走ってきたのだった。

 普段は絶対に近づかない夜の繁華街。ネオンの光が眩しく、立ち並ぶ居酒屋や風俗店からは酔っ払いたちの大声が聞こえてくる。

(怖いな…… 早くお父さんに届けて帰ろう)

 斜めがけのバッグをぎゅっと抱きしめ、早足で駅へ向かう。
 しかし、運悪く路地裏から出てきた二人組の男たちと鉢合わせてしまった。見るからにガラの悪い、酒臭い息を吐くチンピラだ。

「お、なんだなんだ? こんな時間に可愛い子ちゃんが一人で何してんの?」
「へへ、ネズミ捕りにかかったな。お兄さんたちと美味しいものでも食べに行こうぜ」
「ひっ……! い、いえ、急いでますので!」

 ひなたは顔を青ざめさせ、脇を通り抜けようとした。だが、男の一人がガシッと力任せにひなたの腕を掴み上げた。

「痛っ……! 放してください!」
「なんだよ、つれないな。ちょっと付き合えって!」
「やめて! 誰か、助け——んぐっ!?」

 男の手がひなたの口を塞ぐ。強い酒の匂いと圧迫感。恐怖で視界が歪み、涙が溢れ出てくる。

(嫌…… 誰か…… お父さん…… 陸……!)

 絶体絶命の瞬間だった。

 ——ゴォオオオオオオンッ!!

 地鳴りのような重低音が夜の空気を切り裂いた。
 闇の奥から、ヘッドライトの目もくらむような光が猛スピードで迫ってくる。

「な、なんだぁ!? バイク……っ!?」

 キィィィィィッ!! と悲鳴のようなタイヤの摩擦音が響き、黒いバイクがドリフトしながらチンピラたちの目と鼻の先でピタリと停止した。

 光の眩しさに男たちが目を細める。
 エンジンが切られ、静寂が訪れた路地裏。バイクから降り立った男は、革ジャンを脱ぎ捨てるようにして地面へ投げ捨てた。

 そこに現れたのは、制服の胸元を大きくはだけさせ、乱れた黒髪の間から冷酷な殺気を滾らせた少年だった。

「あ……」

 ひなたは息をのんだ。
 暗がりの中でも、その整いすぎた容姿を忘れるはずがない。

(春夏冬…… くん……!?)

 学校での「氷の貴公子」の面影はどこにもなかった。そこにいたのは、獣のような鋭い瞳で敵を睨みつける、あまりにも危険で荒々しい「不良」の姿だった。

「おいガキ、邪魔すんじゃ——」

 チンピラが言い終わる前に、秋人は地を蹴っていた。
 凄まじい踏み込みから繰り出された右フックが、ひなたの腕を掴んでいた男の頬を打ち抜く。バキッという嫌な音が響き、男は吹っ飛んでコンクリートの壁に激突した。

「ギャッ……!?」
「テメぇっ!」

 もう一人の男がポケットからナイフを取り出し、秋人に襲いかかる。
 ひなたは思わず叫んだ。

「危ないっ!!」

 だが、秋人は顔色一つ変えなかった。襲いかかる刃物を最小限の動きでかわすと、男の手首を掴んで捻り上げ、ナイフを落とさせる。そのまま男の腹部に強烈な膝蹴りを叩き込み、髪を掴んで地面へと叩きつけた。

「アガッ…… あ…… が……」

 地面に伏してピクピクと震える男を見下ろし、秋人は肩で息をついた。

「う、嘘だろ…… なんだコイツ…… 化け物かよ……!」

 壁に激突した男が、恐怖に顔を引きつらせながら、仲間を抱え上げて逃げ出していく。

 夜の路地裏に、再び静寂が戻ってきた。