あきない恋を、君と夜の街で。〜氷の貴公子の裏の顔〜

 図書室を出て、二人は夕暮れの校門へと向かって歩いていた。

 学校の敷地内では、一定の距離を保って歩く二人。周りから見れば、ただ同じ方向に歩いているだけの生徒会長とクラスメイトだ。けれど、二人を包む空気は、昨日までの冷たい拒絶のものとはまるで違っていた。

「あ、そうだ! 秋人くん、手…… 大丈夫?」

 ひなたが秋人の右手を指差す。昨夜、絆創膏を貼った彼の拳だ。

 秋人はポケットから手を取り出し、自分の拳を見つめた。

「……別に、どうってことない」
「ちゃんと消毒してね。あ、私のハンカチ、返してくれなくてもいいからね!」
「……ハンカチは、洗って返す」

 秋人が低く答える。ひなたは嬉しそうに「ありがとう!」と笑った。

 校門を出たところで、二人の道が分かれる。ひなたは学童保育のある東側へ、秋人は自分の愛車を隠してある路地裏のある西側へ。

「じゃあね、秋人くん! 今日は本当にありがとうございました!」

 ひなたは深々と頭を下げると、夕日の中を元気に走り出していった。小さくなっていく彼女の背中を、秋人はじっと見つめていた。

 手の中に残った、手作りクッキーの小さな包み。
 そして、昨日ひなたから受け取ったハンカチの、優しい感触。

(田中ひなた……)

 秋人は彼女の名前を、心の中で静かに反芻した。

 学校では誰もが自分を「完璧な生徒会長」として崇め、家では「春夏冬家の道具」として扱われる。けれど、彼女だけは自分を「春夏冬秋人」という一人の人間として見てくれた。

 暴力に汚れ、闇に逃げ込む自分を「ヒーロー」と呼び、絆創膏を貼り、手作りのクッキーをくれた少女。

「……馬鹿なやつだ」

 秋人は呟きながら、クッキーをもうひとつ口に放り込んだ。優しい甘さが、冷え切った身体にじんわりと染み渡っていく。

 胸の奥にある孤独の闇は、まだ消えたわけではない。
 今夜もきっと、自分は夜の街へ飛び出し、バイクのアクセルを吹かさずにはいられないだろう。

 だが、夕闇が迫る街並みを見つめる秋人の瞳には、昨日までにはなかった、かすかな熱が宿っていた。

 昼の仮面と、夜の素顔。
 そのどちらでもない「本当の自分」を知る少女との出会いが、秋人の止まっていた時間を、少しずつ動かし始めていた。