──3月の終わり。
冷たかった風は少しずつやわらぎ、通学路の桜は薄い桃色の花を咲かせ始めていた。
──母が亡くなってからもう2か月の月日が経っていて…
夏音は少しずつ笑えるようになっていた。もちろん、悲しみが消えたわけではない。
今でも“お母さん”と呼びそうになる日がある。今でもスーパーへ行けば、無意識に母の好きだったお菓子を探してしまう。
それでも前を向けるようになったのは、いつも隣に涼がいてくれたからだった。
──学校帰り。2人はいつものように並んで歩いていた。
「今日、暖かいね。」
「もう春だからな…」
──短いやり取りなのに、不思議と心が落ち着く。
夏音は涼の横顔を見つめた。あの日、母を失った自分を何も言わず支えてくれた人。
料理を覚え、朝ご飯を作り、眠れない夜は隣で話を聞いてくれた人。
気づけば、その存在は“家族”以上に大きくなっていた。
「……涼」
「ん?」
「…少し寄り道しない?」
向かったのは、近所の小さな公園だった。夕焼けに照らされたブランコが、風に揺れている。
2人は並んでベンチへ座った。しばらく沈黙が続く。鳥のさえずりだけが静かな公園に響いていた。
──夏音は意を決して口を開く。
「聞きたいことがあるの。」
涼は黙って頷く。
「どうして……。」
──言葉が詰まる。それでも勇気を振り絞った。
「どうして最初の日に、『俺のこと、絶対好きになるな』なんて言ったの?」
2人を髪を靡いていた風が止まる。
涼はゆっくり目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……話さなきゃいけないと思ってた。」
──そう言うと、涼は遠くの空を見つめる。
「父さんが再婚するって聞いたとき、正直、反対だった。」
───夏音は驚いたように目を見開く。
「新しい家族なんていらないって思ってた。」
「母さんを忘れるみたいで嫌だったし、誰とも家族になりたくなかった。」
涼は苦笑する。
「でも、お前のお母さんは違った。」
「初めて会った日から、俺にもちゃんと向き合ってくれた。」
『無理に家族になろうとしなくていいよ。でも、困ったときは遠慮しないでね。』
───その優しい言葉が、今でも耳に残っている。
「父さんも、少しずつ笑うようになった。」
「家の中が明るくなった。」
「だから思ったんだ。」
──涼は拳を握り締める。
「もし俺たちが好きになったら、この家族を壊してしまうかもしれないって。」
───夏音は何も言えなかった。
「だから、お前に言った。」
“俺のこと、絶対好きになるな”
「……あれは、お前を傷つけたかったわけじゃない。」
「好きになったら、一番苦しむのはお前だと思ったから。」
───夏音の目に涙がにじむ。
涼もまた、この何か月もの間、一人で苦しんできたのだ。涼は自嘲気味に笑った。
「でもさ……」
「結局、一番約束を守れなかったのは俺だった。」
──夏音はゆっくり顔を上げる。
「文化祭で知らない男子と話してたとき、腹が立った。」
「クリスマスに手をつないだとき、離したくなかった。」
「母さんが亡くなった夜、お前が泣いてるのを見て……。」
そこで言葉が止まる。
───少しだけ震えた声で、涼は続けた。
「もう、お前を家族としてしか見られなかったら、あんな気持ちにはならない。」
夏音の鼓動が速くなる。風が吹き、桜の花びらが2人の間を舞った。涼は静かに夏音へ向き直る。
「夏音。」
その声は、これまでで一番優しかった。



