キミが家族になった、その日から。



病院へ着くと、消毒液の匂いが鼻をついた。白い廊下は静まり返り、聞こえるのは時計の針が進む音だけ。


──夏音は何度も辺りを見回した。


「お母さんは……?」



継父は何も答えられず、ただうつむいていた。


しばらくすると、診察室の扉が開き、白衣を着た医師が静かに歩いてくる。

───深く頭を下げた。


「申し訳ありません。できる限りの処置は行いましたが……」

その先の言葉は、耳に入らなかった。頭の中が真っ白になる。


「……違いますよね。」

──夏音は小さく笑った。


「先生、何か間違えてますよね?」

──誰も答えない。


「だって、お母さん……今朝まで元気だったんです。」


───声が震える。


「今日の夜はハンバーグにするって……。」

涙が一粒、床に落ちた。


「だから……起きてよ…っ!!」


──その瞬間、張りつめていたものが音を立てて崩れた。


「お母さん……!」

夏音はその場にしゃがみ込み、声を上げて泣いた。涼は何も言えなかった。


ただ、震える夏音の背中にそっと手を添えることしかできない。



───その夜。

家へ帰ると、朝と同じ景色がそこにあった。ダイニングテーブル。

──母のエプロン。流しには洗い終えた食器…冷蔵庫には、「ハンバーグ用 ひき肉」と書かれた買い物メモ。


「……ただいま。」

───いつものように言ってみる。でも返事はない。


その静けさが、母がもう帰ってこないことを突きつけてきた夏音はリビングの床へ座り込み、写真立てを抱きしめる。


家族4人で笑って写っている写真。

「なんで……。」

「なんで、いなくなっちゃったの……。」

───涙が止まらない。



そのとき、静かに部屋の扉が開いた。涼だった。何も言わず、夏音の隣へ座る。


──2人の間に沈黙が流れる。

「……泣いたら?」

夏音が小さくつぶやく。


「本当に、お母さんがいなくなっちゃう気がする。」


涼は少しだけ目を閉じ、静かに口を開いた。


「……もう、我慢しなくていい。」


夏音は首を振る。

「私、お姉ちゃんでもないし、お父さんを支えなきゃいけないし……だから泣いちゃだめ。」


「そんなことない。」

──涼はゆっくりと言った。


「夏音は今、娘なんだから。」


「悲しいなら泣いていい、俺の前だけでいいから。」


──その一言で、夏音の涙はあふれ出した。


「……っ、やだ。」

「お母さんに会いたい。」


「もう一回、“おかえり”って言ってほしい。」


───夏音は涼の胸に顔をうずめ、子どものように泣き続けた。涼は何も励まさない。ただ、震える肩を優しく抱き寄せ、背中をさすり続けた。


「一人じゃない。」


その短い言葉だけが、冷え切った心に少しずつ温もりを灯していく。

──長い夜だった。


泣き疲れた夏音は、そのまま涼の肩にもたれかかり、静かに眠ってしまう。涼は眠る夏音を起こさないよう、そっとブランケットを掛けた。

──前髪を優しく整え、小さくつぶやく。


「……守るから。今度は、俺が。」


その言葉は誰にも届かなかった。

けれどその夜、二人の関係は「家族」という言葉だけでは言い表せないほど、深く結ばれていた。