Dear Darling

 手術室のランプが消えた。

 三人はほぼ同時に立ち上がる。

 静かに扉が開き、手術着姿の執刀医が姿を現した。

 マスクを外したその表情には、隠しきれない疲労がにじんでいる。

「ご家族の方ですね。」

 蓮は無意識に一歩前へ出た。

「妻は……。」

 医師はゆっくりとうなずいた。

「手術は無事に終わりました。」

 三人の肩から、張りつめていた力がわずかに抜ける。

 しかし、医師は静かな口調で続けた。

「腹腔内で大量の出血がありました。脾臓と肝臓を損傷しており、止血手術を行っています。」

 蓮は黙って耳を傾ける。

「現在は出血もコントロールできています。ただ、多量の輸血を行っており、まだ予断を許さない状態です。」

 一呼吸置き、医師は三人をまっすぐ見つめた。

「私たちにできる処置はすべて行いました。」

「……あとは、ご本人の生命力を信じるしかありません。」

 重い沈黙が廊下を包み込む。

「このまま集中治療室へ入室します。」

「今夜が一つの山場になるでしょう。」

「面会は短時間になりますが、お一人ずつお入りください。」

 医師は小さく頭を下げ、その場を後にした。

     ◇

 集中治療室。

 規則正しい電子音が静かな空間に響いている。

 薄暗い室内には、人工呼吸器や輸液ポンプが並び、機械のランプだけが淡く光っていた。

 ひまりはベッドに横たわり、人工呼吸器を装着したまま眠っている。

 顔色は青白く、腕には何本もの点滴ルートがつながれていた。

 心電図モニターが、一定のリズムで波形を刻んでいる。

 蓮はベッドのそばまで歩み寄った。

「……ひまり。」

 返事はない。

 そっと手を伸ばし、冷えた指先を包み込む。

 その手は、力なく横たわったままだった。

「……ごめん。」

 かすれた声が漏れる。

「もっと早く電話に出ていたら。」

 言葉はそこで途切れた。

 唇を固く結び、小さく首を振る。

「……ごめん。」

 静かな病室に、その一言だけが落ちていく。

 人工呼吸器が規則正しく呼吸を繰り返し、モニターの電子音だけが命の存在を知らせていた。

 蓮はひまりの手を握ったまま、小さく目を閉じる。

 お願いだ。

 目を覚ましてほしい。

 また笑ってほしい。

 それだけを、何度も心の中で願い続けた。

     ◇

 病室を出ると、ひまりの母が静かに立ち上がった。

「会えた?」

 蓮は小さく頷く。

「眠っていました。」

 それ以上の言葉は出なかった。

 三人は再び椅子へ腰を下ろす。

 時計の針だけが、静かに夜を刻み続けていた。

廊下の奥から、慌ただしい足音が響いてくる。

「スタットコール!」

 鋭い声が静寂を切り裂いた。

 数人の医療スタッフが隣の処置室へ駆け込み、閉ざされていた扉が勢いよく開く。

救急カートが中へ運ばれ、扉は再び固く閉ざされた。

 さっきまで静まり返っていた救命救急センターの空気が、一瞬にして張り詰める。

 蓮は思わず、その方向へ目を向けた。

 何が起きたのかは分からない。

 ただ、人の命を救おうとする緊迫感だけが、廊下いっぱいに伝わってくる。

 ひまりの母も、不安そうにその様子を見つめていた。

「……大丈夫かしら。」

 誰に向けた言葉でもなかった。

 蓮は答えることができない。

 やがて、慌ただしい足音は遠ざかり、再び静けさが戻る。

 その静けさが、かえって胸を締めつけた。

 蓮はもう一度、ガラス越しに眠るひまりへ視線を向ける。

 ――帰ってきてくれて、ありがとう。

 心の中でそう呟き、静かに目を閉じた。

 壁一枚隔てたその向こうでも、もう一つの命を救うための時間が、静かに流れ続けていた。