慌てて彼女たちの話を詳しく聞こうと、給湯室の扉に手を掛けた、その瞬間。
「そうそう! 有名グループのご令嬢だって。お互いの親同士が決めた政略結婚らしいけど、相手の方もめちゃくちゃ美人で────」
中から聞こえてきた会話に、ピタッと、ドアノブを回そうとしていた手が固まった。
(────え?)
頭の中の時計が、急に止まってしまったみたいだった。
私は、有名グループのご令嬢なんかじゃない。
それどころか、なんの縁もない、容姿だって普通の、ただの一般人だ。
……なら、彼女たちの話題の中にいる『冴島社長の婚約者』は────私じゃない。
(じゃあ……彼女たちが言っていた『婚約』って、なに……?)
心臓が、さっきとは違う意味でドクドクと激しく脈を打ち始める。
────冷たい冷気が足元から這い上がってくるみたいに、全身の血の気が引いていくのが分かった。
「その相手のご令嬢の方、なんて名前なの?」
……聞きたくない。
聞きたくないのに、彼女たちの会話が勝手に脳内に入り込んでくる。
「えーと、たしか……お名前は"一ノ瀬 麗華"さん、だったかしら。ほら、今ウチの会社と共同開発している一ノ瀬グループの────」
(────っ!)
冷たい水を浴びせられたみたいに、息が止まった。
────『麗華』
昨日の夜の、彗さんの電話の相手……。
(ただの知り合いに対する話し方じゃないと思ったけど、やっぱり彗さんの大切な人、だったんだ────……。)



