虐げられ雨女の令嬢は、隣国の晴れ男の陛下に溺愛される

 叩かれた頬の痛みなど気にならない。レイニルが驚いたのは、なぜローサがここにいるのか。
 そして、なぜ自分が叩かれたのか……は想像ができる。ローサがヘリオスではなくレイニルを疑うのは当然だった。
 レイニルはヘリオスから距離を取ると殺気立つローサと向かい合う。

「……お姉様、あの、これは違うんです……」
「何が違うんですの!? 御覧なさい、この空を!」
「……え? 空?」

 レイニルが空を見上げると、雲1つない快晴。長く雨雲の空しか知らなかったレイニルだが、ようやく晴れた空も見慣れてきた。
 しかしローサの目は暗く澱んでいて無抵抗のレイニルを追い詰める。ヘリオスは急に黙り込んでローサの様子を見ている。

「雨女が雨を降らせないなんて、陛下の期待を裏切る役立たずですわね」
「……すみません」

 ローサは全てを見抜いていた。シャインはレイニルの雨女の能力が欲しいがために求婚したのだという事も。
 忌み嫌われたレイニルの雨女の能力なのに、いざ必要とされると発揮されない。それはクラウディ子爵家の名誉に泥を塗るようなもの。
 しかしレイニルとしては、浮気にも見えるヘリオスの行為には全く触れないローサを不思議に思った。

「婚約破棄は時間の問題ですわ。はやくアメリア国に帰りな……」
「オレの妃が何かしたか?」

 ローサの言葉を遮るようにして、凛とした大人の男性の声が中庭に響く。
 一瞬、静まり返ったが、その声の主は中庭を歩いてこちらに向かって歩いてくるシャインだった。ヘリオスが小さく舌打ちをする。
 最初に驚きの声を上げたのはローサだった。

「シャイン様……!? え? 妃とは、どういう……」

 戸惑うローサの横を通り過ぎて、シャインは呆然と立ち尽くすレイニルの肩を抱いて引き寄せる。

「オレはレイニルと結婚した。お前たちも早く結婚したらどうだ?」
「え? 結婚……ですって?」

 ローサはレイニルがすでにシャインと夫婦の関係である事を知らない。
 すると対抗するかのようにヘリオスがローサの肩を抱いて引き寄せる。

「兄貴。今日からローサはここに住むから、よろしく頼むぜ」

 それを聞いたレイニルの鼓動が激しく波打つ。シャインに抱き寄せられているからではない。この状況に不穏な空気を感じ取っていた。

(お姉様も、この城で暮らす……)

 ローサはいずれ婚約者のヘリオスと結婚するのだから、いつかはこうなる事は予想できた。
 しかし、ヘリオスにはローサへの愛がない事を知ってしまった。それどころか彼はレイニルを落とそうとしている。
 ローサが婚約者の浮気を許すはずがない……先ほどのように、その怒りは全てレイニルに向けられるだろう。
 それを知っているのかいないのか、シャインは変わらずに余裕の笑みを浮かべている。

「好きにしろ」

 その一言だけをヘリオスに返して、シャインはレイニルの手を引いて中庭を後にする。
 中庭に取り残されたようにヘリオスとローサは無言で立ち尽くしていたが、突然ハッとしてローサがヘリオスを睨んだ。

「……いい加減に離れて下さいませんか?」
「あぁ、悪ぃな」

 勢いでローサの肩を抱いてしまったヘリオスだが、ローサの方も素っ気ない。むしろその顔は不快を示している。
 クルッと体を反転させて、ようやくヘリオスは形だけの婚約者と正面から向かい合う。
 かと思うとローサは強気に目を吊り上げて、ヘリオスの顔面に向かって右手の人差し指をビシッと向けた。

「話が違うじゃありませんの! あなたがモタモタなさるからいけませんのよ!」
「オレも兄貴が結婚したなんて知らねぇよ」

 ヘリオスは頭を掻きながら拗ねた子供のような顔で言い訳をする。
 ローサはひと呼吸置いてから、今度は両手を腰に当てて堂々と胸を張る。

「まぁ、いいですわ。婚約でも結婚でも同じこと。離婚させればよいのですわ」
「……悪りぃ女だな」
「あら。あなたほどではありませんわ」

 口の端を上げる二人は、その悪そうな笑顔もそっくり。婚約者というより悪友の関係に近い。
 何を思ったのか、ヘリオスが片手の指でローサの顎に触れた。突然の事でローサは青の瞳を見開く。

「そういうのオレは嫌いじゃないぜ、ローサちゃん」
「……ふざけないで」

 ローサは意外にも無抵抗でヘリオスの金色の瞳を睨み返す。悔しいがヘリオスは色男なので、冗談でも口説かれて悪い気はしない。
 その時、状況を知らずに中庭に出た侍女が二人の姿を遠目で目撃した。今にもキスしそうな雰囲気に思わず頬を赤らめて静かに立ち去った。




 シャインに手を引かれたまま、レイニルは城の階段をいくつも上り続ける。何階まで行くのだろうか。
 ドレスでは上りにくく、次第にレイニルは息切れをして速度が落ちてくる。
 いくつめかの階段の踊り場で立ち止まると、シャインがレイニルを抱き上げて、お姫様抱っこの状態で軽々と階段を駆け上る。

「えっ……シャイン様!?」
「気にするな、鍛えているからな。あとオレの呼び方を変えるな」
「あ……」

 シャインは一度だけレイニルに呼び捨てにされたが、それを気に入ってしまったらしい。『様』付けするとあからさまに不満そうな顔をする。
 抱かれたままレイニルが俯いていると、急に視界が明るくなった。顔を上げると、いつの間にか城の外に出たらしい。つまり、ここは城の屋上だ。
 快晴の空の下、シャインは屋上の手すり前まで歩くと、ようやくレイニルを地に下ろす。ここからは城下町が一望できる。

「すごい景色……」

 レイニルは胸の高さまである手すりを両手で握りしめて、眼下に広がるサンディ国の城下町を眺める。
 シャインも隣に立って誇らしげに笑う。

「そうだろう。オレの国だからな」

 きっとシャインは、この広大な景色を見せる事でレイニルの気持ちを晴れさせたかったのだろう。だが、その気遣いは逆効果でレイニルは次第と表情が曇る。
 改めてシャインは国王なのだという存在の大きさと、この国の運命を握る雨女の使命の重さに心が潰されそうになる。
 快晴では、だめなのだ。この国に雨を降らせなければ、単なる役立たず。ローサの言葉が今になって頭の中で復唱される。

「あの……シャイン様」
「呼び方」
「あ……シャイン。あの……」

 レイニルは一瞬、曇ったブルーの瞳を伏せてから思い切ってシャインを見上げる。

「私ではなくローサお姉様と結婚してください」
「……は? 何を言ってるのか分からないな」

 さすがに意表を突かれたシャインは冗談でも聞いたようにわざとらしく驚く。

「私、お姉様の気持ちが分かります。妹の私が国王に嫁ぐのは……」

 きっと屈辱に違いない。レイニルは素直にそう思うが、ヘリオスがローサに愛がないと知った今、ローサが幸せになる形を考えた結果だった。
 どうせ雨が降らなければシャインとは離婚する。ならばすぐに離婚すれば、自分もローサも辛い期間を30日も過ごさなくても済むと思った。

「雨女が必要なら、妃という形でなくてもサンディ国に残ります。ですから……」
「……だから離婚しろと? 契約は守ってもらわないと困るな」

 シャインの口調は強く厳しいが、その目元は穏やかで優しい。

「レイニル。お前は本当に優しいな。オレは、そういうところが愛しいと思う」

 思いがけない言葉にレイニルは息が止まりそうなほどにシャインに心を射抜かれる。今の自分のどこが優しいのか自覚がない。
 しかしシャインは見抜いていた。ローサはレイニルを地下牢に幽閉していた一家の姉だ。そんな姉のために自分の幸せを捨てようだなんて。

「離婚したいなら、30日間雨を降らせない事だな。それが契約だ」

 あくまでルールとしての契約結婚を突きつけてくる。冷たいように見えて、それはシャインの優しさ。シャインはレイニルを手放したくない。
 レイニルはドレスの裾を両手でギュっと握って口を結ぶ。まるで子供のように震えながら溢れる涙を抑える。
 嬉しいのか、悲しいのか分からない。ただ、それがシャインの優しさだと気付いた時に、自分の中に何かの感情が芽生えた。

「シャイン……私、絶対に……勝ちますから」

 レイニルは涙をこぼしながらも精一杯の笑顔で改めて宣言した。
 愛も幸せも勝ち取るもの。今までは忌み嫌われていた自分の能力でシャインの愛を勝ち取りたいと願った。

「あぁ、涙は流すな。どうせなら雨を降らせろ」

 自分が泣かせてしまったようで、シャインは困った顔をしながらもレイニルを優しく抱きしめた。
 雨が降ればシャインの負けなのに……いや、この契約結婚は勝っても負けてもシャインの思い通りになるように仕組まれている。
 たとえ雨が降らなくたって、30日もあればレイニルはシャインの溺愛に溺れてしまうだろうから。

「ふっ……俄然やる気が出てきたぞ。絶対にレイニルを惚れさせてやるから覚悟しろ」

 そしてそれは、シャインの勝負魂にも火をつけた。