虐げられ雨女の令嬢は、隣国の晴れ男の陛下に溺愛される

 アメリア国、クラウディ子爵家の令嬢・レイニルが、男爵令息と婚約してから30日目。
 窓の外で降り続く長雨を見ながら、彼は隣に立つレイニルに言い放った。

「やはり君は呪われているんだね。婚約は無かった事にしよう」

 レイニルの表情も心にも変化はない。その聞き慣れた言葉に動揺なんてしない。
 それはレイニルにとって、4度目の婚約破棄だった。



 その日のうちにレイニルは馬車でクラウディ家の邸宅に帰り着いた。
 大雨の中、門の前で馬車から降りたレイニルは、傘も差さずに屋敷の裏側へと回る。
 薄い金髪の長い髪は濡れて頬に張り付き、真っ白なドレスも水を含んで少し重いが気にしない。
 裏口付近まで歩むと、内壁の下の地面に地下へと続く石の階段がある。そこを下った先は地下牢になっている。
 ずぶ濡れのままで地下牢の廊下を歩くレイニルの姿を見付けたのは、中年の女性だった。

「レイニル様、あぁ、こんなに濡れて……すぐにお着替えを……」
「……ステラさん、ただいま」

 レイニルは力のない笑顔で挨拶を返す。ステラと呼ばれた女性はレイニルの唯一のメイドであった。
 18歳のレイニルは3歳の頃からこの地下牢で暮らしていた。今は40代のステラだが、その頃からずっと一人でレイニルの世話をしてきた。
 白いエプロン姿のステラは手に持ったタオルでレイニルの体を拭いていく。そんなレイニルの瞳には感情の色も輝きもない。

「ここで私を待っててくれたの?」
「はい。今日でご婚約から30日目ですから、もしかしたらと思いまして」

 もう4度目だから慣れたものだった。レイニルは婚約すると同時に相手の邸宅で暮らすが、決まって30日以内に婚約破棄される。
 クラウディ子爵家の次女であるレイニルは容姿が麗しいために、公爵家などからも縁談はあった。だが、何度婚約しようと必ず破棄される。
 その時、誰かが階段を下ってくる足音が地下に響いた。それが誰なのか察した二人は口を閉じて近付いてくる足音に耳を澄ます。
 やがて階段を下って姿を表したのは、レイニルと似た容姿の若い女性。美しい白のドレス姿で華がある。

「あら、レイニルってば、また帰ってきましたのね」

 雨に濡れたレイニルを汚いものでも見るような目で、その女性は吐き捨てるように言った。
 レイニルは感情のない瞳を伏せて丁寧にお辞儀をする。

「ローサお姉様。またお世話になります」

 ローサはレイニルの1つ年上の姉で19歳、クラウディ子爵家の長女。レイニルが唯一、家族として認識しているのはローサだけだった。
 3歳の頃から地下室に幽閉されて暮らしているレイニルは、両親の顔も覚えていない。自分は子爵家の次女であるという事くらいしか知らない。
 ローサはレイニルから距離を取って、その長く美しい金色の後ろ髪を片手でかき上げた。

「何度もお世話できませんのよ。お父様もお母様も呆れていますわ」
「……ごめんなさい」
「あぁ、男爵家にも嫁げないなんて、本当に恥ずかしい。次は砂漠の国にでも売り飛ばすというお父様とお母様のお言葉ですわ」
「…………!」

 売り飛ばすというのは、見知らぬ遠い国に奴隷として売られるのだろう。レイニルにはもう5度目の婚約の機会は与えられない。
 両親に会う事すらできないレイニルは、ローサからの伝達によって両親の意思を知る方法しかなかった。
 そんなローサは隣国の王弟に嫁ぐ事が決まっている。性格は別として、その麗しい容姿は王族すらも魅了する。

「あと数日、そのまま濡れた服で過ごすといいですわ。それでは、さようなら」

 湿っぽい地下牢に長く居たくないローサは、足早に立ち去って地上への階段を上っていく。
 濡れたままで着替えもろくな食事も与えられないレイニルを気遣うのはステラだけだった。

「レイニル様、私の服でよろしければ、お着替えください。少々大きいかもしれませんが……」
「ステラさん、ありがとう」

 ステラはいつもレイニルに自分の衣類や食事を内緒で分け与えている。
 それに対してレイニル自身は申し訳ないという心はあっても悲しみの感情はない。3歳の頃から変わらぬ境遇なので、これが不遇だという感覚すらない。
 長く地下にいたせいで、感情まで欠落してしまったかのようだった。

 そんなレイニルの運命が変わったのは、それから僅か数日後。

 牢屋の中を自分の部屋として使っているレイニルは、今日も石の床に座って読書をしている。
 僅かな照明の下で、ステラが貸してくれる本を読む事だけが毎日の楽しみだった。
 その時、パタパタと石の階段を誰かが下ってくる音がした。ローサの甲高いヒールの音ではないのでステラだと分かる。
 案の定、ステラが急ぎ足でレイニルの側まで駆け寄ってきた。

「ステラさん? どうしたの、そんなに慌てて」
「大変です……今日のお天気が……」
「豪雨なの?」
「いえ、逆なのです。ありえないくらい晴天なのです」

 このアメリア国は15年前ほどから雨の日が多くなり、曇りの日はあっても快晴は珍しい。それ故に『雨の国』とも呼ばれている。
 さらに、それだけではなかった。地下から出られないレイニルの代わりにステラは外の様子を伝える。

「それに今、お屋敷の前に豪華な装飾の馬車が到着しまして、どうやら王侯貴族のようです」
「ローサお姉様の婚約者かしら」

 ローサの婚約者は隣国の王弟だと聞いている。そこまで騒ぐ事もないと思ったレイニルは再び読書を再開しようとした。
 ……その時、石の階段の方から誰かが下りてくる足音がする。力強く踏みしめる大きな音はステラやローラの足音とは全然違う。おそらく男性だ。
 ようやく階段を下り終えて姿を現したのは一人の大人の男性だった。まずステラが恐る恐る男性に問いかける。

「あ、あの……どちら様で?」
「レイニル嬢に会いに来た。どこにいる?」

 無愛想な男性は名乗りもせずに用件だけをステラに伝えた。
 オレンジよりも紅蓮に近い髪に金色の瞳。貴族服もマントも黒で、髪色だけが目立っている。服の装飾から高貴な身分だと分かる。
 来客だと思ったステラは、その男性を奥の牢屋まで案内する。牢屋……つまりレイニルの部屋だ。

「……驚いた。レイニル嬢は牢屋に住んでいるのか」

 初見の者が驚くのも無理はない。牢屋の扉は開放されているものの、その中に簡素なベッドを置いて部屋として使っているのだから。
 牢屋の入り口前に立った男性に気づいたレイニルは、立ち上がると数歩だけ近付いていく。

「どちら様でしょうか? 私はレイニルです。ローサお姉様に御用でしたら人違い……」
「いや、間違っていない。オレはレイニルに用があって来た」

 子爵令嬢を呼び捨てにするこの男は何者なのだろうか。怪訝な顔をするレイニルの顔の近くで男は目線を合わせる。
 レイニルは薄い色の長い金髪にアクアブルーの瞳。クラウディ家の血筋の美貌は噂通りであった。

「名乗るのが遅れたな。オレの名はシャインだ」
「……初めまして、シャイン様。私はクラウディ子爵家の次女・レイニルです」

 レイニルは礼儀正しくお辞儀をするが、その服装はドレスではなく薄汚れたワンピースで様になっていない。
 シャインはその服装には注目せずに、レイニルの美しい青い瞳を真っ直ぐに見つめている。

「お前が『雨女』と噂されるレイニル嬢か……なぜ地下牢に住んでいる?」

 レイニルはこの手の質問には慣れているので、嫌な顔もせずに素直に答える。

「私が地上に出ると雨が止まないからです」
「偶然ではないのか?」
「私が生まれてから3年間、この国はずっと雨が続いたそうです」
「……なるほどな」

 シャインは問い詰めるというより、何かを期待しているような顔でニヤニヤと笑っている。

「レイニル嬢、歳はいくつだ? オレは22だ」
「……18です」

 災いを呼ぶ雨女として忌み嫌われるレイニルは、3歳にして地下に幽閉された。すると途端に長雨は止んだらしい。
 しかし地上に出た途端に雨が降る。そしてレイニルが遠出しても、行く先々では特に集中して大雨に見舞われる。
 婚約が決まっても必ず30日以内に必ず婚約破棄されるのは、止まない大雨が原因だった。

「よし、レイニル。オレはお前と結婚する」
「……はい?」

 訳も分からずにレイニルがポカンとして口を開けていると、階段の方から今度は甲高いヒールの足音が聞こえてきた。誰かは予想ができる。

「シャイン様、どうしてこちらに!? ここは地下牢ですわよ!?」

 ローサは慌てた様子で息を切らしている。どうやらシャインは勝手にこの地下牢に入ったと見える。
 シャインは顔だけをローサに向けるが、急に笑顔を消して形だけの礼をする。

「あぁ、ローサ嬢。弟をよろしく頼む」

 社交辞令のように告げると、再び目の前のレイニルの方を向く。そしてレイニルの細く白い片手を持ち上げる。
 しかしレイニルは、それどころではない。その言葉から、シャインはローサの婚約者の兄だという事が分かる。

「改めて名乗ろう。オレはサンディ国王・シャイン。レイニルを妃として迎える」

 シャインは隣国の王であった。そして突然のプロポーズに驚く間も拒否する権利もなく、レイニルは地下牢から連れ出された。