王宮の片隅にある密やかな書庫。
かつて第三側室カタリナが収集した王国中の裏情報や、数千冊に及ぶ古い歴史書が所狭しと並ぶその場所で、七歳の王子アルフレッドは一冊の分厚い羊皮紙の書物を貪るように読んでいた。
「アルフレッド様、またそのような難しい本を……。お庭で剣の練習でもなさってはいかがですか?」
呆れ顔で声をかけたのは、元第一側室であり、現在は近衛騎士団の要職に就きながらアルフレッドの護衛を務めているブリジェットだった。
「結構です、ブリジェット叔母様。剣の腕を磨くのは貴女や騎士たちの仕事だ。僕の仕事は……この頭脳で、母上を殺そうとする大人たちの悪意を打ち砕く方法を見つけることだから」
淡々とした声で言い放つアルフレッドに、ブリジェットは絶句した。
七歳の子供が口にしていい言葉ではない。
だが、ブリジェットもまた知っていた。
この幼い王子が、ただの「可愛い子供」ではないことを。
アルフレッドは鋭い観察眼を持っていた。
母エレナに向けられる貴族たちの蔑みの視線。
宮廷の廊下で一瞬だけ交わされる、裏切りを暗示する密談の合図。
そして、父である国王レオンハルトの表情に日増しに陰りが見え始めていること――。
アルフレッドはそれらすべてを察知していた。
(母上が命懸けで作ったこの平和は、脆すぎる。大人たちの醜い利権とエゴの前に、こんな『愛と善意の平和』なんて、長くは持つはずがない)
幼い胸の中で、冷徹な戦略家の萌芽が急速に育ちつつあった。
アルフレッドはカタリナの書庫に通い詰め、クインテラ王国の数百年に及ぶ政治史、各大貴族家筋の家系図、秘密の資金源。
さらには第四側室だったフィオナが立ち上げた商会から持ち込まれる「諸国の経済動向」の記録まで、すべてを頭に叩き込んだ。
大人以上の速度で情報を処理し、チェス盤の駒を動かすように勢力図を脳内で組み立てる。
ある日、カタリナが書庫を訪れ、自分よりも遥かに小さな背中で難解な外交文書を読み解くアルフレッドの姿を目にした。
「……恐ろしい子ね。カタリナ叔母様も顔負けの暗鬼(あんき)が、こんな小さな体に宿っているなんて」
カタリナが感嘆混じりに呟くと、アルフレッドは本から目を離さずに応えた。
「カタリナ叔母様。ハミルトン公爵家が最近、北方の鉱山からの税収を不正に誤魔化しているでしょう。あれはただの横領じゃない。私兵を雇い入れるための裏金づくりです」 「……そこまで見抜いていたの? 本当に七歳かしら」
「ハミルトン公爵は、父上(レオンハルト)の身体が弱り始めているのを知っている。そして、平民の血を引く僕が即位することを断固として阻止する気だ。……僕が10歳になる頃には、必ず大規模な巻き返し(クーデター)を仕掛けてくる」
アルフレッドは本を静かに閉じると、カタリナをまっすぐに見つめた。
その瞳には、子供らしい愛くるしさは微塵もなく、氷のように研ぎ澄まされた知性が宿っていた。
「母上は心優しすぎる。父上の愛に守られ、敵を赦そうとする。……でも、それでは勝てない。僕が、母上の代わりに悪魔にならなければいけないんだ」
「アルフレッド様……貴方はご自身を傷つけるおつもり?」
「いいえ。僕はただ、チェスを指すだけです。誰よりも先の手を読み、敵が駒を動かす前に、その手を物理的に叩き潰す。愛や情けなどという不確定な感情に頼るから、国も人間も狂うんだ」
かつてエレナが「わが子を守るためなら魔女にでもなってやる」と覚醒したように、息子であるアルフレッドもまた、母を守るために「絶対的な冷血漢(氷の王)」へと覚醒しようとしていた。
幼き神童は、王宮という巨大な盤面を見据え、静かに、だが着実に自らの「駒」を揃え始めるのだった。
かつて第三側室カタリナが収集した王国中の裏情報や、数千冊に及ぶ古い歴史書が所狭しと並ぶその場所で、七歳の王子アルフレッドは一冊の分厚い羊皮紙の書物を貪るように読んでいた。
「アルフレッド様、またそのような難しい本を……。お庭で剣の練習でもなさってはいかがですか?」
呆れ顔で声をかけたのは、元第一側室であり、現在は近衛騎士団の要職に就きながらアルフレッドの護衛を務めているブリジェットだった。
「結構です、ブリジェット叔母様。剣の腕を磨くのは貴女や騎士たちの仕事だ。僕の仕事は……この頭脳で、母上を殺そうとする大人たちの悪意を打ち砕く方法を見つけることだから」
淡々とした声で言い放つアルフレッドに、ブリジェットは絶句した。
七歳の子供が口にしていい言葉ではない。
だが、ブリジェットもまた知っていた。
この幼い王子が、ただの「可愛い子供」ではないことを。
アルフレッドは鋭い観察眼を持っていた。
母エレナに向けられる貴族たちの蔑みの視線。
宮廷の廊下で一瞬だけ交わされる、裏切りを暗示する密談の合図。
そして、父である国王レオンハルトの表情に日増しに陰りが見え始めていること――。
アルフレッドはそれらすべてを察知していた。
(母上が命懸けで作ったこの平和は、脆すぎる。大人たちの醜い利権とエゴの前に、こんな『愛と善意の平和』なんて、長くは持つはずがない)
幼い胸の中で、冷徹な戦略家の萌芽が急速に育ちつつあった。
アルフレッドはカタリナの書庫に通い詰め、クインテラ王国の数百年に及ぶ政治史、各大貴族家筋の家系図、秘密の資金源。
さらには第四側室だったフィオナが立ち上げた商会から持ち込まれる「諸国の経済動向」の記録まで、すべてを頭に叩き込んだ。
大人以上の速度で情報を処理し、チェス盤の駒を動かすように勢力図を脳内で組み立てる。
ある日、カタリナが書庫を訪れ、自分よりも遥かに小さな背中で難解な外交文書を読み解くアルフレッドの姿を目にした。
「……恐ろしい子ね。カタリナ叔母様も顔負けの暗鬼(あんき)が、こんな小さな体に宿っているなんて」
カタリナが感嘆混じりに呟くと、アルフレッドは本から目を離さずに応えた。
「カタリナ叔母様。ハミルトン公爵家が最近、北方の鉱山からの税収を不正に誤魔化しているでしょう。あれはただの横領じゃない。私兵を雇い入れるための裏金づくりです」 「……そこまで見抜いていたの? 本当に七歳かしら」
「ハミルトン公爵は、父上(レオンハルト)の身体が弱り始めているのを知っている。そして、平民の血を引く僕が即位することを断固として阻止する気だ。……僕が10歳になる頃には、必ず大規模な巻き返し(クーデター)を仕掛けてくる」
アルフレッドは本を静かに閉じると、カタリナをまっすぐに見つめた。
その瞳には、子供らしい愛くるしさは微塵もなく、氷のように研ぎ澄まされた知性が宿っていた。
「母上は心優しすぎる。父上の愛に守られ、敵を赦そうとする。……でも、それでは勝てない。僕が、母上の代わりに悪魔にならなければいけないんだ」
「アルフレッド様……貴方はご自身を傷つけるおつもり?」
「いいえ。僕はただ、チェスを指すだけです。誰よりも先の手を読み、敵が駒を動かす前に、その手を物理的に叩き潰す。愛や情けなどという不確定な感情に頼るから、国も人間も狂うんだ」
かつてエレナが「わが子を守るためなら魔女にでもなってやる」と覚醒したように、息子であるアルフレッドもまた、母を守るために「絶対的な冷血漢(氷の王)」へと覚醒しようとしていた。
幼き神童は、王宮という巨大な盤面を見据え、静かに、だが着実に自らの「駒」を揃え始めるのだった。



