午前9時30分。営業一課のフロアに、神尾蓮が出社してきた。
いつものように完璧なスーツの着こなし、完璧な爽やかスマイルを浮かべ、「おはようございます」と挨拶を交わしながら自分のデスクへ向かう。
だが、デスクの椅子に座り、卓上に置かれた1冊のクリアファイルを目にした瞬間、蓮のスマートな眉が小さくピクリと動いた。
「これ……」
それは、金曜の夜に自分が落としたはずの、今日の役員会議用の最終起案書だった。
土日に自宅でカバンを探しても見当たらず、今朝は早めに出社して探そうと思っていたのだ。
驚きはそれだけではなかった。
極度の綺麗好きである蓮の目から見ても、その資料は「異常なほど美しく」整理されていた。
折れ曲がっていたはずの用紙の端はプレスされたように真っ直ぐに伸ばされ、乱れていたページの順番は完璧に整合している。
さらに、役員が質問しそうな箇所には、視認性の高い極小の付箋が、等間隔で美しく貼られていた。
「神尾、それ、今朝早くに秘書課の乾さんが持ってきてくれたぞ。お前の机の上に置いておきます、って」
隣の席の佐伯拓海が、コーヒーを片手に声をかけてきた。
「乾さんが……?」
「ああ。さすが『秘書課の鑑』だよな。お前が落としたやつ、わざわざ整理してくれたんだろ。お前、感謝しろよ?」
蓮は「……そうだね」と短く返し、資料をめくった。
ふと、最後のページに、付箋と同じ色の小さなメモ用紙が挟まれているのを見つける。
そこには、丸っこい、だけど読みやすい丁寧な字でこう書かれていた。
『35ページのグラフ、数値の参照元が前年度のままになっていたので、今年度の最新値(Q3確定分)に修正して差し替えておきました。お仕事、頑張ってください。』
「……あいつ」
蓮の口元から、自然と「営業用の笑顔」が消えていた。
だが、その後に浮かんだのは、冷徹な無表情ではない。
ほんの少しだけ呆れたような、それでいて、胸の奥がじんわりと熱くなるような、これまで感じたことのない温かい苦笑だった。
「状況整理が早い、か。本当に……仕事は完璧なんだな、あのゲームオタク」
金曜の夜、髪を少し崩して、唇を尖らせてゲームアプリに必死になっていたあの彼女が、自分のためにここまで細やかな気配りをしてくれた。
見て見ぬ振りをしてもいいはずなのに、わざわざ自分の仕事の手を止めて助けてくれたのだ。
蓮の冷めていた心に、小さな、しかし消えない火が灯った瞬間だった。
いつものように完璧なスーツの着こなし、完璧な爽やかスマイルを浮かべ、「おはようございます」と挨拶を交わしながら自分のデスクへ向かう。
だが、デスクの椅子に座り、卓上に置かれた1冊のクリアファイルを目にした瞬間、蓮のスマートな眉が小さくピクリと動いた。
「これ……」
それは、金曜の夜に自分が落としたはずの、今日の役員会議用の最終起案書だった。
土日に自宅でカバンを探しても見当たらず、今朝は早めに出社して探そうと思っていたのだ。
驚きはそれだけではなかった。
極度の綺麗好きである蓮の目から見ても、その資料は「異常なほど美しく」整理されていた。
折れ曲がっていたはずの用紙の端はプレスされたように真っ直ぐに伸ばされ、乱れていたページの順番は完璧に整合している。
さらに、役員が質問しそうな箇所には、視認性の高い極小の付箋が、等間隔で美しく貼られていた。
「神尾、それ、今朝早くに秘書課の乾さんが持ってきてくれたぞ。お前の机の上に置いておきます、って」
隣の席の佐伯拓海が、コーヒーを片手に声をかけてきた。
「乾さんが……?」
「ああ。さすが『秘書課の鑑』だよな。お前が落としたやつ、わざわざ整理してくれたんだろ。お前、感謝しろよ?」
蓮は「……そうだね」と短く返し、資料をめくった。
ふと、最後のページに、付箋と同じ色の小さなメモ用紙が挟まれているのを見つける。
そこには、丸っこい、だけど読みやすい丁寧な字でこう書かれていた。
『35ページのグラフ、数値の参照元が前年度のままになっていたので、今年度の最新値(Q3確定分)に修正して差し替えておきました。お仕事、頑張ってください。』
「……あいつ」
蓮の口元から、自然と「営業用の笑顔」が消えていた。
だが、その後に浮かんだのは、冷徹な無表情ではない。
ほんの少しだけ呆れたような、それでいて、胸の奥がじんわりと熱くなるような、これまで感じたことのない温かい苦笑だった。
「状況整理が早い、か。本当に……仕事は完璧なんだな、あのゲームオタク」
金曜の夜、髪を少し崩して、唇を尖らせてゲームアプリに必死になっていたあの彼女が、自分のためにここまで細やかな気配りをしてくれた。
見て見ぬ振りをしてもいいはずなのに、わざわざ自分の仕事の手を止めて助けてくれたのだ。
蓮の冷めていた心に、小さな、しかし消えない火が灯った瞬間だった。



