オタクな秘書の攻略方法〜来る者拒まず去る者追わずだった同期に一途に溺愛される

「乾さん、この前の常務の出張旅費の精算書なんだけど……」
「あ、チーフ。そちらはすでに営業側から領収書を回収し、経理部へ回してあります。承認待ちのステータスをご確認いただけますか」
「あら、本当に! いつも先回りしてくれて助かるわぁ」
時刻は17時。
定時退社を目前に控えた秘書課フロアでは、一日の締め括りに向けたキーボードの打鍵音が小気味よく響いていた。
真白が手際よくデスクの上の書類をファイリングしていると、隣の席の聖良が、画面を見つめたまま声を潜めて話しかけてきた。
「ねえ真白。今日の19時から、役員会議室のプロジェクターの調子を見る仕事、あんたが入ってるでしょ」
「ええ。明日の経営会議で使う機材だから、事前に投影テストをしておくようにってチーフから頼まれたの」
「それさ。さっき営業一課の佐伯くんから聞いたんだけど、営業側からも接続テストのために誰か一人、19時に役員フロアに上がることになってるらしいよ」
聖良はキーボードを叩く手を止めずに、こちらにだけ聞こえる声でニヤリと笑った。
「行くの、誰だと思う?」
「……え」
真白の指先がピタリと止まる。聞くまでもなかった。
「営業一課で、今度の会議資料のプレゼン担当、神尾くんだもんね。……ふふ、お仕事がんばってね、乾秘書?」
「ちょっと、聖良……っ。仕事よ、ただの業務よ」
「分かってるって。声が大きい。チーフに聞こえるでしょ」
聖良にからかわれ、真白は慌てて自分の口を覆った。胸の鼓動が一気に早くなる。
誰もいない夜の役員フロアで、神尾と二人きり。
ただの機材テストだと自分に言い聞かせても、顔に熱が上るのを止められなかった。
ーーそして19時。
すっかり静まり返った役員フロアの第1応接室。
天井の照明を半分だけ落とした薄暗い室内に、プロジェクターの青白い光がスクリーンを四角く照らしている。
「失礼します」
静かにドアが開き、営業用のタブレット端末を持った蓮が入ってきた。
ジャケットを脱ぎ、ネクタイを少しだけ緩めた彼が、ドアを閉めてロックをかける。そのカチャリという小さな音が、妙に広く静かな室内に響いた。
「お疲れ様です、乾さん。……誰もいないね」
入ってきた瞬間の仕事用の引き締まった表情から、ふっと、真白だけに向けられる優しい「恋人」の顔へ。
その一瞬のギャップに、真白の心臓がうるさく跳ねる。
「お、お疲れ様です、神尾さん。……とりあえず、タブレットのHDMI出力を確認させてください。ポートを繋ぎますね」
努めて冷静に、プロの秘書らしく振る舞おうとする真白。
けれど、配線を繋ごうとスクリーンの裏側に回った瞬間、手元が暗くて端子がうまく見つからない。
「あれ、おかしいな。入らない……」
「暗いからね。貸して、俺がやるよ」
背後からスッと蓮の手が伸びてきて、真白の手元を優しく覆った。
背中に感じる、彼の体温。
ふわりと漂う、彼がいつもつけているシトラス調の軽い香水の匂い。
カチリ、と端子がはまる音がしたのと同時に、蓮の腕が真白の腰に滑り込み、彼女の体を優しく自分の胸元へと引き寄せた。
「神尾、さん……っ。ここは会社です、誰か来たら……」
「役員フロアのこの時間は、もう誰も通らないよ。……ずっと、今日一日まともに話せなくて寂しかった」
耳元で囁かれる、低く甘い声。
昼間、営業フロアであれほど冷徹に仕事をこなしていた「エースの神尾蓮」が、今は子供のように甘えるように、真白の肩に額を預けている。
そのあまりのギャップと愛おしさに、真白はもう抵抗できなかった。
自分のスウェット姿を愛してくれたように、オフィスで完璧に戦う彼の、この誰も知らない「素の甘え顔」を知っているのは、自分だけなのだ。
「……私も、寂しかったです」
真白は小さく、けれど素直にそう呟き、彼の背中にそっと手を回した。
プロジェクターの青い光に照らされた暗闇の中で、二人は誰にも言えない秘密の甘いバグを、静かに分かち合っていた。