雨の夜のロビーでの会話以来、真白の日常には、静かな、けれど決定的な変化が訪れていた。
神尾蓮は約束通り、深夜のデータ更新や、あからさますぎる過保護なブロック行為をやめた。
だが、その代わりに、彼はもっと別のやり方で誠意を示し始めた。
「乾さん、おはようございます。これ、今朝常務から頼まれていた会議室の空き状況です。すでに押さえておきました」
「乾さん、お疲れ様です。……お茶、新しく淹れました。少し、休憩してくださいね」
社内ですれ違う時、彼はいつもの「王子様」の笑顔ではなく、一人の等身大な男として、穏やかで優しい眼差しを真白に向けるようになった。
周囲に人がいる時は決して踏み込まず、けれど真白が困ったときには必ず、絶妙なタイミングでそっと手を差し伸べてくれる。
(……ズルい。あんな顔されたら、もう怒り続けるなんて無理じゃない)
真白はデスクでキーボードを叩きながら、小さくため息をついた。
ファーストキスを強引に奪われたショックや怒りは、いつの間にか、彼の不器用すぎるほど真っ直ぐな献身によって、優しく上書きされつつあった。
金曜日の定時後。
真白は、自席で週末のタスクを整理していた。
ふと横を見ると、聖良がニヤニヤしながらこちらを見つめている。
「な、何よ、聖良」
「ううん? 別にー。ただ、真白のトゲトゲしたオーラが最近すっかり消えたなーって思って。……神尾くんの『誠意』、ちゃんと届いたみたいだね」
「そんな、こと……っ」
真白は思わず耳たぶを押さえた。また赤くなっているのが自分でも分かった。
「私、別に許したわけじゃ……」
「知ってるよ、真白が負けず嫌いなのは。でもね、あいつ本当にあんたにベタ惚れなんだと思うよ。佐伯くんから聞いたけど、あんなにみっともなく後悔して、必死になってる神尾蓮、誰も見たことないんだって」
聖良は優しく微笑み、真白の肩をぽんと叩いた。
「自分の大好きな推しキャラに一途なのもいいけどさ……現実の世界で、あんただけを一途に追いかけて、泥臭く這いつくばってくれる男の人も、悪くないんじゃない?」
その言葉は、真白の胸の奥深くにストンと落ちた。
ゲームのキャラクターは裏切らないし、いつも完璧だ。
けれど、目の前の現実の男――神尾蓮は、不器用で、間違いも犯すし、泥臭く後悔もする。
だけど、それらすべてを含めて、彼は今、真白という人間と真剣に向き合おうとしてくれている。
(私……もう、彼のことを拒絶したいわけじゃないんだ)
心の中にあったぐちゃぐちゃな霧が、すっと晴れていくのを感じた。
あのファーストキスは、確かに自分の思い描いていた理想とは違ったかもしれない。
けれど、あの時感じた熱、彼が流させた涙のあとに見せた、あの酷く傷ついた顔。
すべてが、彼を「大嫌いな人」から「特別な人」へと変えるための、バグではなく必要なプロセスだったのだと、ようやく確信できた。
「……うん。私、ちゃんと神尾さんと、話してみる」
真白は力強く頷いた。その瞳には、もう迷いも、逃げるための仮面もなかった。
神尾蓮は約束通り、深夜のデータ更新や、あからさますぎる過保護なブロック行為をやめた。
だが、その代わりに、彼はもっと別のやり方で誠意を示し始めた。
「乾さん、おはようございます。これ、今朝常務から頼まれていた会議室の空き状況です。すでに押さえておきました」
「乾さん、お疲れ様です。……お茶、新しく淹れました。少し、休憩してくださいね」
社内ですれ違う時、彼はいつもの「王子様」の笑顔ではなく、一人の等身大な男として、穏やかで優しい眼差しを真白に向けるようになった。
周囲に人がいる時は決して踏み込まず、けれど真白が困ったときには必ず、絶妙なタイミングでそっと手を差し伸べてくれる。
(……ズルい。あんな顔されたら、もう怒り続けるなんて無理じゃない)
真白はデスクでキーボードを叩きながら、小さくため息をついた。
ファーストキスを強引に奪われたショックや怒りは、いつの間にか、彼の不器用すぎるほど真っ直ぐな献身によって、優しく上書きされつつあった。
金曜日の定時後。
真白は、自席で週末のタスクを整理していた。
ふと横を見ると、聖良がニヤニヤしながらこちらを見つめている。
「な、何よ、聖良」
「ううん? 別にー。ただ、真白のトゲトゲしたオーラが最近すっかり消えたなーって思って。……神尾くんの『誠意』、ちゃんと届いたみたいだね」
「そんな、こと……っ」
真白は思わず耳たぶを押さえた。また赤くなっているのが自分でも分かった。
「私、別に許したわけじゃ……」
「知ってるよ、真白が負けず嫌いなのは。でもね、あいつ本当にあんたにベタ惚れなんだと思うよ。佐伯くんから聞いたけど、あんなにみっともなく後悔して、必死になってる神尾蓮、誰も見たことないんだって」
聖良は優しく微笑み、真白の肩をぽんと叩いた。
「自分の大好きな推しキャラに一途なのもいいけどさ……現実の世界で、あんただけを一途に追いかけて、泥臭く這いつくばってくれる男の人も、悪くないんじゃない?」
その言葉は、真白の胸の奥深くにストンと落ちた。
ゲームのキャラクターは裏切らないし、いつも完璧だ。
けれど、目の前の現実の男――神尾蓮は、不器用で、間違いも犯すし、泥臭く後悔もする。
だけど、それらすべてを含めて、彼は今、真白という人間と真剣に向き合おうとしてくれている。
(私……もう、彼のことを拒絶したいわけじゃないんだ)
心の中にあったぐちゃぐちゃな霧が、すっと晴れていくのを感じた。
あのファーストキスは、確かに自分の思い描いていた理想とは違ったかもしれない。
けれど、あの時感じた熱、彼が流させた涙のあとに見せた、あの酷く傷ついた顔。
すべてが、彼を「大嫌いな人」から「特別な人」へと変えるための、バグではなく必要なプロセスだったのだと、ようやく確信できた。
「……うん。私、ちゃんと神尾さんと、話してみる」
真白は力強く頷いた。その瞳には、もう迷いも、逃げるための仮面もなかった。



