オタクな秘書の攻略方法〜来る者拒まず去る者追わずだった同期に一途に溺愛される

新橋のガード下にある騒がしい大衆居酒屋の片隅で、そのテーブルだけが凍りついたような異様な空気を放っていた。
「……真白に、何をしたか、分かってて呼び出されたんだよね?」
聖良が腕を組み、冷ややかな視線を目の前の男にぶつける。
その視線の先で、神尾蓮は、いつも会社で見せる輝くような「完璧王子」のオーラを完全に消失させていた。
仕立ての良いスーツはどこか力なく映り、前髪をラフに落としたその顔には、隠しようのない焦燥と後悔が張り付いている。
「……すまない」
蓮の口から漏れたのは、いつもと違う、掠れた低い声だった。
その隣で、ジョッキを握る佐伯が冷や汗を流しながら二人を見比べている。
「おい、神尾……お前、本当に乾さんに無理やり……」
「無理やりじゃない、なんて言い訳はさせないから」
聖良が佐伯の言葉をぴしゃりと遮った。
「真白はね、あんたが思っているような、手慣れた大人の女じゃないの。恋愛なんて興味なくて、二次元の推しを純粋に愛して、仕事は完璧にこなす。そういう『自分の世界』を何より大切にしてる子なの。それを、あんたが自分の趣味嗜好で面白がって近づいて、あげくに強引にファーストキスまで奪って……っ。あの子が今日、どんな思いで熱を出して寝込んでるか、あんた分かってんの!?」
聖良の語気が強まる。周りの喧騒が遠のくほど、彼女の怒りは本物だった。
ファーストキス。その単語が耳に届いた瞬間、蓮は目を見開いた。
「ファースト……キス?」
「そうだよ! ああ見えて、恋愛経験ゼロなの! いつか本当に、自分をオタクごと愛してくれる大好きな人と、大切に交わすはずだったの! それを……!」
蓮の脳裏に、あの夜、テラスで流れた真白の涙の冷たさが鮮烈に蘇った。
ただ自分の存在を刻み込みたくて、焦りから強引に唇を重ねてしまった。
だが、彼女にとっては、自分の大切にしていたささやかな夢を、よく知りもしない男に土足で踏みにじられた最悪の瞬間だったのだ。
「俺は……」
蓮は両手で顔を覆った。指先が微かに震えている。
「嫌がらせのつもりなんて、本当になかった……。ただ、彼女が他の女と違ってあまりに眩しくて、自分だけを見てほしくて……。だけど、アプローチの仕方が分からなくて、完全に、独りよがりな最悪の手を打った」
蓮のその様子を見て、隣の佐伯は絶句した。
入社以来、常に冷静沈着で、他人の感情をコントロールすることに長けていたあの神尾蓮が、ここまでみっともなく、本気で打ちのめされている姿など見たことがなかったからだ。
「小鳥遊さん」
蓮は顔を上げ、聖良の目を真っ直ぐに見つめた。いつもの『営業用の笑顔』など、ミリ単位も残っていない。
「乾さんには、一生かけて謝る。二度と彼女の嫌がることはしない。だから……頼むから、俺に挽回するチャンスをくれないか。俺は、本気なんだ。彼女のことが、好きだ」
聖良は、蓮のその痛々しいほど一途で真剣な瞳をじっと見つめ、深く、深くため息をついた。
「……あんたの化けの皮、本当に剥がれ落ちたね。神尾くん。でも、決めるのは私じゃない。真白自身だよ」
聖良はグラスを置くと、バッグを持って立ち上がった。
「体調が治るまでは、絶対に連絡もしないで。これ以上あの子の聖域を荒らしたら、私が許さないから」
それだけを言い残し、聖良は店を去っていった。
残された蓮は、自分の最悪の過ちの重さに、ただ静かに、頭を垂れるしかなかった。