ルーチェに恋をして

こんな大きな声が出るなんて思わなかった。
力強く、はっきりと、今度は確実に奏多を呼び止めて彼の目を見つめる。
 

「ごめんね!」


文乃の言葉に奏多は戸惑うように瞬きを繰り返し、自身の耳の横に手を持っていき——何かを外した。

「……イヤホン?」

彼の手に握られていた黒い小さなイヤホンは彼の外音を遮断していた。
 
「悪い、音聞いて指先に集中してたから何もわかんなくて……どうした?」
 
自分の体から一気に力が抜けて階段に座り込む。
悪い予想が外れたことにホッとしたからか自然と目が濡れてしまい「よかった……」と言葉が漏れる。

奏多は急に文乃が座り込んで目を潤ませたことに驚いて慌てていた。
「なんで」「どうしたんだよ」と手を泳がせてどうしたらいいか悩んでいる様子に少し笑みが溢れる。

「ふふ……」
「お前!何笑ってんだよ!こっちは焦って——」
「ごめん。いつもの奏多で、嬉しくて。」
「?俺はいつも通り変わらねぇぞ。ここ三日はちょっと忙しかったけどな」

少し目を上に向け頭を掻く奏多に「何かあったの?」と訳を聞いてみる。
すると奏多は恥ずかしそうに目を泳がせながらポケットから紙のようなものも二枚取り出した。

「……席、用意するって……いっただろ」

 
彼の手に握られていたのは、奏多の——コンサートチケットだった。
 
「ん」と短い言葉で受け取るように催促する奏多を見て耐えていた涙腺は壁を失い、涙が流れ出す。
奏多は文乃を避けていたわけでも、無視していたわけでもなかった。
私たちのために、チケットを用意するために、動き回ってくれていたんだ。
それが堪らなく嬉しくて、涙が出る。

奏多は予想もしていなかった現状に困り果てながらも、しくしくと泣く文乃の涙をハンカチで優しく拭う。
文乃は落ち着くと奏多の目を見て、小さな声で言った。

「私の作家ネームは……橘冬樹なの」

尻すぼみになりながらも、文乃ははっきりと言った。
涙を拭い、座り込む文乃に目線を合わせる奏多。

奏多は開けていた口を閉じて顔を下に向けた。
彼の顔が見えなくなって不安になり、文乃の顔も曇りかけたその時。


 
「やっぱりか」


奏多は嬉しそうに口角を上げてふにゃりと笑った。

その顔を見た瞬間、自分の胸がドキッと鼓動して……胸を掴んだ。