ルーチェに恋をして



食器を持ったまま、音のする方へ自然と足が動いた。
もし音楽の魔法があるならきっとこんな風に自然と心を動かすのだろう。
食堂を通り越して先へと進む。

そこには扉の少し開いた音楽室があった。

気配を消して、そーっとバレないように中を覗き込む。
大きな白いグランドピアノ。
そこに座る黒髪の青年。

奏多と呼ばれ、文乃に暴言を吐いた彼はまるで別人のように(あわ)い空気を放っていた。

「妖精……みたい」
 
男性に妖精だなんて少し変かもしれない。
それでも、その表現以外思いつかないほどに彼は神秘的で美しかった。
 
文乃の胸に湧き出る思想と物語。
奏多の音色は小説家としての文乃を強く刺激した。

「書かなきゃ……今、書いておかないと」
 

 絶対、後悔すると思った。

文乃は人が変わったように食器を床に置き、ポケットからメモ帳を取り出す。
こうなった時のために書くものはいつも携帯していた。
この瞬間以上に、その習慣に対して感謝することはないだろう。
 
床に座り、文乃は止めどなく溢れる頭の中の言葉をメモに綴っていく。
書いてはページをめくり、また書いては次の空白を埋め尽くす。

——楽しい! 

楽しくて仕方ない。
筆が勝手に動いた、考えなくても手が動いた。
 
まるで自分が小説の中に入ったみたいに——気持ちが、感覚が伝わってくる。

奏多の曲が文乃を物語へと連れていく。

 
——その時だった。


……さっきまで聞こえていた音色が、止まっている。

嫌な予感に筆を止める文乃。
真隣から視線を感じて瞳を揺らした。
 

 いる、誰か、横に いる。


ギギギ……と立て付けの悪い扉のようにぎこちない動きで気配の方向へ顔を向けると、文乃の書いた小説メモをじーっと読んでいる奏多がいた。

「なぁ」

 奏多はメモに目を向けたまま、文乃に声をかける。


「お前もしかして、脚本家……もしくは小説家か?」


 文乃は瞼を閉じた。