アンドロイド総務部員(※心の中はエセ関西弁)は、一途なチャラ男の底なし沼から抜け出せない

【第9話】
オフィス街の路地裏にある、暖簾の少し色褪せたうどん屋。
ガラガラと引き戸を開けると、カツオと昆布の、優しくて濃厚な出汁の香りが店内に満ちていた。東京の醤油辛い匂いとは違う、私の実家――というか、脳内実家が求めていたあの香りだ。
「ここ、取引先の人に教えてもらったんだ。神田さん、気に入ると思って」
氷室先輩はカウンターの奥の席を勧めながら、自分の上着を丁寧にハンガーにかけた。
長時間のパズル作業の後だというのに、彼の身のこなしは相変わらずスマートで、狭い店内でも妙に絵になる。
「……確かに、良い香りですね。それは認めます」
私はオフィスの時と変わらないキッチリとした動作で、おしぼりで手を拭いた。
ここで少しでも緩んだら、さっきの「脳みそハッピーセット誤爆事件」の二の舞になる。私はあくまで『残業の付き合いで仕方なく来た総務部の神田』だ。鉄壁の城門は、一度閉めたらそう簡単には開けない。
「きつねうどん二つで」と氷室先輩が店員さんに注文を通す。
「神田さんさ、さっき『一途なんですね』って聞いたとき、どんなこと考えてた?」
「……別に。ただの世間話です」
(嘘つけ!!! 脳内ではな、お前の片思い相手の顔写真をGoggle画像検索で特定したろかくらいの勢いで勘ぐっとったわ! どんなお淑やかなお嬢様か知らんけど、ハバネロスープ渡される彼女の身にもなってみぃ!)
「そっか。俺、神田さんにそう言われて、なんか嬉しかったんだよね」
氷室先輩は、カウンターに肘をついて、じっと私を見てくる。その距離、わずか30センチ。社内の女子なら一瞬で過呼吸になるレベルの至近距離だ。
「俺のこと、ちゃんと一人の男として見てくれてるんだなって思って」
不意打ちのストレート。
だが、私は「アンドロイド神田」である。眼鏡の奥の黒目を1ミリも動かさず、冷ややかな声で返した。
「氷室先輩。私はお豆腐メンタルの女子社員ではありませんので、その手のアプローチは一切通用しません。というか、社内規定の『優越的地位の乱用(パワハラ)』および『精神的揺さぶりによる業務妨害』に抵触する可能性がありますが、よろしいですか」
「規約持ち出された! 固いなぁ、本当に」
氷室先輩はガハハと笑ったが、その瞳の奥には、諦めるどころか、ますます面白がるような火が灯っていた。
この男、チャラそうに見えて、実はめちゃくちゃ手強い。
人の懐に入るのが上手すぎるのだ。
だけど、私だって26年間、「真面目で可愛げのない女」として生きてきたプライドがある。イケメンの気まぐれな興味に、簡単に心を明け渡すつもりは毛頭なかった。