【第7話】
「……で、なんで私がこれを手伝わなければならないのでしょうか」
時計の針は20時を回っていた。
定時退勤がモットーの私のデスクの上には、現在、広大な「白いパズルの海」が広がっている。氷室が丁寧に、かつ全力で粉砕してくれた経営会議議事録の残骸だ。
「本当にごめん! でも、この議事録のバックアップ、作成した前任者がデータを消去して退職しちゃってて、本当にこの世にこの1部しかなかったんだよ……」
氷室は私の対面の席にパイプ椅子を持ってきて、申し訳なさそうにピンセットを握りしめていた。
普段の「完璧な社内エース」のオーラは完全に消え去り、前髪をヘアクリップで雑に留めた姿は、どこか間の抜けた大学生のようだ。
「前任者も前任者ですが、確認もせずに一瞬で無に帰した先輩の右腕の破壊力、ギネス級ですね」
「うう、返す言葉もない。……あ、これ、繋がったかも」
「それ、さっき私が繋げた『当期の営業利益』の『利』の字の右側です。泥棒しないでください」
「あ、ごめん」
ガサゴソと、静まり返ったオフィスに紙の擦れる音だけが響く。
私はA4の白いコピー用紙に糊を塗り、ピンセットで「営業」という文字の断片を慎重に貼り付けていく。寸分の狂いもなく、1ミリの隙間もなく。私の持ち前の真面目さと几帳面さが、こんな不毛な作業でフル活用されているのが、我ながら最高に虚しい。
(っていうか、なんなんこの状況!)
(華金の夜やぞ!? 華金! 世間の20代OLはな、お洒落なバルでワイン飲んだり、気になる人とデートしたりしとる時間や! なんで私はオフィスでイケメンと2人きりで、シュレッダーのゴミの裏表判別しとんねん! どんなディストピアや!)
「……ふふ」
突然、対面から小さな笑い声が漏れた。
見上げると、氷室がピンセットを持ったまま、私の顔を見ていた。
「何でしょうか。私の顔に糊でもついていますか」
「ううん。神田さんって、喋ってないときも、頭の中でめちゃくちゃ喋ってそうだなって思って」
「……」
「今も、絶対心の中で俺のこと罵倒してたでしょ。『このポンコツが』とか」
(バレとる!!!)
(罵倒のワードセンスはもっとエグいけどな! 脳みそハッピーセットの次は『前世シュレッダーかワレ』って言おうとしとったわ!)
「……滅相もございません。ただ、効率的な作業手順について思考していただけです」
私は平然と言い放ち、次の紙片を手に取った。
氷室はそんな私を見て、呆れたような、でもどこか愛おしそうに目を細めた。
「神田さんって、本当に面白いね。俺、今まで社内の人から『氷室くん、すごいね』とか『かっこいいね』とかしか言われなくてさ。仕事のミスも、なんか適当にフォローされちゃうことが多かったから……」
氷室はピンセットを置き、少し真剣なトーンで言った。
「あんなに全力で、真っ直ぐ怒られたの、人生で初めてかもしれない。……嬉しかったんだ、実は」
その言葉の響きが、夜の静かなオフィスに妙にリアルに響いた。
お世辞や、女の子を口説くための軽薄なセリフではない。彼のまっすぐな黒目が、私を捉えて離さない。
(……な、なんなん、急にシリアスな空気出すなや)
トクン、と胸の奥が小さく跳ねた。
私は慌てて視線をカレンダーに落とし、自分の動揺を必死に隠そうとした。
「……で、なんで私がこれを手伝わなければならないのでしょうか」
時計の針は20時を回っていた。
定時退勤がモットーの私のデスクの上には、現在、広大な「白いパズルの海」が広がっている。氷室が丁寧に、かつ全力で粉砕してくれた経営会議議事録の残骸だ。
「本当にごめん! でも、この議事録のバックアップ、作成した前任者がデータを消去して退職しちゃってて、本当にこの世にこの1部しかなかったんだよ……」
氷室は私の対面の席にパイプ椅子を持ってきて、申し訳なさそうにピンセットを握りしめていた。
普段の「完璧な社内エース」のオーラは完全に消え去り、前髪をヘアクリップで雑に留めた姿は、どこか間の抜けた大学生のようだ。
「前任者も前任者ですが、確認もせずに一瞬で無に帰した先輩の右腕の破壊力、ギネス級ですね」
「うう、返す言葉もない。……あ、これ、繋がったかも」
「それ、さっき私が繋げた『当期の営業利益』の『利』の字の右側です。泥棒しないでください」
「あ、ごめん」
ガサゴソと、静まり返ったオフィスに紙の擦れる音だけが響く。
私はA4の白いコピー用紙に糊を塗り、ピンセットで「営業」という文字の断片を慎重に貼り付けていく。寸分の狂いもなく、1ミリの隙間もなく。私の持ち前の真面目さと几帳面さが、こんな不毛な作業でフル活用されているのが、我ながら最高に虚しい。
(っていうか、なんなんこの状況!)
(華金の夜やぞ!? 華金! 世間の20代OLはな、お洒落なバルでワイン飲んだり、気になる人とデートしたりしとる時間や! なんで私はオフィスでイケメンと2人きりで、シュレッダーのゴミの裏表判別しとんねん! どんなディストピアや!)
「……ふふ」
突然、対面から小さな笑い声が漏れた。
見上げると、氷室がピンセットを持ったまま、私の顔を見ていた。
「何でしょうか。私の顔に糊でもついていますか」
「ううん。神田さんって、喋ってないときも、頭の中でめちゃくちゃ喋ってそうだなって思って」
「……」
「今も、絶対心の中で俺のこと罵倒してたでしょ。『このポンコツが』とか」
(バレとる!!!)
(罵倒のワードセンスはもっとエグいけどな! 脳みそハッピーセットの次は『前世シュレッダーかワレ』って言おうとしとったわ!)
「……滅相もございません。ただ、効率的な作業手順について思考していただけです」
私は平然と言い放ち、次の紙片を手に取った。
氷室はそんな私を見て、呆れたような、でもどこか愛おしそうに目を細めた。
「神田さんって、本当に面白いね。俺、今まで社内の人から『氷室くん、すごいね』とか『かっこいいね』とかしか言われなくてさ。仕事のミスも、なんか適当にフォローされちゃうことが多かったから……」
氷室はピンセットを置き、少し真剣なトーンで言った。
「あんなに全力で、真っ直ぐ怒られたの、人生で初めてかもしれない。……嬉しかったんだ、実は」
その言葉の響きが、夜の静かなオフィスに妙にリアルに響いた。
お世辞や、女の子を口説くための軽薄なセリフではない。彼のまっすぐな黒目が、私を捉えて離さない。
(……な、なんなん、急にシリアスな空気出すなや)
トクン、と胸の奥が小さく跳ねた。
私は慌てて視線をカレンダーに落とし、自分の動揺を必死に隠そうとした。



