アンドロイド総務部員(※心の中はエセ関西弁)は、一途なチャラ男の底なし沼から抜け出せない

【第35話】
「神田さん、これ……営業部との調整結果の最終資料。氷室くんから『総務部の承認をもらってほしい』って預かったんだけど……」
木曜日の夕方。佐藤先輩が恐る恐る差し出してきたファイルを受け取り、私はページをめくった。
瞬間、私の網膜に飛び込んできたのは、驚くほど緻密で、完璧に構造化された100ページ超の要件定義書だった。以前のあの『アーティスティックな落書き』とは天と地ほどの差がある。文字のフォントは美しく統一され、グラフの数値は小数点第二位まで正確。何より、総務部が提示したセキュリティ要件が、1文字の妥協もなく完璧に組み込まれていた。
(……なんやこれ)
(あのワンマンな営業部長相手に、これだけの条件を全部飲ませたって言うんか? ほんでこの資料の量……これだけの修正、まともに寝てたら作れるわけないやろ。一体何時間サビ残したらこんなもん仕上がるんや……)
「……氷室くん、この資料を営業部に通すために、ここ数日ずっと開発チームの部屋に泊まり込んでたらしいわよ。さっき廊下ですれ違ったけど、顔色真っ青で、目の下にものすごいクマ作ってて……」
佐藤先輩の言葉が、私の耳の奥で不快な耳鳴りのように響いた。
(アホか……アホなんかあの人は)
(何が『実験』や。何が『暇つぶしのオモチャ』や。そんな適当な気持ちで、自分の評価を落とすかもしれないリスク背負って、体壊すまで泥臭く動く奴がどこにおんねん……!)
脳内のプロ漫才師が、誰もいない劇場の暗闇で、パイプ椅子をギチリと鳴らした。
休業中のはずのシステムに、原因不明の過負荷(エラー)が急上昇していく。私は眼鏡のブリッジを強く押し上げ、声を絞り出した。
「……資料は受領しました。内容に不備はありません。ですが、過度な長時間労働は安全衛生管理上、重大な規律違反です」
完璧な標準語。完璧なポーカーフェイス。
だが、キーボードを叩く私の指先は、さっきから不自然なほど冷たくなっていた。