【第24.5話】
華金の夜。22時。
お気に入りのジュラートプケの部屋着に身を包み、実家から送られてきた出汁つゆで丁寧に作った出汁巻き卵をつまみに、缶ビールを開ける。これぞ「アンドロイド神田」の完全なる再起動(シャットダウン)時間だ。
そこへ、スマートフォンのバイブレーションが鳴り響いた。画面には「結衣(ゆい)」――都内の大学に通う、我が実妹の名前。
「もしもし、結衣? どうしたの、こんな時間に」
『あ、お姉ちゃん? 起きてた? 聞いてよ、最近サークルのOBでさ、めちゃくちゃ面倒くさい男に絡まれてるんだけど』
受話器の向こうから、結衣の少し疲れたような声が聞こえてくる。
「絡まれてるって……大丈夫? 変な人ならすぐに縁を切りなさい」
『うーん、悪い人じゃないんだけどね。見た目は金髪混じりのパーマで、シャツのボタンいつも外してて、チャラチャラしてるわけ。で、サークルの女子みんなに「可愛いね」とか言ってハバネロのお菓子とか配り歩いてる変人なんだけど』
(……待て)
(見た目がチャラチャラ、パーマ髪、ほんでハバネロ配る変人……?)
私の脳内で、ある特定の男の顔の3Dグラフィックが急速にレンダリングされていく。
「……その人、仕事――じゃなくて、サークルの仕事はできるの?」
『そこがムカつくの! 頭めちゃくちゃ良くて、企画とかやらせたら絶対トップの成績出すわけ。なのに、私生活は超ルーズで、こっちが書類のミス注意したら「真面目でいいね」とか言って真っ直ぐ目を見て口説いてくるの。本当に調子狂う』
(デジャヴ!!! 完全に既視感(デジャヴ)やないかい!!!)
(ドッペルゲンガーかワレ! その男の名前は氷室蓮か!? 東京に同じタイプの天然絶滅危惧種が2匹も生息しとんのか!?)
「っ、ドッペルゲンガーかワレ!!!」
『……は? お姉ちゃん、いきなり何? 相変わらずバグってるね』
結衣の冷めた声で、私はハッと我に返った。慌てて缶ビールをゴクリと飲み干す。
「ごめん、単なる音声入力の誤作動。……それで、その男の人は、結衣のことが好きなの?」
『いや、それが一番厄介でさ。その人、サークルの皆にはチャラチャラしてるのに、実は「学生時代からずっと片思いしてる本命の女の子」がいるらしくて、その子以外とは絶対付き合わないって周りに宣言してる一途な男なんだって』
心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
結衣が話しているのは、もちろん氷室先輩ではない。だけど、その男の「スペック」は、あまりにも氷室蓮そのものだった。
『だからね、お姉ちゃん。私、その人とは絶対に距離置いてるの』
「……なぜ? 一途なら、誠実で良い人じゃない」
私の問いに、結衣はフンと鼻を鳴らし、現役女子大生らしい冷徹なリアルさで言い放った。
『甘いよ、お姉ちゃん。そういう「チャラそうなのに実は一途」っていうギャップ持ちの男が、一番底なしの沼なんだよ。下手にハマったら、こっちの調子全部狂わされて、後戻りできなくなる。関わるのはサークルの用事(仕事)だけ。プライベートな質問には答えないし、一秒も余計な時間は費やさないのが正解。鉄壁の防御が一番だよ』
「……鉄壁の、防御」
『そう。お姉ちゃんみたいな真面目で融通の利かないタイプが一番狙われやすいんだから、会社に変な男がいても絶対無視しなよ? じゃあねー』
ブツッと通話が切れた。
静まり返ったワンルームマンション。私は手に持ったスマートフォンを見つめたまま、動けなくなっていた。
結衣の言葉が、私の胸の奥に深く突き刺さる。
『そういう男が、一番底なしの沼』
『下手にハマったら、後戻りできなくなる』
そうだ。私は何を動揺していたんだ。
氷室先輩が「一途だ」と言ったって、その対象が私であるはずがない。私はただの「面白いツッコミ要員」として面白がられているだけだ。
結衣の言う通りだ。これ以上、あの男に私のプライドや時間を費やしてはいけない。関わるのは、システム刷新プロジェクトの業務のみ。
私は出汁巻き卵を口に放り込み、眼鏡を強く押し上げた。
月曜日からは、さらに強固なファイアウォールを起動して、あの男を完全に「ビジネスライク」に処理してやる。そう心に深く誓った。



