第五十三話:甘やかしの波及、そして至宝の困惑(エルサ・カイル・王妃視点)
【エルサ視点】過剰な投資対効果
「……カイル様。これは一体、どのような国家戦略の現れなのでしょうか」
ゼオン様の腕の中からどうにか脱出した私は、離宮の執務室で、目の前に積まれた信じられない光景を前に頭を抱えていました。
机の上に並んでいるのは、ガルディニア国内はもとより、大陸中の特産地から集められた最高級のハチミツ、瑞々しい極上のレモン、そして見たこともないほど繊細な刺繍が施されたドレスの山です。
「戦略、ですか? いいえ、エルサ様。これは単なる『内宮の通常運転』にございます」
側近のカイル様は、いつも通り完璧に整えられた眼鏡の奥で、ひどく穏やかなーー悪く言えば、完全に開き直った笑みを浮かべていました。
「通常運転で、これほどの発注が行われるはずがありません。統計学的に見ても、この物資の流入量は一国の王太子妃が日常で消費するキャパシティを遥かに超えています。前世のビジネスの感覚で言えば、これは明らかに『過剰な先行投資』、あるいは『何か大きな見返りを求めた懐柔策』としか……」
前世での過酷な二十五年、今世のベルトラン公爵家での十数年。
私に向けられる「物」や「お金」には、常にその十倍以上の労働という対価が紐づいていました。だからこそ、こうして理由のない贅沢を次々と目の前に積まれると、私の大人の頭脳は「後からどんな無理難題を要求されるのだろう」と、反射的に怯えの計算式を走らせてしまうのです。
「エルサ様。その壊れた数式を回されるのはお止めください」
カイル様は手元の書類を置くと、驚くほど真剣な、けれど温かい眼差しを私に向けました。
「これは投資でも懐柔でもありません。先日、あなたが『ハチミツレモンケーキが美味しい』と小さく笑われた。……ただそれだけの事実を受けた、王宮全体の『狂喜乱舞の出力』なのです。あなたが喜ぶのなら、厨房の者も、侍女たちも、そして国王夫妻も、予算の許す限り最高の素材を揃えたい。愛された記憶のないあなたには理解しがたい方程式かもしれませんが、これこそが『無条件の愛』という名の、この国の絶対の理なのです」
「私の、一言だけで……?」
何も成果を出していないのに、ただ「美味しい」と言っただけで世界が動く。
未学習の概念を前に、私の頭脳は今度こそ完全にフリーズし、ただ真っ白な少女のように、困惑に頬を赤く染めることしかできませんでした。
【カイル視点】至宝を甘やかすための、至高の連携
「ーー順調ですね。エルサ様は今、ご自身の価値と、周囲から注がれる愛の不均衡さに、大変可愛らしく困惑していらっしゃいます」
執務室を出た私は、廊下で待機していた侍女長マルタ、そして厨房のクロエに静かに進捗を伝えました。
「まあ……! では、私たちが徹夜で仕入れたあのハチミツも、エルサ様の心の防壁を溶かす一助になっているのですね!」
クロエが胸の前で手を合わせ、涙ぐみながら身悶えします。
「ええ。ですが、まだエルサ様の脳内には『役に立たねば捨てられる』という過去の亡霊が居座っています。ですから皆様、今後もエルサ様が何かを『美味しい』と言ったり、『綺麗だ』と目を留めたりした際は、一瞬の隙も与えず、その物資を国家規模で包囲・供給してください。彼女に『我が儘を言っても、何も恐ろしいことは起きない』と魂に叩き込むのです」
「「御意にございます、カイル様!」」
内宮の全スタッフが、一人の無垢な少女を甘やかすためだけに、完璧な軍隊のごとき統率力で動き出す。
【王妃視点】母親としての、当然の権利
「あら、カイル。エルサへの贈り物は無事に届いたかしら?」
午後、本宮の回廊を歩いていると、エレオノーラ王妃様が嬉しそうに私に声をかけてこられました。その隣には、相変わらず「親バカ」の眼差しを隠そうともしないアルベルト陛下の姿もあります。
「はっ、王妃様。エルサ様は大変困惑しながらも、お菓子を一口召し上がり、林檎のように顔を赤くされていました」
「ふふ、可愛いわねぇ。本当に、あの子を愛でていると、今までゼオンという無味乾燥な息子しかいなかった我が家の寂しさが、一気に吹き飛ぶわ」
エレオノーラ様は優しく微笑みながら、けれどその瞳の奥に、かつてないほどの高潔な、そして絶対的な「母親の決意」を宿らせていました。
「ベルトランのクズどもは、あの子の頭脳だけを求めて心を磨り潰したけれど……私はあの子の、あの真っ白で無垢な『女の子としての時間』を、これからの人生で何千倍にして返してあげるつもりよ。アルベルト、次の公務の予算、少し内宮の『娘のドレス費』に回してもいいわよね?」
「国益(エルサ)への投資だ。いくらでも使え」
国王陛下もまた、当然のように頷かれます。
前世と今世、合わせて四十年間、誰にも顧みられなかった異邦の至宝。
その彼女を囲むガルディニアの包囲網は、ゼオン殿下の重すぎる執着だけに留まらず、今や国の中枢、そして王宮のすべての人間の『絶対的な溺愛』へと進化を遂げていました。
エルサ様、あなたが本当の「我が儘」を言えるようになるまで、この甘やかな猛吹雪は、決して止むことはないのです。
【エルサ視点】過剰な投資対効果
「……カイル様。これは一体、どのような国家戦略の現れなのでしょうか」
ゼオン様の腕の中からどうにか脱出した私は、離宮の執務室で、目の前に積まれた信じられない光景を前に頭を抱えていました。
机の上に並んでいるのは、ガルディニア国内はもとより、大陸中の特産地から集められた最高級のハチミツ、瑞々しい極上のレモン、そして見たこともないほど繊細な刺繍が施されたドレスの山です。
「戦略、ですか? いいえ、エルサ様。これは単なる『内宮の通常運転』にございます」
側近のカイル様は、いつも通り完璧に整えられた眼鏡の奥で、ひどく穏やかなーー悪く言えば、完全に開き直った笑みを浮かべていました。
「通常運転で、これほどの発注が行われるはずがありません。統計学的に見ても、この物資の流入量は一国の王太子妃が日常で消費するキャパシティを遥かに超えています。前世のビジネスの感覚で言えば、これは明らかに『過剰な先行投資』、あるいは『何か大きな見返りを求めた懐柔策』としか……」
前世での過酷な二十五年、今世のベルトラン公爵家での十数年。
私に向けられる「物」や「お金」には、常にその十倍以上の労働という対価が紐づいていました。だからこそ、こうして理由のない贅沢を次々と目の前に積まれると、私の大人の頭脳は「後からどんな無理難題を要求されるのだろう」と、反射的に怯えの計算式を走らせてしまうのです。
「エルサ様。その壊れた数式を回されるのはお止めください」
カイル様は手元の書類を置くと、驚くほど真剣な、けれど温かい眼差しを私に向けました。
「これは投資でも懐柔でもありません。先日、あなたが『ハチミツレモンケーキが美味しい』と小さく笑われた。……ただそれだけの事実を受けた、王宮全体の『狂喜乱舞の出力』なのです。あなたが喜ぶのなら、厨房の者も、侍女たちも、そして国王夫妻も、予算の許す限り最高の素材を揃えたい。愛された記憶のないあなたには理解しがたい方程式かもしれませんが、これこそが『無条件の愛』という名の、この国の絶対の理なのです」
「私の、一言だけで……?」
何も成果を出していないのに、ただ「美味しい」と言っただけで世界が動く。
未学習の概念を前に、私の頭脳は今度こそ完全にフリーズし、ただ真っ白な少女のように、困惑に頬を赤く染めることしかできませんでした。
【カイル視点】至宝を甘やかすための、至高の連携
「ーー順調ですね。エルサ様は今、ご自身の価値と、周囲から注がれる愛の不均衡さに、大変可愛らしく困惑していらっしゃいます」
執務室を出た私は、廊下で待機していた侍女長マルタ、そして厨房のクロエに静かに進捗を伝えました。
「まあ……! では、私たちが徹夜で仕入れたあのハチミツも、エルサ様の心の防壁を溶かす一助になっているのですね!」
クロエが胸の前で手を合わせ、涙ぐみながら身悶えします。
「ええ。ですが、まだエルサ様の脳内には『役に立たねば捨てられる』という過去の亡霊が居座っています。ですから皆様、今後もエルサ様が何かを『美味しい』と言ったり、『綺麗だ』と目を留めたりした際は、一瞬の隙も与えず、その物資を国家規模で包囲・供給してください。彼女に『我が儘を言っても、何も恐ろしいことは起きない』と魂に叩き込むのです」
「「御意にございます、カイル様!」」
内宮の全スタッフが、一人の無垢な少女を甘やかすためだけに、完璧な軍隊のごとき統率力で動き出す。
【王妃視点】母親としての、当然の権利
「あら、カイル。エルサへの贈り物は無事に届いたかしら?」
午後、本宮の回廊を歩いていると、エレオノーラ王妃様が嬉しそうに私に声をかけてこられました。その隣には、相変わらず「親バカ」の眼差しを隠そうともしないアルベルト陛下の姿もあります。
「はっ、王妃様。エルサ様は大変困惑しながらも、お菓子を一口召し上がり、林檎のように顔を赤くされていました」
「ふふ、可愛いわねぇ。本当に、あの子を愛でていると、今までゼオンという無味乾燥な息子しかいなかった我が家の寂しさが、一気に吹き飛ぶわ」
エレオノーラ様は優しく微笑みながら、けれどその瞳の奥に、かつてないほどの高潔な、そして絶対的な「母親の決意」を宿らせていました。
「ベルトランのクズどもは、あの子の頭脳だけを求めて心を磨り潰したけれど……私はあの子の、あの真っ白で無垢な『女の子としての時間』を、これからの人生で何千倍にして返してあげるつもりよ。アルベルト、次の公務の予算、少し内宮の『娘のドレス費』に回してもいいわよね?」
「国益(エルサ)への投資だ。いくらでも使え」
国王陛下もまた、当然のように頷かれます。
前世と今世、合わせて四十年間、誰にも顧みられなかった異邦の至宝。
その彼女を囲むガルディニアの包囲網は、ゼオン殿下の重すぎる執着だけに留まらず、今や国の中枢、そして王宮のすべての人間の『絶対的な溺愛』へと進化を遂げていました。
エルサ様、あなたが本当の「我が儘」を言えるようになるまで、この甘やかな猛吹雪は、決して止むことはないのです。



