凍てついた令嬢は、異国の太陽に抱かれる

第五十一話:夜の帳、溶けていく境界(エルサ・ゼオン視点)
【エルサ視点】不条理な夜の数式
「……まだ、お休みにならないのですか、ゼオン様」
深夜、静まり返った寝室。私はベッドの上で、ゼオン様の広い胸にすっぽりと収まりながら、消え入りそうな声で問いかけました。
私が「今夜はずっと一緒にいて、お話を聞いてほしい」という、前世と今世を合わせても一度も口にしたことのない「我が儘」を言ってから、数時間。ゼオン様は本当に、山積していたはずの公務の書類をすべてカイル様に丸投げし、一歩もこの部屋から出ずに私の傍にいてくださっています。
それどころか、お話を、という私の言葉通り、私が前世の記憶について、あるいはベルトラン公爵家の地下室でどのような作業をしていたかを淡々と語るのを、ただ静かに、けれど狂おしいほどの熱を孕んだ瞳で聞き続けてくれたのです。
「お前が話し疲れて眠るまで、俺が眠るわけがないだろう。……それに、こうしてお前が自分の過去を俺に差し出してくれている時間が、どれほど俺の独占欲を満たしているか、お前は分かっていない」
ゼオン様の大きな手が、私の背中をやんわりと、けれど引き離せないほど強固に抱きすくめます。
親から愛された記憶が、ただの一度もない私。
私にとって「夜の部屋」とは、明日の分の膨大なタスクに追われ、冷たい机の上で孤独にペンを走らせるための時間でした。誰かが隣にいて、自分の他愛のない、あるいは暗い過去の話をただ肯定して聞いてくれるなどというデータは、私の脳内には存在しません。
「……怖いです。こんなに優しくされて、明日、もし私が何の成果も出せなくなってしまったら、その時、貴方は……」
「何度言わせるつもりだ」
頭上から降ってきたのは、呆れたような、けれどこれ以上ないほどに甘く、不条理な響きを持った覇王の声でした。
「お前が何も産み出さず、ただの無能な置物になったとしても、俺はお前をこの腕から離さない。お前が生きていること。それ自体が、俺にとっての絶対の正解だ。お前の壊れた数式がそれを拒むなら、何度でもその唇を塞いで、俺の理屈で書き換えてやる」
「ん……っ」
私の反論を許さないように、ゼオン様の唇が重ねられます。
何度も、何度も、私の口内の柔らかさを貪り、熱い体温が流し込まれていく。
彼のこの圧倒的な質量(たいおん)だけが、新しい「現実」として深く、深く刻み込まれていきました。
【ゼオン視点】無垢な至宝を、我が色に染める
胸の中で、完全に大人の防壁を失くし、俺の衣を小さな手でぎゅっと掴んだままトロンとした目で俺を見上げてくるエルサ。
前世での過酷な孤独、今世での冷酷な搾取。誰にも顧みられず、愛の向け方すら知らずに真っ白なまま凍りついていたこの至宝が、今、俺の腕の中で「優しさが怖い」と泣きそうになりながらも、確実に俺の体温を受け入れようとしている。
この無防備で、反則的なまでに健気な姿を見られるのは、世界で俺一人だけだ。
「エルサ。お前を傷つけた過去の亡霊どもは、もう二度とお前の視界に入らせない。これからは、お前が眠る夜も、目覚める朝も、すべて俺の愛だけで満たしてやる」
「……どこまでも、強引な、仕様変更(アップデート)ですね……」
エルサは諦めたように、けれど今度は、心からの、愛おしそうな小さな微笑みを俺に向け、そのまま心地よさそうに目を閉じ、俺の胸へ完全に身を委ねて眠りについた。
その穏やかな寝顔を見つめながら、俺はさらに腕の力を強めた。