凍てついた令嬢は、異国の太陽に抱かれる

第四十一話:異邦の至宝が歩んだ軌跡(王妃・王・ゼオン・カイル視点)
【王妃視点】初めての「娘」へ、慈愛の約束
「エルサ、貴女は少し根を詰めすぎる傾向があるわ。今度、ゼオン抜きで、ゆっくり私とお茶をしましょうね。お互いに男たちの愚痴でも言い合いながら、美味しいお菓子をいただきましょう」
私が優しく微笑みながらそう語りかけると、エルサは「私などで、よろしいのですか……?」と、大きな琥珀色の瞳を信じられないものを見るように揺らしていた。
そのあまりにも謙虚で、どこか怯えるような仕草が、私の胸を激しく締め付ける。
私は昔から、ずっと女の子が欲しかった。
けれど、授かったのは文武両道でありながら感情の起伏が全くない、氷の塊のようなゼオン一人。母親らしい温かいお茶会など、あの無機質な息子相手にできるはずもなかった。
だからこそ、これほど可憐で、なおかつ国の危機を救うほどの知性を持った娘が我が家にやってきてくれたことが、嬉しくて堪らない。
「ふふ、約束よ。ゼオン、貴方は絶対に連れて行かないから、そのつもりでね」
「……母上、あまり俺のエルサを独占しないでいただきたい」
不満げに眉をひそめる息子を軽くあしらいながら、私は退室していくエルサを見送った。彼女が扉を閉める間際まで、こちらに深く一礼する姿は、洗練された大人の気品と、どこか痛々しいほどの健気さに満ちていた。
彼女が完全に去った後、私室の扉が再び開き、カイルが静かに入室してきた。彼の腕には、厳重に封印された厚い書類の束が握られている。
「ーー殿下、陛下、王妃様。エルサ様の『前世』、およびベルトラン公爵家における生い立ちの調査、すべて完了いたしました。……覚悟してお聞きください」
カイルのその一言で、室内の甘やかな空気は一瞬にして凍りついた。
【カイル視点】「二つの人生」に刻まれた搾取の全容
私が中央のテーブルに広げたのは、情報部の最高密偵、そしてエルサ様自身の断片的な独白から紡ぎ出された、一人の天才の「あまりにも過酷な履歴書」でした。
「まず、エルサ様には『前世の記憶』がございます。ここではない異世界の、極めて高度な情報社会の記憶です」
「異世界の記憶だと……?」
陛下が驚きに目を見開かれます。私は頷き、報告を続けました。
「ええ。その世界での彼女は、二十五年もの間、文字通り『死ぬまで』働き続ける環境に身を置いていました。そこは『ブラック企業』と呼ばれる、労働者を限界まで使い潰す組織だったそうです。彼女はそこで、秒単位のタスク、理不尽な上司の叱責、休むことすら罪悪感を抱かせる精神的洗脳を受け続け……最後は、過労による心停止で、二十五年間の人生の幕を閉じたのです」
「二十五年、ただ組織の道具として磨り潰されたというのか……」
ゼオン殿下の拳が、みしりと音を立てて握り締められます。その紺色の瞳には、すでに地獄の業火のような殺気が宿っていました。
「ですが、悲劇はそれだけではありません。その記憶を持って転生した先が、あのベルトラン公爵家でした。公爵家は、幼いエルサ様が持つ『異世界の高度な統計学や財務知識』に目をつけました。彼らは彼女を幼少期から隔離し、日の当たらない地下の執務室で、膨大な領地経営の書類を処理させ続けたのです」
私は一枚の羊皮紙をめくりました。
「実の家族でありながら、彼らはエルサ様を『便利な道具』『無能な雑用係』と呼び、彼女のあげた数々の莫大な成果を、すべて妹のステラや、元婚約者のキリアン公爵世子の功績として横取りしていました。彼女がどれほど完璧な書類を作ろうとも、待っていたのは『お前など、誰の役にも立っていない』という精神的虐待。前世の洗脳と、今世の搾取ーーこれにより、エルサ様の脳内には『役に立たなければ、生存する価値がない』という、冷酷なまでの思考のバグが強固に植え付けられてしまったのです」
【国王視点】覇王の血統として、断じて許されぬ愚行
カイルの報告を耳にするたび、我が胸の奥からも、激しい黄金の怒りがせり上がってくるのを感じていた。
「実の親が、実の娘を……国家の至宝たる頭脳を、ただの雑務処理機として扱い、あまつさえ心を破壊したというのか」
大国ガルディニアの王として、ベルトラン公爵家の行いは断じて許されるものではない。
我が国であれば、国家予算の全てを投じてでも保護し、最高位の爵位と権力を与えて優遇すべき「神の頭脳」だ。それを、ただの利権のために隠蔽し、使い潰し、最後には魔獣の領地へ凍死寸前で放り出したなど、愚行という言葉すら生ぬるい。
「アルベルト、私、あの家族を絶対に許せませんわ……!」
隣でエレオノーラが、怒りのあまり扇を握り潰していた。彼女の瞳には、愛する「娘」を傷つけられた母親としての、激しい憤怒が燃え盛っている。
「安心しろ、エレオノーラ。ベルトラン公爵家はすでに我が国の経済制裁で破綻し、爵位を剥奪され平民へ落とされた。今や飢えに怯え、泥を舐める生活を送っている。だが……」
私は視線を、隣で恐ろしいほどの静寂を纏っている息子ーーゼオンへと向けた。
「ゼオン。これほどの傷を負った娘だ。お前のその『重すぎる愛』すらも、彼女にとっては『別の形をした搾取(役割の強要)』に見えてしまうのも無理はない。……お前に、彼女のその深すぎる呪縛を解く覚悟はあるのか」
【ゼオン視点】奈落の底から、何度でも引き上げる
「ーー愚問を、父上」
俺の口から出た声は、自分でも驚くほど冷たく、そして絶対的な決意に満ちていた。
前世で二十五年。今世で十数年。
エルサがその小さな身体で背負ってきた絶望の総量が、カイルの報告によってすべて明らかになった。
あいつがなぜ、俺の執務室で「何もすることがない」と怯えていたのか。なぜ、マルドゥーク帝国を三分で蹂躙した後すら「自分は負債(コスト)だ」と泣いていたのか。そのすべての謎が、痛々しいほどのパズルとなって繋がった。
前世のブラック企業、そしてベルトラン公爵家。
お前を道具として扱い、その心を壊したすべての亡霊ども。そいつらが仕込んだ「役に立たねば捨てられる」という冷たい計算式が、今もお前の美しい頭脳を苦しめているというのなら。
「俺のすべてを賭けて、その数式(のろい)を、一文字残らず書き換えてやる」
どれほどの時間がかかろうと構わない。
あいつが「何もしていなくても、ただ生きているだけで愛される」という、至極当然の真理を魂の底から理解するまで、俺は何度でも、何千回でも、あの不条理な熱量でお前を抱きしめ、上書きしてやる。
「カイル。ベルトランの生き残りどもが、現在どこの辺境で泥を舐めているか、常に監視を怠るな。あいつらが、エルサの視界の一角にすら二度と入らないよう、完全に管理しろ」
「御意にございます、殿下。奴らが二度と日の当たる場所へ出られぬよう、地の底へ繋ぎ止めておきましょう」
カイルが冷酷な礼を返す。
俺は立ち上がり、私室の窓から、エルサが待つ離宮の方角を見つめた。
エルサ。お前が歩んできた二つの人生の寒波は、今、このガルディニアの地で完全に終わりを告げたのだ。
これからの人生は、俺の腕の中という、世界で一番傲慢で、世界で一番温かい、終わりのない春の陽だまりの中で過ごさせてやる。