凍てついた令嬢は、異国の太陽に抱かれる

第三十三話:完璧な数式のバグ(エルサ・ゼオン視点)
【エルサ視点】大人の頭脳が弾き出す「エラー」
ゼオン様の甘やかな言葉に嘘はない。その不条理なまでの体温も、私の存在そのものを肯定してくれる眼差しも、すべてが本物だと私の冷徹な頭脳は理解していました。かつて私を使い潰した人々とは決定的に違う、「誠実」という名の真実がそこにはある、と。
けれどーー。
「まあ、貴女が噂の『異邦の至宝』様? 殿下の新しいお気に入りと伺って、どんなに素晴らしい淑女かと思っていましたけれど……ずいぶんと地味な方なのね」
王宮の薔薇園で私の前に立ちはだかったのは、ゼオン様の幼馴染であり、由緒正しき公爵家の令嬢、フランチェスカ様でした。
彼女の言葉には、あからさまな悪意はありませんでした。むしろ、洗練された大人の笑みを浮かべ、私を気遣うような完璧な令嬢の仕草で、私の脳内に「猛毒」を流し込んできたのです。
「ゼオンは昔から責任感が強くて、傷ついた迷子を見捨てられないタチなの。特に貴女のように、前の居場所で酷い目に遭った可哀想な女性には、これ以上ないほど甘く接するわ。……だって、そうして『救い上げる』ことこそが、覇王としての彼のプライドを一番満たしてくれるんですもの」
(ーー同情、あるいは自己満足としての愛?)
フランチェスカ様が提示した仮説は、私の大人の頭脳に致命的なエラー(バグ)を引き起こしました。
「知っている? 彼が貴女に支払っているその『甘やかし』、昔、私や他の側近たちにも同じように配られていた『ただの身内への誠実さ』の延長線よ。貴女が特別だからではないわ。彼は、そういう『役割』を完璧に演じているだけ」
彼女の言葉は、緻密に構成されたデータのように整合性を持っていました。ゼオン様の大国としての振る舞い、王太子としての責任感。それらを組み合わせると、彼女の言う「策略としての優しさ」の計算式が、恐ろしいほどの完成度で成立してしまうのです。
(ゼオン様のあの熱は、私個人に向けられたものではなく、ただの『保護者としての誠実な義務』……?)
どれが真実で、どれが偽りなのか。
いつもなら三分で解けるはずの計算式が、フランチェスカ様の巧妙な嘘のノイズによって、私の脳内ですべて処理落ちを起こし、冷たいパニックを引き起こしていました。
【ゼオン視点】狂い始めた最愛の呼吸
「エルサ、どうした? 顔色が悪いぞ」
夕刻、執務室に戻ってきたエルサを抱き寄せた瞬間、俺の胸に冷たい違和感が走った。
いつもなら、俺の体温に戸惑いながらも、最後には諦めたように力を抜いて俺の胸に寄り添うはずの彼女の身体が、今は硝子細工のように硬直している。その琥珀色の瞳は、俺を真っ直ぐに見つめているようで、その奥では無数の計算式を狂ったように走らせているかのように、焦点が定まっていない。
「……いえ、ゼオン様。何でもありません。ただ、少し大人の頭脳が……処理を誤っているだけのようです」
そう言って、エルサは自ら一歩、俺の腕から身を引いた。
そのわずかな距離が、俺の胸を鋭く抉る。
(何かがおかしい。エルサの奴、またあの『誰も信じない冷たい檻』の中に引きこもろうとしてやがるーー)
「エルサ、俺の目を見ろ。誰に何を言われた?」
俺が声を低くして彼女の細い手首を掴むと、エルサは悲しそうに、けれど冷徹な大人の仮面を必死に張り付かせながら、静かに微笑んだ。
「誰も、何も。ただ……私の計算が、少し間違っていただけです」
その頑なな拒絶の壁の向こう側で、最愛の異邦人が再び孤独に震えている。俺の誠実な想いすらも「偽り」の計算式の中に組み込もうとする、背後に潜む何者かの気配に、俺の胸の中で狂暴な怒りの焔が静かに燃え上がり始めていた。