第四話:最初の亀裂
ゼオンの胸から伝わる、痛いほどの心音と圧倒的な熱。
エルサは弾かれたようにその手を引き抜こうとしたが、彼の強靭な指先はそれを許さなかった。ただじっと、彼女の凍てついた琥珀の瞳の奥を覗き込んでいる。
「……分かりません、殿下」
エルサは視線を逸らさず、ひどく平坦な、それでいてひび割れた声で呟いた。
前世の二十五年、そして今世の十数年。彼女が築き上げてきた「大人の理性」という防壁が、この男の理不尽な情熱の前に、不快なきしみ声を上げている。
「私には、あなたのその熱を受け取るための器がありません。空腹が長すぎると、突然上質な食事を与えられても身体が拒絶するように……私は、愛されるということが、生理的に恐怖なのです。どうか、私をただの道具としてお使いください。その方が、私も息がしやすい」
それは、悲鳴ですらない「冷徹な自己分析」だった。
二十五年もの間、誰一人として彼女を大切にしなかった。その結果、彼女の魂は「愛されない状態」で完全に安定してしまっていたのだ。今さら優しくされることは、彼女にとって世界がひっくり返るほどの、耐え難い不調和だった。
エルサのあまりにも歪な告白に、ゼオンの紺色の瞳が痛烈に歪んだ。
激情に駆られたように彼女の手をさらに強く握りしめ、しかし、その肉体を壊してしまわぬよう、必死に力をコントロールしている。
「道具だと? ふざけるな。お前は人間だ、エルサ」
ゼオンは低く、地を這うような声で噛み締めるように言った。
「お前の身体が拒絶するなら、俺が毎日、一滴ずつその乾いた喉に俺の愛を注ぎ込んでやる。恐怖に震えるなら、その恐怖ごと俺の腕の中で抱きしめてやる。道具としてしか生きられないと言うなら、その道具を、俺が世界で一番、過保護に、至高の宝として扱い倒してやる」
「殿下……」
「俺を甘く見るな。俺は一度欲しいと決めたものは、例え神が相手だろうと捥ぎ取ってきた。お前のその、頑なな二十五年の呪いごと、俺が引き受けてやる」
ゼオンはそう言い放つと、エルサの手の甲に、焼き印を押すかのような深く熱い口づけを落とした。
その唇が触れた場所から、ジリジリと熱が侵食してくる。
ゼオンが部屋を去った後も、エルサはその場から動けなかった。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く部屋で、彼女は自分の右手を見つめる。
(熱い……、本当に、煩わしいほどに……)
彼女の強固だったはずの檻に、初めて、小さな、けれど決定的な亀裂が入った瞬間だった。
ゼオンの胸から伝わる、痛いほどの心音と圧倒的な熱。
エルサは弾かれたようにその手を引き抜こうとしたが、彼の強靭な指先はそれを許さなかった。ただじっと、彼女の凍てついた琥珀の瞳の奥を覗き込んでいる。
「……分かりません、殿下」
エルサは視線を逸らさず、ひどく平坦な、それでいてひび割れた声で呟いた。
前世の二十五年、そして今世の十数年。彼女が築き上げてきた「大人の理性」という防壁が、この男の理不尽な情熱の前に、不快なきしみ声を上げている。
「私には、あなたのその熱を受け取るための器がありません。空腹が長すぎると、突然上質な食事を与えられても身体が拒絶するように……私は、愛されるということが、生理的に恐怖なのです。どうか、私をただの道具としてお使いください。その方が、私も息がしやすい」
それは、悲鳴ですらない「冷徹な自己分析」だった。
二十五年もの間、誰一人として彼女を大切にしなかった。その結果、彼女の魂は「愛されない状態」で完全に安定してしまっていたのだ。今さら優しくされることは、彼女にとって世界がひっくり返るほどの、耐え難い不調和だった。
エルサのあまりにも歪な告白に、ゼオンの紺色の瞳が痛烈に歪んだ。
激情に駆られたように彼女の手をさらに強く握りしめ、しかし、その肉体を壊してしまわぬよう、必死に力をコントロールしている。
「道具だと? ふざけるな。お前は人間だ、エルサ」
ゼオンは低く、地を這うような声で噛み締めるように言った。
「お前の身体が拒絶するなら、俺が毎日、一滴ずつその乾いた喉に俺の愛を注ぎ込んでやる。恐怖に震えるなら、その恐怖ごと俺の腕の中で抱きしめてやる。道具としてしか生きられないと言うなら、その道具を、俺が世界で一番、過保護に、至高の宝として扱い倒してやる」
「殿下……」
「俺を甘く見るな。俺は一度欲しいと決めたものは、例え神が相手だろうと捥ぎ取ってきた。お前のその、頑なな二十五年の呪いごと、俺が引き受けてやる」
ゼオンはそう言い放つと、エルサの手の甲に、焼き印を押すかのような深く熱い口づけを落とした。
その唇が触れた場所から、ジリジリと熱が侵食してくる。
ゼオンが部屋を去った後も、エルサはその場から動けなかった。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く部屋で、彼女は自分の右手を見つめる。
(熱い……、本当に、煩わしいほどに……)
彼女の強固だったはずの檻に、初めて、小さな、けれど決定的な亀裂が入った瞬間だった。



