凍てついた令嬢は、異国の太陽に抱かれる

第二十四話:甘やかな毒と、侵食する温もり(エルサ・ゼオン視点)
【エルサ視点】大人の頭脳が導く「敗北」
ハチミツレモンケーキの甘酸っぱさが口の中に広がるたび、私の胸の奥に、言葉にできない妙な焦燥感が湧き上がっていた。
(おかしい。私は、ただ食事をしているだけなのに……)
前世の二十五年、食事とは「次の労働のための燃料補給」に過ぎなかった。味を感じる暇もなく、ただ胃に流し込むだけの作業。今世でも、妹のステラの華やかな晩餐の裏で、私は冷え切った部屋で書類をめくりながら、片手で固いパンをかじるのが日常だった。
それなのに、目の前の男は、私が一口食べるごとに、本当に嬉しそうに自身の瞳を細めるのだ。
「どうした、エルサ。口に合わなかったか? 別のものを用意させようか」
「いえ……そうではありません。ただ、このように穏やかな時間を過ごすことに、私の『大人の理性』が、未だに不合理だと警鐘を鳴らしているのです」
私はフォークを置き、琥珀色の瞳で真っ直ぐに彼を見つめた。
「私はこれまで、何かしらの成果を出すことでしか、自分の存在価値を証明できませんでした。ゼオン様、貴方が私に与えてくださるこの環境は、私にとって『甘やかな毒』です。これに慣れてしまえば、私は二度と、あの過酷な現実に戻れなくなってしまう」
それは、私の最後の抵抗だった。
自分を「道具」として定義することでしか、傷つかずに生きる術を知らない、哀しい大人の生存戦略。
だが、ゼオン様は私のその言葉を聞いても、呆れることも、怒ることもなかった。それどころか、狂おしいほどの愛おしさを湛えた瞳で、私の頬にそっと、その大きな手を添えてきたのだ。
【ゼオン視点】檻の鍵は、すでに壊れている
「戻る必要など、どこにある」
俺は指先に伝わるエルサの肌の心地よさに、胸の奥を激しく揺さぶられていた。
彼女はまだ、怯えている。この温もりがいつか消え、またあの冷たい雨の降る世界に放り出されるのではないかと、その賢すぎる大人の頭脳で計算し続けているのだ。
「毒だろうと何だろうと構わない。お前が二度とあの過酷な現実に戻れないよう、俺の愛で、その身体も心も完全に麻痺させてやる」
「ゼオン、様……」
「エルサ。お前は何も生み出さなくていいと言った。だが、お前がどうしても『存在価値』を証明したいと言うのならーー」
俺は身を乗り出し、彼女の耳元に唇を寄せた。
「俺の傍で、ただ生きていろ。お前が明日も明後日も、俺の目の前で息をして、こうして飯を食ってくれること。それ以上の価値など、このガルディニアのどこを探しても存在しない」
俺の言葉に、エルサの長い睫毛が細かく震える。
その琥珀色の瞳の奥で、二十五年もの間、彼女を縛り続けていた「完璧な道具であれ」という呪縛の鎖が、また一本、音を立てて千切れていくのが分かった。
お前がどれほど大人の理屈で武装しようと、俺の熱はそのすべてを融解させる。
俺の手の中でお前がただの『一人の女』として甘えられるようになるまで、俺の侵食は、決して止まらない。