第一話:舞踏会の硝子細工
きらびやかなシャンデリアの光、甘く漂う薔薇の香水、そして耳を刺すような貴族たちの嘲笑。
隣国の王宮で開催された建国祭の舞踏会は、エルサにとって、ただの「二度目の処刑場」に過ぎなかった。
「ーー婚約を破棄させてもらう、エルサ。君のような、冷酷で思いやりのない女は我が公爵家にふさわしくない。愛らしい妹のステラを見習うといい」
元婚約者である不実な男の声が、頭上から降ってくる。
その傍らでは、エルサの「知恵」と「成果」をすべて横取りしてきた異母妹が、これ見よがしに涙を浮かべて男の腕にしがみついていた。
周囲の貴族たちは、一斉にエルサへ冷ややかな視線を浴びせ、口々に「妹を虐げた悪女」「冷血な人形」と囁き合っている。
(ああ、まただ。やっぱり、何も変わらない)
罵声を浴びながらも、エルサの琥珀(こはく)の瞳は微塵も揺れなかった。涙の一滴すら流さない。
その姿が、周囲には「反省の色がない冷酷な女」に映ったのだろう。だが、違う。彼女はただ、絶望することに慣れすぎていただけだった。
エルサには、前世の記憶がある。
物心ついた頃からの、凄惨なネグレクト。暗い部屋に放置され、飢えに震えた幼少期。そこから必死に働き、自力で生き延びて大人になっても、彼女の人生に光は射さなかった。
その卓越した頭脳と真面目さだけを利用され、都合よく搾取され続けーー誰一人として彼女を大切にすることのないまま、推定25歳を迎えたある日、冷たい雨の降る路地裏で身体も心も限界を迎え、孤独に息を引き取った。
二十五年もの間、ただの一度も、誰からも愛されなかった。
だからこそ、今世で再び家族に冷遇され、婚約者から泥を塗られて捨てられたときも、エルサはどこか冷静に、それを受け入れていた。
(私の魂は、生まれてから死ぬまで、誰の記憶にも残らず消えていく運命なのだわ。25歳まで生きられたのだから、今世はもう、十分でしょう)
自分の価値は、擦り切れるまで働かされる「道具」でしかない。
すべてを諦め、ただ静かにその場を去ろうとエルサが背を向けた、その時だった。
「ーー実に見苦しいな。そこの愚か者どもは、我が国であれば即刻、国家反逆罪で首が飛ぶレベルの無能ばかりだ」
低く、地を這うような圧倒的な威圧感を孕んだ声が、喧騒の広間を支配した。
貴族たちが蜘蛛の子を散らすように割れ、道を作る。
そこに現れたのは、夜の闇を溶かしたような黒髪に、鋭い紺色の瞳、そして褐色の肌を持つ筋骨逞しい男ーー大国ガルディニアの王太子、ゼオンだった。冷徹無比と恐れられ、その辣腕で国を導く若き覇王。
ゼオンの紺色の瞳が、まっすぐにエルサを射抜く。
エルサは周囲の者たちのように怯えもしなかった。ただ、世界のすべてを諦めた、深く冷たい琥珀の瞳で男を見つめ返した。
その瞬間、ゼオンの瞳の奥に、激しい衝動の火が灯るのをエルサは知る由もなかった。
「おい」
ゼオンは元婚約者や妹など一瞥もせず、エルサの目の前で立ち止まった。
「お前、名前は?」
「……エルサ・ベルトランと申します、見知らぬ国の殿下」
感情を削ぎ落とした、大人びた冷静な声。二十五年と十数年、孤独の中で磨き上げられた彼女の防壁だった。
「エルサ。お前は今、すべてを失った。ならば、俺が拾ってやる。我が国へ来い」
「……私は、何も持たぬ無価値な存在です。連れて行かれても、お役に立てるものは何もありません」
「お前の価値を決めるのはお前ではない、この俺だ」
ゼオンはそう言い放つと、エルサの細い手首を、決して痛くはない、けれど絶対に離さないという強い力で掴み上げた。
これが、二つの人生で誰一人として彼女を大切にしなかった「凍てついた異邦人」が、命がけで彼女を愛し抜く男と出会った、最初の瞬間だった。
きらびやかなシャンデリアの光、甘く漂う薔薇の香水、そして耳を刺すような貴族たちの嘲笑。
隣国の王宮で開催された建国祭の舞踏会は、エルサにとって、ただの「二度目の処刑場」に過ぎなかった。
「ーー婚約を破棄させてもらう、エルサ。君のような、冷酷で思いやりのない女は我が公爵家にふさわしくない。愛らしい妹のステラを見習うといい」
元婚約者である不実な男の声が、頭上から降ってくる。
その傍らでは、エルサの「知恵」と「成果」をすべて横取りしてきた異母妹が、これ見よがしに涙を浮かべて男の腕にしがみついていた。
周囲の貴族たちは、一斉にエルサへ冷ややかな視線を浴びせ、口々に「妹を虐げた悪女」「冷血な人形」と囁き合っている。
(ああ、まただ。やっぱり、何も変わらない)
罵声を浴びながらも、エルサの琥珀(こはく)の瞳は微塵も揺れなかった。涙の一滴すら流さない。
その姿が、周囲には「反省の色がない冷酷な女」に映ったのだろう。だが、違う。彼女はただ、絶望することに慣れすぎていただけだった。
エルサには、前世の記憶がある。
物心ついた頃からの、凄惨なネグレクト。暗い部屋に放置され、飢えに震えた幼少期。そこから必死に働き、自力で生き延びて大人になっても、彼女の人生に光は射さなかった。
その卓越した頭脳と真面目さだけを利用され、都合よく搾取され続けーー誰一人として彼女を大切にすることのないまま、推定25歳を迎えたある日、冷たい雨の降る路地裏で身体も心も限界を迎え、孤独に息を引き取った。
二十五年もの間、ただの一度も、誰からも愛されなかった。
だからこそ、今世で再び家族に冷遇され、婚約者から泥を塗られて捨てられたときも、エルサはどこか冷静に、それを受け入れていた。
(私の魂は、生まれてから死ぬまで、誰の記憶にも残らず消えていく運命なのだわ。25歳まで生きられたのだから、今世はもう、十分でしょう)
自分の価値は、擦り切れるまで働かされる「道具」でしかない。
すべてを諦め、ただ静かにその場を去ろうとエルサが背を向けた、その時だった。
「ーー実に見苦しいな。そこの愚か者どもは、我が国であれば即刻、国家反逆罪で首が飛ぶレベルの無能ばかりだ」
低く、地を這うような圧倒的な威圧感を孕んだ声が、喧騒の広間を支配した。
貴族たちが蜘蛛の子を散らすように割れ、道を作る。
そこに現れたのは、夜の闇を溶かしたような黒髪に、鋭い紺色の瞳、そして褐色の肌を持つ筋骨逞しい男ーー大国ガルディニアの王太子、ゼオンだった。冷徹無比と恐れられ、その辣腕で国を導く若き覇王。
ゼオンの紺色の瞳が、まっすぐにエルサを射抜く。
エルサは周囲の者たちのように怯えもしなかった。ただ、世界のすべてを諦めた、深く冷たい琥珀の瞳で男を見つめ返した。
その瞬間、ゼオンの瞳の奥に、激しい衝動の火が灯るのをエルサは知る由もなかった。
「おい」
ゼオンは元婚約者や妹など一瞥もせず、エルサの目の前で立ち止まった。
「お前、名前は?」
「……エルサ・ベルトランと申します、見知らぬ国の殿下」
感情を削ぎ落とした、大人びた冷静な声。二十五年と十数年、孤独の中で磨き上げられた彼女の防壁だった。
「エルサ。お前は今、すべてを失った。ならば、俺が拾ってやる。我が国へ来い」
「……私は、何も持たぬ無価値な存在です。連れて行かれても、お役に立てるものは何もありません」
「お前の価値を決めるのはお前ではない、この俺だ」
ゼオンはそう言い放つと、エルサの細い手首を、決して痛くはない、けれど絶対に離さないという強い力で掴み上げた。
これが、二つの人生で誰一人として彼女を大切にしなかった「凍てついた異邦人」が、命がけで彼女を愛し抜く男と出会った、最初の瞬間だった。



